第2話 白髪の男との出会い
何なんだ、こいつ…!?
身長がおそらくは俺よりも高い180cmくらいのこの男を見上げながら、俺の心臓は強く脈打っていた。自分の目の前に現れた男は、白銀色の髪と金色の瞳を持つ。コスプレ好きが見たらたまらなそうな着物の格好をし、肌が少し色黒い。そして、妙な威圧感が感じられる。
「なんだって、見ず知らずのてめぇなんかに…!!」
初対面の人間に何を言っているのかと不快に感じたが、俺は途中で口を止める。
これはまた夢ではないだろうか。もし、夢でないとしたら、ここは何処なのか―――――――――俺の言動に動じる事もなく、余裕そうな笑みを浮かべたこの野郎の表情を見た途端、冷静に理解・判断してくれるのではないかという気持ちになった。いわゆる、第六感みたいなものだろうか。
俺はとにかく、現状を把握しようと会ったばかりのこの男に、つい先ほどまでに起きた出来事を話す。語る俺の口調に、首をかしげてばかりであったが、ある人物の名を口にした途端…眉が少しだけ動いた。
「伏姫…その素藤とやらは真に、その名を申してのか?」
「?…そうだけど…」
「…里見の姫…か。まさか、あの時の出来事と何か関わりがあるというのか…」
先ほどまで余裕そうな笑みを浮かべていた白髪の男は、突然腕を組んで考え出す。
何やらボソボソと呟いていたが、声がとても低かったのもあって俺には聞こえなかった。
「…ところで…ここは一体、何処なんだ?」
「!」
考え込んでいるのを邪魔するのは悪いと思いつつも、現状把握したかった俺は恐る恐る声をかける。すると、男は我に返ったかのようにこちらを振り向く。
「…安房国にある霊山・富山だ」
「…は…!?」
男の鋭い瞳がこちらに向いた途端、身体が少し震えた。
そして、聞き覚えのない地名を口にした事にも驚く。
安房!!?安房って確か…
聞き覚えのある名を聞いた途端、俺はカバンに入れていた八犬伝の本を取り出す。図書室に返却しようと思って持ってきたが、うっかり忘れていたためカバンに入れっぱなしだったのだ。そして俺は、本の冒頭部分をパラパラとめくる。
「そんな…馬鹿な…!?」
物語の冒頭―――――――――――伏姫が富山にこもるページを読んだ途端、ものすごく嫌な予感がしてくる。何せ、俺がいるこの山林をそのまま再現するような文面で、本にくの地名と特徴が描かれていた。
「今…何年だ?」
「…」
深刻な表情をしながら、俺は重たくなった唇を開く。
目の前にいる男は、俺が持つ八犬伝の本を見つめながら、答える。
「文明七年(=1475年)だ。…頭でもいかれておるのか?」
皮肉そうな笑みを浮かべながら答えたが、俺はそんな事を気にかける余裕はなかった。
平成じゃない…。だが、何だってこんな事に…!!?
この台詞を聞いた途端、俺の中の血の気が消えうせたような感覚になる。
こうして俺は、己が今より遥か昔――――――『南総里見八犬伝』の舞台である室町時代後期にタイムスリップしてしまった事を悟る。
「先の世…真にそのような世が存在するとは…」
その後、俺はこの白髪の男と共に山を降り、街道を歩いていた。
多くはないが、何人かの人々とすれ違い、彼らの身なりを見る。やはり、旅人や商人などこの時代で見られそうな着物を身にまとい歩く人々を見た瞬間、自分は本当に平成ではない過去の世界に来てしまったのだと改めて悟る。
よく考えると…あの素藤って野郎が俺をこの時代に飛ばしたって事だよな?だが、何だってこんな事に…
俺は先を歩く白髪の男の背中を見つめながら、ただボンヤリと考え事をしていた。一方で相手は、俺の存在を忘れてるのか否かわからないくらい、何か考え事をしていた。
「なんじゃ、あやつらは…」
「この世とは思えぬ白髪と…あの小僧の体は何だ…?」
「土器色の髪に、妙な着物をまとっている…もののけか?」
「物の怪が人の世をさまようなんざ、世も末じゃな…」
時折すれ違う人たちが俺や奴の陰口をたたいているのが耳に入ってきた途端、ひとつの疑問が生まれる。
旅人から見れば、俺も異質な者かもしれないが…そんな俺をそのまま引き連れているこの男は一体…?
思えば、先の世―――――――つまり、未来から来た俺の話を特に疑う事なく聞いていたこの男。この時代の人間とは思えない雰囲気を持つ奴が何者なのかと気にしていた。
「あんたは一体…何者なんだ?」
「…別に答える義理はない」
尋ねようとした瞬間、否定するような感覚で言葉を遮られてしまう。
どうやら、自分の素性をあまり話したくはないのだと俺は悟る。
「せめて…じゃあ、せめて名くらいは教えろよ。…何と呼べばいいかわからないじゃねぇか!」
ため息交じりで名乗りをあげるよう促す純一。
そんな俺の態度に気が付いたのか、男は横目で見る。
「橡…」
「橡?」
「…俺の名だ。最も、名など方便に過ぎんがな」
「どういう意味だ…?」
「…さてな」
意味深な台詞に、俺は疑問を感じる。
しかし、深く考える余裕がなかった俺は自分の名を名乗った。
「俺の名は、染谷純一。…先も申した通り、先の世から来た…。橡…お前は一体?」
「…純一とやら。まずはその、妙な着物を着替えた方が良いかもな」
「あ…」
全く気にかけていなかったが、橡の一言で今は自分だけがおかしな服装をしているのだと自覚する。
何せ、学校の制服を着たままだったからな…。そりゃあ、怪しまれるわけだ…
そんな事を考えながら、俺と橡は先を急ぐ。
…案の定、動きづらいなこれ…
その後、人がいくらか集まっている通りにて売り物をしていた行商人から着物を一着得た。この時代の庶民らしい木綿でできた小袖は弁柄色を思わせる茶色だったが、売り物の割にはあまり新品とは言えない代物だったため、多少くすんだ色をしていた。
「…お前が生きてきた時代に比べると、動きにくい着物であろう?」
「え…?」
着物を身に着けた俺を見た橡は、余裕そうな笑みを浮かべる。
その口調はまるで、平成の事を知っているような口ぶりだった。「何故知っているか」と尋ねたかったが、おそらくは答えてくれないであろうと思い余計な事を口にしないようにした。
「ん…?」
すると、少し離れた場所から竜笛などの楽器の音が響いてくる。
俺の脚は、自然と音が聴こえる方へと歩み寄っていた。そこには、人が集まり何かを見ている。人ごみのその先を覗いてみると…
「白拍子…いや、女田楽…か?」
そう呟く俺の視線の先には、楽の音に合わせて舞う女田楽師達の姿があった。
古典文学の好きな俺にとって音に合わせて舞をする人は白拍子と同じである…という認識があったが、あれは平安・鎌倉時代が主とされる芸能。室町時代の後期と考えられるこの世界では、田楽ととらえるのが正しいのかもしれない。
見慣れない光景に目を奪われつつも、俺の視界にとある女田楽師の姿が目に入る。舞を舞っている女は数人いたが、その中央に立って踊るその女は…他とは違う何か大きな存在感のような物が感じられる。俗にいう「美のオーラ」とはまた違う感覚を持つ女田楽師。その黒い瞳に吸い込まれるかのように見つめていると…不意にその女と目があう。
「!」
女は俺と目があった途端、フッと余裕そうな笑みを見せる。
その行為は心臓を掴まれたようにドキッとしたが、不思議な笑みを浮かべたその女は、すぐに違う方向を向いてしまい何事もなかったように舞を続ける。
「…あ…!」
突然振り返ると、橡の姿が見当たらない。
何処にいるのかと周囲を見わたしたら、奴は女田楽にも目を暮れず、消え去るかのようにして歩き出していた。
やべぇ…見失ってしまう…!!
そう直感した俺は、すぐに人ごみから抜けて奴の歩いて行った方角へ脚を動かし始める事にした。
「橡…!!!」
人が多く集まっていたあの場所から100メートル程離れた場所を、奴は歩いていた。
俺が息をあげながら叫んだのには訳があり、あのまま名を呼ばなければその場で消えてしまうように見えたからだ。最も、幽霊でもないのに独りでに消える事はないはずなのだが…
「…あのまま、人間共と共におればよいものを…」
俺の存在に気が付いた橡は、こちらに振り向いてため息をつく。
その表情にいつもの余裕そうな笑みはなく、半分あきれたような表情をしていた。
小走りで彼を探していた俺は、息を切らしながら白髪の男に近づく。
「てめぇ…何だって俺を置いていこうとした!?」
俺はまるでおもちゃを取り上げられて怒った子供のような口調で、奴に声を張り上げる。
おそらく、今の俺の現状を知っている奴がいなくなってしまう事に対して、無意識の内に不安になっていたからかもしれない。
すると、橡が持つ金色の瞳が俺の姿を捉える。だが、俺にしてみると――――――――――奴は“ここ”ではないどこか遠くを見つめているようにも感じられた。
「…貴様をここまで連れてきたのは、単なる俺の気まぐれだ…。本来、我らは人の子とは関わらぬ生き物…。故に、人の群れがおる場所に置いていけば、勝手に動くであろうと計あっての事だ。…お前こそ、何故俺なんぞについて参る?」
そう言いかえされた途端、俺は返す言葉が見つからなかった。
橡とは出会ったばかりで、これまで共に旅をしてきた仲間というわけでもない。この時代で動きやすい小袖姿にさえなれば、そこからどうするのかは俺の自由だったわけだ。
だが…あの時、富山で俺を見つけたのが奴でなかったら…この地まで来れなかったのかもしれない。だから、ついていこうとしたのか…
俺は奴に何て説明しようかと頭を巡らせながら考えていた。すると――――――
「珍しき事もあるものだな!!まさか、てめぇが人間と馴れ合っているとは…」
「なっ!!?」
突然、頭上から声が響いてくる。
あまりに突然だったため、俺は目を丸くして驚く。
見上げると、そこには朱色の髪と瞳を持ち、所々が千切れた樺色の着物を身にまとう男が木の上に立っていた。
その男は、その場からジャンプしたかと思うと、一瞬の内に地面へ降り立っていた。その軽々とした動きは、スタントマン並の身のこなしである。
「“人間”…?何だって、そんな言い方を…?」
俺は突如現れた男の言動が何を意味しているのかわからず、半分混乱し始めていた。
そんな俺や橡の周囲には、朱色髪の男の仲間と思しき男たちが数人取り囲んでいた。そいつらの腕には薄汚れた小太刀が握られている。
刀と殺意をむき出しにする彼らを見た橡は、フッと哂う。
「朱雀炎鬼か…。まさか、このような場所で相まみえるとは…な」
皮肉を込めた嫌味ったらしい口調で白髪の男はその台詞を口にする。
「!!?」
俺は、事の成り行きが全く理解できず、心臓を強く脈打ちながら、その場の成り行きに身を任せる――――――――――そういう事しかできない状態となっていたのであった。
いかがでしたでしょうか!
久しぶりの更新なんで、ちょっと?になっている部分が多々ありましたが、それはさておき…。
おそらく、読んでいてわかりづらい内容だったかもしれませんが今回初登場した登場人物達の事について…
「蒼き牡丹」をご覧になった方は何となくわかったかもですが、今回初登場した橡という白髪の男は、後に蟇田権頭素藤となる蒼血鬼の事です!彼のこの名前は、本人が言うようにその時その時で使い分ける名なだけであって、名を持つ事に特に意味はないと思われる。
因みに、彼の名前の由来は着物の色の一つである黄橡から取りました!
この色は茶色系の色で、”橡”事態はどんぐりを指します。この名前にしたのは、『蒼き牡丹』に出てくる彼の想い人・琥狛の”こはくいろ”が同じ茶色系の色だったから…です。
それともう一つ…作中で出てきた女田楽師。あれは、後に犬士の一人として登場する犬阪毛野なんです!次回以降もこんなかんじで、「この時期くらいの犬士達の様子」を描けたらな~と思ってます★
それでは、ご意見・ご感想がありましたらよろしくお願いします(^^