最終話 ”温もり”を得た己のゆく先は
素藤編はこれが最後です。
琥狛…お前は、何故…!
あれから数日が経ったある日、俺がその場にいなかった時に犬士の一人・犬江親兵衛仁と名乗る童が侵入。鬼の娘と共謀し、琥狛を連れ出してしまう。その場には狩辞下もおったが、その童は我らの弱点を把握していた事もあって、見事に取り逃がしてしまう。その報せを聞いた俺は、すぐに奴らが向かうであろう方角へ移動した。
「放してよ…!」
やっとの思いで見つけた娘は、俺を見てすぐに逃げ出そうとする。
それに対して俺は、どこにも行かせないつもりで娘の身体を抱きすくめる。だが、それでも尚、俺の腕から琥狛は逃れようとするのである。
「思い出せ、琥狛。俺と共にいたあの頃を…!」
俺が耳元にて吐息混じりで囁くと、娘の身体が飛び跳ねるかの如く震える。
「貴方が…貴方が、妙椿と手を組み…犬士達の敵でなければ…私は…!!」
その反応と共に放った台詞は、過去世である己――――――――――――すなわち、琥狛としての記憶が少しずつ蘇ってきている事を示すのだと俺は悟る。琥狛を見つめるその眼差しも、自然と熱を帯びたものと変貌していた。しかし…
「狭っ!!!!」
琥狛を抱きくすめている俺の目の前に、里見の犬士が現れる。
「…来おったか」
俺はこのひと時を邪魔された故に、殺気だった瞳で奴を睨みつける。
そして、琥狛も奴の名を叫んだ時…これまであまり感じた事のない憤りを感じた。
たかだか、”書物の中の人間”が、俺の女の心を奪っているとはな…
この時、娘の目の前でこの犬塚信乃という男を斬れば、永遠に俺の女にできるやもしれぬと考えた俺は、奴からの勝負を受ける。最初は優勢だったが、思わぬ所で琥狛が止めに入る。
「鬼としての矜持を忘れ、そなたが狂気に狂う所など…私は見たくない…」
「!!」
背後から抱きしめられた事にも驚いたが、この台詞を聞いた時…何かを悟ったような気がした。
“狭子”であり、“浜路姫”たる“この娘”は俺にとって聞き慣れぬ言葉を口にする娘…。だが、この台詞は…!!!
何故かは解せぬが、狭子の中にいる“琥狛自身”が俺を止めようとしている事に気が付き、俺はとどめをさせなかった。そしてこの時、「娘がこの時代に参った目的」を果たすまでは、犬士共の元へ預けるのも一興なのかもしれぬという思いが目覚める。故に、琥狛の事を狭子と割り切る事が叶い、犬塚信乃に一旦返す事ができたのである。
「牙静」
「…ここに」
琥狛の元を去った直後、近くに控えていた牙静を俺は呼び寄せる。
「奴らの事はともかく…俺の女を連れ出したあの小娘に、罰を与えねばな」
「…と申しますと?」
「“先の世から来た娘”を逃がしたままでは、妙椿の怒りも納まらぬであろう?…故に、あのくの一を始末してこいという事だ」
「…御意」
命令を下した後、牙静は姿を消した。
琥狛を連れ出した小娘――――名など知れぬが、あの双子は神護鬼・音音に仕える忍として名が知れており、我ら蒼血鬼とも何度か刃を交えている存在。故に、一匹でも仕留めれば、音音の守りを薄めるだけでない一石二鳥であるという考えから、牙静に抹殺を命じたのである。
結局、牙静が手を下す事なくその娘は死に絶えたらしいが―――――――――――如何に同胞であっても、敵対している同胞に対しては何も感じない己であった。
「お主と初めて相まみえた時も…このような夜であったな…」
この台詞は、俺が狭子と共に安房国・富山で一夜を過ごしていた時に口にした言葉。
純一が書き記した書物にある“関東大戦”という人間の戦が終いになったのを知った俺は、犬士共の目の前で、娘を連れ去る。全ての決着をつけるため、犬塚信乃には“一騎討ち”をほのめかし、この地を訪れたのである。
この地が、純一の申していた“始まりの地”…。全てを終いにするにはもってこいの場所であろうな…
そんな事を考えながら、俺は眠りにつく娘の髪に触れる。俺が連れ去るまで床に臥していたと思われる狭子は、肌襦袢を身に着け、安らかな表情で眠りについている。当人は知らぬようだが、この襦袢は伽をする際に女子が身に着けるもの。故に、俺はかつて琥狛と肌を重ねあわせた夜を思い出す。
「…ぁ…」
「…?」
すると、突然、娘の口が開いて何かを呟くように口を動かす。
寝言か…?
瞳は閉じたままだった故に、俺は寝言を呟いておるのかと考える。
「…そなたと一緒ならば…私に恐れる事は…何もない」
「…!」
この寝言を娘が口にした途端、俺はあの夜の事がまるでつい先ほどの事のように蘇る。
同時に、“琥狛”として過ごしてきたあの日々をこの娘は夢で見ているのだと悟る。
「あの夜…俺は初めて、人間という卑しいとしか思わなかった生き物には、“温もり”なるものがあるという事を…知ったのだ、琥狛…」
そう呟きながら、狭子の華奢な肉体を抱きしめる。
その後、肌襦袢の内側に手を入れたりと、当人が目覚めないのをいい事に俺は好き放題して夜を明かしていた…。否、言いかえるならば、人間だけが持ちうる“温もり”を、狭子の身体を通して味わっていた己であった。
ザン…!!
その翌日――――――――――――――刀が何かを斬る音が富山中に響く。
奴が富山に現れた後、愛する女をかけた戦いは終焉を迎える。そう、500年以上に渡って続いた己による魂の旅がようやく終わりを迎えたのだ。
村雨丸とかいう犬塚信乃の愛刀たる刀に心の臓を斬られ、地面に倒れ伏す。気が付けば、頭上には琥狛…否、狭子の姿があった。
この俺が、人間如きに負けるのか…。だが…
俺はこの戦いを通して…「この男になら、狭子を託しても違いないやもしれぬ」という事を悟っていた。そして、娘が犬塚信乃と共に生きる事が…娘の幸せであり、純一が望んだであろう事だとも考えていた。
「琥狛…。いや、狭子よ…」
「素…藤…?」
紅い血で濡れた己の右手で、娘の頬に触れる。
もう触れる事は叶わぬが…良い暇つぶしとなったな…
俺の腹部から血が滲み、止まる事なく出る故に…これが“死”である事を改めて実感する。
「…」
意識が朦朧とし始め、口もあまり動かせなくなってしまう。しかし、己の手を握りしめる狭子の手に気が付き―――――――――――――それだけでも、とても満たされた気分になる。
「…来世でまた、逢おうぞ…。愛しき…娘よ…」
「…おやすみなさい…。素藤…」
そう囁く狭子の顔が一瞬、琥狛のそれと重なる。
ああ…必ず…
心の中で返事をした俺は、そのまま息を引き取るのであった。
こうして、“肉体の死”を迎えた俺は魂だけの存在となり、黄泉の国へと旅立つ。“三木狭子”と“染谷純一”なる2人の存在によって、生きる希望が湧き、死を迎える間近まで望むままに生きぬく事が叶ったこの短いひと時。これを大切にしながら、琥狛の元へ行こう――――――――――そう考えながら、俺の魂は何処へと旅立つのであった。
いかがでしたか。
少し無理やり感があるかもですが、何とか3話分でまとめる事ができました!
第2話でやりつくした感が少しあるからうーん?なかんじです★
さて、次章は「犬鬼人」の”人”の部分を書こうかな~と。
ただし、これも書ける人物は早々いなかったりする。笑
おそらく…年内の更新はこれが最後かもですが、次章の構成もボチボチ練りつつあるので、今後もよろしくお願い致します★