第2話 琥狛の生まれ変わり
ん…?
床に座って瞑想をしていた俺は、以前にも感じた事のある気配に気が付く。そして、その気配は段々と己のいる部屋の近くへと迫ってくる。俺はこの時、関東管領・扇谷定正の家臣である籠山逸東太縁連と共に、武蔵国にある石浜城を訪れていた。逸東太は石浜城の城主・馬加大記常武と話があるとの事で、俺は席を外していた。俺も最初だけ奴らの元にいたが、異様な眼差しでこちらを見つめる馬加を見た途端、悪寒を感じていた。それだけ、気色悪い人間である事を物語っている。しかし、そんな出来事を忘れさせるような出来事がこの後、起こった。
「…琥狛」
俺は瞳を閉じたまま、その名を口にする。
「無意識の内に言葉を引きずりだされた」と言っても相違ないやもしれぬ。それはかつて、琥狛が同じようにして俺の前に姿を現した時と同じような感覚であった故である。瞳を開いた俺は、“そやつ”に対して中に入るよう促す。そして、恐る恐る中に入ってきたのは、俺が欲している娘―――――――――――――三木狭子であった。姿形は以前と変わっておらぬが、唯一違うのはその肉体が半透明であり、まるで霊魂のようにして立っていた事である。娘は俺が普通に話しかけている事が信じられないような表情をしていた。これは千里眼という「他の者には見えない遠くのものが見える」という能力の一種。狭子の場合、遠くにある肉体から精神だけがこちらに飛んできて、俺の目の前におるという事に他ならない。
この能力は…やはり、琥狛の名残であろうな…
俺は、己に触れられるか試している娘を見つめながら、そのような事を考えていた。
「ところで…何故、貴方はここにいるの?この前、私を連れ去ろうとしたのは何故!?それに、どうして私の事を“琥狛”って呼ぶの…?というより、“琥狛”って誰!?」
その後、危険がないとわかり腰を据えた娘は、俺に対して質問攻めを仕掛けてくる。
流石の俺もそういっぺんに答えるのは不可能に近い。故に、まずはこの石浜城におる所以を説明したら、すぐに納得したようだ。
純一が申していた通り…狭子は“歴史”なる物が得意なのだな…
俺がこの場にいる理由をすぐに悟った娘を見た時、俺は染谷純一の事を思い出していた。
そして、僅かな時間を会話して過ごした後、対牛桜と呼ばれる桜閣にて馬加が宴を開く事となり、俺と逸東太が招かれる事と相成る。おそらく、この後の展開を知っておったであろう狭子も、気が付けば後ろから着いてきていたのである。
「ほぉ…」
その後、対牛桜でとり行われた宴の場にて、馬加が殺される場を目撃する。その男を討ち取ったのが、女田楽の花形・旦開野と名乗る女子。否、馬加を討ち取った際に誠の名を申したその者は男子であった。見た目は女の出で立ち故に男子には全く見えなかったが、犬坂毛野胤智と名乗り出た際、声をよく聞くと男子である事がようわかった。
「成程。馬加に近づくために、女子の格好をしていたようだな…」
俺はこの犬士は智に長けた男だと思い、刃を交えてみたいとこの時は考えていた。
犬士の一人であるが故に、少しは手ごたえがあるだろう―――――――――――と、そのような思い込みがあった。しかし、狭子の制止を振り切って交えてみたものの…所詮は人間。詰らぬ結果で終いになりそうだった。しかし、馬加の家臣共が集まり、逸東太が逃げうせたのを目の当たりにした後、己もその場を去った。
「近い内に、また会おう。…琥狛」
俺はその場に立ち尽くす狭子とすれ違った際、一言だけ小さく呟く。
そしてこの時、琥狛ともこのようなやり取りがあったなと考えながら、俺は石浜城を後にした。
「素藤様…ご命令通り、“先の世から来た娘”を捕えました」
「!」
石浜城での一件からどのくらいの月日が経ったか覚えておらぬが、ある時…逸東太に護衛として付き従ってきた牙静が何かを担いだ状態で俺の前に現れる。琥狛の生まれ変わりたる狭子と出逢ってから後、牙静には「折を見て“先の世から来た娘”を無傷で捕えて連れてこい」という命を下していた。あれから、関東管領が足利成氏との和睦をさせるための裏工作を進めたり等でせわしなくしていた故に、最初に命令を下した時からかなりの日数が過ぎていた。そんな牙静が担いでいたのは、紺色の着物を身にまといし娘・三木狭子であった。意識を失っておるのか、その大きな眼が閉じられていた。
「…本来は己のみの際に使う術ですが…此度はその娘を巻き込んで姿を消した故に、衝撃で意識を失われたのかと…」
「…相わかった。この娘はただの人間…術に耐えられぬのは致し方ない」
牙静は真面目な男ゆえ、地に跪いて謝罪をしていた。
奴が語るには、犬士共の前から姿を消す際、この娘を拘束した状態で移動の術を使ったが故に意識を失ったという。俺はこやつが偽りを申すような男でないのを存じているが故に、何も怒る事はなかったのである。
やっと…やっと、お前を手に入れる事が叶ったぞ。琥狛…
俺は牙静から気絶した娘を受け取り、その腕で抱きあげる。細くて華奢なその肉体は、鬼の力を持ってすれば、その場で砕けてしまうような人間らしい儚さを感じる。俺は、この古き寺の供物を供える場所であった所に娘の身体を寝かせる。そして、左手で狭子の頬にゆっくりと触れる。そこから感じたのは、我ら蒼血鬼にはない“温もり”であった。
「琥狛…」
俺は娘の頬に口づけを落とした後、そこから首筋にも口づけを落とす。
しかしこの時…俺の脳裏には、掴まれた腕から逃れようと強気の口調で言い放つこの娘の顔が浮かんだ。
「素藤様…。まもなく、妙椿が戻って参ります。早くその娘を縛りつけないと…」
「…わかっておる」
その後、俺を諭すかのようにして牙静が口を開く。
この続きは…琥狛が目を覚ました後…だな
フッと哂いながらそんな事を考えた俺は、娘の身体を再び抱きかかえ、寺の柱に縛り付ける。始めに手首を縄で縛った後、柱にくくりつけるまでの作業を俺が行った。本当ならあの続きをやるのに人目は全く気にならぬ性分だが、今は妙椿と手を組んでいる身。その尼僧も捕えたかったというこの娘と俺が顔なじみである…という事実は知られたくなかったからである。
その後、琥狛も目を覚まし、妙椿が娘に妖術で犬士共の会話を聴かせる。これによって娘は、己が行方をくらましていた里見家の姫・浜路姫である事を知らされるのであった。
…確かに、富山で見かけたあの女とも似ている節が…
驚きの余り言葉を失っている琥狛をしり目に、俺は琥狛の実の姉であり、八犬士の生みの親・伏姫の顔が浮かんでいたのである。また、それと同時に純一が申していた「狭子が『里見八犬伝』の浜路姫にそっくり」という台詞に深く頷けたのである。
…鷹に攫われて行方をくらました後は、何故か“先の世”にたどり着き、10数年をその地で過ごした後にまたこの時代に舞い戻る…。誠に、『里見八犬伝』とやらに現れる同じ名の姫と同様、数奇な運命を辿っておるのだな…
目には見えぬ運命とやらに翻弄される琥狛に対して俺は、不思議な気分に陥っていた。
その出来事の翌日―――――――
「…私を、犬士達の元へ帰してよ…!」
その日、俺と琥狛の2人きりという時があった。
だが、一度手中に納めた獲物をすぐ逃がす程、俺とて莫迦ではない。いくら娘の訴えであっても、それだけは聞き入れる事はできぬのである。
従順であっては、詰らぬからな…。やはり、この娘は強気な表情の方がそそられる…
俺は恐怖を必死に隠しながら己を睨みつける娘の顔を見つめながら、心の底からそう思っていた。故に、無理やりでも奪い取りたいという衝動にも駆られるのである。そうして俺は強引に娘の唇を奪う。拒絶される事も予想はしていたが…どういう訳かそのような気配はなかった。おそらく、狭子の中におるであろう琥狛の魂が俺に反応したのやもしれぬ。
琥狛…俺は今でも、お前の事を…!
娘が抵抗できぬ事を知っていた俺は、更に厚い口づけを求める。ほんの少しの間だけ、時が止まったような感覚がした。最も、俺は「このまま時が止まってしまえば」と考えていたが、そのような願いは叶わなかったのである。
「こんなの…悲しすぎるよ…」
「…!?」
唇を離した後、一筋の涙を流しながら申した言葉に、俺の表情が強張る。
永き時を生きてきた俺は、滅多な事で驚いた顔はしなくなっていたのに…この時、琥狛が申した予想だにしていなかった台詞に、驚きを隠せなかった。また、その後の言葉によって俺は己が琥狛を傷つけていた事を悟る。俺とした事が、娘が過去世(=前世)の己である琥狛の事を思い出してほしい一心でやった事が裏目に出た瞬間であった。
そして、娘の頬をつたう涙を指ですくった時…琥狛とはまた異なる愛しさを、俺は感じていた。
そしてその後…詫びの意も兼ねて、俺は娘に純一の遺品たる“生徒手帳”と奴が直筆で記した書物を見せた。そして、知りたがっていたであろう俺と染谷純一という同じ“先の世から来た者”の関わりを琥狛に語り聞かせたのである。かつて琥狛から多くの語りを聞いていた俺が、今度は生まれ変わりたる狭子に語り聞かせる事になろうとは、当時は微塵も考えてはおらんかった。純一が記したその書物には、『南総里見八犬伝』とやらのおおよその内容がびっしりと書き込まれていた。しかも、今を生きる俺でも読めるように記されていた所を見ると…おそらく奴は書物に精通していたのがよくわかる。その後、俺の口から純一の死を知らされた狭子は、かなり動揺していた。
「原作と同じ展開にならなかったとはいえ…。もう二度と会えないなんて…!」
そう嘆く娘の瞳は、再び潤んでいた。
悲しみに満ちたその表情に、俺の心の臓が強く脈打つ。
「琥狛…。俺の前で、そのような表情をするのならば…」
「…?」
俺はこの時、如何なる言葉を紡ぎだそうと考えたが、一つだけ“泣き止むだろう台詞”を思いつく。
「…柱にくくりつけられている縄だけほどき、この場でお前を襲うやもしれぬぞ?」
「なっ!!?」
娘の耳元でそう囁くと、目を潤ませていた狭子は途端に頬が熱くなる。
「…冗談だ」
恥ずかしがる娘の表情に満足した俺は、フッと哂いながら耳元から口を離す。
そんな事もありながら、俺は狭子が逃げぬよう見張る役目を一時だけ忘れて、多くの事を語り合っていたのである。
だが、この後…里見の犬士共が思わぬ形で狭子を奪い返しに現れる事となるのであった。
いかがでしたか。
今回は作者の書きたい事づくしで埋まった回でした。笑
また、素藤編は3回でまとめる予定でしたが…この調子でいくと、本当に3話分でまとまるのかなぁ?という不安が…
お気に入りキャラの一人のため、キーボードが進むのなんのなかんじです!
さて、予定では次回で終わりのつもりでしたが…果たしてまとまるのか?
狭子の前世・琥狛自身の事や、信乃との一騎撃ちも極力書きたいので、いろいろ試行錯誤繰り返しながらまとめていきたいと思います!
ご意見・ご感想がありましたら、よろしくおねがいします★