おれ、LINEも苦手だから
「……おれ、LINEも苦手だから」
黒瀬くんは、横を向いて言った。
その手が、少し震えていた。
画面の中には。
私と黒瀬くん。
二人だけのトークルーム。
まだ、メッセージは一通もない。
え。
なに、これ。
どういう意味。
私は、何も言えなかった。
*
中学生になった時。
私は、少しだけ大人になった気がした。
新しい制服。
新しい教室。
新しい友達。
それから、スマホ。
「家の手伝いするから」
そう言って買ってもらった。
まあ。
手伝いは、すぐしなくなったけど。
夜になると、LINEで恋バナをした。
『好きな人いる?』
『うちのクラスなら誰?』
『隣のクラスの先輩、かっこよくない?』
通知が鳴るたび、ちょっと楽しい。
私にも、そういうことが起きるのかな。
好きな人とか。
彼氏とか。
少しだけ、思っていた。
でも。
そんな都合よく、何も起きなかった。
『美月は?』
『好きな人いないの?』
私は、いつも同じ返事をした。
『いないよ』
『まだ、そういうのわかんない』
うそ。
ほんとは、一人だけいる。
黒瀬蓮くん。
同じクラス。
背が高い。
目つきが悪い。
無口。
女子に話しかけられても、ほとんど返さない。
いつも、少しこわい顔をしている。
だから。
気になるなんて、言えない。
友達は、とっくに黒瀬くんの話をしていた。
「黒瀬くんって、ちょっと怖いけど、かっこよくない?」
「わかる。女子に興味なさそうなとこがいい」
「でも話しかけるの無理」
「駅で高校生に声かけられても、無視してたらしいよ」
「隣のクラスの男子、黒瀬くんに見られただけで黙ったって」
話だけ聞くと、やっぱりこわい。
私は、LINEで返した。
『それ、怖いね』
それだけ。
本当は。
黒瀬くんの話になるたび、心臓が少し変だった。
*
二年生になって。
文化祭委員を決める日が来た。
「女子は、佐倉」
先生が黒板に、私の名前を書いた。
佐倉美月。
「男子は……黒瀬。やってくれるか」
教室が、少しざわついた。
黒瀬くんは、すごく嫌そうな顔をした。
断ると思った。
みんなも、たぶんそう思った。
でも。
黒瀬くんは、黒板をちらっと見た。
私の名前。
それから、短く言った。
「……はい」
え。
断らないんだ。
困った、と思った。
同じくらい。
少しだけ、うれしいと思ってしまった。
*
その日の夜。
文化祭委員の連絡グループができた。
黒瀬くんも、そこにいた。
でも、ほとんど返事はしない。
『明日の放課後、残れる人いますか?』
既読だけが増える。
誰も返さない。
しばらくして。
『やる』
黒瀬くんだった。
それだけ。
別の日も。
『段ボール、倉庫から運べる人いる?』
また、既読だけ。
少しして。
『やる』
また、黒瀬くん。
嫌そうな顔をするのに。
何も言わないのに。
誰もやりたがらないことを、黒瀬くんはいつもやった。
こわい人。
なのに。
画面に出る『やる』の二文字を、私はいつも見てしまった。
*
文化祭の準備が始まって、放課後に残る日が増えた。
ある日。
色画用紙とテープが足りなくなった。
外は雨。
荷物も多い。
誰も買い出しに行きたがらない。
グループは、また止まった。
私が画面を見ていたら。
『やる』
黒瀬くん。
私は、指が勝手に動いた。
『私も行く』
送った。
すぐ後悔した。
でも、消さなかった。
放課後。
学校の玄関に行くと、黒瀬くんが立っていた。
傘を持って。
無表情で。
「……行くぞ」
それだけ言って、歩き出した。
私は、あわてて隣に並んだ。
雨の音。
傘の音。
黒瀬くんの横顔。
何か話したい。
でも、何も出てこない。
黒瀬くんも、何も言わない。
お店で、必要なものを買った。
色画用紙。
テープ。
のり。
リボン。
会計が終わると、黒瀬くんが袋を全部持った。
「私、半分、持つよ」
「いい」
短い。
ほんとに短い。
でも、冷たくはなかった。
帰り道。
雨が、少し強くなった。
私はスマホが濡れないように、かばんを抱えた。
その時。
黒瀬くんの傘が、少しこっちに寄った。
え。
黒瀬くんは、何も言わない。
前を向いたまま。
でも。
黒瀬くんの肩だけ、濡れていた。
「黒瀬くん、肩」
「別に」
……別に、じゃないでしょ。
そう思ったのに、言えなかった。
袋の中に、淡い水色の画用紙が入っていた。
「あれ? これ、頼んでないよね」
黒瀬くんは、横を向いた。
「前に言ってた」
「え?」
「この色、あったらかわいいかもって」
言った。
たしかに言った。
でも、友達と話していた時に、ちょっと言っただけ。
聞いてたの?
覚えてたの?
「……ありがとう」
黒瀬くんは返事をしなかった。
袋の持ち手を、ぎゅっと握り直しただけだった。
*
文化祭は、無事に終わった。
私にしては、がんばれたと思う。
たぶん、黒瀬くんがいたからだ。
少しでも長く、一緒にいたいと思っていた。
なぜか、黒瀬くんも時間ぎりぎりまで残っていた。
黒瀬くんは、無口で、少し怖い。
私は、あまり話せなかった。
何も変わらないまま、文化祭委員のLINEグループは閉じられた。
*
やっぱり、彼氏とか、まだ無理。
私には関係ない。
そう思っていた。
夕方になると、雨が降り出した。
帰ろうと思って、学校の玄関に行くと。
黒瀬くんが、外を見ていた。
手には、傘がなかった。
文化祭の時の、雨の買い出しを思い出した。
私が濡れないように、黒瀬くんは傘を傾けてくれた。
怖そうに見えるけど。
まじめで、がんばり屋さんで。
ほんとは、やさしい人だった。
私の手には、ビニール傘がある。
声をかければいい。
たった、それだけなのに。
玄関には、まだ下校する生徒が何人かいた。
男の子に、自分から声をかける勇気なんて。
私には、なかった。
その時。
黒瀬くんが、私の方へ歩いてきた。
え。
一緒に帰ろうって、言われるのかな。
「佐倉」
名前を呼ばれた。
「な、なに?」
黒瀬くんは、少し黙った。
それから。
「スマホ、出して」
「え?」
「スマホ」
「なんで?」
答えてくれない。
ただ、じっとこっちを見る。
私は、スマホを出した。
黒瀬くんも、自分のスマホを出した。
何度か画面を触って。
私の画面を指さす。
言われるままに開く。
そこにあったのは、私と黒瀬くん。
二人だけのトークルーム。
「……おれ、LINEも苦手だから」
黒瀬くんは、横を向いて言った。
その手が、少し震えていた。
女子になんて興味ないと思っていた。
私のことなんて、気にも留めていないと思っていた。
でも。
じゃあ、これは?
この画面は?
その震えている手は?
私は、何も言えなかった。
黒瀬くんも、それ以上何も言わなかった。
「……じゃ」
それだけ言うと、黒瀬くんは雨の中へ走っていった。
傘もないのに。
私は、その後ろ姿を見つめることしかできなかった。




