第56話 混浴
旅館の部屋に戻ると、一人で待っていた和花が、ようやく帰ってきた飼い主に飛びつく子犬みたいに、俺の顔を見るなり駆け寄ってきた。
「どうだった?」
「うまくいったよ」
手短に、さっきのことを説明した。
今回のスポンサー作戦を思いついてくれた和花への感謝も、もちろん忘れずに伝えた。
「それで、どうだったのよ?」
「何が?」
「アイドルよ。生で見たんでしょ?」
「まあ……ちょっと独特だったな」
正直、アイドルにあまり興味のない俺には、そこまで心は動かなかった。
テレビで見かけるような一線級ではないから、というのもあるかもしれない。
それでも、普通の人にはなかなかできない経験だったのは間違いないだろう。
「それだけ? 可愛かったとか、そういうのないの?」
「可愛かったよ」
「ふーん……」
正直に答えた。
すると、和花の目が一瞬で細くなった。
凄まじいプレッシャーが……。
「よかったわね、超可愛いアイドルに会えて」
「……なあ、なんで怒ってるんだ?」
「別に怒ってないけど?」
それ、怒ってる女の子の定番セリフじゃないか。
だが、俺にはどうしてもその理由が掴めなかった。
「小森裁判長、被告人には余罪があります」
ここで愛理が割り込んできた。
そして、さっき心愛さんが俺にさりげなくボディタッチしてきた件を、包み隠さず暴露した。
……和花の目つきが、さらに鋭くなった。
「裁判長、判決を」
「有罪!!」
「というわけで、被告人の蓮くんは収監よ」
「ちょっと待て、弁護人! 俺の弁護人はどこにいるんだよ!」
「そんなもの、我が国にはないわ」
「とんでもない独裁国家!!」
せめて某法廷ゲームの序審裁判でも、弁明くらいはさせてもらえるのに。
そもそも、俺が一体何をしたっていうんだ。
冤罪を着せられた俺は、和花と愛理に片手ずつ掴まれた。
二人はそのまま、手錠をかけるように、俺の手首へ白いタオルをふわりと巻きつけた。
「ついてきなさい、917番」
「囚人番号、決まるの早すぎだろ。っていうか、俺の誕生日じゃねーか」
「この前新しく作った積立預金の暗証番号でもあるわ」
「そんなもん共有するなよ」
「私の通帳は、ご主人様の通帳でもあるんだから」
「そのジャイアニズムな思考回路は何なんだよ。それにそのご主人様、今まさに下克上されてる最中だと思うんだけど?」
そうして二人に連行された先は、部屋付きの露天風呂だった。
「さあ917番、選びなさい。全裸か、水着か」
「……俺一人で入れってわけじゃないよな?」
「当然、混浴よ。ねえ、和花さん?」
愛理が和花の方へ顔を向けた。
すると和花はビクッと体を震わせ、顔を真っ赤に染めた。
「こ、こんなに広いんだから、蓮……じゃなくて囚人ひとりに独占させるわけにはいかないでしょ!」
「名前、わざわざ訂正しなくていいだろ。それより、もし俺が全裸を選んだら、和花も全裸で入るのか?」
「え? ま、まあ……。し、囚人がどうしてもって言うなら、ダメってことはないけど……」
なんだそれ。囚人の人権が手厚すぎるだろ。
俺は心の中で苦笑した。
「水着で」
「私の裸は見たくないってこと!? じゃあ、なんで聞いたのよ!」
「いや、当然冗談だろ」
「私は冗談じゃなかったのに……」
和花がいじけた子供のように、唇を尖らせた。
お、何だこれ。
頬を膨らませるのとは、また違った味わいの可愛さだった。
「じゃあ蓮くん、水着に着替えさせてあげるわ」
「いやいやいや、自分で着替えるから」
「囚人の着替えを手伝うのは、看守の義務よ」
「そんな看守、世界のどこにいるんだよ!」
なんとか愛理を説得して自力で水着に着替え、露天風呂に入った。
「私たちも着替えてくるわね。入ってくるまで、ちょっとこうしてて」
「わかった」
さっき手首に巻かれていた白いタオルが、今度は目隠しとして使われた。
……オーシャンビューで有名な露天風呂だというのに、肝心の海は見えない。
それでも、これから混浴だと思うと妙に緊張して、鼓動が少しずつ速くなっていく。
(女の子と一緒にお風呂か……)
久しぶりな気がした。
視界が塞がれているせいか、嫌でも結月との記憶が蘇る。
いつになれば、彼女のことを完全に忘れられるのだろう。
そもそも、そんな日が来るのだろうか。
柄にもなくセンチメンタルな自分に苦笑した、その時だった。
「お、お待たせ」
和花の声がした。
やがて背後に回った気配が、俺の後頭部の目隠しの結び目を解いた。
何気なく彼女の方を向いたのだが——
「え、何それ」
俺は和花の水着姿を見て、体が固まった。
それは、今日の海水浴場で見た、この前モールで買った水着とは違う。
(マイクロビキニ……?)
実物を見るのは初めてだった。
その破壊力に圧倒され、俺は身動きひとつ取れず、口をぽかんと開けたまま固まってしまった。
和花は体を強張らせ、耳まで真っ赤に染めながら言った。
「な、何か言ってよ……」
「いや、何で?」
「あ、あんたが見たいって言ったんでしょ。私のエロビキニ……」
いや、それは当然冗談だったんだけど。
「恥ずかしくないのか?」
「恥ずかしいわよ!! 正直、全裸の方がまだマシな気がする!!」
「なら、そんなに無理するなよ」
「ダメ。今日は、少しくらい無理するの……」
何というか、表情がいつもと違っていた。
ただ恥ずかしがっているだけじゃない。
そこには、決意めいたものがあった。
「で、で、どうなの?」
「うーん、まあ……可愛いよ」
「……エロくない?」
「正直に言うと、セクハラになりそうだから」
「何でこういう時だけそんなこと気にするのよ! いいから正直に言って!」
「いや、まあ、そりゃ……」
俺は思わず頬を掻きながら言葉を続けた。
「エロいよ」
「っ……」
元々スタイルのいい和花が、マイクロビキニを身に纏っているのだ。
当然、刺激を受けないわけがない。
「そ、そうなのね……」
なぜか和花は微かに笑みを浮かべ、そっと浸かってきた。
お湯をかき分けるかすかな水音さえ、妙に色っぽく聞こえた。
やがて、彼女は俺のすぐ隣に座った。
俺はさりげなく距離を置こうと体を動かした。
「ちょっと! 何で離れるのよ!」
見透かされて引き留められ、逃がさないと言わんばかりに和花は俺の腕をぎゅっと抱きしめた。
「なあ、近すぎるんだけど」
「わかってるわよ! この前だって遠慮なく触ったくせに、今さら何を気にしてるのよ」
「それはそうだけど……」
湯に濡れたマイクロビキニは、さっき以上に大胆な印象を与えた。
「刺激が強すぎるんだよ」
「へぇ……。要するに、かなり意識してるってこと?」
「まあ……正直に言えば、そうだな」
「そうなのね。じゃあ、蓮はちゃんと私を女の子として見てくれてるってことだ」
和花はそう言うと、俺の腕を離した。
俺の言葉を理解してくれたのかと思いきや、そうではなかった。
「の、和花?」
彼女は、あろうことか俺のすぐ前まで身を寄せ、真正面から向き合ってきた。
今日俺に日焼け止めを塗ってくれた時のように。
だが、さっきとは訳が違う。
問題は、今の水着がただのビキニではないということだ。
「ねえ蓮。蓮にとって、私は何?」
「え? 友達……だろ?」
「ただの友達?」
「……親友?」
「蓮は、いくら親しくても私が普通の男友達にこんなことすると思う?」
「それは……」
今に限った話ではない。
愛理と張り合うように腕を組んできたり、「あーん」をしてきたり、水着を選ばせたり、えっちな服を着て見せたり。
さらには俺のベッドに忍び込んできては照れたり、俺が少しでも他の女の子と関わったりその話題を口にしたりすれば、あからさまに嫉妬したり。
これ全部、ただ和花が俺を唯一の男友達だと思っているからなのか。
高校デビューするまでまともな友達がいなかったせいで、まだ距離感を掴めていないだけなのか。
今までは、そう思うことで片づけてきた。
いや、それ以上の意味を見出してしまいそうになるたび、「自意識過剰だ」と自分に言い聞かせてやり過ごしてきたのだ。
「蓮は頭がいいから、わかるでしょ? ただの男友達でいたい相手と、彼氏にしたい相手。その違いの見分け方」
「さ、さあ……。俺は女じゃないからわからないけど、たぶん……そういうことじゃないか? キスしたいかどうか、とか」
「ふーん……そうなのね。キスしたくなる相手が、彼氏にしたい人ってことね。さすが経験者。何もかも初めての私とは違うわね」
和花の両手が、優しく俺の顔を包み込んだ。
そして、ゆっくりと、けれど確かに顔を近づけてきた。
(ま、待て、これまさか……)
瞬く間に、視界は彼女の整った顔立ちで埋め尽くされた。
止める間もなく、彼女はそっと目を閉じた。
やがて、チュッという小さな音とともに、しっとりとやわらかな感触が俺の唇に重なった。
「の、和花……」
驚きのあまり固まってしまったが、ワンテンポ遅れて彼女の肩を掴み、そっと押し戻した。
重なっていた唇が離れた。
彼女は指を自分の唇に当てながら言った。
「ファーストキス、あげちゃった」
「お前……一体、いつから……」
「さあ? そんなの知らないわよ。私、バカだから。でも、勘違いしないでね。私がしてきたこと全部、あんたが好きだからしてきたの。友情なんかじゃない」
和花が俺の首に両腕を回し、耳元で囁いた。
「一度しか言わないから、よく聞いて。大好きよ、蓮」




