第21話 1日1食
菅原先輩を連れて、非常階段へやってきた。
いくら周囲の目を気にしない彼女でも、教室では話しにくい話題があるはずだからだ。
「こんな人気のないところに連れ込んで……。私に妙な真似したら、すぐに舌を噛み切って死ぬから」
俺に対する警戒心は、まだ根深く残っているようだった。
まあ、無理もない。
何せ今は金で釣った状態だから。
「でも、お金が一番好きだって言ってませんでしたか?なんというか、そういう主義の人って、自分の体すら厭わないイメージがあるんですけど」
「長期的に見れば、体を売るのはマイナスだからよ。私の長所は、どう見てもこの外見でしょ?この外見を一番高く買ってくれる人に嫁ぐの。男って、尻軽な女は安く値踏みするじゃない?」
やっぱり美人は自分の価値を正確に把握しているものだ。
確かに彼女なら、どこかの成金が血眼になって射止めようとしそうではある。
俺は小さく笑いながら言った。
「先輩には、ちゃんとした計画があるんですね」
善悪はともかく、ここまで自分の価値観がはっきりしている人も珍しい。
いろんな意味で、ただ者じゃない。
ところが菅原先輩は、どこか憂いを帯びた瞳でぽつりと呟いた。
「……計画なんて、ないわ」
俺は気づいた。
そもそも彼女が『悪夢』の通りに自殺を選んでしまうのは、未来に対する希望を持てていないからではないか。
人生設計だって、明日もっと良い暮らしが待っているという確信があってこそ立てられるものだ。
つまり、彼女のお金に対する執着は、単に将来裕福に暮らすためのものじゃない。
(お金絡みで、何かあるのか)
単刀直入に聞いてみようかとも思ったが、すぐに考えを打ち消した。
嘘はつかないと約束したとはいえ、俺と菅原先輩はまだそこまで親しくない。
すべてを打ち明けてもらうには、時期尚早だろう。
「ところで先輩、お昼は食べないんですか?」
「私、お昼は食べない主義だから」
「え?ダイエットでもしてるんですか?」
「人間は1日1食でも生きられるのよ」
「え?1日1食ですか?」
俺の知る限り、1日1食は大人でも体に良くない。
ましてや成長期の高校生なら、なおさらだ。
少食なタイプにしても、少量を何度かに分けて食べるのが普通じゃないか。
「一度にまとめて食べるんですか?」
「ミニマリズムって知ってる?食事はシンプルにおにぎり一つで済ませるの」
1日におにぎり一つだけで持ちこたえるって?
そんなことできるのか?
単純に考えれば、嘘をついているか、摂食障害を抱えているかのどちらかだ。
だが、彼女の金銭への執着という事実を照らし合わせれば、答えはひとつだった。
「もしかして、お昼を買うお金がないんですか?」
菅原先輩が肩をビクッと震わせた。
どうやら図星だったらしい。
「……話したくない」
もはや答えを聞いたも同然だったが、彼女はそっぽを向いた。
ともかく、これで一つ確かなことが判明した。
彼女の家庭の事情は、想像以上に良くない。
ご飯もまともに食べられないほどに。
「なるほど。じゃあ、別の質問をします。趣味は何ですか?」
「ネット小説」
意外ですね、と言いかけてやめた。
食事すらままならない状況なのだ、本屋で本を買う余裕などあるはずもない。
菅原先輩が、深くため息をついた。
「今はそれすら、読むのが難しいんだけどね」
「え?どうしてですか?」
「……バイト中にスマホの画面割っちゃって。まあ、ミニマリズムって言うじゃない?だからそのまま売ったの」
おそらく、修理費を払う余裕がなかったのだろう。
「それじゃあ先輩、スマホが全くないってことですか?」
「まあ、そうね。むしろいいのよ。スマホに依存しすぎると脳が壊れるって言うじゃない?そういう意味で、私は解放されたの」
本心からそう思っているのか、それともそう思わないとやっていられないのか。
どちらにせよ、かなり危うい状態だということは分かる。
学校では孤立しているも同然だし、食事にも事欠くほど金銭的に困窮して、唯一の楽しみすら失った。
ふと、気になっていたことを切り出した。
「ところで先輩、バイトしてるんですか?」
うちの学校は基本的にバイトが禁止されている。
もちろん、こっそりやってる奴らも少なくないが。
「何?先生に言いつけるつもり?」
「いえ、まさか」
校則違反を問題視するつもりはない。
働いているのに、食事も満足に取れないほど金に困っているのが、腑に落ちなかったのだ。
「ちょっと気になって。俺、バイトしたことないんで。どんなバイトしてるんですか?」
「普通よ。コンビニとファミレスと、カラオケ」
「え?3つも掛け持ちしてるんですか?」
じゃあ、ほぼ毎日働いてるってことか?
1日におにぎり1個で、体力的にそれが可能なのか?
とっくに倒れてもおかしくないと思うが。
(そもそも、なんでそんなにバイトをしてるんだ?)
もはやお小遣い稼ぎの域を脱している。
何か家庭の事情があるのだろうが、今はまだそこまであからさまには聞けないだろう。
今の彼女に一番必要なものはなんだろう。
いや、俺にできることは何がある?
傍で支えてやれるような関係でもない俺が。
(小さなことからやっていくか)
例の『悪夢』が現実になるのは、9月である可能性が高い。
今はまだ6月なんだから、そこまで焦る必要はない。
少しずつ、菅原先輩が自殺に追い込まれないよう、精神面で支えていけばいい。
スマホで時間をちらりと確認して立ち上がった。
「先輩、あと7分くらい残ってますね。ちょっとついてきてもらえませんか?」
「……まあ、構わないわ。あんたがお金で買った15分だから」
非常階段を抜け、菅原先輩と一緒に歩き出した。
俺と菅原先輩が並んで歩くのを見た生徒たちが、あちこちで囁き合っていた。
本当に学校で有名なんだな。
「……学食?」
「はい」
たどり着いたのは、学生食堂だった。
彼女が眉間を寄せて尋ねた。
「あんたが食べてるのを見てろってこと?」
「俺もまだお昼食べてないんですよ。食べながら会話することもできるじゃないですか」
「……まあ、いいわ。その代わり、服に汁を飛ばしたりしないでよ」
「もちろんです」
食券の券売機に近づき、現金を入れて定食を選んだ。
まだ列ができていて、少し待たなければならなかった。
計画通りだった。
俺はわざとらしく時計を見て言った。
「あ、しまった。残りの7分、全部使っちゃいましたね」
「そう。じゃあ、私もう戻ってもいい?」
「ちょっと待ってください」
食券を菅原先輩に差し出した。
「よく考えたら、俺、弁当持ってたんでした。どうせ先輩とこれ以上話せないし、先輩が食べてくれませんか?」
「え?タダでくれるって……?」
「はい。俺には必要ないんで。要らないなら捨てますよ?」
「……」
菅原先輩が少し躊躇ったかと思うと、結局食券を受け取った。
「もったいないから、私が代わりに使ってあげるだけよ。次からはこんなことしないで」
「はい、もちろんです」
やっぱり、本当に好きで1日1食にしてるわけじゃないんだ。
今の俺にできるのは、このくらいが限界だろう。
それでも、役に立つんじゃないかと思った。
しっかりご飯を食べれば、体だけじゃなく精神も健康になるはずだから。
「それじゃあ、また明日」
「……え?また明日?」
困惑する菅原先輩を背に、俺は学生食堂を抜け出した。
◇
その後数日間、同じ行動を繰り返した。
菅原先輩の昼休みの15分を1万円で買い、そのうえで食券を渡して昼ご飯を食べさせる。
会話の内容は、彼女が気まずくなりそうな話題を徹底的に避けた。
俺と話すこと自体を、ストレスに感じてほしくなかったからだ。
「じゃあ、深川くんはオタクなの?いわゆる、隠れオタクってやつ?」
「ええ、そうです。そこまで深く掘り下げるタイプじゃないですけど」
「そうなんだ。深川くんはお金持ちだから、フィギュアとかも買い集めたりしてるんでしょ?フィギュアのパンツとか見てさ」
「持ってませんよ」
和花といい、一体オタクに対してどんな偏見を持ってるんだ。
いやまあ、誰かが俺にフィギュアを買ってくれるなら、一度くらいは見てはおくが。
「先輩はネット小説、どんなのが好きだったんですか?やっぱり女性向けですか?悪役令嬢とか婚約破棄とか」
「違うわ。女性向けも少し読んでみたけど、私にはあんまり合わなかった。私はむしろ、男性向けの方が面白かったわ」
「そうなんですか?男性向けのどんなやつですか?」
「主人公が異世界に行ってハーレムを作るやつ。正確には、ヒロインを誰か一人選ぶわけじゃなくて、主人公が全員養ってあげるタイプのやつ」
……予想外のジャンルが返ってきた。
偏見かもしれないが、普通の女の子はそういう内容をそこまで好まないんじゃないか。
まあ、菅原先輩らしいといえばらしいか。
「実は俺も、そういうの好きですよ」
「そうなの?深川くんもネット小説読むの?」
「ネット小説の原作よりは、コミカライズされたものを読みますけどね」
「ふーん、そうなんだ」
「好みが似てるみたいだし、俺が面白かった漫画、貸しましょうか?」
「……いいの?私、バイトがあるから読み終わるのに時間かかりそうだけど」
「構いませんよ。どうせ俺は全部読み終わったやつですから」
ここ数日ずっと会話を続けていたら、俺に対する警戒心は少し和らいだようだった。
それに、お昼ご飯を食べるようになったからか、顔色もずっと良くなったような気もした。
たぶん、ツンケンしていたのは、お腹が空いてイライラしていたせいもあるんだろうな。
「それじゃあ、お言葉に甘えるわ」
もしかしたら、これであの『悪夢』は回避できたんじゃないだろうか。
そう安堵し、思わず頬を緩ませた――その時だった。
「あ、こんなところにいた!」
突然、聞き慣れた声が聞こえてきた。
「どうしたんだよ、こんなところで」
「それはこっちのセリフよ、蓮!」
和花が眉間を寄せて、俺の顔を見下ろした。
俺と菅原先輩は非常階段に並んで腰掛けており、和花だけが短いスカート姿で立っていた。
「パンツ、見えてるけど」
「その手に私がまた乗ると思う!?」
「いや、今回はマジで見えてるって。ミント色」
「えっ!?」
和花が顔を真っ赤にして、スカートを両手で押さえた。
「……この変態、浮気者」
称号がまた一つ追加された。




