表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

王室ジャンル同人作家の私が王子付きのメイドだとバレるわけにはいかない

作者: 二月七日
掲載日:2026/05/08

『ユジェーヌ王子は怒りに任せて、手にしていた本を机に叩きつけた。その拍子に倒れた花瓶の水が、王子の靴を濡らす。侍女たちは初めて見る王子の姿に震えて縮こまるばかり。

 静かに壁際に控えていた騎士ヴァルテールがそっと歩み寄り、ひざまずいてユジェーヌの靴を絹のハンカチで拭う。

 その献身的な背中を見下ろしながら王子は深く息を吐き、やがていつもの落ち着きを取り戻した。ヴァルテールはそっとユジェーヌの腰に手を添えて──』


 ──うん、いい。いいわ! 今日も尊い。朝から捗るー。王室バンザ……


「誰だ! 一体どこの誰が……こんな……こんな……」


 アルシュテルン王国の王太子、ユージーンはそう言って顔を真っ赤にし、震えながら言葉を詰まらせる。


 そうだった! 呑気にユージーン殿下(ユジェーヌ)ウォルター卿(ヴァルテール)を見守ってる場合じゃなかったー!


『恐れ多くも王太子殿下の権威を傷つけんとする不届な怪書が市中に出回っている』って宰相が朝イチで持ち込んだその「本」が、殿下の逆鱗に触れたんだった!


「この……この恥知らずな王子が、私だと言うのか!」


 恥知らずな王子、それは最近人気の薄い本「薔薇園の秘密」の主人公であるユジェーヌのことだ。ユジェーヌは美しい少年で、その美貌は周囲の人間を狂わせていく。

 護衛の騎士ヴァルテールを始め、婚約者である隣国の王女やその兄、腹黒い辺境伯までそのことごとくがユジェーヌを巡ってめくるめく愛憎劇を繰り広げる物語──


 確かにめくるめきすぎた感はある……ネーミングが安直すぎたのも認める……だって登場人物の名前を考えるのって本当に面倒なんだもの……

 って、いやそれどころじゃないわ、……まずい。


「恐れ多くも殿下の、ひいては王室の尊厳を損なわんとする悪意は明白! この恥知らずな話を書いたX夫人なる者を直ちに捕らえなければなりません」


 冷静さを取り戻し、ソファに腰をおろしたユージーン殿下に、宰相閣下が渋面のまま強く提言する。


 めっちゃ怒ってる。宰相、めっちゃ怒ってる。毎朝ボソボソと呟くように報告する姿しか見たことないのに、今日はいつもより声が大きい。


「これはどこで見つけたんだ?」


 ユージーン殿下はテーブルの上のその薄い本を、顎で指して尋ねた。


「それが、大変遺憾ながら……侍女レディーズメイドたちの部屋から……」


「……まさか母上もこれを見たのか?」


 宰相は俯いて言葉を探す。その様子を見て殿下は再び大きなため息をつき、背もたれに倒れる。


「それで……母上は何か仰ったか」


 宰相は慌てて眼鏡を掛け、ポケットからメモを取り出す。


「それがですね……えーと『これはニジね、ナマモノかしら』と」


「……虹?」


「いえ、『二次』ですね」


 ずり落ちた眼鏡を直しながら手元のメモを見返し、宰相が答える。


 くぅー、さすが王妃さま! 守備範囲が広い! 理解が早い!


 殿下はそれ以上の理解を諦めた顔で右手を挙げる。


「わかった。もういい。引き続き調査しておくように」


 退室していく宰相の背中を見送り、ドアが閉まると殿下はその薄い本を手に取り呟いた。


「X夫人……必ず捕らえて後悔させてやる」


 ゔっ、もう後悔してますぅぅ……壁際のワゴンでお茶を淹れながら、X夫人こと私、ベテラン行儀見習(行き遅れ)のカタリナは自分でも引くほどの手汗をかいていた。



 わたくしカタリナは伯爵家の三女として生まれ、七歳の頃に王宮で行儀見習いを始めました。といっても王妃様のおそばで、習い事をしながら可愛がられて割と呑気な生活でした。王室の蔵書は伯爵家のそれとは比べようもないほどでしたし、それを好きなだけ読んでいいなんてむしろ天国でしたね。


 兄さま姉さまたちとはずいぶん年が離れていて、甥や姪が六人もいたのだから、伯爵家でのわたくしの存在感はそれはそれは薄いものだったでしょう。

 他の行儀見習い令嬢たちは、十二、三歳を過ぎると順に暇をもらってそれぞれ本格的な社交界デビューへの準備を始めました。


 わたくしはといえば。一向に実家からの迎えが来る気配もなく十二歳になり、いつの間にか王妃様つきではなく、まだ幼い王太子殿下担当へと配置換えになっていました。

 おかげで殿下とともに、国内外から集められた先生から学ぶ機会を頂けたのは本当に幸運でしたけれど。

 美人と評判の令嬢たちは、適齢期になると王妃様が嫁ぎ先を斡旋して、さっさと結婚して行ったというのに、わたくしにはそんな話の一つもなかったのです。



 ……あの頃の私、清かったわー……っていう話ではなく。その頃にはなんとなく悟ったわよね。「えっ、私の政略的価値、低すぎ……?」


 大した器量もなく、駒として有用でもなく、おまけにメイドとしてもイマイチっぽい私は、自分で自分の面倒を見ないと老後詰むわ! 老後どころか割とすぐにどっかのヤモメ貴族の後妻にされちゃうのよ! エロ同人みたいに!


 それから私は趣味と実益を兼ねて、乙女向け王室ジャンルの同人作家、X夫人として活動し始めたわ。副業よ副業。


 騎士団員たちのブロマンスに、バチバチ政敵同士の執着攻めと不憫受け。コツコツ書き続けたら重版もかかるようになって、老後資金も着々と溜まっていったわ。いつの時代も、市場を作るのは女子よね。


 そして私、X夫人の最大のヒット作となったのが「薔薇園の秘密」ってわけ。版元が、前作の勢いがあるうちにすぐに新作を書けっていうから、そりゃもう不眠不休で書いたのよ。目の前にいる目の毒な二人をね!


 売れてくれたのはありがたいけど、まさか王宮内にまで持ち込まれるとは思ってなかったわ……

 キャラは借りたけど、この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません……大丈夫……たぶん……




 薄い本事件から一ヶ月、あれ以来殿下がその本のことを口にすることはなかった。噂では弁護団が二十人がかりでその本を精査して、登場人物が個人を特定できるものではないこと、機密漏洩にあたる描写がないことなどから、版元にこれ以上の増刷を禁じることで決着しそうだということだった。……さよなら私の印税。


 まあとりあえず、しばらくは大人しくしておこう。ペンネームも変えればなんとかなるでしょ。郊外に小さな家を持つにはもうちょっと稼がないとね。


 X夫人……ふふ、今考えると酷いペンネームよね。


 朝食後の殿下のお茶の準備をしながら、初めて書いた小説のことを思い出す。やっとのことで書き上げて、版元の所へ持ち込んだ時、名前を決めてなかったことに気がついたのよね。それで慌ててその場で考えたのがそう、X夫人──


「X夫人」


「はい、ただいま」


 ワゴンを押しながら、いつも通りに殿下のそばへ行く。え?

 ハッとして顔を上げると、ウォルター卿が怖い顔をしながらため息をついて執務室を出て行った。え?

 周りを見ても誰もいない。私と、あと私の目の前に殿下──え?


「カタリナ、……いやX夫人と呼ぶべきか」


 ????? 靴のつま先が触れそうなほど、殿下が近い。X夫人、いまX夫人て呼ばれた……?

 いや待って待って、聞き違い、っていうか殿下が呼び間違えたけど失礼にならないようにとりあえず返事しただけ、それだけよ、何もおかしくない。大丈夫なんとかなる──


「呼び間違えなどではない」


 おぅふ、ダメだった──終わった。一瞬で真っ白に燃え尽きた私は、項垂れたまま固まった。


「カタリナ」


 走馬灯が再生され始めた私の頭を、殿下の手がグイ、と上向かせる。


「うう、顔が……良い」


「は?」


 ……ああ、軽蔑した顔も良い────fin.


「っおい、カタリナ! カタリナ! ……誰か!」



 *****



 気がつくと執務室っぽい部屋のソファに横になってた。超リアル。天国って死んだ場所から始まるのかしら、死に場所って大事ね──


「気がついたか」


「ひ……」


 向かいのソファに殿下が座ってこちらを見ている。私死んでない。ていうか次こそ死ねそう。


「あ……の、殿下……」


 慌てて体を起こし、ソファから下りてカーペットに膝をつく。


「も、申し訳ございません。決して、殿下と王国の名誉を傷つけるつもりなど……どうか、どうか家族だけはお見逃しください! わたくしは……わたくしはどのような罰でも……出来ればギロチンを使っていただけたら嬉しいですが……」


 火炙りは多分ムリですどうかお情けを……


「……何を言っている? ギロチン? そんなものあるか。いつの時代の話だ。……そんなことより」


 いつの間にか立ち上がった殿下に腕を掴まれて、ソファに座らされる。


「これだ」


 殿下の右手には薄い本。ああ……本人の手に渡るなんて悪夢……


 殿下はその薄い本を、私の目の前でパラパラとめくる。その美しい顔に怒りと悔しさを滲ませながら。


「君の目には私がこんな風に見えているのか?」


 ぐはぁ、……シテ……コロシテ……


「こんな、ひ弱で頼りない男が私だと?」


 ひ弱と違います……庇護欲を掻き立てる誘い受けなんです……解釈違いです殿下……


「いつもこの、ヴァルテールとやらに助けられてばかりで、まるで子供じゃないか!」


 ああ殿下、お怒りはごもっともです。その辺は私のへきというかさがというか……え、そこ? 殿下が怒るのそこなの? 私は、忌々しげにバシバシされてるその薄い本をもう一度よく見る。






 ────────ぜ、全年齢版(ぎりセーフ?)ッッ!!



 




 そうしてどうにか首の皮一枚で繋がった私の命だけれど、あれ以来生活は一変してしまった。毎晩の夕食後、執務室に呼ばれている。


「そんなに書きたければ書かせてやろう」


 そう言って意地悪そうに笑った時の殿下の顔よ……最後まで悩んでウォルター卿を下剋上攻めにしたけど、実際殿下も攻めよね。一見スパダリだけど実はけっこう策略家だと思うの。


「昨日は幼い二人の出会いまでだったな。今日は、主人公が心を決める大事な場面だ。しっかり書いてくれ」


 はい、お任せください殿下──そう、あれから毎晩、私は殿下の執務室で小説を書いている。昔むかしある国の王子が美しい姫君に恋をして結ばれる、めでたしめでたしなお話を、殿下と二人でね!


 殿下の計画は、民衆の王室への関心の高さを利用して、逆に殿下をモデルにしたお話を広めるというものだった。ただし、内容はしっかり王室(本人)が監修する条件で。


 要するに、偉人の半生を偉人本人が書くようなものね。思慮深く、勇敢で、国を思う王太子のお話を老若男女にわかりやすく記した物語。


 当然私に異論なんてあるわけない。殿下は非の打ちどころのない方だし、殿下のお人柄が国民に伝わるなら喜んでお手伝いしますとも。




 殿下の執務デスクに向かい、私はペンを走らせる。殿下はソファに深く腰掛け、時折昔に思いを馳せるようにじっと考えこんでは、ひとつふたつと思い出を語る。


「私はその時心に決めたのだ。私の生涯の伴侶は彼女だとな」


 はい。いま、八歳の殿下が初恋の彼女との結婚を決意したところ。ここは特に大事なシーンね。


 口述筆記は普段から時々お手伝いしているから特に難しいことはないんだけど。

 問題は、このあらすじを物語にするところ。こうして夜な夜な殿下のエピソードを書き溜めては、それを原稿にして殿下に見ていただくのだけど、これがまぁなかなか厳しい。


「彼女は私よりも年上なんだ。とても賢くて、図書室の本ならほとんど読み終わっているだろう。暇さえあれば図書室にいたからな。だがお陰で私は彼女を知ることができたのだから、彼女の好奇心に感謝しなくてはな」


 殿下は目を閉じて懐かしそうに話す。


「出会いは図書室、と。──その姫君は、敵国の捕虜とかになさいます? あ、お年は殿下よりお若くしてはどうでしょう? その方がドラマチックですし。ミステリアスな銀髪とかいいですよね。瞳はすみれ色かしら? 有名な説話に出てくる真珠から生まれた女神の末裔とか素敵じゃありません?」


 お話を書くとなれば私の想像力も色々働くというもの。殿下は金糸のような髪に淡い緑の瞳だから、姫君は銀髪とかいいわよね。もしくは夜のような黒髪とか?


「だからいつの時代だ。この百年、戦もないのに捕虜などいるわけないだろう。──いや。彼女の髪は……琥珀のような柔らかな艶があり、陽射しを浴びると一層輝いて黄金のように見える。瞳は、そうだな……一見すると鳶色とびいろのようなんだが、覗き込むとオパールのように緑が輝いているんだ」


 ダークブロンドに鳶色の目かぁ……ありふれてるなあ。姫、普通すぎるだろ。もっとこう神話めいたファンタジ……


夢物語ファンタジーではない。ありのままの私の想いを知ってもらうためのものだからな」


 チッ。私の想像力ムーンライト封印。


 そんなこんなで毎夜毎夜インクに汚れた原稿を執務室に持ち込んでは殿下にダメ出しされる日々。だけど殿下の幼い頃なら私にとっても懐かしい思い出なのよね。


 十二歳でお世話をするようになった時、殿下は七歳になったばかり。もともと騎士団長である叔父君に似て剣術をお好みだった殿下は座学をしょっちゅう抜け出して。

 その頃十三歳のウォルター卿も未来の近衛候補として訓練してたから、きっと一緒にやりたかったんだよね。

 みんなで厩舎や騎士たちの練武場を探し回るのだけど、実は図書室にいるの。秘密にすると約束したからいつも私が迎えに行ってたな。


 殿下は帝王学はお嫌いだったけど、物語は大好きで、たくさん話して聞かせたなぁ。思えば私の創作はあれが原点だったのかも。


 王様になんてなりたくないって泣かれたこともあった。馬に乗って、剣を習って、悪者をやっつけるって。あのときは確か、殿下みたいな強い王子様が、優しいお妃様と一緒にいい王様になるとかなんとか、そんなお話をしたっけ。


 ふふ、可愛かったなぁ。殿下。……今じゃ見上げるほど背が伸びて、座っててもらわないと首が痛いしほとんど目も合わない。本当に立派にお育ちになって……ありがとう殿下。



 *****



「これで物語は終わりだ。カタリナ、よくやってくれた」


「はい、殿下。お手伝いできて光栄です」


 終わった。このひと月、ほぼ執務室に籠って書き上げた大河ドラマがいま、ここに完結──!

 いや我ながらいい出来だと思う。殿下が一途に思い続けた姫君への初恋も、つい感情移入してしまった。だって共通の思い出が多いからね、ホロリと来ちゃうってものよ。


 ちょうど定時報告に訪れたウォルター卿と三人でソファに腰を下ろす。こうして業務外の姿で並ぶのも、大人になってからはめっきり減っちゃったもんね。昔はよく三人でクッキーをかじりながらお茶を飲んだものだけど。


 ウォルター卿も同じ思い出を持つ幼馴染だもんね。うんうん、懐かしいエピソードばっかりでしょう? どうよどうよ。


 「心配するなウォルター。すべて私が目を通してある」


 それはあれかな? 訓練中のウォルター卿の大胸筋とか僧帽筋とか、じっとり描写した水浴びとかをごっそりトルツメ(規制)したお話ですかね? もうちょい女性読者を意識したほうがいいと思うんですよ私は。


 それにしてもこれは、殿下の一代記というよりは、まるで恋文だわね。だって八歳からずっと思い続けてるんだよ?


「カタリナ、清書ができたら、まず彼女に渡したい。頼めるか」


 これもらったら隣国の姫君(仮)も嬉しかろう。

 ……あ、そうだ忘れるとこだった。


「はい、殿下。姫君のお名前を伺っても?」


 ずっと姫君(仮)とか琥珀の君(仮)とか、そんなんで脳内補完しながら書いてたけどさ、さすがにヒロイン名無しって訳にはさ……


 っグっふぉ、ッゲホ。ウォルター卿が突然むせた。驚いてそちらに目をやると、ふぃとあからさまに目を逸らされた。


「……ふっ、あはは」


 今度は殿下が笑い出した。めっちゃ久しぶりに見る笑顔、尊いなぁおい。


「ま、カタリナのことだからね。こうなるだろうと思ってた。……ウォルターは絶対気づくって言ったよな? 俺の勝ちだ」


 笑顔からの一人称「俺」、ウォルター卿も笑っちゃってるじゃん。なにこれタダで見ていいものなの?


 殿下はデスクに向かうと封筒を取り出してサインした。


「これを、彼女に」


 差し出された封筒の表には宛名が書かれていた。

『羊の王妃へ』

 裏を見ると差し出し人の名前。

『ライオンの王より』


 ライオンの王と羊の王妃……殿下が、泣いて……あの時は、そう確か……ライオンの王様のお話を作ったんだ。殿下の金の巻き毛がとても綺麗で、だから金のたてがみの王様の話をした────






────『ライオンの王様は、とっても強い王様でした。大きな牙があったので、ウサギやネズミは穴に隠れてしまいます。鋭い爪があったので、キツネやシマウマも逃げ出してしまいます。

 だけど大きな牙も鋭い爪も、悪者をやっつけるため。羊のお姫様はそれを知っていたので、王様と結婚しました。

 羊のお妃様はやさしくて、ウサギもネズミも仲良くなりました。羊のお妃様はかしこくて、キツネやシマウマとも仲良くなりました。

 そしてライオンの王様がみんなの森を守っていることを教えてあげました。

 王様は、優しいお妃様のおかげで、みんなと仲良くなりました』




「殿下はきっと強い王様になります。だけどそれだけでは国の人々とは仲良くなれません。だから羊の王妃さまのような、優しくて賢いお妃様がいらっしゃったら、きっとみんなと仲良くなれますよ」


「それならカタリナは? 羊の王妃さまになる?」


「まあ、わたくしが? ふふ、そうですねぇ。殿下がライオンの王様になっても、わたくしを羊の王妃と呼んでくださるなら」────



 ────「っっっっっVえ」

 右手のカップが滑ってソーサーにガッツリ叩きつけられる音が響く。おかげで私の変な声はかき消された。隣に座っている殿下は、行儀悪く膝を座面に上げ、こちらを向いて背もたれに肘をついてる。たぶん。

 

 いやだって見れるわけないでしょうが。絶対殿下こっち見てるし、こういう時どんな顔すればいいかわからないけど笑えばいいってもんでもないんだよ。


 震える手でお茶をこぼさないように、カップをそっとテーブルに置く。向かい側ではウォルター卿が普通にお茶飲んでるし。めっちゃ姿勢いいな。あと「タ・ス・ケ・テ」


「カタリナ、モールス信号を送るな。なぜウォルターに助けを求める」


 そりゃあこの場合、中立な立場の人に救いを求めるのが妥当でしょう殿下……


「あっ、の……えっと、で、殿下は記憶力がよろしいですねー……さ、さすが」


 ウォルター卿、そのクッキー五枚めです。一人三枚までって言ったのに、相変わらずだわ。


「……ウォルター、今夜はもういい。ご苦労だったな。クッキーは全部持って行け」


 ああ、ウォルター卿……待って、行かないで。何そのハンカチ可愛い……本当に全部持っていくのね……


「カタリナ」


 とても静かな声で名前を呼ばれる。でも知ってる。これは少しだけ怒っている声。


「……はい、殿下」


「今は、考え事をする時じゃないだろう」


 殿下が、背もたれに預けていた右手をゆっくり私へ伸ばす。視界の端で、それはまるでスローモーションのように見えた。


「も、申し訳……っむ」


 言い終わる前に、私の顎を軽く掴んだその右手の親指が私の唇を戒める。


「謝るな。だがよそ見はしないでくれ」


 同じ高さで殿下の顔をじっと見つめるなんて、何年ぶりかしら。つるりと滑らかな陶器のようだった肌は、いつの間にか丸みをなくし、陰影が輪郭をくっきりと浮かび上がらせている。


 懐かしいような、初めて見るような。十二年の間、見つめ続けてきた殿下だけれど、少しずつ、一歩ずつ、離れなくてはいけなかったから──


「ひと月……いや、十二年かけて綴った思いなんだ。受け取ってくれないか」


 いま、彼は離れるなと言ってる。わたしの小さなライオン。──いえ、もう決して小さくはないわね。


「……はい、殿下。喜んで」


ありがとうございました!楽しんでいただけたら幸いです

ウォルターがいい味出してくれました

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ