第5話
私は幽霊である。
名前は思い出せない。
私のポルターガイストがーー脳筋だったせいで、目の前のドアは惨たらしく真ん中で折れている。ぶつかった衝撃でガラスの灰皿は粉々に砕け散ってしまった。
……目眩がする。
いや、気のせいではなく、本当に目眩がする。疲労困憊の時に感じる、あのグラリとした感覚だ。きっと神通力を使って現象を起こしたせいだろう。幽霊も疲れるものなのだなーーそんな事を呑気に考えながら、私は意識を手放した。
ーー体感的には2時間ぐらい経っただろうか。目覚めた時には不思議と頭がスッキリしていた。夢はみなかった。何か夢で思い出すと思ったのに残念だ。とは言え、幽霊でも眠ることが出来るのが分かったのは収穫だ。次は何か見えるかもしれない。
破壊したドアの向こうに目を向ける。どうやらここは居間ではない。廊下に出るとすぐに階段があり、この家はかなり大きなお屋敷だと分かる。
私は生前お嬢様だったのだろうか?
……悲しいことに、私の性格的にそれはなさそうだ。
問題は神通力だ。このままでは何もかも破壊してしまう。私は幽霊でも悪霊にはなりたくない。何とかしてコントロールできないものか。
それに、何故ドアノブではなく灰皿が飛んできたのか。これには少し心当たりがある。ガラスや水晶、鏡は古来より霊的な事と深い関わりがあるとされてきた。そのせいで、神通力の通りがガラスの方が良く、灰皿が反応してしまったのではないだろうか。
コントロールについては、練習あるのみだろう。幸い時間だけはたっぷりある。飛び散ったガラス片の中で比較的大きい物を部屋の奥で見つける。これで練習することにしよう。
ガラス片の前に跪いて祈りのポーズをとる。
「浮いて……お願いします。」
少し気合を込めて"ガラスよ浮け"と念じる。
なるほど、原理は分からない。けれど、まるで微風に髪をすくわれるように、静かに揺れてガラスが回り始めた。しばらく回転しているが、一向に浮く気配はない。力の込め方がまだ足りないようだ。
「お頼み申します、浮いてください。」
祈る手にさらに力をいれると、ガラスの回転数が上がり、徐々に上昇し始めた。やはり、思いの強さが現実への干渉力となるらしい。
床から20㎝ほど浮いたところで、ふと背後に気配を感じた。集中が途切れた、その瞬間。
気が付くと、私は天井に張り付いていた。
いや、突き抜けている。身体は天井を突き抜け、頭だけ出ている。実体のないおかげで、天井は無事だ。
――絶望した。どうしてこうなる。
「ふ――…」
誰かが深いため息を吐く音が聞こえた。
半壊したドア向こうに、男が立っているのが見えた。
警備会社の制服の胸をはだけた、筋肉ムキムキマッチョマンの変態である。
「助けて!助けて!」
色々思うことはあるが、とりあえず助けを求めてみる。
男は顔面蒼白になり、口をパクパクさせながらゆっくりと倒れこんだ。
……ガッテム。
倒れたいのは、こっちである。
無駄に筋肉をつけやがって。
男はここから見る限り、過呼吸で倒れたようだった。
人は恐ろしいものを見たとき、「闘争・逃走反応」と呼ばれる身体の防衛反応が過剰に働き、過呼吸を起こすことがある。
しばらくすると、男の胸が規則正しく動き始めた。
意識を失ったことで過剰な呼吸が止まり、体内の二酸化炭素濃度が正常に戻ったのだろう。
……私はそんなに恐ろしい幽霊なのだろうか。
天井から女の首が生えていたら、そりゃ怖いか。
ただ、鏡を見るのが少し怖くなってきた。どんな顔をしているんだろうか。お岩さんのような顔だったらどうしよう。
その前に、私は鏡に映るんだろうか…?
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
神通力のご利用の際は周りをよくみて、ご安全に使用しましょう。




