第六章 雪女の恋文
雪が、音もなく降り積もる夜だった。
越後国、山深い温泉宿「雪見屋」。外界から隔絶されたこの一軒宿に、鉄心は足を踏み入れた。
大寒の日。一年で最も寒さが厳しいとされる時期だが、今年の寒さは尋常ではなかった。街道は雪に埋もれ、木々は凍りつき、滝さえも氷の柱と化している。
「お客様、ようこそいらっしゃいました」
番頭が深々と頭を下げた。五十がらみの男で、顔には深い疲労の色が滲んでいる。
「部屋は空いているか」
「はい、たくさん空いております。と申しますのも……」
番頭の顔が曇った。
「実は、妙なことが続いておりまして。お客様が次々と……」
「死んだのか」
鉄心の直截な問いに、番頭は驚いた顔をした。
「ご存知でしたか」
「道中、麓の村で噂を聞いた。凍死が相次いでいると」
番頭は声を潜めた。
「はい。この十日で、三人も。皆、朝になると部屋で凍りついて……」
凍死。この寒さなら不思議ではない。だが、宿の中でとなると話は別だ。
「部屋に案内してもらおう」
「はい、こちらへ」
廊下を歩きながら、鉄心は違和感を覚えた。宿の中は暖かいはずなのに、妙に冷える。いや、ある一角だけが、異常に冷たい。
「あの部屋は?」
鉄心は、廊下の突き当たりを指した。
「あ、あちらは……」
番頭が言い淀んだ。
「女性のお客様が一人、お泊まりですが……」
「いつから」
「十日ほど前から」
凍死が始まった時期と一致する。
鉄心の部屋は、その女性客の部屋から最も離れた場所だった。番頭の配慮だろう。
***
夜半過ぎ。
鉄心は、廊下に出た。
静寂が支配する宿の中を、音もなく歩く。目指すは、例の部屋。
近づくにつれ、寒さが増していく。吐く息が白い。いや、それどころか、廊下の壁に霜が降りている。
部屋の前に立った。襖は閉まっているが、隙間から青白い光が漏れている。
「入ってもよろしいかしら」
声がした。鈴を転がすような、美しい声。
襖が、ひとりでに開いた。
部屋の中央に、一人の女が座していた。
純白の着物。腰まで届く黒髪に、所々白い筋が混じっている。肌は雪のように白く、唇だけが青みがかっている。
美しい。だが、それは生者の美しさではなかった。
「ようこそ、鉄心様」
女が微笑んだ。
「お待ちしておりました」
「知っていたのか」
「ええ。あなたの匂いは、遠くからでも分かります」
女が立ち上がった。
「不死なる者の匂い」
やはり、そうか。鉄心は身構えた。
「そなたも、不死者か」
「申し遅れました。雪絵と申します」
雪絵と名乗った女は、優雅に一礼した。
「もう四百年以上、この姿で生きております」
四百年。わしより長い。
「なぜ、人を殺す」
鉄心の問いに、雪絵の顔が歪んだ。
「殺したくて殺しているのではありません」
雪絵は両手を見つめた。
「触れた者を、凍らせてしまうのです。この呪われた体が」
「呪い?」
「はい」雪絵は窓の外を見た。雪が、激しさを増している。「四百年前、私は普通の娘でした。でも、愛する人を……」
雪絵の声が震えた。
「初めて抱きしめた時、彼は私の腕の中で凍りつきました」
鉄心は黙って聞いていた。
「それからです。私の体が、この様になったのは。触れる者すべてを凍らせる、雪女になってしまった」
雪女。妖怪として語り継がれる存在。だが、元は人間だったのか。
「では、宿の者たちも」
「私に近づきすぎたのです」雪絵の目から、氷の涙が零れた。「私は警告しました。近づくなと。でも、皆、私に惹かれて……」
美しさが、仇となったか。
「なぜ、この宿に」
「温もりが欲しかったのです」雪絵は自嘲的に笑った。「温泉宿なら、少しは温かくなれるかと思って。でも、無駄でした」
雪絵が手を伸ばした。触れた畳が、瞬時に凍りついた。
「私は、永遠に冷たいまま」
鉄心は、雪絵を見つめた。その瞳に宿る深い孤独。それは、自分もよく知る感情だった。
「分かる」
鉄心が呟いた。
「その苦しみ、よく分かる」
雪絵が驚いたように鉄心を見た。
「あなたも……」
「ああ。わしも三百年、一人で生きてきた」
鉄心は懐から村雨丸を取り出した。呪いの短刀が、月光を反射して妖しく光る。
「これが、わしの呪い。死ねない体にした元凶だ」
雪絵は村雨丸を見つめた。
「美しい……でも、恐ろしい刃ですね」
「そなたの呪いと同じだ。美しくて、恐ろしい」
二人の間に、沈黙が流れた。
雪が、窓を叩いている。風が、悲しげに唸っている。
「鉄心様」
雪絵が口を開いた。
「お願いがあります」
「何だ」
「私を、殺してください」
鉄心は答えなかった。
「もう、疲れました。四百年も一人で……誰も愛せず、誰にも愛されず……」
「それは、できない」
「なぜ?」
「不死者は、簡単には死なない。そなたも知っているだろう」
雪絵は俯いた。
「でも、方法はあるはず。あなたなら、知っているはず」
確かに、方法はある。不死者を殺す方法。だが——
「まだ、早い」
「早い?」
「そなたには、まだやることがある」
鉄心の言葉に、雪絵は顔を上げた。
「やること?」
その時、廊下から足音が聞こえた。
「雪絵様!」
若い男の声だった。
襖が勢いよく開いた。二十代後半の青年が立っている。雪見屋の若主人、竜之介だった。
「竜之介さん、来てはダメと言ったでしょう」
雪絵が慌てた。
「でも、もう我慢できません」
竜之介は雪絵に近づこうとした。
「止まれ」
鉄心が前に出た。
「近づけば、凍死するぞ」
「分かっています」竜之介の目は決意に満ちていた。「それでも、構いません」
「竜之介さん……」
雪絵が震え声で言った。
「死んでもいい。雪絵様と一緒なら」
竜之介が一歩踏み出した。
瞬間、彼の体が震え始めた。寒気が襲っているのだ。
「やめて!」
雪絵が叫んだ。
鉄心は素早く動いた。竜之介の襟首を掴み、廊下へ引きずり出す。
「離してください!」
「落ち着け」
鉄心は竜之介を壁に押し付けた。
「死にたいのか」
「雪絵様のためなら」
「それが、雪絵の望みか?」
竜之介は黙った。
「愛する者に死なれることほど、辛いことはない。それを、雪絵に味わわせたいのか」
「でも……」
「愛とは、共に生きることだ。死ぬことではない」
鉄心の言葉に、竜之介は項垂れた。
「では、どうすれば……」
「それを、これから考える」
***
翌朝。
鉄心は、雪見屋の離れにいた。ここは元々、湯治客が長期滞在する場所だったが、今は使われていない。
「失礼します」
障子が開き、一人の老僧が入ってきた。
「お呼びですか、鉄心殿」
慈海と名乗るこの老僧は、昨夜、雪見屋に到着した。一見、普通の旅僧だが、鉄心には分かる。只者ではない。
「単刀直入に聞く。そなた、雪絵を知っているな」
慈海は静かに頷いた。
「はい。と言うより、雪絵の元恋人を知っています」
「元恋人?」
「私の前世です」
鉄心は眉をひそめた。前世?
「信じられないでしょうが、本当です」慈海は数珠を手にした。「私には、前世の記憶があります。四百年前、雪絵に凍らされた男の記憶が」
「そなたが、雪絵の恋人だった男の生まれ変わり?」
「はい」慈海の目に、深い悲しみが宿った。「だから、来たのです。雪絵を救うために」
「救う?」
「雪絵を成仏させます」
鉄心は慈海を見つめた。
「成仏……つまり、殺すということか」
「違います」慈海は首を振った。「呪いから解放するのです」
「どうやって」
慈海は懐から古い経文を取り出した。
「これは、不死者の呪いを解く経文です。ただし……」
「ただし?」
「条件があります。真実の愛の証明、不死者の血、そして転生者の祈り」
真実の愛の証明。それは、竜之介だろう。不死者の血は、わしの血。転生者の祈りは、慈海。
「全て揃っている」
「はい。ですが、最も重要なのは」慈海は鉄心を見つめた。「雪絵自身の意志です」
「生きることを選ぶか、消滅を選ぶか」
「その通りです」
鉄心は立ち上がった。
「今夜、決着をつける」
***
日が暮れた。
雪見屋の大広間に、関係者が集まった。
雪絵、竜之介、慈海、そして鉄心。
「始める前に、一つ聞きたい」
鉄心は雪絵を見た。
「本当に、消滅したいのか」
雪絵は迷うような顔をした。そして、竜之介を見た。
竜之介の目には、深い愛情と悲しみが混じっている。
「私は……」
雪絵の声が震えた。
「生きたい。竜之介さんと、生きたい。でも、この体では……」
「方法はある」
慈海が前に出た。
「完全に人間に戻ることはできません。しかし、呪いを緩和することなら」
「緩和?」
「触れても凍らない程度に、力を弱めるのです」
雪絵の目が輝いた。
「本当ですか?」
「ただし、リスクがあります」慈海の表情が厳しくなった。「失敗すれば、雪絵様は消滅します」
重い沈黙が流れた。
「やります」
雪絵が顔を上げた。
「消滅するくらいなら、賭けてみます」
竜之介が雪絵の名を呼ぼうとしたが、鉄心が制した。
「決めたなら、始めよう」
慈海が経文を広げた。古い梵字が、所狭しと書かれている。
「まず、結界を張ります」
慈海が印を結ぶと、部屋の四隅に光の柱が立った。
「次に、不死者の血を」
鉄心は小太刀で掌を切った。赤い血が、盆に注がれる。
「竜之介殿、あなたの番です」
「何を」
「雪絵様への愛を、証明してください」
竜之介は迷わず前に出た。
「雪絵様、私は貴方を愛しています。この命に代えても」
「竜之介さん……」
二人が見つめ合った瞬間、部屋の温度が急激に下がった。
「始まった」
慈海が経文を唱え始めた。
雪絵の体が、青白く光り始める。いや、それは光ではない。彼女の内側から、何かが溢れ出している。
「うああああ!」
雪絵が苦悶の声を上げた。
体が、変化し始めた。人の形を保ちながら、巨大な氷の塊へと変貌していく。
「雪絵様!」
竜之介が駆け寄ろうとしたが、鉄心が止めた。
「今は、見守るしかない」
氷の塊は、どんどん大きくなっていく。天井に届きそうなほどに。
そして——
パキィィィン!
氷が割れた。
中から、黒い影が飛び出した。それは、雪絵の形をした闇だった。
「あれは……」
「雪絵の内なる闇」慈海が叫んだ。「四百年の孤独と憎しみの化身です」
闇は、咆哮を上げた。部屋中の襖が、その声で吹き飛ぶ。
「私が相手をする」
鉄心が前に出た。
「しかし、あれは精神体です。物理攻撃は」
「効く」
鉄心は、無刀流の構えを取った。
「心の剣なら」
鉄心の体から、青白い光が立ち上った。それは剣の形を取り、鉄心の頭上に浮かぶ。
心剣。
「行くぞ」
鉄心が跳んだ。
心剣が、闇を切り裂く。闇は絶叫を上げ、形を変えた。今度は、巨大な蜘蛛の形に。
「楓?」
いや、違う。これは雪絵の恐怖が、以前倒した鬼蜘蛛の記憶と混ざったものだ。
蜘蛛が、氷の糸を吐き出した。
鉄心は横に転がって避ける。糸が床に当たり、瞬時に凍りつく。
「鉄心殿、急いでください」慈海が叫んだ。「儀式の時間が」
分かっている。長引けば、雪絵の精神が保たない。
鉄心は、小太刀を抜いた。鳴神と稲妻。
そして、心剣と合わせて三刀流の構えを取る。
「三位一体——雷光心剣」
三つの刃が、同時に闇を貫いた。
雷が、闇の中で炸裂する。心の刃が、闇を内側から切り裂く。
「ぎゃああああ!」
闇が、崩れ始めた。
だが、最後の瞬間、闇は竜之介に向かって突進した。
「危ない!」
雪絵が叫んだ。いや、叫んだのは、氷の中に閉じ込められた本来の雪絵だった。
その瞬間、奇跡が起きた。
雪絵の体が、人間の姿を取り戻した。そして、竜之介を庇うように、闇の前に立ちはだかった。
「もう、誰も失いたくない!」
雪絵の叫びと共に、白い光が爆発した。
光が、闇を包み込む。いや、包み込むのではない。受け入れているのだ。
闇は、雪絵自身の一部。それを否定するのではなく、受け入れる。それが、真の解放。
光と闇が、一つになった。
そして——
静寂が訪れた。
雪絵が、床に崩れ落ちた。
「雪絵様!」
竜之介が駆け寄り、雪絵を抱き起こした。
雪絵の体は、冷たい。だが、凍るほどではない。ちょうど、冷たい水に触れたような温度。
「竜之介さん……」
雪絵が目を開けた。
「私、生きてる?」
「はい、生きています」
竜之介が雪絵を抱きしめた。雪絵も、恐る恐る竜之介を抱き返す。
竜之介は、凍らなかった。
「成功したのか」
鉄心が慈海を見た。
「半分は」慈海は複雑な表情をした。「完全な人間にはなれませんでしたが、半人半妖として生きることはできます」
半人半妖。人と妖怪の間。
「それで、十分です」
雪絵が微笑んだ。四百年ぶりの、心からの笑顔。
「誰かと触れ合える。それだけで、十分です」
***
翌朝、鉄心は雪見屋を発つ準備をしていた。
「もう、お発ちになるのですか」
雪絵が、竜之介と共に見送りに来た。
「ああ。ここに留まる理由はない」
「でも、お礼もまだ」
「礼はいらん」
鉄心は、懐から何かを取り出した。小さな護符。自分の血で作ったもの。
「これを持っていろ。そなたらを守ってくれる」
雪絵は護符を受け取った。
「ありがとうございます。でも、なぜ私たちに」
「同じ、呪われた者だからだ」
鉄心は振り返った。
「いつか、すべての呪いが解ける日まで、強く生きろ」
雪絵が、懐から小さな巾着を取り出した。
「これを」
中を見ると、一枚の写真が入っていた。いや、写真? この時代に?
写真には、見慣れない景色が写っている。高い建物が立ち並び、空に鉄の鳥が飛んでいる。
「これは……」
「分かりません」雪絵は首を振った。「百年前、ある場所で拾ったのです。でも、何故か捨てられなくて」
写真の裏に、文字が書かれていた。
『2025年の冬、東京で会いましょう』
2025年? 東京? 聞いたことのない地名と年号。
「これを、わしに?」
「はい。あなたなら、意味が分かるかもしれません」
鉄心は写真を懐にしまった。謎は深まるばかりだが、いつか分かる日が来るだろう。
慈海も、発つ準備をしていた。
「鉄心殿、また会うことがあるでしょう」
「そうか」
「はい。運命の糸は、複雑に絡み合っています」
慈海は、意味深な微笑みを残して去っていった。
鉄心も、雪見屋を後にした。
振り返ると、雪絵と竜之介が、いつまでも手を振っている。
幸せそうな二人の姿に、鉄心は微かに微笑んだ。
***
街道を歩きながら、鉄心は考えていた。
雪絵との出会い。同じ不死者として、初めて心を通わせた相手。
四百年の孤独。それは、いずれ自分も辿る道なのだろうか。
いや、違う。
雪絵は、竜之介という愛する人を見つけた。呪いは完全には解けなかったが、共に生きる道を選んだ。
(わしにも、いつかそんな日が来るのだろうか)
懐の写真が、気になった。
2025年、東京。
二百年後の話か? それとも、もっと違う何かか?
風が吹いた。
雪は止み、雲間から陽光が差し込んでいる。
春は、まだ遠い。だが、確実に近づいている。
鉄心は歩き続けた。
次なる地へ。次なる出会いへ。
***
その夜、鉄心は野宿をしていた。
焚き火を前に、写真を見つめる。
不思議な写真だ。明らかに、この時代のものではない。だが、確かに存在している。
と、写真が微かに光った。
『聞こえますか』
声が、頭に響いた。
「誰だ」
『私です。未来の、あなたです』
未来の自分?
『時間がありません。聞いてください』
声は続けた。
『2025年、世界は大きな危機を迎えます。その時、七人の不死者が必要になります』
七人の不死者。
『あなたは、その一人。雪絵も、その一人です』
「残りの五人は」
『それは、これから出会います。天狗、狐、龍、そして……』
声が途切れた。
『時間です。覚えておいてください。すべての出会いには、意味があることを』
光が消えた。
写真は、元の静かな紙片に戻った。
鉄心は、夜空を見上げた。
星が、冷たく輝いている。
七人の不死者。世界の危機。
壮大な物語の、序章に過ぎないのか。
だが、今は考えても仕方ない。
鉄心は横になった。
明日は、また新しい一日が始まる。
新しい出会いが、待っているかもしれない。
***
朝靄の中、一羽の鴉が鉄心の前に降り立った。
足に、小さな文が結ばれている。
鉄心が文を取ると、鴉は飛び去った。
文には、こう書かれていた。
『大和国、天狗岳にて待つ。武の極致を求めるなら、来られよ。紅葉丸』
天狗。
未来の自分が言っていた、七人の不死者の一人か。
鉄心は立ち上がった。
大和国までは、十日の道のり。
だが、行く価値はありそうだ。
武の極致。それは、三百年間追い求めてきたもの。
そして、もしかしたら、呪いを解く手がかりも得られるかもしれない。
鉄心は歩き始めた。
朝陽が、山の端から昇ってくる。
新しい一日の始まりだ。
そして、新しい章の始まりでもある。
## 第六章 完
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### 幕間 雪女の手記
*雪絵の部屋に残されていた手記より抜粋*
文政五年 睦月 十五日
鉄心様と出会って、三日が経った。
不思議な方だ。私の正体を知っても、恐れない。それどころか、理解してくださる。
三百年生きてきたと聞いた。私より短いけれど、その瞳に宿る孤独の深さは、私以上かもしれない。
竜之介さんは、今日も私の部屋に来ようとした。止めても聞かない。あの人の愛情は本物だ。だからこそ、辛い。
触れたい。でも、触れられない。
これが、私の呪い。
でも、鉄心様は言った。「方法はある」と。
信じてもいいのだろうか。
四百年ぶりに、希望を持ってもいいのだろうか。
文政五年 睦月 十六日
慈海様が現れた。
まさか、あの人の生まれ変わりだったなんて。
四百年前、私の腕の中で凍りついた、最愛の人。
でも、慈海様の瞳に、恨みはなかった。
ただ、深い慈愛があった。
私を救いたいと言ってくださった。
儀式は危険だと言う。でも、もう迷いはない。
このまま永遠に一人で生きるくらいなら、賭けてみたい。
竜之介さんと、共に生きる未来に。
文政五年 睦月 十七日
儀式は成功した。
完全ではないけれど、私は人に触れることができるようになった。
竜之介さんを、抱きしめることができた。
四百年ぶりの、温もり。
涙が止まらなかった。
鉄心様は、もう発たれた。
お礼も言えないまま。
でも、きっとまた会える。
あの方が残してくださった護符を見るたび、そう思う。
不思議な写真も、お渡しした。
2025年、東京。
その言葉の意味は分からない。でも、重要な何かだと直感している。
いつか、その謎が解ける日が来るのだろう。
それまで、私は竜之介さんと生きていく。
半人半妖として。でも、確かに生きている者として。
鉄心様、ありがとうございました。
あなたに出会えて、本当によかった。
いつか、すべての呪いが解ける、その日まで——
雪絵
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第六章 完




