先輩が髪を切った理由
(今日から俺も高校生か)
入学初日、俺は最寄りの駅で電車を待っていた。
ここは結構な田舎町で、朝のこの通勤、通学時間帯でも駅は閑散としている。
最近、東京から越してきた俺にとっては異様な光景だった。
電車が到着し、ドアが開くのを待つが、なぜだか一向に開こうとしない。
周りを見渡すと他の車両のドアは普通に開いている。
(ん?なんでここだけ開かないんだ?)
ドアの前で立ち尽くしている俺を見かねてか、後ろに並んでいた女子高生が前に出て、ドア横のボタンに手を伸ばす。
「このボタン押すと開くんだよ?」
「え、あ、ありがとうございます」
電車のドアは全て自動で開くと思っていた俺は、少し恥ずかしくなった。
電車に乗り込むと、先ほどの女子高生は1番端の席を確保したようだった。
もう空いている席は両隣おっさんの間か、先ほどの女子高生の隣だけだった。
(これなら立っていた方がましか)
手すりをつかもうと手を伸ばすと、先ほどの女子高生と目が合った。
すると彼女は隣の席をポンポンと叩き(おいで)と呼んでくれた。
隣に座ると、彼女はニコッと微笑み、俺に話しかけた。
「その制服、私と同じ高校のだね、1年生?」
「はい、1年です」
「入学おめでとう、私2年なんだ」
「ありがとうございます、あ、先輩だったんですね」
「うん、君はもしかして引っ越してきたの?」
「はい、父の転勤で中学卒業と同時にここへ」
「へぇーそうなんだ、前はどこに?」
「東京にいました」
「東京か〜じゃあ電車のドアを開けられないのも無理はないね〜」
先輩は悪戯っぽい目をして笑っている。
「やめてください、さっきのあれ、結構恥ずかしかったんですから」
「ごめん、ごめん」
先輩は大人っぽい見た目とは反対に、とても気さくで話しやすい人だった。
◆
入学後俺はバスケ部に入部した。
初めて練習に参加した日、隣のコートではバレー部が練習していた。
俺はそこに先輩がいることにすぐ気がついた。
胸の辺りにまで伸びた長い髪を後ろで結び、ポニーテールにしている。
先輩の真剣にバレーに打ち込むその姿は、電車に乗っている時とは、まるで別人のようだった。
学校にも慣れてきた頃、俺は先輩と会えるこの電車の時間が、いつしか楽しみになっていた。
「おはよ」
「あ、おはようございます」
「最近バレー部、大変そうですね」
「そうなんだよ、そろそろインハイ予選始まるから、皆んな気を張ってて」
「先輩も試合出るんですか?」
「わかんない、どうだろ?多分この大会で3年生引退になっちゃうから、2年は出れない気がするんだよね」
「あれ?春高がまだあるんじゃ?」
「うちは進学する人多いから、そこまでは3年生いないんだよ」
「そうなんですね…じゃあ負けられないですね」
「うん、6月に入れば放課後以外に朝練も参加しないとだから、当分は君と会えなくなるかも」
それを聞いて、俺は一瞬落胆してしまった。
その様子を見逃さなかった先輩は、すぐにからかってくる。
「寂しい?」
「いや、寂しくないですよ、逆に静かに登校できるんで、今から楽しみですよ」
「あーあ、強がっちゃって」
先輩の言った通り、6月に入ると1人で登校する日々が続いた。
◆
今日は久しぶりの大雨だ。
傘をさしても足元は濡れ、靴下まで冷たく感じる。
気分もだいぶ下がるが、こういう日こそ、先輩に会いたい。
駄目元で駅の中を見渡すも、やはり先輩の姿はない。
(今日もいないか)
俺はそんなことを考えながら、駅のホームで1人待っていた。
電車が到着し、すぐに乗り込むと、俺はホームの階段を眺めていた。
電車が発車すると同時に階段を走って降りてくる先輩が見えた。
(え、先輩?)
一瞬見えた先輩の姿は普段と違った。
いつもの胸の辺りまで伸びていた長い髪は、顎のラインにまで短くなっていたからだ。
(あれって先輩だよな?何かあったのかな)
あんなに髪を切るなんて、何か理由があるのか。
もしかして好きな人に振られたのか、それとも彼氏と別れた…いや、まず彼氏いたのか。
そんなことを考えていると、先輩が男と一緒にいるところを想像してしまった。
◆
放課後―俺は部活の準備をする為、1人体育館まで来ていた。
用具室の近くまで来ると扉が少し開いているのが分かった。
中から女性が微かに泣いているような声が聞こえる。
何事かと扉の隙間から中の様子を見ると、体育座りで泣いている先輩がいた。
俺は一瞬驚いたが、よっぽど辛い思いをしたのだろうかと少し心配にもなった。
(やっぱり彼氏に振られてしまったのだろうか)
いつものように気軽に話しかけられる空気ではなかった。
入ってもいいのか、放っておいた方がいいのか、扉の前でうろうろしていると、体育館内に人がぞろぞろと入ってきた。
先輩はそれに気づいていない。
多分、この用具室にもすぐ人が来るだろう―そう考えた俺は、誰かに見られるのも嫌だろうと、用具室の扉をコンコンと叩いた。
「他の生徒も体育館に入ってきましたよ」
俺が話しかけたと同時に中は静かになった。
その後すぐに扉が開き、先輩が出てきて顔を隠しながら小声で囁いた。
「ありがとう」
そう言うと先輩はすぐに、その場から立ち去った。
◆
翌日の朝、俺はいつも通り駅で電車を待ちながら、昨日のことを余計なお世話だったのではと、少し後悔していた。
周りを見渡しても先輩はまだいない。
(先輩、今日はこの電車乗るのかな、もし会ったら何話そう…昨日のことは聞かない方がいいよな)
そんなことを考えていると、いつの間にか電車のドアが目の前にあった。
急いでボタンに手を伸ばすと、後ろに並んでいた人に先に押されてしまう。
「あ、すみません」
後ろを振り向くと先輩がいた。
「おはよ、何してんの?早く乗ろ」
「あ、おはようございます」
先輩はすぐに電車に乗り込み、空いてる席に座った。
いつも通りの先輩を見て俺は少し安心した。
「また電車の乗り方忘れちゃった?」
「忘れてないですよ…ちょっとボーっとしてただけで」
「そうなんだ、珍しいね…」
急に先輩の表情が真剣な顔つきに変わる。
「ねぇ、昨日の用具室でのことなんだけど…見てた?」
俺は一瞬迷うも正直に答えた。
「見てしまいました」
「そっか、なんだか恥ずかしいな」
俺は咄嗟に言ってしまった。
「何かあったんですか?」
泣いていた理由を聞かれるとは思わなかったのか、先輩は少し驚いているように見えた。
「実は一昨日、インハイ予選の大事な試合があってね、私もその試合に出てたの…2年の私が3年生を差し置いて…それだけでも罪悪感すごかったのに、最後私のミスで負けちゃってね」
話してもらえると思っていなかった俺は少し嬉しくなった。
「でもね、昨日体育館向かう途中で偶然3年生と出くわして、言ってくれたの…私たちの分まで戦ってくれてありがとねって」
俺はどんな反応をしていいのか分からず、先輩の話を相槌もせず、ただ聞いていた。
「その時は大丈夫だったんだけど、用具室に入って1人になったら急に涙が出てきちゃって…それであんな状況になっちゃったの」
先輩を見ると、また泣いてしまうのではと少し心配になった。
「そうだったんですね、そんなことがあったんですね…あ、今更ですが試合お疲れ様でした」
「ありがとう」
「・・・・・・」
少し間、沈黙が流れてしまい、俺はその時間に耐えきれず、また余計なことを聞いてしまう。
「髪を切ったのって、その試合とも関係あるんですか?」
先輩は自分の髪を触りながら答えてくれた。
「あぁ、これね…これは試合で負けて気持ちを切り替えようって思って切ったの」
「そうだったんですね」
「あとは、けじめをつけるって意味も込めて」
真剣に話しをしてくれている先輩に対して、俺は失礼にも少し笑ってしまった。
「けじめって…先輩男らしいところもあるんですね」
そう言うと先輩も一緒に笑ってくれた。
「これ多分、男兄弟が多い影響だと思う」
いつも通り、笑って話せているこの状況に安心し、俺は今まで考えていたことをつい口走ってしまった。
「彼氏と別れたとかでは、なかったんですね」
「彼氏?ううん、いないよ…あ、もしかして振られたからとか思ってた?」
「はい、そうだといいなって」
(やばい、何を言ってるんだ俺は)
恥ずかしさで自分の顔が赤くなるのを感じた。
先輩も驚いた顔をするも、すぐに笑いだした。
「あ、じゃなくて、えっと…違います、えっと」
言葉に詰まる俺を先輩は笑いながら見ていた。
ちょうどその時電車が止まり、気づくと学校の最寄り駅に着いていた。
すると先輩はすぐに立ち上がり、口を開いた。
「へぇー振られたって理由の方が君にとっては都合が良かったんだ」
先輩はそう言うと笑顔で電車を降りて行った。