99.ヘビに巻かれて3
「……オレへのお告げはもう終わりですか」
「ええ。あなたは負の気が多すぎて、本当はレイア様の御目に映しても欲しくない存在です。本来、迷える救助者たちには最後まで告げるのですが、あなたはここまでだ」
どうにも哲也を貶めたいらしい。
しかし、なるほどと内心頷く。
こうやって、やってくる人々の財産を取り上げているのか。この場で。宝石、現金、ブランド物。身に着けているものをここで受け取ってしまえば、「前もってお礼など受け取っていないし、面会終了後も何も出させない」の言い訳がたつ。それに大金でない、大きい物や高価すぎる宝石もない。身に着けて外出できる程度のものだ。巻き上げられた側としても後々問題にしにくいレベルで、確かに「これは謝礼ではない」とも言える。ギリギリだが。
この女性が本家の家人に対して言っている「慈善事業だ」という言い訳を思い出して、哲也は顔をしかめた。現物を受け取った後はこの男あたりがどこかに隠して、さっさと売ってしまえばいい。
「浅はかで単純だなあ」
こんなの長く続けられないだろ。
思わずため息を吐いた哲也に、染め髪の男が微笑んだ。まったく笑っていない目で。
哲也の独り言をきちんと聞いたらしく、首を振る。
「……確かに、長くはないですね。もうそろそろ潮時です。聖女レイア様のお力にも陰りが見え始めている。あなたのような下賤で悪意のある者どもが周りで騒いで、それでもレイア様はそれらの愚物も救おうとなさるから、神から授かりし光の力ももう残り少ない」
男はやけに穏やかに言う。
そして隣に寄りかかる女性の黒髪を、ゆっくりと撫で下ろした。
女性はうっとりと男に頭を預ける。なぜか見てはいけないものを見ている気分になり、哲也はわざとらしく顎を掻いた。
「えと、じゃあ、オレから少しレ、レイア様に質問しても?」
どもりつつ窺うと、女性は男を見て、男は哲也を見た。
「どんなご質問が?」
「あー……いえ、あなたでなくレイア様に。……幼少の頃の一時、神の声が聞こえた?と聞きましたが。それは、どんなでしたか。深い、深い……地の底のような声?そして、何か見えましたか?例えば人の形から遠い、」
「そこまで」
鞭のしなるような厳しい静止が飛んだ。思わず口を噤むと、男が口だけで笑っていた。「そこまでです。くだらない質問はそこまで。レイア様への冒涜です」
心底バカにしているような表情だ。
誰を?オレを?
いや違う。こいつは、全部を馬鹿にしている。
「じゃあもう『終わり』ということですか?」
「そうですね。『終わり』ます。レイア様もお疲れですし、あなたはそもそも悪の化身を告知されても無視なさるでしょう。あなたのような偽物で卑しい過去をもつ方にレイア様のお力はもったいない」
「はあ。そうですか。では、色々見せてもらったし、オレはもう帰りますね。見るだけの約束ですし。すべてありのまま、いまあなたが話したことも全部伝えておきます」
出せるお金もないしね。
痺れた足を伸ばして立ち上がった哲也は、できるだけ丁寧に頭を下げた。一応見学の礼だ。
おそらく、この男は時を置かずして消えるのだろう。
男は本心を決してここでは言わない。
女性がいるからだ。
哲也が広間に入ってから今まで、こいつは一切の本音を語らず、ひたすらうわべだけの作られたセリフを述べていた。聖女、光、神、救世主、などなど。
それはすべて、哲也に話しかけてはいたが、実は哲也に聞かせているのではなかった。
女性だ。
こいつを信じ切っている、そして自身に稀有な能力があると信じ込ませた、女性に向かって語っていたのだ。すべて。
違和感は、これだった。男の語りに最初から違和感を覚えていたが、すぐにわかった。自分に向かっての言葉ではないからだ。
こいつはずっと、オレを通して女性に話していた。
こいつは消える。売却で稼いだ金銭を持って。
自身を聖女だと信じてしまった女性を置いて。
「ありがとうございました」
「あなたにも聖女の御心が少しでも理解できますように」
女性を除いた、男ふたりだけの視線が交わる。うわべのやり取りの水面下でだけ、バチバチと脅し合いをしている気がする。
哲也の見学を受け入れたのはまさに、この男の「潮時」だからなのだろう。
本家が憂慮し関係者を通して母親に話が行き、哲也が面会に来ることになった。男は哲也のことを知り、呼び寄せ、そして終わりを告げる。哲也はそれを本家の関係者に伝える。
もう心配ないですよ、男は消えます。そして残された彼女は、いつか、目を覚ます……かもしれない。
すべて男の計画通りだ。
だから大ごとにするなよ、と。
問題を大きくするなよ。そっちも家の恥だろ。大ごとにせず、何も無かったかのように終わろうぜ。この女の将来にも響くだろ。
さっさと消えてやるからさ、と。
哲也は伝言役に使われたのだ。哲也も心のうちで返す。
じゃあお前も、綺麗に素早く消えろよ。
少しでも彼女が悲しむ期間が短くなるように。
この詐欺クズ野郎が。
「では」
広間を去ろうとする哲也の背後で、不意に空気が動いた。
「ああ、そうだ。哲也さん」
振り返ると、男と再び目が合った。
この広間に入ってから今まで見ていた顔とはまったく別の、不可思議な表情をして男が言った。
「もうひとつ告知があるのです。ねえ、レイア様」
何か、試すような、半信半疑のような、不可思議で半端な様子で、男は言う。
そうして女性の耳にそっとささやく。
女性はかすかに首を傾げて、ぱちりと瞬きをした。不意に幼げな、日常の女性の雰囲気が出てしまう。間違いなく二十歳のただの女性、ちづるだ。
慌ててちづるは男を見返し、男は目だけで微笑んで頷く。表情をどうにか「聖女」に戻したちづるは、哲也の方に体を向けた。
「わたくし、に、降りて来た死者が語っています。あなたのそばに、えと」
メイクの乗った目が迷うように揺れた。
「緑。し、芝生?の、緑色の女の子が、います」
「……は?」
初めて繕っていない声が出た。
「……はは。マジなのかよ」
笑ったのは染め髪の男だった。男の声も笑い顔も初めて、繕われていないものだ。信じられねえな、聞いてた通りじゃん、マジかよ、と繰り返す。
「おまえ……なんで、なん、それを……どこで」
「ひゃは。ガチで焦ってんじゃん」
作られた仮面のない男の声音は軽薄だった。
「え、あの、どうしたの、何が」
愕然とする哲也と、がらりと変わった男の様子に、ちづるは混乱しているようだ。そこに男がにやりと笑いかける。
「さあレイア様。あなたに降りて来た死者はだれ?」
「え?あの、えと」
「さあ、レイア様。いまあなたの御体の中にいる死者の名は?さあ」
ちづるは完全に素に戻り、オロオロと視線を揺らし、それでも男のリモコンスイッチのような声に逆らえないのか小さく告げた。
「未央、です」
「……ふむ」
哲也の反応を見て、男は顎に指を当てた。
そして女性の耳元に息を吹きかけるようにささやく。もう隠す気もないようだった。
「反応ねえわ。知らねえみたい……じゃあ、もうひとつの名を言ってみて」
「……」
女性は眉を下げて泣きそうな顔をした。
「でも」
「いいから」
ちづるは唇を震わせる。動揺しつつも哲也はその哀れな様子に我慢できず、男を止めようとした、その前に。
「実はもうひとり、死者が御体の中に降りてきたんですよねえ、レイア様!」
男はおおげさに声を上げた。
「死者をふたりも同時に!呼び寄せるなんて!さすが光の聖女レイア様だ!さあレイア様、最後の救世の神力を放ってさしあげなさい!さあ、そのもうひとりの死者の名前を言って!言えって!言え!」
人が変わったように強引で、意地悪く笑う男に、女性はとうとう泣き出した。
そしてこの場を逃れたい一心なのか、顔を伏せて呟く。
「沙貴」
哲也は黙った。
男は大声で笑った。




