73.わめく女
静かな病室から薄日が逃げる。夜の気配が忍び寄って来た。
『……私の姿を決して映さないように、というのも理由があってね。私、まともに撮れた自分の写真がないのよ。いつも見えざる者たちに邪魔されちゃって、おかしな姿になってしまうの。映像を許さないのは、何も私の存在を隠しているからだけではないのよ』
家族の話をしたからか、未央の声音は最初に比べかなり親しげになっていた。
『……それで、ね。そんな私があなたに会おうと思ったのには、特別な訳があるの』
普段は絶対に、こういうことでは人を家に入れないのよ、と小さく笑う気配がした。
『あなた、大変な者が憑いてますよ』
そこで映像がぶれる。
一瞬画像が飛び、編集で何らかの流れをすべて切り取ったのが分かる。
次に映ったのは、なぜか正座をして虚空を見つめる中年男の横顔だった。
『……これ?これを押せばいいのかしら。分からないわ、機械にうといのよ私。こうかしら』
上下に大きく揺れ、撮影者が未央に代わったことが切れ切れの画像に見て取れる。そしてほんの一瞬、姿が映った。
「!」
功成の全身が震える。
しわだらけの顔に困ったような薄い眉。
着物の襟から覗く首には、真っ黒な痣。
レンズを自分に向けてしまった老婆は、姿が映ってしまったことすら知らずにやっとカメラを男に向けた。
「……すみません、もう一度」
功成が乾いた声でリモコンの停止ボタンを押す。たった数秒の未央を戻って見、また戻っては見る。
もう一度、もう一度だけと繰り返す制服の背中に、恒彦はなぜか差し歯の奥が痛くなった。
「おい、もういいだろ。夜になっちまう」
喉元までせり上がった何かを押し込め、恒彦はリモコンを取り上げる。
『見える人はねえ、とても寂しいの』
先ほど画面から流れた未央の穏やかな声を思い出し、知らずに舌打ちが出た。
「……続きがあんだよ。そっちが重要なんだ。ちっとグロいけどすげえから、見てみな」
乱暴に顎を上げ、画面を指す。
未央がカメラを手にした途端、画面の世界は一変していた。
『あ、映ったわ。ちゃんと撮れてますよ。でも声は、さすがに入らないかしら』
中年男の目の前に、真っ赤な女が立っている。
『お、お、俺には……見えないが……』
『大丈夫。きっと映っているわ』
ごくり、と恒彦の父の喉が動いた。
女には皮膚がなかった。
肉が剥き出しで、足も腕も全身が赤く染まって見える。髪は長く服を着ておらず、どこもかしこもぱんぱんに膨れて風船に似ていた。筋肉が膨張し過ぎた女の目は、肉に潰れて糸のようだ。
そして女は何かを喚いていた。それもひっきりなしに、肉団子のようになった拳を握り、膨れた体と血で固まった髪を揺らして叫んでいる。
口を開けるたびに割れた肉の舌が見え、鮮血が飛んだ。女はそれも気にせず、ひたすら叫びわめいている。
それは映像でも耐えがたい、あまりにも恐ろしい光景だった。
『私が、代弁しますね。あなたは見えていないし、声も聞こえないから。彼女は繰り返しこう言ってます』
あなたは死ぬ。
『……』
男が震える。
正座した膝が痙攣し、男の目から涙が溢れた。
そして男は、畳に額を擦り深く深く土下座した。
『俺は、生きたい。いや、生きる。……だから、俺の代わりに』
声には迷いがなかった。
『代わりに、息子に……息子の、恒彦に、取り憑いてくれ。頼む、この通りだ』
映像はそこで終わった。
「……な?世の中で一番、本当に怖いもんが映ってただろ?」
わずかな西日が出窓を照らす。
夜空が近い。
「親父はこの後も好き勝手生きた。今は半死半生だが、悔いはねえだろ。……息子に死ぬ死ぬわめく死神おっつけて、自分は呪いから逃げたんだからよ」
功成の視線を避けてソファに横になると、廊下に面会終了のチャイムが響いた。




