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72.未央


「……これの元はテープだ。しかもところどころ編集されて、つぎはぎだ。後に劣化を恐れたのかディスクに焼き直されてる。質は悪いし見にくい場面もあるがな、とりあえず内容は分かる」

 テレビ前を陣取った制服の背中に語るが、恒彦自身、これを見るのは十年ぶりだった。

「俺の親父は、三流カメラマンだった。芸能人のケツを追っかけ回してネタを漁り、金欠になったらAVまで撮る。お袋が病死してからは生活が荒れたよ。ただ俺が四つの頃、親父はすげえスクープを撮った」

 十八年前だ、と加えた。

「でもそれはなぜか世に出なかった。親父は映像を自分で編集して、誰にも見せないように家の物置にしまい込んだんだ。俺がこれを偶然見付けたのも十二歳の時。日付けだけ記されていて、一見すると空きディスクにしか見えねえよう細工までしてあった。どうしてだか分かるか」

 自分の犯した罪を隠すためだ、と呟くと同時に、映像が飛んだ。

 なんの変哲もない田舎の風景が一転して室内になる。古い民家の一室で、カメラは剥げた畳をなぞった。

『……私の姿は決して映さないように。それが条件ですので、約束は守って下さいね』

 流れたのは、しわがれた老婆の声だった。発音と声音で、ずいぶんな年齢だと分かる。

 撮影する恒彦の父と老婆、一対一で会話している様子が、畳の上で揺れる人影で想像できた。

『私は未央みおと申します。こんな田舎に住んでるいのもあなたがおっしゃる理由の通りですよ。よくもまあ、人伝の噂だけでここまで辿り着いたこと』

 未央という老婆の声には、弱々しさの中にも凛とした響きが窺えた。掠れた声にも品が漂う。

 そして彼女は、静かに長い話を始めた。


 世の中には、「見えざる者」が溢れていること。

 その死者たちを見てしまう、そういう人のことを自分は「見える人」と呼んでいること。

 ヘビを体に巻き付けて見えるようになる人がいるが、それは一時期を過ぎればヘビが剥がれて終わること、自分は眠ると若い頃の姿になって体を抜け出し、街を自由に闊歩していること。

 この年齢になってもまだ、自分と同じ「見える人」にはひとりも出会えていないこと。

『……見える人は、かなり数が少ないということですか』

 男の太い声が入った。恒彦の父だ。

『いいえ。そうではないわ。……いえ、少ない、という点ではそうだけど。あのね、見える人っていうのは、常にひとりなんだそうです』

『は?』

 いぶかしげな男に未央は笑ったようだった。

『見える人はいつもひとりだけ。そして、その見える人が死んだら次の見える人が生まれるそうなの。だから、見える人は常にひとりだけ。なのだそうよ』

 恒彦は、微動だにしない制服の背中をちらりと見遣る。しかし功成からは何の反応もなかった。

『だから、神様がかわいそうに思うのかしらねえ。あら、神様なんているのかしら。わからないけど。何の慈悲か、ひとりの見える人にはひとりの鞘がいるらしいわ』

『サヤ』

『そう。鞘。守り鞘。依り代ですよ』

 びくりと功成が震えた。

『でも私は、ついぞ、鞘に会うことはなかったわ。まもなく生を終えるだろうけど、きっと最後まで私の鞘には相まみえることはないでしょうねえ』

『あなたはそれをなぜ知っているのですか』

 畳の小さな影が揺れた。

『……私の、前代の見える人の、鞘の方よ。私の前の、見える人。その鞘。私を探し出して教えてくれたの。ずいぶん昔、私が本当に幼い頃にね』

 未央は喉を痛めているようだ、時々小さく咳き込む音がする。それに紛れて、恒彦の父の大きな咳も聞こえた。

『……失礼。その、あなたの前の見える人、の鞘……という方はどんな』

『それは言えない。あなたも聞かない方がいい』

 思いの外強い声で言われ、父の手が揺れたらしい。映像が乱れた。

『それはつまり』

『ええ。私が少しでも話したら、あなたならすぐわかるでしょう。名の知れた権力者ですもの。ご自分の見える人を利用して、ずいぶん大きな私財と地位を築いたご様子』

 見える人は短命だから、と未央が呟く。

『その見える人が亡くなって、鞘だけ残されて。その鞘の方は、きっと熱心に調べ、色々調査されたのね。ご自分の見える人が死んだ後、次の見える人……つまり私を探し出した。権力に飽かして。今度は私を、また利用するためでしょうね。見える人を道具と思っているのでしょう』

 だから私は逃げたの。

『よく、そんなことが』

 驚く父の声に、初めて、弾むような誇るような、嬉しげな声が重なった。

『でしょう。すごいでしょう。すべて、私の家族のおかげ。幼い私を抱え、父も母もまさに漂流、全国転々としたわ。辛く悲しいのに、苦しいことばかりだったはずなのに、なぜか私の人生の思い出は父母と笑い合って波瀾万丈楽しいことばかりなのよ』

 歌うような懐かしむ色だった。

『父と母は最後まで私を守り、そして次は夫に私を託したの。夫は夫で、変わった人でねえ。私を守るために山をまるっと買い取って、そこに私と隠れ住んで。子供が五人もできたのよ。暗闇を怖がったり、すぐ黒い痣を作る私なのに、夫も子供たちもいつも守ってくれたわ。その子供たちももう独立して、孫が八人、ひ孫が五人もいるのよ私』

 それはすごい、と父の笑い声が挟まれる。

 紛れもない大スクープのはずなのに、映像に流れる雰囲気は穏やかだった。おそらく未央の人となりのせいだろう。

 恒彦の父も同じことを思ったのか、『すべてはあなたのお人柄によるところも大きいでしょうね』とささやいている。

 老婆のはずなのにどこか幼い色で、未央は嬉しそうに言った。

『ありがとう。見える人は短命なはずなのに、私がこんなにも生き長らえているのは、すべて私を慈しんでくれた家族のおかげだと思うわ。まもなく私は生を終えるけれども、ちっとも怖くないもの。懐かしい父と母、愛しい夫のところへ行けるのだものね。黒い影も見えざる者たちもこうなったら恐ろしくないわねえ、だってすぐに私も同じになるのだもの』

 うふふと笑う声が、ふと間を開けた。

『ただ、私の、次の見える人が。……私が死んだ後に生まれる次の見える人が、私のように幸せに生きられるか。それだけが心残りだわ。見える人はねえ、とても寂しいの。ひとりきりだもの。見える人ひとりに鞘ひとりと言うけども、私のように、鞘に会えない見える人もいるでしょう。私の次の見える人、そのまた次の見える人。どうか幸せであってほしい。……私は絶対に会えないから、どうしようもないのだけれど』




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