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70.恒彦と高校生たち


 今まで犯した罪を遡って償えと言われたら、生まれる前に戻っても間に合わない。

 ある日を境に心が冷えて動かなくなり、あらゆる悪事をためらわなくなった。何もかもがつまらなく、果ては暴力行為にすら魅力を感じなくなったが、流されるまま家裁から鑑別所、少年院、そして結末は少年刑務所だ。少年とは名ばかりのそこに保護法で守られた少年はおらず、恒彦より年上ばかりのある意味地獄を二年で出所したのが数日前。

 年齢は二十二になり、地獄で磨かれた体は余分な肉がすっかり削げ落ち、血液の一部なんじゃないかと思っていたほどの薬物は跡形もなく抜け、そして。

 無人のアパートの前で大家から親父は入院したと聞いた時、冷めた心に最後に残っていたわずかな力も霧散した。

 今はただの、呼吸する塊だ。

 過去に迷惑をかけた人々に対して、動かない心なりに思う。

 到底許される罪ではないが、俺はとても死に近い人間だ。今までは奇跡的に生き抜いて来たが今後何かあったらきっとすぐ死ぬだろうから、それで少しは溜飲を下げてくれ。

 死神が憑いた自分には、未来がない。明日のことすら考えようとも思わない。

 未来を語る、言葉もないのだ。

「……なあ、親父」

 来院した時にはすでに手遅れだったと言う、末期もとうに越した骸骨のような寝顔を眺め下ろし、それから恒彦は八人部屋を出た。

 伸びかけた丸刈りにきつい眼差し、溶けた歯に代わり不良品の差し歯をしているせいで唇は歪んでいる。廊下ですれ違う人々が不自然に避けて行くので、恒彦は最短距離で入院棟奥の特別室受付に着いた。

 ここは警備室が併設されていて、面会する際にチェックが必要だ。恒彦のような者の侵入を防ぐ役割があるのだろう。

 ぶらぶらと歩きつつ手にした生身のディスクで顔を仰ぎ、恒彦は受付看護師の厳しい視線を無視した。

 見回すと、記帳台の隣で制服姿の男女が話している。同じ学校の制服のようだ。

「お、お前のオンナか」

 わざと下世話に声をかけると、驚いた様子の女が振り向いた。

「……大丈夫だよ。鈴子さん」

 落ち着いた声で功成が制す。鈴子と呼ばれた女は、恒彦のシャツから覗くタトゥーを見て怯えた目をした。

「鈴子さん、続けて」

「あ、うん」

 ポケットに手を入れだらしなく立つ恒彦を気にして、鈴子は遠慮がちに言う。

「そ、それでね。……パパやママにも聞いてみたんだけど。昔、あたしのところに結構な数のテレビとか来て、たくさん撮影して行ったけど。……だ、誰も彼もが見えるような、普通の人みんなが見えるような何か怖いものが、映像として映ったことなんてないって……」

 なるほど。恒彦はくすりと笑った。

「何。あんたも見える人?結構いるんだな、超レアだと思ってたんだけど。……いや、違うか、あんたは見える人じゃねえな。こいつがいるもんな」

 隣の功成を指差すと、高校生ふたりは首を傾げた。

「あのさ、こっちの場合はからくりがあんの。疑うなって」

 ディスクを振って見せる。

「じゃ、早く行こうぜ。お前のとこの特別室にはテレビもデッキもあんだろ、功成?」

「……大丈夫?功成くん」

 鈴子が上目遣いでそっと窺い、功成はため息を吐いて頷く。首を振って鈴子に向き直った。

「うん。……わざわざありがとう。来てもらっちゃって」

「いいよ。これからちょっとしたら、街でリサたちとカラオケなの。だからついで」

 未だ恒彦を意識しつつ、鈴子は控えめに笑む。そしてカバンから包装された一輪の白いバラを取り出した。

「これ、お見舞い。功成くんと同じ店で買ったからリボン付き」

「ありがとう」

 穏やかに笑って功成は受け取った。

「鈴子さん、カラオケまで少し時間あるかな。外のカフェで鞘子が待ってるんだ。今日こそ茶髪にしろって説得するなんて息巻いてる」

「もう、鞘子ちゃんたら。あたしはこれでいいのに」

 飾り気のないボブの黒髪を揺らして、鈴子は小さく笑った。

 静かな雰囲気のふたりだった。

 ありがちな媚びや、はしゃいだ感じがまったくない。お勉強のできるガキってもんは薄気味悪いなと恒彦は首の後ろをかいた。

「功成、お前の彼女にしちゃちっとばかし地味だな。まだやってねえだろ」

 卑しくけなしても、功成はわずかに肩を竦め、鈴子はほんのりと笑みを浮かべただけだ。

 年下にこういう態度を取られてしまうとこっちが恥ずかしい。恒彦はからかうのを諦めて右足を緩く揺らした。

「カフェね、分かった。じゃあ、またね」

 功成に手を振り、恒彦にぺこりと頭を下げ鈴子は受付を去って行く。見送ることもなく同じようにあっさりときびすを返し、功成は「こっち」と恒彦を誘った。

「……鞘子って、お前の妹だろ。エントランスですれ違ったことあるぜ、大部屋でも話題だし。ド派手でマジ可愛い子じゃねえか、紹介しろ」

 特別室の階へと続く渡り廊下を歩きながら、恒彦は習慣で唾を吐きたくなる。堪えていると前を行く功成が冷たく言った。

「いいですけど。小学生なんで即逮捕で出戻りですね、センパイ」

 センパイ、と絶妙な発音がかんに障る。敬語も嫌味ったらしいし、強制しなきゃよかったと舌打ちした。

「……足」

「あ?」

 億劫に聞くとちらりと目線を右足に向けられる。

「足。怪我、ですか」

「ああ?まあな、以前刺された箇所が悪くて腱が切れてんだ。……って、何。それも調べたのか」

 出戻りという言葉を使ったからには、恒彦の経歴を少しは探ったのだろう。しかし足のことは誰も知らないはずだ。見た目にも分からないし、普通に歩くだけでは違和感もない。

 功成は再び前を向き、色味のない声音で答えた。

「別に。……先輩のことだって探ってないですよ、ちょっと水を向けたら看護師さんたちが聞いてないことまでしゃべってくれたから」

「モテ自慢か。お前優等生ぶってるけど、本当はかなりタチ悪いだろ。大抵の奴は騙されるだろうが俺は一目で見抜いたぞ」

「人相が悪くて中身も悪い人よりましじゃないですか」

「そらそうだ、って俺のことか。嫌味なガキだな」

「あの」

 足を止め、功成が突然真正面に来た。真剣な黒目ににらまれる。

「そのガキって単語、止めてもらえませんか。僕、その単語が一番嫌いなんです」

「ふうん。ま、いいけど。分かった分かった、もう二度と言わねえよ」

 万歳してへらへら頷くと制服はまた歩き出す。廊下は絨毯になり、壁際の調度品が豪華になる。

 夕方の薄日が窓枠の形に差し込んだ。

「……そういう細かいとこ気にすんのも、ガキだねえ」

「……」

 わずかに歩調が速くなったのを見て、恒彦は笑いを堪えた。

 何だ、やっぱりただのガキじゃねえか。


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