表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
61/184

61.鈴子と功成


 話したいと願ってみても、話す機会すら与えられなかった今日までは、それは所詮夢物語だ。

 ただ、人生最大の勇気を叩いたら、鈴子に思いもよらぬ幸運が舞い降りた。


「暇だったら、一緒に行く?おもしろいものが見られるかも」

 校門を出て行く功成の後をつけた。普段の通学に使っている自転車は学校に置き去りだ。

 どうしても聞きたいことがあって、そして自分のことを話したくて、爆発した欲望のまま鈴子の足は勝手に動く。あの、折った指。あれが鈴子の背を無理に押す。

 彼があの角を曲がったらあたしも帰ろう、あの交差点を抜けたら回れ右して戻ろう、あの駅に着いたら黙って引き下がろう。

 何度も何度も思い直して足を止めようとするが、なぜか言うことを聞かない。

 そうしたら、駅の階段で数メートル先の背中が振り向いた。

「もう日が暮れるけど。行く?」

「あっ」

 後をつけた気まずさよりも、気付かれていた嬉しさに仰天した。

 功成は、ずっと気付いていたのに嫌な顔ひとつせず、さらに鈴子をどこかへと誘っている。

「う……うん」

 頭がぼうっとなって何も思考せずに頷くと、「じゃあこっち」と長い腕が手招きした。

「あ、あ、あ、あの」

「うん?」

 どうしよう。足が震えて階段を踏み外しそうだ。

 もしかしたら夢の中の出来事かも、と鈴子は口の内側をぎゅっと噛んだ。

「あの、じゅ、塾。いいの?行かなくて」

「ああ……」

 緊張で目の前がめまぐるしく点滅する。鈴子が指した自分のカバンを眺め、功成は少し首を傾げた。

「お、お弁当、妹……さんが届けてた、し」

「ああ、うん。……まあ、今日くらいは大丈夫。それに塾じゃないし」

「え?」

 発車ベルが響き渡る。

 思わず立ち止まると功成の背中はすぐに遠くなり、鈴子は小走りで追いかけた。

 功成は人でごった返す改札を抜け、どんどん先へと歩いて行く。切符を買うのにもたついていたら見失いそうで、鈴子は必死に追いすがった。

 地下道を抜け連絡橋を渡り、一番先のホームへと続く階段を上る。

 息を弾ませる鈴子を彼がやっと振り返ったのは、単線電車が止まる小さなホームの隅だった。

「こ、ここ。あまり……使われてない線だよね」

「そうだね。こんな時間にこっち方面に行く人なんて少ないだろうし」

 人気のない単線電車の行き先は、鈴子には見覚えのない土地名が書かれている。背後を見ると、主要線のホームに並ぶコート姿の人々がやけに遠く感じられた。

「こっちには誰もいないみたいだね、うちの学校の人」

 鈴子の胸の奥に、ふつふつと青白い炎が灯る。誰か、誰でもいいから、今この光景を誰かに見られたかった。

 あの功成とふたりきり、見かけた誰かの驚く顔を思いきり笑ってやりたい。

 下等な奴らの間抜け面を見返してやりたい。

「行こう」

 しかしそんな楽しい妄想は叶わず、乗り込んだ車内は空席だらけだった。長椅子に微妙な距離を空けて座ると、発車のアナウンスが流れる。

「で?僕に何か聞きたいことがあって、後をついて来たんでしょ」

「え、えっと」

 一緒に乗り込んだ冬直前の寒風が足元を撫でる。頭が真っ白で、咄嗟に出た言葉は幼稚だった。

「塾、じゃないの?……噂では、毎日学校が終わると家とは違う方向の電車に乗って行くって」

「塾じゃないよ。面倒だからそう答えてるけど」

 苦笑いする横顔が凛々しくて、鈴子の膝裏がくすぐったくなった。

「じゃ、じゃあさ。これも噂だけど、町で随分年上らしき女性と歩いてたって」

「さあ?誰かな。お母さまか……」

「おか……ママのこと?」

「違うけど。……そうか」

 白い頬を緩めた功成が、鈴子を覗き込んだ。

「夏の三者面談の時、つい口から出ちゃったの聞いてたんだ」

 おかしそうに口元に手を当てている。細身でもしっかりした肩が揺れて、喉仏がくっきり浮かぶ。目にかかる長めの前髪が跳ね、鈴子の頬を上気させた。

「じゃあさ、じゃあさ。あの時読んでた文庫本、古代や近代歌集の解説本でしょ。噂だと、家業を継ぐかどうか決めかねてるって誰かが言ってた。おうちを継ぐより、ああいうのに興味あるの?」

「別に。仕方なく読んでるだけ」

「仕方なく?」

「そう。勉強しなきゃなんないみたいでさ。約束させられて」

 他人事のように吐き捨てて、切れ長の目尻がほんの一瞬何かをにらんだ。

「え?誰に?」

 言った途端、激しい後悔に襲われた。明らかな拒絶の空気を浴び、鈴子の膨れた好奇心はぺしゃんとつぶれる。

「あ、ごめ……」

 調子に乗り過ぎた。浮かれて、馬鹿な奴らと同じような質問ばかり繰り返してしまった。整った唇が結ばれたままの横顔から目を逸らし、苦い思いで歯の裏を舐める。

 車窓の外は、流れる景色が闇に染まりつつあった。

「……別に、謝らなくてもいいよ。ま、僕は興味ないんだけどね。歌とか、古代信仰とか、本当にどうでもいいんだ」

「うん」

 線路からの震動に紛れた功成の声音には、冷めた響きがあった。

「でも、確かあの文庫本は、最後の方はおもしろかったかな。古代から江戸までの歌の解説が載っていたんだけど、江戸末期頃の創作歌って言うのかな。都都逸どどいつ、だっけ。あれは結構いいね」

 淡々と歌を読み上げる。

「コイといふ字を分析すれば、いとし、いとしと言ふ心。とか」

 ……昔の恋という字は、糸、言、糸に心と書いた。

 恋という字をほどいて見てみれば、糸し、糸し……愛しい愛しいと言う心、となる。

「いとし、いとしと言ふ心。決して届かぬこの心。みたいな?」

 笑いかけられ、鈴子も無理に笑う。落ち込んだおかげで、ようやく本来の質問を舌に乗せることができた。

「あのね。もうひとつ」

「また噂?」

 半笑いの横顔にかぶりを振ると、大きく上体が傾いてどこかの駅に着いた。

「今日、あたし見たの。休み時間にみんなで番組を観てて、あの時。机の下で指を折ってたでしょ。あれ、あたしも小さい頃にやってたのをちょっと思い出したの。他の人が見えないものを数える時に、周りに隠して指を……それで、あの。もし良かったら、あたしの話も聞いてもらえたら」

 言いかけて、鈴子は口を噤んだ。

「君の話はこれからゆっくり。まずは、僕の話からしよう」

 立ち上がる肩を見て、何も考えずに立つ。吸い寄せられるようについて行き、ホームに降りた。


 さっきから、言われるがまま彼について行くばかりだ。


「ここどこ?」

「あはは。最後の最後に、そんな一番大事な質問?」

 駆け足の闇が迫っている。凍える空気がまぶたに刺さった。

「少し歩くよ。平気?」

 吐く息が白い。

 振り仰ぐと、星のない空の向こうに小高い山の稜線が見えた。黒い輪郭がうっすらと盛り上がっている。

 知らない間に随分遠くへ来たらしい。

 

 その輪郭の方向へと足を向け、功成は語り出した。

 

 長く長く、不思議な、そして少しだけ恐ろしい過去の話だった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ