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59.功成


 やはりあの美少女は、あたしが地味で根暗なブスズ子だからあんな嘘を言ったのだ。

 教室の一番後ろの自分の席に座り、鈴子はため息を吐いて突っ伏した。廊下側の端で、左隣はたらこ唇。そして前は美少女の兄、功成の席だった。


 上目遣いで窺う背中は綺麗に伸びてたくましい。細身なのに肩幅があり、少し長めの髪が首筋にかかっている。周りの男友達に何か言われて、白シャツが楽しそうに波打った。

「な、功成。妹を紹介しろよ、小学生でもあれなら大丈夫」

「小学生だから駄目なんだろ。それに無理だよ、お前には無理。大変な目に遭うよ」

 彼の軽口で人垣がどっと沸いた。

 狂っているなんて言葉はそぐわない、どう見ても健全な男子学生だ。

「今日も塾なのお?ほとんど毎日、夕飯は塾で食べてるんだね。お弁当、鞘子ちゃんが届けてたし」

「うん、まあね」

 粘着質なたらこ唇に答えている。あの女、男子のいないところでは大股を広げて汚い言葉遣いをするくせに、ずいぶんな変わり様だ。

「功成、お前勉強し過ぎ」

「お前はしなさ過ぎ」

 親しげな揶揄が飛び交い、人の輪が彼を中心に広がって行く。自分だけ教室の隅にぽつんと取り残された格好だったが、鈴子にとってはごく普通の光景だった。

 


 あの日、鈴子の体に巻き付いていたヘビが剥がれたあの日、パパとママはおじいちゃんの家を飛び出した。鈴子を連れて新しい土地での生活を始めたのだ。

 鈴子は小学校へ入り、お気楽なパパたちはやっと普通に戻れたと安心したようだったが、現実はそう甘くはない。

 人の噂は思わぬ速さで広がるもので、子供という残酷な生き物にとって鈴子は格好の標的だった。

 幽霊女と罵られる日々が続けば、自然と無口になる。下を向いて過ごすようになれば、中学に入る頃には暗い奴だといじめが始まる。ブスズ子と名付けられてますますうつむき、悪循環を重ねて卒業した。友達もおらず有り余る時間を教科書を読んで過ごしたおかげで、高校は進学校に入れた。

 さすがにここまで来るといじめはなくなったが、二年になった今のクラスメートたちは鈴子を空気のように扱う。

 きっと、鈴子がある日消えても誰も気付きもしないに違いない。

 言い換えれば鈴子は、『憑き物が取れた』後も、パパたちが思ったほどには何も変わらなかったのだ。

「ふん」

 功成の肩に馴れ馴れしく手を置くたらこ唇を横目に、机の目地を見つめる。

 結局どこもかしこも、下等で下品な馬鹿ばかりだ、と鈴子はぼんやり思った。

「きりん様」


 でもあたしはひとりでも平気。ただ、ただ苦しいことはこれだけ。

 きりん様がそばにいないことだ。


「戻って来て。きりん様」

 騒音を耳から追い出してそっと呟く。無意識に出るおまじないには、いつも愛しい面影が伴っていた。

 どんな時でも優しかった。いつも守ってくれた。でも最後の最後まで、その巨大な姿をはっきり見ることはできなかった。記憶の中では、何となく黄色くて何となく茶色の斑点が散らばっていて、首が太くて長くて声が低く深かった。

 薄れ行く思い出にすがるように、鈴子はもう一度小さく言った。

「きりん様」

 その時、目の前の白シャツが唐突に振り向いた。

「!」

 息の止まった鈴子に、功成が目を合わせて来る。

 切れ長のきらめく両目に浮かんだ感情は、鈴子には読み取れなかった。

「どおしたの、功成くん」

 たらこ唇の大げさな仕草に、一瞬何かを言いかける。が、功成はすぐに前へと向き直ってしまった。

「……び、びっくりした」

 まさかおまじないが聞こえたわけではないだろうが、あまりにも急なことに心臓がうるさい。

 こっそりと息を整えている間に、移り気な人の輪は別の話題で盛り上がり始めていた。

「マジだって。この番組のロケ地、あそこの廃墟だってさ」

「ああ、あそこ出るって有名だもんね」

 授業まであと五分あるぜとひとりが声を上げ、黒板横のデッキにスマホを繋ぐ。

 壁掛けテレビが静止画を映す。間もなく流れたのは、ありがちな心霊番組の録画だった。

「な、あそこだろ。場所も名前も隠されてるけど、実際行った奴が間違いねえって」

 そこそこ有名なタレントが夜闇を歩き、大げさに怖がる素振りでカメラが上下する。次に映し出されたのは、取り壊し途中のような大きなコンクリートの建物だ。

「ほんとだ。あたしも知ってるよ、ここ。この廃屋、もともとは呪われた学校だったって話でしょ?」

「え?俺は呪われたホテルで廃業のままほったらかしって聞いたけど」

 出歩かない鈴子は見たこともないが、結構知られている場所らしい。ただ、情報はかなり曖昧なようだ。「呪われた」と冠がつく噂話は大抵が尾ひれの広がり切ったものに他ならない。

 しかし月夜に沈む廃墟は、映像とは言え確かに不気味に見えた。

 いつのまにか、クラス全員がテレビを見守っている。その一番後ろから、鈴子も小さな画面を眺めた。

「やだあ、怖いよ」

「季節外れの肝試しだな、功成」

「そうだね」

 気軽く頷いた彼に、たらこ唇が笑う。

「なんか意外。功成くん、こういうのくだらないってあんまり乗らなさそうなのに」

「そんなことないよ」

 小さく笑う功成の背中に、鈴子も意外だと感じた。

 同時に、微かに落胆もする。彼ならきっと、自分と同じようにくだらないと嘲ってくれると思っていた。

 聞こえないようにそっとため息を吐いた鈴子をよそに、番組は進行して行く。カメラは三階建ての廃墟の崩れかかった窓を次々に映した。同時に、低いナレーションが入る。

『噂によるとこの建物は、十数年前に火事で大勢の人々が亡くなったと言う。……この映像を後に有名な霊媒師に見てもらったところ、何と霊が映っていることが発覚した。みなさんは、見えるだろうか……火の手から逃げ遅れ、恐怖の館に閉じ込められた、怨念渦巻く霊が……窓に映る悲しげな霊が……数十体の浮かばれない霊が』

「ええ、見えないよ?」

「数十体だってよ。全然見えねえじゃん」

 好き勝手に騒ぐ声の後ろから、鈴子も画面を凝視する。

 もちろん、見えないことは分かっていた。

「……」

 くだらない。……本当にくだらない。

 鈴子は目を落とす。

 その時、不思議なものを見た。

 功成が机の下で指を折っている。

「……」

 顔は正面に向けたまま、両の手の長く綺麗な指が動く。

 真後ろの鈴子にしか見えない角度でそれは続いた。


 いち、に、さん……五、六、七。


 指は七を数えたところで止まる。教師が入って来て慌ててテレビが消された。

 どうしてか胸が騒ぐ。ガタガタと椅子が鳴る室内で、鈴子はいつまでも功成の指を見つめていた。




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