46.終わりの日4
明かりを消してベッドに入った。
布団を鼻まで上げる。目を閉じ、深呼吸をした。
耳元でカサッと音がした。
「……」
いつもはこの辺で睡魔の波に飲まれてしまう。しかし今夜は六畳一間の窓を全開にしてあり、吹き込む優しい風が意識を保ってくれた。
窓のカーテンレールに結ばれているのは、黒い布だ。
黒い布は世界を隔てる。
布があれば侵入者を許さないし、布を結ぶと彼らは行き来ができなくなる。そして、布は「ここはあなたのいるところではない」と示しを送る役割もしてくれる。
沙貴も今までの経験で何となく気付いていた仕組みだが、功成もそれこそ「何となく」考え付いていたらしい。
窓を開け出口を作ってやる。そして窓に布を結べば、その布を嫌がって部屋を出て行くだろうとの功成の案だった。
準備を整えた先ほど、スマホで窓の写真を撮って送った。「いいんじゃないの、それで」とかなりいい加減な返信があり、まだ少し機嫌を損ねているような彼の態度にむっとした。
「まあ妥当な方法だとは思うけど……失敗したらどうしてくれよう」
気付けば、ひやりとした空気が部屋中に溜まっている。耳を澄ますと、暗闇に何かが動いているのが分かった。
布を手首に巻いていないので、目を凝らしてももちろん見えない。が、闇の底でしきりにもぞもぞする気配は窺えた。
再び目を閉じる。
静かな時間が流れていた。それはしばらく沙貴の横たわるベッドの周りを巡っていた。そして一旦音が途切れる。
カサッ、カサリ……移動した。タン、タンタン、タ……とベッドの足元辺りへ行き、不規則な足音を残して壁へ。
「……」
ぺタ、ペタリ、ペタリ。
時折混じる「ずずっ」という床擦れは、足を引きずる響きであろうか。
「よし……窓際に行った」
神経を研ぎ澄まし、それが大きく開いた窓へ向かっているのを確信した。
床から五十センチほどの高さにある窓カーテンが止まる。風が凪いだ。
ぺタ、ずずっ……ペタリ、ずっ……
ずるり。
「……。出て行かないじゃない」
止めていた息を吐いた。沙貴はのろのろと起き上がる。
不可思議な足音は、再びベッドの方向へと戻り始めていた。
「……コウのやつ。嘘つきめ」
気配が徐々に近付いて来る。途切れ途切れに動き、静かになり、また動き、そしてまた何も聞こえなくなった。
「一体何なの、こいつは」
髪をかき上げてため息をついた時、枕元のスマホが鳴った。
「……はい。夜更かしの嘘吐きが何の用?」
「あれ。上手くいってないの?」
与えられている自分の部屋からなのか、電話から聞こえるささやきはわずかに低音だった。
「いってない。って言うか、これ本当に効く方法なの?」
壁の時計に目を眇めてあくびを飲み込む。と、ごく近くで「ずずっ」と床が鳴った。
「……大変そうだね」
笑いを堪えたような、からかうような声音が耳をくすぐる。沙貴は指で電話口を弾いた。
「聞こえるの?さすがね」
「……そりゃあ。もちろん、そん」
その時だった。
「あっ、待ってちょっと」
慌てて会話を制し、沙貴は全身を固めた。
「……」
「沙貴ちゃん?」
「しっ」
壁掛け時計の秒針だけが音を刻む。
何かが、何かがゆっくり、ゆっくりとベッドの端に上がって来て、沙貴の足先に掛かる布団の上を、ずるりずるりと渡って行く。
這って行く。
「……っ!」
沙貴は目を見張った。
「分かった……」
「何?沙貴ちゃん?」
訝しげな功成の声に矢継ぎ早に言った。
「分かったの!とりあえず電話切るから!」
「沙貴ちゃん?」
「また後で!早く寝なさいっ」
捨て台詞で携帯を放り、沙貴は布団を跳ね上げた。
暗闇の中を風呂場へと走って、手探りで洗面器を掴む。
窓際にとって返すと、その洗面器を引っくり返して窓の下へ置いた。
「分かった。……やっと分かった」
足の上を越えて行った何か。その動き。
「四つん這いなのね?」
静かで緩やかな時間の中で、再びそれがゆっくり近付いて来る。
それはもぞもぞと止まり、また動き、気配だけを震動させてやって来て、洗面器の上に乗る。そして、
「……赤ん坊、だったのね?」
洗面器で作られた踏み台がきしんだ。
さっきは越えられなかった窓枠によじ登る。
それは沙貴の目の前で、ようやく手が届いた枠に足をかけ、ようやく窓を跨いで、そしてベランダへと消えた。




