42.もうひとつの言霊5(いつかの日)
もうひとつの言霊5
大丈夫、絶対に、とささやくと青年はやっと小さく笑んだ。
そして手拭いの片割れを握り締め、「もういく。おひるね終わるから」とどこか気の抜けた声で言う。
「ちょっと待って。いまおばちゃんが、帰り道に付き添ってくれるおまわりさんを呼ぶから」
ごく幼い子どものように跳ねて立ち上がる背中に、慌てて携帯を取り出す。
「ありがと、おばちゃん」
フリップを開けた瞬間に顔を上げると、すらりとした背筋はすでに真咲の家先の角を曲がっていた。
驚いて走り、角の先を覗く。
「……やっぱり、大人の男の足ね」
何とも速い足だったらしく、その姿はもう無い。
心配の念が残り、道の先をしばらく眺めていると、後ろから弾んだ声が近付いて来た。
「母さん。ただいま、何やってんの。今日バイト先でね、余った肉もらったの。安物だけど」
「……ビーフシチューは勘弁して」
掃除も洗濯もきちんと教えたのに、この娘は料理だけは不得意だ。まあ、自分が不得意だから責めようがないけれどと真咲は振り返る。
あの足取りなら、きっと彼は大丈夫だろう。
「あんたのシチューは肉が硬いのよ」
「母さんのもね。で、何してたの」
「別に何も。髪、風に乱れてぐしゃぐしゃね」
娘は二年後、大学を受験すると言う。学びたい学科があるのだそうだ。
「ったく。学問なんて私には分からないわ。卒業だけはしなさいよ」
家の押入れの大部分を占める、埃を被った古文書たち。捨てられなかったせいで娘は同じ道を進み、結局は生活のところどころに思い出の片鱗が鎮座している。
記憶の断片は血のように滲み、少しだけ痛いのだけれど。
「……あ、そうだわ。さっき携帯に突然かけて来て。明日、人がひとり訪ねて来るわよ」
「だれ?」
「あんたは初めて会う人。昔は泣き虫だった、女の人よ」
これを、彼女は幸せと言うだろうか。
あの時のようにきっぱりと強く言ってくれればいいと、真咲は考えて笑った。
ここだけ短くてごめんなさい。
20時頃もう1本更新します。
そこから本編に合流です!




