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35.無償の人

少し時を遡って、20話と21話の間くらいの頃のお話です。

沙貴と功成の日常。

特に複雑な部分はないので、そのまま読み進めて

いただけます。


 長い話を語り終えた。

 

 途端に、厳しい声が飛ぶ。

「だからそれが何ですの。大変でしたわねとでも言って欲しいのかしら」

「老教授がどうとか冷蔵庫がどうとか。結局はうちの娘が、偽者だとでも言いたいのか」

 交互にまくし立てられ、沙貴はため息を吐いた。膝に乗った功成がわざとらしく両耳を覆う。

 それを見て一気に体温が上がったらしく、中年の男女は爆発した。

「ご自分達だけが特別で、わたくしの娘が特別なことは気に入らないと!?結構です、こちらは別に、あなた方に話したいことなんてございませんから!」

「自分の娘の力を信じて何が悪い!わたしは娘を心から愛している、そして愛する娘の力を受け入れ大切に磨こうとすることの何が悪いんだ!」

 男の拳がテーブルを叩く。激しい音がして、男女に挟まれた小さな頭がびくりと揺れた。

「……分かりました。分かりましたから、ちょっと静かに。びっくりしてるじゃないですか」

 沙貴が両人の間を指すと、二人ははっとそれを見遣る。そしてわずかに決まり悪げな顔をした。


「大丈夫?愛ちゃん」

 功成の頭頂部に顎を乗せ、静かに尋ねる。

 しかし縮んだ幼い首は、下を向いたまま動かなかった。

「ほら、愛。ママいつも言ってるでしょう。初対面の人にも堂々と接しなさいって。あなたは何も恥じること無いのよ」

 左側から愛おしそうに頭を撫でられ、少女の体はさらに縮こまる。

「愛、きちんと背を伸ばすんだ。パパがついているぞ。お前はこれから、救世主にもなれるんだ。尊い力の持ち主なんだぞ」

 右側から優しくも力強い叱咤が飛ぶと、少女はうつむいたまま、とうとう石のように固まってしまった。

「うーん……」

 困り果てた沙貴は無意識に腰を引こうとして、動かない椅子に舌打ちする。

 代わりとばかりに膝の功成を揺すった。

「あっち。にがい」

「ちょっと、コーヒーこぼさないでよ。染みになるじゃない」

「沙貴ちゃんが揺さぶったからじゃないか」

「それにそれ私のコーヒー」

 文句を言うと、功成は堪え切れないように笑った。

 

 古い小さな喫茶店には、相変わらず客がいない。

 哲也と会った日以来の入店だったが、寂れた雰囲気は変わってなかった。

 

 あの時は春の雨が降っていた。今はガラス窓一面、清々しい秋の青空だ。

 しかし違うのは天気と動かない椅子だけで、半年という年月は感じられない。

「ああ。絶好のバイト日和なのに」

「あれ、沙貴ちゃんバイトまたクビになったんじゃなかったっけ?」

 膝に座らされた功成は、何故か上機嫌ではしゃいでいる。

「……半年経っても変わらずの生意気なガキめ。それに重い」

 邪険に頭を小突いて、沙貴はその重みを抱え直した。

 

 小さな頃は、もっと華奢でもっと軽かった。

 細い体を抱き上げ、火葬場の階段から飛び降りるも出来た。

 

 覚えているかと尋ねるのも迷うほど、どんどん大きくなって行く。

 店も大人も変わらないけれど、子どもは思わぬ速度で変わってしまうのだ。

 沙貴は哀れなほど身を縮める少女を見遣って、小さく息を吐いた。


「何をのん気に馬鹿話をしているんだ。これ以上話がないなら失礼する。娘は特殊な能力のせいで、そこら辺の子らとは扱いが異なってね。あまり汚染された外気に触れさせたくない」

 騒々しい男だ。椅子を鳴らし立ち上がろうとしてそれが出来ず、苛々とテーブルを揺らした。

 沙貴は慌てる。

「分かりましたって。……じゃあ、まず、えっと、お父さん。お父さんに少し話をしましょう」

 男がしぶしぶ席に着くと、あえて冷たく告げた。

「……愛ちゃん、この子、見える人じゃありませんよ」

「なっ」

 油の浮いた顔は、急速に真っ赤になる。

 沙貴は唇を舐めた。

「さっきの長い話の中にあったでしょう。愛ちゃんの体には、マフラーみたいなヘビ……じゃなくて、長く長く伸びた人間が巻きついているだけです。それももう、透けてほとんど機能しなくなってるみたい」

「何を馬鹿な……」

 足で床を蹴り、拳を震わす男の横から、間髪入れず金切り声が上がった。

「あ、あなた、何をおっしゃってるの!?」

 乗り出した女は、少女をかばうように体を傾けた。

「あなたがなぜ急にわけの分からないこと言い出したか存じませんけどね、愛を侮辱することだけは許しませんわっ」

「お母さんはちょっと、黙ってて……」

「黙りませんわ!いいですこと、愛は、いえ、特別な我が娘は、他の子とは違ってデリケートですの。尊い力が強過ぎてよく寝込むし、体も弱い。あなたのような口汚い人間のせいで、愛が倒れでもしたら。これ以上愚弄するなら……」

「だから」

 強く遮って、沙貴は肩をすくめた。

「あなたがそういうことを言い続けているから、愛ちゃんはこうなっているんでしょう」

「何て失礼な……っ」

 女は顎を引いて青筋を立てた。


 怒りのあまり二の句が継げなくなったらしい両者を置いて、沙貴は声音を改める。

「……大丈夫?愛ちゃん」

 名を呼ばれた少女は、かたくなにうつむいたままだ。沙貴はゆっくりと優しく続けた。

「今言った通りよ。愛ちゃん、もう少しで終わるから。全部変わるから。あと数日とか……そのくらいかなあ。ヘビの抜け殻、ひびが入ってもう落ちる寸前だからね」

 そして思いを込める。

「辛かったね」

「……」

 少女の骨ばった首がそろりと上がった。

 初めてまともに見えたその幼い顔が、沙貴の言葉を奪う。


「……愛ちゃん」

 年齢は五歳と聞いていた。しかし、この両目を覆う暗く濁った色はどうだ。

 頬はこけ、窪んだ眼球の黒目だけが落ち着き無くきょときょとしている。痩せ過ぎた顎と大きなクマ、睡眠すらまともに摂れていないのだろう。

 感情を一切失った表情に真っ青な唇ばかりが目立つ。

 あまりの痛々しさに目眩がした。


この「無償の人」と次の「もうひとつの言霊」は

本編から少し外れます。

後ほど合流する本編につながる内容ですので、

のんびり読んでいただけると嬉しいです。

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