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3.影1(火葬場にて)

 火葬場は、昨夜の控室とは違い明るくきらびやかだ。


 昨晩のことを思い出していた沙貴は、無意識に目を擦った。あくびが止まらない。

 シャワーを浴びても仮眠をとっても、やはり眠気は襲ってくる。

 

 実のところ仮眠もまともに出来なかった。色々考えすぎたせいだ。


「まったく。栄美子の長話にも呆れるわ。沙貴ちゃんごめんねえ」

 自分の可愛い孫である功成の話とは言え、一晩中なんてと叔母は頭を下げてくる。


「大丈夫。でもどうして栄美子さんはそんなに元気なの」

「うふふ。世界中の母親の特技よ」

 おどける従姉妹は喪服姿で笑った。

 その膝には功成が座っている。彼も眠いのか少し不機嫌そうだ。

 

 ソファに深く沈んで全身を預けていると、睡魔のささやきに飲まれそうになる。

 叔母と栄美子から大学や日常生活のことを問われ、沙貴は曖昧に返事をした。

 何しろ大学もひとり暮しも始まりの目まぐるしさに追われているうちに夏期休暇となり、答えようにも中身が無い。気付いたら街路樹の蝉がうるさかった、という有様だ。

 葬儀中、何度もつねったせいで赤くなった手の甲を擦る。

 

「コウちゃん。ちょっと遊ぶ?」

 眠気を払うつもりで話しかけると、先程から黙りこくっていた功成は小さく頷いた。


「悪いわ。いいから休んでて」


「このままだとほんとに寝ちゃうから。お骨上げに寝惚け眼で行ったら、後で母さんに殴られちゃう」

 栄美子の膝からぴょんと飛び降りた功成を支え、沙貴はおどける。


「そう。じゃ、ちょっと控え室に顔出してくるわね。すぐ戻ってくるから。ごめんね」

 と言い置いて、叔母と栄美子はロビーの奥へと連れ立って行った。

 

 それを見送り、沙貴は小さな頭を見下ろした。


「……コウちゃん。何でさっきから、階段の方を気にしてるの」

 功成の正面にいた沙貴は、先程から彼がやけにちらちらと視線を泳がせているのに気付いていた。


 毛足の長い絨毯を敷き詰めた、広いロビーの壁際。同じく朱い絨毯で包まれた、二階へと続く巨大な階段を、彼はしきりに窺っていたのだ。

 

 階段で遊びたいのかな、と思った。

 それを我慢しているのだろう、とも。


「出棺の時は、騒いでママに叱られちゃったもんね。いいよ、今なら。庭で遊ぼうか、気持ち良さそう」


 沙貴は階段とは反対側の、ガラス張りの窓を指した。

 初夏の日差しが当たる芝生が見えて、眩しさが心地よい。少し暑いかもしれないが、木陰に入れば大丈夫だろう。

 ロビーには少ないとは言え他に談笑している人々もいて、沙貴は何気なく柔らかな手を引いた。


「ううん。階段行く」

 

 それを思いのほか強い力で引き返し、まだ高音の、小鳥の囀りのような声が届く。そのまま階段の方へ引っ張られ、沙貴は周囲の目を気にした。


「コウちゃん。二階には何にもないよ。ここと同じく、休憩の部屋が並んでいるだけだよ」

 親族控え室は、一階と二階に振り分けられている。今日は火葬場の使用が少ない日柄らしく……つまり葬儀の少ない日らしく、それぞれの親族達は全て一階の控え室に集められていた。


「誰も使ってない二階で走りまわったりしたら、怒られちゃうよ」

 やはり子供は難しいな、と困惑する。何とかして留まらせようと言い募るのを無視して、功成は階段を一歩上がった。

 

 そしてそのまま、ずんずんと上って行く。


「……コウちゃん?」

 そのつないだ手がひどく濡れているのに気付いたのは、途中の踊り場も過ぎた頃だ。


「暑いの、コウちゃん。こんなに汗を」

 と顔を覗き込み、沙貴は口を閉じる。

 

 細い目をしっかと開き、功成は歯を食いしばっていた。


「具合悪いの、ねえ」

 狭い額の際に、産毛が光っている。溶けた餅のような白い頬に、栄美子似の丸く潰れた鼻に、絨毯と同じ色の赤みが差していた。

  

 様子がおかしい。

 

 沙貴はふと、昨夜の栄美子の話を思い出した。

 

 功成は、時々、何もない部屋の隅に向かって、舌を出し、小さな拳を振り回す。あっち行け、と幼くも激しい口調でかんしゃくを起こす。そんな時はいつも、大量の汗をかく、と。

 

 お客さんが来るよと言うと、不意の訪問が必ずある。

 

 嫌なやつが怒っているからお外は行かないと言われた日は、庭を確認するようにしている。なぜか、そこだけ台風が通過したかのように、植木の枝が何本も折れているから。

 

 見たことのない祖父の顔かたちを、この子は正確に言ってのけるから――。


「…コウちゃん。ねえ、コウちゃん」

残り少なくなった階段を上らされ、沙貴は焦った。


 空調の効いた建物内で、異様に首筋が冷たい。自分でも何故だか全く分からない。

 

 どうしてこんなに焦るのだ。何故、私は、唐突に、こんなに胸を騒がせているの……。


「コウちゃん、コウ。ね、コウ。想像よね。想像の中で怖い化け物に、べーってしてるんだよね。そうでしょう。玄関の靴、コウが散らかしているんだよね。ママに構って欲しいから。お外行かないのも、風で枝が折れているのを知っていて言ってるんでしょ?コウ。おじいちゃんの顔、誰かに写真、見せてもらったんでしょ。ね、コウ」


「…沙貴ちゃん」

  

 下からの功成の声に、はっと顔を上げた。

 いつのまにか、階段を昇り終えていた。

 目の前には広大な白い廊下が迫っていた。


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