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160.空蝉17 あなたに夢中



 憤怒の波はゆいなの腹の筋肉を奮い立たせた。


 首の後ろがざわざわして産毛が逆立つ。目が血走る。激情で口が裂けるかと思った。ベッドから降りて立ち上がるとどこからか風が吹き、乱れた黒髪を舞い上がらせた。

 ひっ、と短くこぼして、唯奈が後退る。


「さあ我が娘。言いなさいな」

 敢然と前を向き、唯奈に目を据えたまま、ゆいなは言い放つ。


 娘はずっと痙攣していた。ベッドの端で、小刻みに揺れる腕を伸ばして来る。

 あ、あ、でも、でも。わたしは、でも。でも、鬼、わたしは鬼でしょうか。鬼に、わたしは鬼になってしまう、鬼に、わたしは……



「ばかね。誇らしい娘よ」

 ゆいなは怒りでぎらぎらしたまま優しく笑った。



「いま鬼にならずいつになる」



 しつこいヘビどもめ。

 しつこく悪辣で悪意の塊、しつこい呪いめ。

 こんなことであたしが屈するとでも思ったか、ばかめ。



「……っ」

 娘は顔を両手で覆った。そして言った。




 助けて。

 お母さあん。




「任せて!」





 一瞬だけ輝く煌めきのつながり。弱った視力で確認できたのは奇跡か必然なのか。日差しに反射する光がきらりきらりと列をなし、うっすらと長く続いている。ヘビはここだ、こいつだ、例え鱗だけの能力でも、あたしが見逃すと思うか。

 若く瑞々しい体に巻き付いたヘビは、両手でがしっと掴むとびちびちと跳ねた。

「離さない離すわけない、地獄まで一直線だ。覚悟」

 ばっと目の前が赤く染まる。

 指の股が裂けて血が噴き出したのだ。しかしわずかも後退せず、さらに力を込める。骨ばかり浮く衰弱した自分の膝が震えたが、歯を食いしばってもっと前に踏み込んだ。

「今度こそ、鱗ひとつ残さず剥がして奪ってやる」

 祖母は、最強のイタコで最後の巫女と言われた祖母は、三匹ものヘビを背負ってあたしに向かって来たのだ。それに比べてあたしは鱗とヘビひとつ。負けるわけにはいかない。

「それに、」


 呪い?

 呪いがなに。呪いがなによ。


 母が祖母が、その母が、そのまた母が、つないでくれたこの命。悪意に巻かれ、人からは蔑まれ、社会から誹りを受けて隠れて生きて来たあたしたち。

 呪いを怖がると思った?

 呪いに怯えて逃げ続けているとでも思った?浅はかな。

 誰ひとりとして、怖がってなんぞいない。


 この一族誰ひとりとして!

 逃げたものなどいなかった!


「呪いなんぞ、怖くも痛くもなんともない!」

 呪いを正面から受け止めて、最期まで生きた。この誇り高き一族は最期まで戦うことしかよしとしない。


 我らの長きにわたる戦いを、一歩も退かぬ戦いを

「見たかヘビどもおおおおおお」

 

 呪いなんて、呪いなんて


「おおおおおおあああ……ああああ」」

 舌の付け根が切れて血が溢れた。頭部分を剥がしたヘビは、大きくくねってゆいなの首を絞めた。

 残り半分、長い下半身がいまだ唯奈の体に残っている。どこかの血管が切れたのか、耳からも血が流れ出した。

「しつこい、諦めろ、こちらは、絶対に、離しは、しない」

 首から鎖骨をヘビが締め付ける。肩の骨が砕ける音がした。例え四肢がなくなっても、噛み千切って剥がしてみせよう。


 渾身の力がかけ声になる。

 えいやっ。


 気合一閃、尾の先まで剥がされたヘビは一瞬で弾けた。ような感覚の直後、全身に巻き付いた。呼吸ができないほどの強さで締められる。

 視界が真っ黒になった。






 おかあさあん。お母さあん。

 はい、なあに。

 なあに、我が娘。お母さんはここよ。

 お母さあああん。

 はいはい。はあい。なあに。どうしたの、ここにいますよ。

 愛しい娘。


 お、ばあ、ちゃん。おばあ、ちゃん?

 はいはい。あらあら可愛い可愛い子。泣く顔も可愛い、笑ったら天にも昇るほどに可愛いでしょうねえ。

 気をつけるのよ、世の中には悪い奴も卑しい奴もたくさんいるからねえ。弱くても約束を果たしてくれるような人がいればいいけど、いいえいいえ、もっと強い相手がいいわ。この子にはもっと強くて何があっても守ってくれるような人がいいわね、うーん、どんな相手がいいかしら心配だわ娘は泣き虫だしここは婆のあたしが探してあげなきゃ心配だもの強くて優しくてできればお金持ちがいいわね力もあって心根のまっすぐな男がいいわ例え彼女がいても大丈夫この子は可愛いもの!顔も体も魅力的で相手もすぐに夢中になるわ!よしよし婆が探してあげるからね大丈夫よ婆が探してくるからね!心配で心配でもうもうどうしようもないくらい、


「……ああ。可愛い」


 ただの愛のかたまりだもの。

 愛だけ溢れた美しいいれもの。



 大丈夫、痛くも怖くもなんともない。


「……」



 なぜ剥奪の力が生まれたのだろうね。

 きっと、代々の戦って果てた女たちの願いが重なって生まれたのだろうね。


 命より大事な子どもの、孫の、ヘビを奪ってしまえたらいいなあ。

 

 って。ずっとみんな願って来たんだろうね。だから剥奪が生まれたんだろうね。



 あなたのヘビを絶対に奪ってやる。覚悟しろ。安心して、信じていろ。


 それは剥奪。

 それは愛を貫く能力。


 

 愛を貫けますように。愛を貫けますように。苦しくても痛くても衰え弱り動けなくなっても、愛を貫けますように。剥がして奪って、欠片も残らず業火の海へと叩き落としてやれますように。

 

 愛を、貫けますように。



 お母さああん

 おばあちゃああん

 はいはい。はあい。

 大丈夫よ、娘。大丈夫よ、可愛い子。






 呪いなんて、愛に敵うわけがないのだからね。



 愛に勝るものなんて、この世のどこにもないのだからね。







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