家出成功
時間にすれば三時か四時。この時間に起きるのは田舎のジジババぐらい。皆、農作業を始めるだろう。我がストロル家にも、畑はある。しかし誰も、この時間は起きてこない。
我が家での早起きはクリミアさんかカイさんのどちらか。グリッドとアリスよりも早く起きている。その二人は一緒に寝ているので、起きてくるのは同じ時間だ。
「ふはぁあ」
睡眠時間はいつもと同じだ。寝るのを早くしたから起きるのが早くても、睡眠時間に関しては問題ないはず。
でもあくびが出てしまった。
窓の外はまだ暗さがある。太陽の昇り始めは空を青ではなく白にしていた。
小鳥のさえずりを聞きつつ、俺は布団を綺麗に畳みリュックを背負って部屋を出た。
「……」
ごくり。
いつもなら気にならない些細な物音に敏感になってしまう。
そっと扉を閉め、床の軋む音に細心の注意で忍び足。階段を降りる。
誰にも遭遇することはなかった。玄関を開け、身を滑らせ、
「ふぅ」
と一息ついて額を拭ったところで、
「それでどこに行くんだ」
肩が跳ねた。
バッとふり返れば、玄関のとなり。壁を背に腕を組むアイザがいる。
彼女は平然としていた。俺の何も言えないアホ面にきょとんとして、言う。
「どこに行くか、考えてるんだろ?」
まさか考えてないわけないよな、と言外に込められている気がしている。
ここで、なんでいるの、とか下手なことを言って刺激してはいけない。俺はそう直感した。彼女の機嫌を損ねれば、告げ口される危険性もある。
というかいつ行くか言ってなかったのに。なんでいるんだよ。実は一時間ぐらい待機してた? ずっと待ってたの? 俺のこと好きすぎない?
「まあ、考えてるけど」
歩き出す。
アイザは俺のあとを追いかけてきた。
「どこだ」
「……バイル王都?」
「ほう。まあ、妥当だな」
そうだろう。
近場の街となると、それぐらいしかないからな。
「足はどうする」
アイザは何も、いま歩いている足の意味で訊いているのではない。
その王都まで、何で行くと訊いてきている。これまた歩くわけがないよな? と目が言っていた。
「馬車に乗る」
「馬車?」
「運転はできないし、馬車も持ってないからね」
「それぐらいわかる」
念のためだ。
「だがこんな時間に馬車なんか通るのか?」
俺もあれから少し考えた。アイザも本当にわかっていなくて聞いているのではなく、俺を試しているのだ。
ここの発言での馬車とは、向こうの世界でいうタクシー、バスを指している。
バイル王都から他の街へ人を運ぶ職業があるようだ。その間、近場の村に寄り、人を拾ったり休憩をしたりするらしい。家の窓から観察していれば、大体どの時間に通るのかはわかる。
大多数が寝静まっている早朝は、馬車も通らない。
「通らないよ」
首を傾げるアイザに、俺は続けた。
「だからお願いするの」
首を傾げるだけではなく、眉までしかめてしまった。
「じゃあ、銀貨一枚でいいですか」
「ああ、いいぞ」
ジジババが農作業に勤しむのはあと、最低でも一時間は必要だ。
しかし、村の中央大通りには人がそれなりにいた。人の数と同程度には、馬車も止まっていた。俺はその中から適当に声を掛け、名も知らぬおっさんとの交渉に成功した。
グリッドからお小遣いは渡されたが、使い道もなく使ったことがない。そのため銀貨一枚がどのくらいの価値なのか、相場も何もわからない。それでもいい。
俺がおっさんの手に銀貨を落とすと、その上からさらに一枚銀貨が落ちた。
「あと五分ぐらいで出発する。休憩はない。ションベンとかは先に済ませとけ」
荷台に乗った。
「なるほどな。王都に出稼ぎに行く奴らに乗せてもらうのか」
そういうことだった。
「考えたな」
頭を撫でられるでもなく、左右に強く揺さぶられた。上出来だ、って感じ。手櫛でヘアスタイルを整える。
馬車でもノーザン村からバイル王都にまでは二時間程度掛かると言われている。
学校や仕事で家を出始めるのが七時とかその辺だから、彼ら出稼ぎ組は向こうに六時までに到着したい。つまり、ここを出るのは三時四時のいまになるのだ。
……そういうことではあるのだが、なぜ、このアイザという女は家出を止めることも説得することもなく、銀貨を払って一緒に馬車に乗っているのか。
昨日のあれは猶予を伸ばすだけの口八丁だと思っていたのだが。
「アイザも王都に用があるの?」
「ん? ない」
「じゃあなんで……」
「私はお前の師匠だからな。弟子を守るのがいまのところ、私の仕事だ」
わけわかめ。本当にそれだけか? 怪しい……。
「グリっ…………でも雇い主は父さんでしょ? 家出なんかするな! とか、力尽くでも止めて、父さんの前に突き出すんじゃない?」
「そうして欲しいのか」
「いやっ、……して欲しくは、ないけど……」
「じゃあラッキー、ぐらいに思っとけよ」
このやり取りは昨日やった。俺が何を言いたいのかわかっていないはずもないのに、この人は惚けている。もどかしい。
本当に師匠だから、弟子だから。どこでも魔法は教えられるから。という理由だけだろうか。そんなわけがない。……まあ、普通に考えて、監視役だろうな。やっぱりアイザ、グリッドに言ったんだろうな。
「はぁ」
俺が家出することを知っても、グリッドは止めに来なかった。
アイザが何を考えているのかも全くわからない。
最強は普通の人とは違う。常人の物差しでは測れないのだろう。
まあ、そもそも人を理解するにはまだまだ時間が足りないとは思うけど。
馬車は動き出した。急な発進にバランスを崩す。座り心地はとてもいいとは言えない。座席なんかないし、硬い板だし、背もたれもないし、種類の多い果物の香りが混ざり合って気持ち悪いし。
となりにふかふかそうな太ももがある。弾力のあるおっぱいまで! 振動で倒れたふりして、枕にさせてもらおうか。そう過ぎったけど、彼女の逆鱗に触れていまからでも連れ戻される可能性は0ではない。
命拾いしたな、けっ。
「お前も、グリッドも、どっちも間違ってない。どっちも正しい。だけど世の中、正しければ上手くいくとは決まっていない。正しいからこそ、衝突するんだ」
「なんかそれっぽいことを言っている。大人だ」
「茶化すな」
デコピンされた。アイザは足を組み直す。もう一回やってほしい。
「お前はお前が正しいと思うことをすればいい。何かあっても私がいる」
……なるほど。
俺には八千人の部下がいる! ならぬ、俺には最強の師匠がいる! か。
誰も手出しできないだろう。この監視を逆に利用してやろう。ふっふっふっ。
バイル王都に着いた。その頃にはもう、空は青かった。
門を潜るとそこは、王都と言うだけあって栄えていた。
遠くからもわかる高い城壁に囲まれた街並みは全体的に白い。舗装された道や建物は見る限り大半が石造建築だ。木造はたまにぐらいで、目立つ。
おっさんに礼を言い、俺たちは降りた。
「さて、どうするんだ」
「どうするか」
「……何も考えてないんだな」
「それを旅とも言う」
「言わないな」
行き当たりばったりで楽しむのが旅だろう。
無計画という計画だ。
「まっ、まずは宿の確保だな。行くぞ」
ふむ、つまりそういうことだ。
無計画だったからこそ、いまこうしてアイザは一緒にいる。無計画だったからこそ、まずは宿の確保だと知れた。
家出は順調だ。
宿を取った。部屋で作戦会議となる。
「それで、お前はどうしたい」
今後の方針を改めて訊かれる。今回はすこしテイストが違った。
どうするのか、ではなくどうしたいのか。俺が、何をしたいのか。
腕を組み、唸る。質問が変わってもけっきょく、俺の答えは変わらないのだ。
というか、そもそも家出をした時点で俺がどうしたいかは達成している。この人生は誰にも縛られず、強制されたくない。好きに生きたい。だから、あの家族という不便な繋がりを家出という行為で切ることができたので、クリアしているのだ。
「自由に生きたい」
まあ、こんな六歳七歳のガキに何ができるのかわからない、というのもあるけど。
虚を突かれたように目を丸くしたアイザは何度か瞬きをする。
「王都なら大抵のことはできる。いま、お前が取れる選択肢は大きく分けて三つだ」
「三つ」
意外と多い。
「一つ、冒険者になる。
家を出た奴とか、親がいない奴とかの中で、選ばれる選択肢だな。利点は実力が全てってところだ。年齢なんて関係ない。どれだけ強いかが全てだ」
いちおう、本で読んでいるから知識はある。
ダンジョンや秘境の攻略をしたり、村民の手に負えない魔物魔獣の討伐をしたり、護衛や人捜しをしたりと、多岐にわたる。言ってしまえば便利屋だ。
「二つ、学園に行く」
「……行けるの?」
俺はまだ6歳だが、今年7歳の年だ。あと一、二ヶ月もすれば、誕生日になる。7歳は小学一年生の年齢だ。こっちでも同じで、初等部への入学は7歳から。
アイラは6歳の年から王都へ行き来していたが、俺は無かった。
そもそもお受験もしていない。同級生たちはすでに学校へ行っているだろうし。
「行けないこともないだろ。たしか、編入試験ってのがあったはずだ。バイル王都が適用されてるかは知らないが……どうにかなる。いやする」
怖い。穏便な手段でお願いしますよ?
「初等部への利点は、他者を知れることだな。お前は私以外の魔術師を知らないだろ」
まあ、確かに。
アリスがグリッドやアイラ、サイラの傷を治してるところは見たことがあるけど、魔術師って感じではなかった。魔法が使えるってだけで。
「剣を振れる奴だって知らないはずだ。グリッド以外に」
窓から剣の鍛錬をしている集団を見たことはあるけど、あれは遠いしノーカウントか。
「あの変なやつは?」
「戦ってないだろ」
「っすよね」
背中を向けて尻尾を巻いて逃げただけで、知っているとは言えない。
「そもそもお前、友達いないしな」
「いったぁ。いっ、いったぁ」
よくこぉんなキュートな子どもの心を抉るような発言ができたものだ。
「それ、けっこう致命的だからな」
「……ぐっ」
友達がいない、つまり人間性に問題あり、とでも言いたいのか?
「いちおう、カーレという子がいました」
「あ、そうだ。渡し損ねてた」
一枚の絵をもらった。カーレの描いた絵だろう。上手だ。
俺が日頃からいかに、指導という言葉に隠れて暴力を受けているかが一目でわかる。いざとなったらこれを証拠として提出しよう。
「他者を知る。他者の力量を知る。それで初めて、自分を知ることができる。自分の力量を、自分がどの辺りにいるのかを理解できる」
よくもまあすらすらと進められるものだ。
前世の俺と二重で刺してきながら……無自覚にアイザはクリティカルを引いている。恐ろしい、これが最強かっ。
「三つ目は……?」
「三つ目は欲張りセットだ。学校にも行って、冒険者にもなる」
「じゃあ、それで」
「早いな」
「うん。善は急げ、でしょ?」
「……そうだな」
ニヤリとアイザは口角をあげた。そう、俺は欲張りなんだ。
金持ちにもなりたいし、モテモテにもなりたいし、権力や腕っ節も欲しい。
師匠が最強なんだから、弟子も最強にならないとおかしいだろう。
最強になった暁には、札束……はない? から、硬貨で風呂に入る。両手でおっぱいをもみもみしながらガハハする。
人生は、おっぱいだ。
「……へへっ」
「……めちゃくちゃキモい顔してるぞ」
「いま人類の真理を突き止めたんだ」
「ほう。何だ」
「人生とはつまり、おっぱいなんだよ」
産まれて初めて口にするのがおっぱい。
おっぱいに始まって、おっぱいに終わるのだ。
俺の意識はそこで飛んだ。最後に見たのは迫り来る拳。
「学園に掛け合ってくる」
「はぁ~い」
見送ったアイザの背中。後ろ姿からもわかるスタイルの良さ。思い返せばアイザは顔面も最強でちゃんとおっぱいもある。後ろ姿のライン、尻は至高だ。
でもおかしい。
あのおっぱいに飛び込みたいとは思わないし、尻を揉みしだきたいとは思わないし、おねショタしたいとは思わない。
なんでだろうなぁ……理由は明白だなぁ……。
こんだけ長く一緒に生活していれば、アイザの性格、生活態度も間近に見る訳で……グリッドと酒を飲んで品のない笑い声、酔っ払いのウザい絡みをされれば、いくら美人でもマイナスに突き進む。たぶんアイザの裸を見ても息子は反応しない。アリスだってかなりかわいいけど、母親だからか何も思わないしな。
まあ、そもそもこの身体ではちんも反応しないんだけど。
おお、つまり。俺の性欲はいまのところ、汚れなき純粋さがあるということだ。何も溜まらないんだし。
編入試験を受けることになった。
こっちでは義務教育かなんかない。学費は高いのだろう。初等部の段階からお受験がある。受けるだけで高額な金を用意し、倍率を掻い潜って合格を勝ち取り、その果てにまた制服やら教科書やら、授業料を払わないといけないらしい。
俺はそれに割り込む形で、試験を受けることになった。受けられることになった。
軽くパンフレットみたいな、資料はアイザからもらったのでそれは読んだ。だからどれだけ学園が格式の高い場所なのかもわかっている。
学園に行くような奴らは貴族のお坊ちゃまかお嬢様か、何かしら実績があるような連中だけらしい。まあ、6歳7歳のガキにどんな実績があるのかはわからないけど。
とにかく、そういった貴族の連中ばかりが通っているのは、お受験を勝ち上がったから。
お受験を勝ち上がったのは、彼らが名の通った家庭教師を抱えているから。
その金は、貴族だから用意できる。金だけではなく、貴族という看板があるからでもある。
つまり、最初から出来レースというわけだ。
ある意味では平等だ。受験に勝てば良い。だが、公平ではない。ただの村人では受験費用ですら一生涯の金。そのうえ家庭教師を雇うとなれば……諦めてしまう。そもそも、ただの村人の息子相手に教える人がいるのかも懐疑的だ。
俺はそれでいうと、かなりラッキーな部類に入る。
アリスと、それから……グリッドに、感謝はしておこう。
俺の受験費用はもちろん、アイザの雇用もグリッドの稼ぎから出ている。
これはこれ、それはそれ、だ。
編入試験は普通の受験よりもかなり難易度が高く設定されているようだ。
受ける人がすくないこともあって、惜しみなく監督役に人を注ぎ込めるからだろうか。
他の人よりも遅れての受験は特例措置だからその分、というのもあるんだろうけど。
金を払えばいいだけではなく、認められるだけの理由がないと編入試験は受けられない。だというのに、あの日、アイザは出て行って一時間と経たず帰ってきた。
「今日からは試験対策だ」
平然とそう言って。
恐ろしいことに、試験対策は一週間しかなかった。
めちゃくちゃに緊張しながら、宿屋で受験した。
宿屋の部屋は広くもないし綺麗でもない。そこに整えた髪と手入れのある髭、皺のないスーツにネクタイを硬く締めた威厳を感じさせる男性がいれば、緊張しないはずがない。五、六十代だというのに目つきは鋭く、正しく監督の風貌で、最初から疑いに掛かった目つきでは、いつもの調子なんて出るはずがない。
が、俺は今日、初等部の学園を歩いていた。
お受験には二種類がある。
一つは先日、重々しい空気の中、宿の一室で一対一をやった筆記試験。
そしてもう一つ、それが、実技試験。学園では魔法も扱うのだから、そこを測るのも当たり前といえば当たり前ではある。
初等部は綺麗な建物だった。
宿屋があったり、個人の家があったりする俺の活動範囲内の建物のどれと比べても規模は勝っている。遠目で見る王城と大した差はないのではないか、ぐらい。
休日の学園は静かだった。子どもの姿はない。授業はないし、あっても教室内で顔を見ることはできないだろう。
生徒玄関に行くこともなく、校舎を抜けてそのまますこし離れた建物に向かった。体育館だろうか。
ふくよかで和やかな顔つきをしているぽっちゃりな校長の背を追いかけつつ、実技は同行してくれているアイザをふり返る。
「ここは?」
「修練棟。学園で魔術や剣術、身体を動かす場合に使われる建物だ」
立地は校舎を離れ、校庭に位置しているように見える。そう言われれば納得だ。
重そうな扉を開け、中に土足で入る。
玄関に相当する場所の床は石で下駄箱も用意されているが、校長は土足のまま。二重扉を越えれば床は外と同じ土だった。
そこに、一人の女性が立っている。
「彼女が今回の試験官です」
校長は言う。
俺はお辞儀した。
「どうも」
「……」
とても綺麗な人だった。絶世の美女かもしれない。
この世界での女性の基準が、いまの俺ではアリスとアイザだ。ふたりと比べると、小さく見える。おそらく原因は胸だろう。小ぶり。だけど安心してほしい。俺は小ぶりも好きだから。大事なのは形と感触とあとは……感度?
ナヨナヨしさはない。不思議な人だ。薄紫色の髪で、手は身体の前に揃えている。伏し目がちでどこか哀愁がある。浮かべる微笑が相まって、胸に飛び込みたい衝動に駆られる。きっと、よしよししてくれるだろう。
「……髪が、黒い……」
やがて。彼女がぽつりと溢したのはそれだった。
困ったような、否定したいような、そんな風だった。彼女自身が曖昧な反応をするのだから、俺もそのつぶやきの解釈に困る。
わかりづらい人だ。だからこそ、知りたくなる。俺にだけ乱れた姿を見せてくれ。
ひっそり首を傾げる。
王都は人が多い。村では毎日外に出れば、時間がバラバラでも同じ顔を見る。だが王都では同じ時間帯をランニングや散歩しても、決して同じ顔は見ない。
だが、こんな感覚には襲われなかった。
なんだろう。この人、本当に人間だろうか。
直感的に、別格に感じられた。まあ所詮は勘に過ぎない。たぶん、幼心の淡い恋心だろう。
「どうも、クレイ・ストロルです」
「ああ」
思い出したように、彼女は動く。
「セシリアと申します。セシリア・セシリスです。お好きに呼んでください」
名前までいい響きだ。
あと、安易にお好きに呼んでくださいと言うんじゃないよ。ママって呼ぶぞ。
「どうでしょう。彼女は、初等部の魔術学担当。監督役としては、適任かと」
校長の目線はアイザに向けられていた。
まあ、文句はない。最強がいるのだ。俺だって、権力者実力者にはへコヘコする。セシリアさんにもへコヘコする。
「あのアイザさんと会えるなんて光栄です。そのお弟子さんの試験官になれるとは、我が一族、永遠の誇りとなるでしょう」
「……ああ」
握手していた。
セシリアさんは微笑で、アイザは無表情に。
アイザの生真面目な様は師匠としての責務か、威圧っぷりは俺が取られないようにという独占欲か。大丈夫、俺はアイザも好きだから。だから俺のために争わないでほしい。
一瞥される。眉をひそめていた。
「私では役不足でしょうが、全力で全うしたいと思います」
俺とも握手してくれたが、ついでな気がしてならない。
でも柔らかいのでオッケーです。女の人と握手できて感無量です。
ただひとつ、注文できるんなら、全力出さないでほしい。
「どうでしょう、アイザさん。彼女が試験官ということで……」
「ああ。名前に覚えはないしたしかに役不足だが、まあ悪くなさそうだ」
「……それでは?」
頷くアイザ。
この校長といい、セシリアさんといい、けっきょくは俺ではなくアイザしか見ていないのか。
まあ、仕方がない。普通はこんな簡単に編入試験も受けられないのに、それを可能にしたのはアイザの最強という肩書きにあるのだろうから。
それなら、単なる生徒が編入試験を受ける、ではなくアイザの弟子が、と見られるのも、仕方がない。
「気を付けろよ」
アイザは俺の肩に手を置くと、耳元で囁いた。
気を付けろよ? そこは頑張れだろ。まあとにかく、頷いて返す。
校長とアイザは離れていった。校長が審判を担当するらしい。
「この建物には結界が展開されています。簡単な傷なら治りますが、痛みはありますので、そのつもりで」
言いながら取り出したナイフで、校長は指先を切ってみせる。一滴の血が垂れるも、瞬時に傷は塞がった。
「ああ、殺すことはないように」
「はい」
無意識下に俺のことを見下しているであろう校長。
その注意はセシリアさんにだけ、告げている。
もちろん、俺も殺すつもりはない。美人の命が失われるなんて勿体ない。その顔にも傷は付けたくない。
「クレイくんは、セシリアくんに一手を入れるか、あるいは彼女を納得させられれば、合格です」
「はいっ」
わかりやすい条件だ。
相手はアイザが認めるほどの強者。
身長差は四十センチ以上。実力差を如実に表している。
試験官のセシリアさんは腰に手を当てていた。軽そうな見た目はレイピアか。魔術学担当。魔法の腕もあるはず。これがアイザの言う魔剣士か。
魔法を使っても剣を使っても自由。グリッドからもらった剣は腰に装備してある。
息を吸い、吐いて。
練習してきたことを思い返す。俺の使える魔法は一つだけだ。それ以外にも使える魔法はあるが、こんな正面切っての一対一では、詠唱なんかしてる暇はない。
「……始め」
「…………っ!」
……はや…………っ!
合図と同時に姿が消える。フライングを疑うほどの速さ。すでにそこにいる。
レイピアの細い切っ先は俺の頬を掠めていた。ほぼ反射神経だけ。幸か不幸か、あの人外の化け物よりかは遅かったため、反応できた。魔法、攻撃から切り替え、防御にだけ努めて回避した自分を全力で褒めてやりたい。もうこの時点で俺は合格でいい。そうしろ。
ふっと笑うセシリアさん。それは余裕を表していた。よく避けられましたねと言われている気がする。なのに合格じゃないのか。
思考はするが口を開くまでの余裕はなく、痛みを感じる前に頬の傷が塞がると、セシリアさんはレイピアは引いた。
純粋な力の差で押してくれば、簡単に倒せるはず。なのに、引いた。なぜか引いた。と思えば、連撃による猛攻。
俺はなんとか、躱す。足捌きだけで躱す。躱す……。
「…………っつ」
剣を抜こうとしてみるも、抜いた先で弾き飛ばされる。遠くを滑った。剣には頼れない。
一撃一撃が重いのは手の痺れが教えてくれる。見た目以上に重い。それに加えて速く、攻撃に隙が無い。
ほとんど目では追えない。それでもなんとか対処できたのは、グリッドとの稽古が少なからずあったからだろう。
グリッドの打ち合いは本気ではなかっただろうが、それでも一撃を剣で受ければ手が痺れて剣を手放していた。グリッドが教えてくれたのは剣技ではなく、そういうこと。実戦的なことばかり。だから力を受け流す術も自然と身体が覚えたし、回避できているのは目が速度に慣れているから。
セシリアさんの猛攻を、対処できたのは、悔しいが完全にグリッドのおかげである。
だが反撃の糸口はない。
服が裂かれている数の多さが、俺の受けた数の多さ。
脇腹や肩、足の衣服が切っ先の部分だけ斬られている。
どう考えても、セシリアさんが狙ってやっている。
小さなダメージばかりチクチクと与えられている。
頬や手といった素肌はすぐに回復する。痛い、と思ってる暇はない。
けっきょく俺は追い詰められ、壁に背をつけていた。
「はぁ……はぁ……」
息を切らす。見た目上の傷はない。服が破れているぐらい。だが、疲労と痛みは蓄積している。
審判の校長が遠い。二階にいるたった一人の観客であるアイザも遠い。
校長の方はハラハラしている様子でアイザを見上げているが、当のアイザは全く気にせず顎肘付いている。
まだまだ終わりではないらしい。
納得するつもりはないのか。俺が一手入れないと合格にはならないのか。
それなら……このルールを利用するまで。
逃げ場を失った俺へ、セシリアさんはトドメを構える。レイピアが飛んできた。俺はその切っ先に、自ら踏み込む。
「……っ」
セシリアさんの顔に、動揺が走る。なぜ、と。
彼女からすると、俺は自分の命を曝け出したように映ったのだろう。レイピアに頭突きしているような、そんな無謀さ。
殺すことはないように。校長はそう言った。このままだと、俺は死ぬ。セシリアさんは、俺を殺すことになる。それはルール違反だ。
動揺、困惑。それがセシリアさんの躊躇になる。
俺は軽く首を逸らした。耳が熱い。耳を掠めた。歯を食いしばる。
火の球をイメージ。
幾度となくアイザと練習したあの感覚を思い出す。
無詠唱、杖なし。一手を入れればいい。威力は度外視。とにかく当てる。とにかく生成を意識する。身体を魔力が駆け巡り、一点に集中する。ぼわっと膨れ上がる熱、揺れる赤が俺の眼前に現れる。
その時にはもう、セシリアさんの握るレイピアは二撃目だった。切っ先は俺に向いていた。
急場を凌ぐ荒い魔法。打つしかない。狙いを定める暇もない。
間合いを詰めた俺は、捨て身のファイヤーボールを手中に作った。そしてセシリアさん目掛けて放つ。
さすがのセシリアさんも、俺が無詠唱で魔法を使うとは思ってなかったのか、驚きに目を見開く。あるいは、俺が剣を腰に差していたから、剣士と考えていたのかもしれない。この年齢で魔剣士であることは思考の外だったのかもしれない。
ただのガキと侮ったのが敗因だ!
しかし、初等部では魔術学の担当で、剣士としてもレイピアを振るうだけの実力を兼ね備えている。俺のファイヤーボールの練度が甘いとはいえ、セシリアさんは冷静だった。
「そ、そこまでっ!」
肝が冷えた。
校長の声で止まったレイピアの切っ先は、俺の額僅か数ミリで止まっている。というかほぼ当たっている。
いくらかわいい俺の顔でも擁護できないほど、ビビり散らかして酷い顔をしているだろう。
怒らせたのだろうか? 怒っちゃったのだろうか?
完全に、殺すつもりだったろう!?
「えっほ、えっほ」
重たそうな腹を抱えて走って来た校長は俺を立たせると、服に付いた土を払ってくれた。そこまでしなくても、絶対に校長の手の方が価値がある。金欠な俺の衣服はその辺の露店で買った安物だ。
校長は一瞬だけセシリアさんを睨むと、そんなことおくびにも出さず満面の笑顔でゴマをすりながら、
「……どうでしょう!」
アイザへふり返った。
その『どう』とは服の出来のことを言っているのか、この結果のことを言っているのか。
そもそも判定員はアイザではないだろう。アイザの一存で合格不合格を決められるのか? アイザに弟子への甘さというのはない。俺のファイヤーボールはセシリアさんに掠りもしなかった。
まず間違いなく、本物の試合だったら、俺の負けだ。
「合格か?」
「……ええ! もちろんでございます。まさかここまでやるとは思ってもいませんでした。こちらの不手際は、謝罪させてもらいます」
「いや、構わない」
不手際とは何だったのか。
「セシリアくん。話が違います。あとでしっかりと、説明してもらいますからね」
こそこそと話している。
距離的にアイザには聞こえていないと思ってそうだが、たぶん聞こえてるぞ。最強だし。
というか、俺には丸聞こえだぞ。
いやそもそも、話とは何だ。
「その少年なら、このくらいはやります。それに、手を抜いて勝たせる、なんて、私がアイザさんを騙せるはずもありませんよ」
「そういうことだ」
そういうことらしい。
八百長とは、この校長も中々にあくどい。
これで俺が勘違いしてしまったらどう責任取るつもりだったんだ。
だけどアイザと、それからセシリアさんも、俺の実力は信じてくれてたらしい。ここまでやっていいと思っていたんだろう。
……それなら俺ってば、やっぱり強いのか? 強いんだろうなぁ~。
初めて人と戦ったのに、大の大人相手にけっこう良い勝負したんじゃない? これがいわゆる才能って奴か~。困っちゃうなぁ~。
……あぁ、森でのあれを俺は人だと思ってないからな。カウントしない。
「負けたら負けた、だ。こいつが弱かったに過ぎない」
「……」
そういうことではなかったらしい。
アイザからすれば、俺が学園に入学しようと、しなかろうと、どう転んでもよかったんだろう。
アイザは学園という場があり、そのために色々手は回してくれたけど、あくまで行きたいと言ったのは俺だけだからな。
「……合格、並びに入学おめでとうございます。クレイさん」
褒めてくれたのは校長だけだった。
わぁい。校長大好き。
三秒ぐらい、抱きしめてもいいよ。




