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異世界転生すれば上手くいく  作者: 家佐水井
1章 終わりの始まり
8/9

百年後


 日課のランニングをする。道中、カーレと出会った。


 彼はもう、俺のランニングのコースを覚えているようだ。ゴールで待ってくれている彼が手を振ってくれたので、俺も余裕ありげなスマイルで手を振り返した。


 無事にゴールに辿り着いた俺は、タオルで汗を拭きながら水分補給をする。


「毎日毎日、俺と一緒にいるけど、平気なの」


 腰を降ろしてスケッチブックにペンを走らせているカーレ。何を描いているかは、見せてもらえない。


「友達、いないから」

「可哀想に」

「クレイも、でしょう?」

「いいや、そんなことはないさ」

「え?」


 スケッチブックから顔をあげたカーレはきょとんとしている。その顔が、いかに俺がこの村でひとりなのかを物語っている。


「俺に友達がいないんじゃない。友達に俺がいないんだよ」

「……難しいね」

「もうちょっと大きくなったらわかるさ」


 焦るこたぁない。


「ぼくもクレイみたいに、強かったらよかったのに」


 言うと、カーレはスケッチブックに目を落とした。逃げるようだった。


「ごめんね。あのとき、本当のことを言えなくて」

「いつまで言ってるんだよ。気にしてない。俺ってば男だから。昔のことで、ウジウジしないんだよ」


 カーレは申し訳なさそうに笑った。


 あのとき、とはあのときのことだ。

 一悶着あって、俺がいきなり手をあげる暴力少年というレッテルを貼られたあの日のこと。

 カーレは、被害者でありながら加害者の味方をするようなことをしたのだ。彼からすれば俺は救世主なのに、その救世主の背中を刺したのだ。


 アイザとの授業……というかシゴキを受ける都合上、外に出ることになった。ランニングで村の周りを走ったり、近場の森に立ち寄ったり。そうこうしていると、カーレが俺のあとを尾け始めたのだ。

 遠くから見るだけという不審な行動だったのは、カーレに負い目があったから。俺が何度も気にしてないと言っても謝ってくるように、今日もまたカーレは納得していない。


「べつに、悪い判断だとは思ってないよ。カーレの気持ちもわからなくもないからね」

「……」


 カーレのペンの音だけが響く。


 なんでカーレがあいつらの味方をしたのか、俺はすこし考えた。妥当なのは、なにか弱みを握られている、だった。しかしそうではなかった。

 となると、考えられるのはあと、ひとつぐらい。


「たぶん、俺の助け方も悪かったんだよ。俺はあいつらに勝ってしまったからね。ああいう連中ってのは、弱いやつしかいじめない。俺にやられた鬱憤もカーレにぶつけるだろうし、俺の目から隠れてカーレのことはいじめる。俺も毎回助けられるわけじゃないし、ああいうやつは反省するんじゃなくてもっと陰湿になるだけ。

 だから、カーレがあっちの味方をするのは決して悪いことじゃない」


 先生に告げ口をしたら、てめぇなにチクってんだよ! とさらにボコボコにされる。よりわかりにくく。まあそんな感じだ。カーレが危惧したのは。

 ある意味、信頼でもある。俺ならそんなことはしないと思っていただけたのだ。


「自分を守っただけなんだし、こうしてカーレはちゃんと謝ってくれた。もしかしたら俺にボコボコにされてたかもしれないのにさ」

「優しいんだね」

「そう。だからこの優しさをお姉様か妹様に触れ回ってもらってもいいんだよ?」

「ぼくは一人っ子だよ」

「じゃあ、近所の子とか。お母さんとか!」

「近所の子ってのは……ベンだよ」


 俺はあからさまにしかめっ面をした。


「うわぁそれは。だから因縁つけられてるのか」

「お母さんは、ベンのこと好きだから。きみのこと嫌いだよ」

「うわぁそれは。……それはそれは」


 子ども特有のストレートな表現。痛い。べつに嫌われるのは平気だけど、面と向かって言われるのは痛い。


 ベンというのが、カーレをいじめているヤンチャ集団のリーダーの名前。

 カーレはベンと家がとなりで、幼馴染みのようなものなのだ。しかし俺が想像するような良好な関係ではなく、いじめいじめられの関係らしい。

 カーレのお母さんがベンに対して好意的なところを見るに、きっと普段は素行が良いのだろう。外面だけ完璧に取り繕っているのだろう。余計、ベンのことも悪く言えないな。


「それより、そろそろ行かなくて平気なの?」

「……平気じゃない」

「ぼくのせいだって言っていいよ」

「よしありがとう。カーレのせいで遅くなった。カーレのせいで遅くなった。……行ってくる!」


 ランニングが終わったらすぐに向かう必要がある。

 アイザは人のことは待たせるくせに、人に待たされるとすぐに怒るのだ。

 理不尽を擬人化するのであれば、アイザだろう。理不尽に読み仮名を振るのであれば、アイザだろう。


「それ、完成したら見せてくれよー!」

「うんー!」

「でももう、森には入ったらダメだからなー!」

「わかってるよー!」


 村を出てすぐの森に入る。


 アイザの魔力は、もう覚えてしまった。自分のよりもはっきりとしている。自分の魔力を知る前に、アイザの魔力を覚えてしまった。きっと日々のスパルタによるものなのだろう。

 肌で覚える。身体が覚えるってやつだ。痛みとして。


「遅い」

「カーレのせいで遅くなった!」

「人のせいにするな!」


 アイザの魔力が見えた。だが、遅かった。


「ぐほぉ……!」


 不可視の拳はすでに俺の顎に綺麗なアッパーを決めていたのだ。


「よーしじゃあ授業を始めるぞー」


 俺は気絶したのだ。ぐて。


「ふむ。目覚めのビンタが必要か」

「さぁて今日はどこからかなー!」




 ランニングをしたのは昼過ぎだった。


 アイザの授業はいつも午後なので、日没が早ければ終わるのも夕方。空がオレンジ色になる頃だ。


「つまりそういうことだ。わかったか」

「うん、わかった!」

「なら、帰ってわかるまで復習しろ」

「話が噛み合ってない。わかったんだから復習は要らないはずでは」

「私を舐めるな。お前のわかったはわかってないだ」

「じゃあわからない! 何にもわからなかった! あーあ! この時間全部無駄だったなあ!」

「どう死にたい」


 わかったがわかってないなら、わかってないはわかったになるだろ。

 つまりいまの俺の発言は全部わかったことになる。

 なんでわかったはわかってないのにわかってないはそのままわかってないになるんだ。じゃあ俺はどうすればわかったことになる。頭がおかしくなってきたぞ。


「まだ死にたくないので、復習するとします」

「ふむ。お前は長生きするタイプだな」

「わぁい」


 勉強机と椅子と黒板が消えた。俺は筆記用具とノートと教科書だけを脇に抱えて帰路につく。


 森から出て村に入る。家に入る頃には、日は沈んでいた。


「クレイ……それに、アイザも」


 アリスが出迎えてくれた。……と思ったが、そうではないらしい。ばったりといった感じだった。


「……おかえりなさい」

 

 遅れて付け足したおかえりが、その証拠だ。


「なにかあったのか」


 俺が感じ取ったものを、アイザも感じ取ったらしい。クリミアさんが忙しなく行き来し、カイさんはランプを手にして、いまから外出する整いをしていた。


「そうなの。実は、村長さんのお孫さんが、まだ帰ってないらしいの」


 村長さんのお孫さんってのはつまり、カーレのことだ。


「クレイ、なにか知らない?」


 アイザからも目で催促される。


「森に入る前に、ランニング終わってからすこし話した」

「……あいつには前科があるな」


 前科という言葉には、いまは反応しない。


「でもカーレには注意した。森には入るなって。わかってるって言われた」

「それを一度破ったことがあるって言ってるんだ」


 そう言われると、言い返せない。


「いまグリッドが村の男を集めてるの。村の外を探しに行くって」

「そうか。なら、私らは森に行くとするか。男どもより慣れてるしな」


 アリスが俺の肩に両手を置いた。


「クレイも連れて行くの」

「人手はあったほうがいい。それに、クレイはそこらの獣に遅れを取らない。魔物だって。私が保証しよう。男連中にはほかの場所を探すように言ってやってくれ」


 俺は胸を叩いた。


「そういうこと。意外と俺強いんだよ」

「なにかあったら大声を出して、全速力で走るのよ。戦う必要なんてないんだから」

「わ、わかった」


 冗談を言える雰囲気ではなさそうなので、俺はアリスの言葉にしっかりと頷いた。


 帰宅してものの一、二分で再び外に出る。村を出る。森に入る。


「めちゃくちゃこぇえじゃねぇか!」


 これが俺がほぼ毎日通っていた森なのか? 本当に?

 太陽がないだけで、こんなにも不気味なのか。森って。


「意外と強いんじゃなかったのか」

「意外となんだよ。意外とってのは、思ったよりって意味。これはちゃんと強くないと危ない」

「なら、ちゃんと強くなるチャンスだな」

「え?」


 ふり向くともうそこに、やつはいない。


 アイザは森の奥深くへと入ってしまっていた。俺をひとり残して。


「この世界に児相ってありますか」



 

「もうこれ虐待だろ。ただの暴力行為に等しい。指導だからって竹刀で叩いてもいい時代は過ぎたんだぞ……?」


 いやまあ、文明レベル的にはこっちのほうが遅いから、むしろそういうのが推奨されている時代なのかもしれないけど。

 魔法がある世界とない世界では、文明レベルとか比べにくいな。


「もしも死んだら呪ってやる。一生独身の呪いだ。婚活で年齢と共に理想も高めていく化け物になる呪いだ。ふふふ、ふふふ……」


 俺は木々に身を潜めながら、遅々とした歩みを進める。


「ひぃっ!」


 時折聞こえる繁みの音が何なのか、わからない。

 単なる風なのか、小動物なのか。それならいいが、実はもうすでに獣の包囲網に囲まれているのではないか。

 俺はその辺で拾った木の棒で繁みを突いておっかなびっくり、逃げ腰で捜索する。


「カーレくぅーん? 帰ろー? 俺だよクレイだよー。いたら返事してー、いなくても返事してー」


 繁みの音がする。


「いまのはつまり応答だよね? カーレだよね? やっぱり返事はいるときだけにして」


 繁みの音がする。


「わかったいま行くぞ!」


 俺は走った。

 これはもう、カーレの返事だ。そうでしかない。もしもカーレじゃなかったら、それはおかしい。ズルだ。レギュレーション違反で失格。


「……カーレ!」


 視界が開けた。木々を抜けた先、たしかにカーレはいた。


「……誰だお前」


 しかしそこには、もうひとつの人影があった。


 カーレは、木に背を預けてぐったりとしていた。首はがっくりと項垂れている。気を失っているだけだろう。そのはずだ。出血といった目立った外傷はないのだから。


 そのカーレを見下ろすように、ひとりの男が立っていたのだ。

 もしかしたら、これからカーレは出血するのかもしれない。こいつから逃げていたのかもしれない。月明かりに照らされた剣は刀身を不気味に光らせる。黒い刀身に、赤い紋様が嗤っている。

 ゆっくりとやつは、首だけふり返った。俺の男という印象は揺るがなかったものの、新たな疑問が芽生えた。こいつは、人間なのか。

 肌は灰の色をしているが、乾燥した泥の塊のようにひび割れが走っている。脈動している割れ目の赤は、血管だろうか。目は、人間の白目に当たる部分が黒に染まり、瞳は燻んだ血の色をしている。その白髪は生来の色ではなさそうだ。

 左耳につけた、あれはペンデュラムと言うのかイヤリングをつけている。首に巻いた白いマフラーは何年、何十年と洗っていないのだろう使い古されて腐食していて、身に着けるのは身体に悪そうだ。黒いマントは身じろぎすると破片がこぼれ落ちる。

 

 アクセサリーや服装が、辛うじてやつの人間性を保っているように思えるが、それも光を失い、汚されていき、一歩、また一歩と歩くごとに、溢れていくようだった。


「カーレから離れろ」


 太刀打ちできそうには思えない。が、それはなにもしないこととは同義ではない。

 まずはカーレから距離を離す。注意を引き付ける。

 俺は息を吸った。

 

「アァァイザァアアア!!! 助けてぇぇえええ!!! 死んじゃうぅううううう!!!」


 やつは動じることはなかった。

 あとはアイザが来るまで待つのみ。脚力と体力、それから回避能力。つまり逃げることに特化した能力だけは、アイザに殺される勢いで叩き込まれた。

 アイザが来るまでの時間ぐらいは、稼げる。


「……ぇ」


 喉の奥の奥から、か細い音が鳴った。それは己の死を悟った音だった。


 まったく、わからなかった。


 やつが一歩踏み出したかと思えば、もう、いなかったのだ。そして、俺の目の前で、あの剣が、血を吸えることに歓喜し嗤っていたのだ。

 

 燻む瞳がこのときだけ、活気を取り戻し人間性を取り戻していた。刀身が俺の頭と胴体を分かつその瞬間は、スローモーションに見えた。


 そのスローな世界の中を、一羽の鳥が生きていた。


 金の色をした、炎の鳥だ。俺の肩に乗りそうなサイズ感のそれは、俺とやつの間に割って入ると、強烈に輝く。そして、やつの眼前で破裂した。


 一切の回避行動を取れていなかった俺は、首根っこを掴まれるとされるがままだった。


「ぐぇっ」


 俺を引っ張ってくれたのはアイザだった。もっと優しくなんて軽口は叩けない。

 さっきの小鳥もアイザの魔法なのだろう。やつを怯ませ後退させられるだけの力。

 アイザは俺を一瞥する。


「なにがあった」


 アイザもまた、無駄口は叩かなかった。息を整えながら手短にまとめる。


「わからない。いきなり襲いかかってきた。……なにあいつ」

「……なんなんだあいつは。まるで……」


 やつが後ろを、つまりカーレを気にした瞬間、アイザは動いた。カーレのいた場所が炎の柱に包まれたかと思うと、アイザの傍らにも同じ炎柱が上った。

 数秒で炎柱が消える。やつの背後にはもうカーレはおらず、アイザの傍らにいた。倒れるカーレを俺は抱きかかえる。


 いまの魔法はなんだったのか。

 欠片も見当がつかないということは、それだけ高等技術なのだろう。

 この高等技術を惜しみなく発揮するほどの相手でもあるということ。アイザに余裕の表情はない。


「クレイ。行け」

「え?」

「森を出て村に戻れ。応援を呼ぶんだ」

「そ、そんな。アイザを置いて行くなんて」

「ふたりも守れない。お前にできることをやれ」


 俺は、自分の気持ちを押し殺した。


 ここで俺にできることはない。俺は無詠唱が使えるが、使える魔法のレベルは低い。やつからすれば羽虫程度だ。あいつの動きがまったく見えなかった俺が、ここにいる意味。……ない。

 やつと対峙するには、無詠唱なんて当たり前だ。アイザのように独自の力、自分の戦いを持って初めて土俵に上がれる。

 カーレを運ぶこともできない。動ける俺が、戦いから離れるのがアイザのためになるのだ。


 頭で考えた。自己満足の悔しさは捨てる。


「すぐ戻るから!」


 アイザは杖を召喚した。それを返事と受け取り、情けないながらも背を向ける。


 俺が走り出すのと同時に、やつも走り出す。

 応援を呼ばれるのは面倒だと思ったのか、誰ひとりとして逃がさないという意志表示か、アイザは無視だった。俺の背後を狙うように、やつは走り出す。


「すこしは付き合ってくれよ」


 地面から迫り上がった金色の炎は拳の形をしていた。やつはそれを一太刀で斬り伏せる。しかし拳はひとつで終わりではなかった。

 ふたつめ、みっつめ、よっつめの拳。やつが炎の殴打をいなしている間に、俺は森を抜けた。


 爆音、轟音が響き渡り、村に到着しても熱が伝わってくる。夜に、森から太陽が昇った。


 

 

 俺は家に戻った。玄関を蹴破る勢いで開ける。


「……クレイ。どうしたのその傷!」


 アリスが悲鳴混じりに小さく叫ぶ。どうやら俺は知らないうちに傷を負っていたらしい。どこにだろう。いやいまはそんなのはどうだっていい。


 ちょうどいいところでグリッドが玄関にいた。グリッドなら人も動かせる駆け付けられる。


「大変なことになった!」

「悪いクレイ。いま父さん忙しいんだ」

「こっちだって」

「クレイ。いま、村長のお孫さんが行方不明なんだ。話は帰ってきてからに」

「その孫なら森にいる!」

「……なに?」


 やっとグリッドは俺の目を見た。


「森には入ったらダメだと言ってあるだろ」

「うんそうなんだけど」

「お前が注意したんじゃなかったのか」

「……っだからそうなんだけど!」


 イライラする。なんで親ってこう……子どもの話を聞かないのかなぁ!? 自分の子どもだって思って、ひとりの人間として見てないんだろうな。だからこう、常に自分が優位に立ってないと気が済まないんだろうな。正論言われるとぶち切れるんじゃなくて、子どもが口答えしていることに切れるんだろうな。だから晩飯抜きとかするんだよ。


「……じゃあなんでお前はひとりなんだ。なんで一緒に帰ってこなかった」

「そんなことよりも」

「そんなこと? いまどれだけの人が」

「あぁもういい!」


 沸点を通り越した。

 そうだった。俺はバカだった。なにを期待していたのか。他人には期待なんかするべきじゃない。

 俺は家を出ようとする。玄関に手をかけたところで、グリッドが止めてきた。


「どこに行くつもりだ。もう夜だぞ。危ないんだから家に」

「どこだっていいでしょ。どうせ言っても聞かないくせに。父親らしくパフォーマンスしていちいち指図するのやめてくれる?」

「……なに?」

「こんなのが父親とか最悪。すこしでも期待した俺がバカだった。死ねばいいよ。カーレも。アイザも! みんな死ねば」


 バチンと音が鳴った。



 

 グリッドから平手をもらった。痛いと思うことはなかった。ただ単に、驚いた。言うなれば、親父にもぶたれたことないのに! って奴だろうか。あいや、この人が父親だった。なら、な、殴ったね!? って感じだろうか。

 とにかく、初めてのことだった。一気に頭が冷静になった。


「――伝えてくる!」


 アイザと会話をしたグリッドはカーレを引き受けると、駆け出していった。


「だ、大丈夫? クレイ。まさか……グリッドが手をあげるなんて」


 一部始終を見ていたアリスは俺よりもよっぽどダメージがあったようだ。まだ信じられていない様子。

 グリッドは叱ることこそあったが、怒ることはもちろん、殴ることも叩くこともいままでなかった。

 いったいこの気まずい空気はどうすれば良い。


「大丈夫だよ、母さん。俺が悪いんだから」


 俺の言い方も、悪かった。頭に血が昇っていた。それは確かだ。

 気遣いができることで有名なクレイなので、そう言って切り抜けておいた。

 階段を上がり、自分の部屋に入る。引き出しの勉強ノートや教科書、筆記道具やらなんやらをカバンに詰め込んでおく。着替えも三日分ほど。三日もあれば充分だろう。足りなくなったら、貯めておいた小遣いを崩すということで。

 とその時、ノックもなしに部屋の扉が開いた。


「おわぁい! ノックしてよアイザ!!」


 案の定、その無遠慮さはアイザだった。つい後ろに隠してしまったカバンを、やましいことはないですからね? としらんぷりで荷物のまとめを続ける。


「それよりも言うことはないのか」


 アイザは壁に寄り掛かる。

 初めて、アイザが疲れている様子を見た気がする。

 いつも最強ゆえの物憂げで退屈で傲慢な態度だというのに、一仕事終えた雰囲気だった。


「無事だったんだね。よかった」

「ああ。あいつは……なんだったのか」

「得体の知れない相手でも勝っちゃう。さすがは最強」

「勝ってはない。あいつが勝手に消えた」

「でもまあ、勝ちじゃん。だって尻尾巻いて逃げたってことでしょ?」

「……敵意は感じなかったんだがな」


 こわ。

 敵意なく人を殺すのか。


「癖になってるんだね、敵意を殺すの」

「家出か」


 唐突だったものの言われるような気はしていたので、手を止めるなんて図星の反応はしない。


「いや、違うな。そもそもするつもりだった。だから部屋には物がすくなかったんだ」 


 ……そこまで当てられるとは思ってなかった。そっと溜め息。


「何? 止めるの?」

「いや? 私はお前に魔法を教えることしか求められていない。家出を止めろ、とは言われていない」

「じゃあ何? そこにいられると、凄い気が散っちゃうんだけど」

「もしもアリスにバレたら、確実に止められるからな」

 

 わかっていながら扉全開なのは意地汚い。


「アリスだけじゃないか。グリッドも……」


 それはないだろ。


「はんっ。グリッドは俺のこと嫌いだからね。たぶん、出てった方が清々するんじゃない?」

「あいつがそう言ったのか」

「見てればわかる」


 そんなことより。何があったのか聞いたアイザに、そんなことよりと言ったのだ。俺の話よりも、他所様のお孫さんの方が大事。

 世間体が大事なのだ。今頃グリッドは、見つけました! と報告して、みんなからの感謝に気分をよくしているのだろう。俺の話なんか忘れるぐらいに有頂天なのだろう。

 ずっとそう。アイラとは初等部の件でいざこざがあったのに、俺にはなかった。俺には興味がないから。俺が何したいのかなんてどうでも良いから。クレイも学園行きたいか? って聞かれたことはなかった。


「元々こうするつもりだったし、ちょっと予定が早まっただけだよ」


 アイザのおかげもあって、魔法についての理解は急速に進んだ。本だけではわからないことも知ったし、考え方や身体、あらゆる面での基礎をもらった。何とかなるだろ。

 ならなかったらそんときはそんとき。ここで親の顔色うかがう人生はもうゴメンだ。二回もそんな窮屈な生き方をするぐらいなら、死んだほうが断然いい。


「ちょっ……待てよ」


 横を通り抜けようとすれば、アイザに腕を掴まれた。目が合う。すぐに手は離れた。


「……ったく、お前ら親子は。……話し合うってことを知らないのかよ」

「知ってるよ」


 話し合うのだ。話を聞いてもらいたい。話を聞きたい。お互いがそう思っているからこそ成り立つものが話し合いだ。

 俺はべつに話を聞きたいとも思わないし、話を聞いてもらいたいとも思わない。面倒くさいだけだろ。

 親は子どもを選べないと言うけど、親になることは選択できた。子どもはそうじゃない。なのに、経済的に経験的に社会的に、親の方が優位だから。だから俺の言うこと聞いてろ俺が正しいという意見しか出てこない。子ども()が折れない限り、平行線なんだ。

 それが親というもの。


「労力に見合ってないでしょ……」


 わかってもらえるかも。と無駄に期待するだけなのだ。他人に期待するのはこれ以上ないほどに無為で、何かが磨り減っていく。

 俺は人に期待なんかしたくないし、期待してしまう自分も嫌いだ。どうせ裏切られる。


「じゃあ」

「まあ待て」

「ぐぇっ!」


 手を離してくれたんだから行かせてくれると思うだろ!? なんで襟首掴んだ!? 首締まるよ? ってか締まったよ!? 人ってね、首が絞まると死んじゃうんだからね?


「お前みたいなクソ生意気なクソガキが一人で生きていけるほど、世の中甘くないんだよ。お前なんかな、一日、いや一時間も保たない。またあいつに出くわしたらどうする」


 そんなわけないだろ! と言い返せないのも悔しい。俺の世界は狭いし魔物すら見たことないのだから、あいつでなくても村から出た瞬間の初戦、スライムレベル5で死ぬかもしれない。


「それに、いま出て行けば確実に引き留められるぞ、見つかるぞ。それで良いのか?」

「俺を引き留めたいのか引き留めたくないのか、どっちなの?」

「だから言ってるだろ。私はお前の師匠になったんだ。お前は弟子。助言をする立場であり、何かを強制することはない。べつにこの家じゃないと魔法教えられないってわけじゃないしな」

「え」


 何この人。俺の家出にもついてこようとしてるの? どんだけ俺のこと好きなの? ……このこの~!


「出てくなら、早朝にしろ」


 深夜はもちろん論外。もう夜で、月明かりの時間帯。アイザの言う通り、明日もない命だろう。

 カバンを降ろした。日の出まであと半日もない。一理あるので、それぐらいは待ってやろう。




 頭を抱えていた。


「……やっちまった」


 アイザの目の前では、グリッドが頭を抱えていた。


「つーかなんでクレイは普通にしてるんだ? 俺に殴られたんだぞ? なのに謝ってきたんだ。おかしいだろ。怒れば良い。不機嫌になるべきだろ。……なんでだ」


 夕食の席で、クレイはグリッドに謝った。そして普通に会話しながら食事を取った。

 せめて咎められれば、謝れるのに。そんな心情が明け透けで、アイザははぁ、と溜め息をつく。

 クレイが家出をする件を言うか言うまいか、グリッドの最初の一言に懸かっていた。いまの一言で、アイザから言うつもりはなくなった。


「そんなことより……お前は、そう言ったな。クレイを平手にして、それからお前は、そんなことより、と私に言ったな?」

「……クレイが問題を起こしたあと、俺はいろんな人に頭を下げた。相手の親御さんや村長、それから本人にも」

「それが過ぎったんだな。また、クレイのせいで頭を下げる羽目になる。だからカッとなった」

「子どものためなら頭を下げるぐらい、どうってこない……そう思ってたはずなんだけどな。ちっぽけなプライドだ」


 グリッドにもプライドはあるだろうし、背負っているものもある。

 家族を養うためには村での地位も確立しなくてはならない。処世術だ。それが頭を下げることだったのだろう。

 いまの仕事を奪われ、村を追い出されることにでもなれば……けっきょく、路頭に迷い苦汁を嘗めることになるのはクレイたち本人だ。


 子どもの問題で親が頭を下げるのもどうかと思うし、頭を下げる行為をそこまで重く捉えるグリッドは相変わらず、変なところで真面目だ。

 アイザも、理解できないわけではない。


「アリスから話は聞いた。村長んところの孫が行方不明になって、クレイにも居場所を知らないか聞いたらしいな」

「……ああ。そしたら」

「森にいると答えた」


 村近くの森は基本的に魔物は出ない。だがそれでも0ではない。あくまで基本的に、なので、子どもは立ち入り禁止とされている。

 クレイが入れているのはアイザとの授業があるから。クレイ自身にも逃げられる程度の力、アイザの見立てからすればこの周辺ぐらいの魔物なら撃退できる力があるから。


「何してたと思う」

「何って……」


 そこまで聞かず、グリッドは手が出たのだろう。


「これはなんだ」

「……絵?」


 アイザが見せたのは一枚の紙。そこには絵が描かれている。

 お世辞にも上手いとは言えない。子どもの絵だ。気に食わないが、魔王のような描き方をされているのがアイザだろう。その餌食になっているのがクレイだろう。授業の風景を切り取ったような絵で、隅には筆者のカーレ自身もいる。


「これは村長のお孫さんが描いたものだ。クレイに渡してほしいって言われた。約束だったらしい。完成したらこれを渡す。あいつが森に入ったのは、クレイにこれを渡すためだった」


 そこで、迷ってしまったのだろう。


「そしてあいつらの傷だがな、べつに喧嘩じゃない。逃げる際についたものだ」

「……逃げる?」

「ああ。警告だ。あの森に、得体の知れない化け物がいた」

「アイザが言うほどの、か……」


 アイザが得体の知れない、化け物と評すことの意味がどれほど重いか。グリッドはごくりと喉を鳴らした。


「ああ。だからクレイを先に逃がして、応援を呼んでもらおうと思ったんだがな」


 グリッドはばつが悪そうな顔をした。


「けど、倒したんだろ? だから戻って来れたんだろ?」


 アイザは軽く息を吐いた。


「いいや。あれは私では勝てない」

「アイザでも、か……」

「ああ。あいつが自ら消えてくれたんだ。敵意は、ほとんど感じられなかったからな」


 むしろ、敵意がないことのほうが不気味なのだが。


「王都にも応援要請を出した方がいい。騎士何人かを警備に当ててもらって……まあ、あいつが本気になったらどれも無意味だろうがな。しないよりはマシだ」

「……最近、森の魔物たちがいつもより血の気が多いんだ」

「もしかしたらあれがなにか悪さしてるのかもしれないな」

「ああ」

「気を付けろよ」


 アイザは終ぞ、クレイの家出の件を、グリッドには伝えなかった。

 グリッドから話を振られれば答える。相談されれば相談には乗る。しかしアイザのほうからは言わない。それは優しさではないからだ。

 彼が、彼らが自ら歩み寄らなければ無意味なのだ。ふたりは親子で、ふたりが親子なのだ。アイザは家族ではない。

 

 意地になっているのか、頑固なのか。ふたりとも歩み寄るつもりはないらしいし、ならば距離を取るのもこの場合は、正解なのだろう。

 家族とはなにも、常に一緒にいる必要はない。離れてわかることもある。

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