百年経ってから
正式に俺はアイザと契約を結び、師弟関係となった。その一日目。
「ぜぇ、はぁ……ぜぇ、はぁ……」
なぜか俺はランニングをしていた。
真冬に半袖短パンでも問題ないぐらいに、身体は熱かった。
「ひぃぃ……はぁぁ……ぐぁぁ……ぎょぇぇ……」
両膝に両手を突き、悲鳴とも嗚咽とも取れる呼吸を繰り返す。
頭上で陰が差した。見上げれば、鋭い眼差しのアイザさんがいる。
「なんっで……こんな……」
アイザさんは魔術師。なのに魔法の授業でもなく、椅子に座って腕を動かすこともなく、真冬にランニング。しかもいきなり初っ端から十キロ。
バカか? バカなのか!? 最強と書いてバカと読むのか!?!?
「私は見込みがない奴を弟子に取ったりはしない」
脈絡もないまま、アイザさんは言った。
首を傾げながら答える。
「自分に才能があるってことですか」
「敬語……まあ、そういうことだ」
自らの才能に言及されるのはなんとなく恥ずかしさもある。
グリッドをして最強と言わしめるアイザさんに認められても、俺には全く実感がない。
そんな才能の片鱗は感じたことがないし、それなら小説のようにいきなり無詠唱とか使わせてくれ。
「本当ですか?」
「なんだ。私が信用できないのか」
「いや……」
自分が信じられないだけなのだが……。
「ふむ。
いいか、クレイ」
これが最初の授業だ、そう肌で感じ取る。
「自分は自分でしかないんだ。お前は私じゃないし、私もお前じゃない。お前が生きているのはクレイ・ストロルに他ならない。いくら嫌がっても、お前はお前だ。なら、お前ぐらいはお前のこと、信用してやれ。いくら他人に否定されても、自分だけは自分を貫き通せ。
そうじゃなきゃ、誰がお前のことを信じれる。お前も、誰のことも信じられなくなるぞ」
「……」
「私はお前なら私の弟子に相応しいと思った。お前ならできると思ったことしかやらせない。しかし、そのお前が自分にはできないと思ってしまったなら、私の存在意義もなくなってしまうだろう」
ぽけっとする俺に渋い顔をしたアイザさんは、
「……難しかったか」
顎に手を置くと自分の言葉をふり返るように首を捻った。
「いえ。言いたいことは、なんとなくわかりました」
息を整え、俺は答えた。言葉を発しなかったのは単純に、息が上がってたからに過ぎない。
あとはまあ、この人べつに悪い人でも怖い人でもないんだな、という認識が強まった。
たぶん、アイザさんは不器用なだけなのだろう。
にんまりと笑顔を浮かべてやる。きっとこれで、アイザさんも安心できるだろう。
そこまでアイザさんが俺のことを買ってくれてるなんて、驚いた。しかも思い返せば中々恥ずかしいことを言われた気がする。
とはいえ、アイザさんが俺のことを信用してくれるのも、グリッドの息子だから、アリスの息子だから、といった面が強いだろう。まだ俺とアイザさんの関係性は一日未満で、信用に足りるほどの時間はない。
それでも、アイザさんが俺のことを信じてくれるのなら、俺もアイザさんのことは信じてあげよう。この人ちょっと不器用なだけなんです、と。彼氏面してやろう。
「……何ニヤニヤしてんだよ。気持ち悪い」
これも照れ隠し。嬉しさの裏返しなのだ。ツンデレなのかしら?
お前におねショタのおねの地位を与えてやっても良い。
「まっ、身体が温まったところで、本格的に授業と入るか」
背中を追いかけつつ、考えるよりも早く口から出た。
「いまのは何だったの!?」
「だから身体を温めるため。ウォーミングアップだ」
「えぇ……」
「ちなみにこれ日課な。毎日やれ」
「えぇ……!?」
口から悲鳴が出れば、太もも足裏ふくらはぎの筋肉、肺や心臓の臓器までもが悲鳴を上げた。
「グリッドはやってたぞ」
なぜそこでグリッドが出てくるのかわからないが。
「あと、敬語禁止。アイザさんもやめろよ? アイザで良い」
「それはなんて言うか……」
「じゃあ師匠命令だ」
そう言われては何も言い返せない。ぐぬぬってるとアイザさん……ではなくアイザは、口角をあげた。
「それと、お前は人よりも魔力量が多いな。その年齢の二倍。鍛えていない状態でそれなのだとしたら、やはり才能がある」
「なんでわかるん……の?」
「自分の魔力を知れば、他者の魔力もわかる。その人のオーラ、雰囲気気配として、身体に現れるんだ。お前の場合は、無秩序だな。珍しい。
だが、だからこそ、それを統率できれば、化ける」
両手を見てみる。目を凝らしてみる。変わることはない。
「まあ、いずれにしろ、身体を鍛えろって話だ」
文脈を窓から投げ捨てたような話し方だ。きっといまのいずれにしろ、の部分に、思考段階が二つ三つほど含まれていただろう。
「アイザって魔術師なんでしょ? 俺に魔法教えるんじゃないの?」
はぁ、と溜め息をつくアイザ。落胆するような眼差しは、この年齢の弟子に向けて言いものではない。
「こっちの奴らはみんなそう。魔術師だから身体は鍛えなくて良い。とにかく詠唱を覚えろ。すらすらと読めるよう練習しろ。良い杖を買え、良い魔術教本を買え」
かなり私情が含まれていそうだ。
アイザはこの現代魔法学について、腹を立てているらしい。
「魔術師でも動けるようにならないとダメだ。詠唱なんか要らないよう思考を練れ。杖なんか要らんし教科書なんかも要らん」
「いろんな方面に喧嘩売ってるね……」
「私はこれで最強になった」
それは単にアイザが凄かっただけなのでは。
俺は権力にはへこへこするし靴も舐めるので、教科書を書くようなお偉いさんに楯突くような発言はしないでおく。
「私のやり方に文句があるならそう言えば良い。すぐ出てってやる」
きょろきょろと辺りを見回す。幸いなことにこんな田舎に権力者はいない。居てもウチのグリッドもそこそこの権力者ではあるので、その息子である俺もある程度対抗できるだろう。
ここまで大胆にも最強と自称するのだから、彼女のやり方にも一家言あるはず。
「何すればいい?」
「筋トレ」
ランニングの後に筋トレ。俺はいったい何を目指している。スポーツ選手でも目指しているのかな?
「ぅおぉぉぉぉおおお!!」
止まればアイザからの鞭が飛んでくるので、俺は意地と気合いで震える筋肉を虐め続けた。
初日の授業が終わり、地獄の始まりを迎え、俺は早速筋肉痛に苦しみながら部屋で本を読んでいた。
「開いてるよ」
扉がノックされたので返事する。入ってきたのはアイザだった。
「意外と殺風景だな」
小さな棚とベッド、それから机しかない俺の部屋を見てアイザは呟く。
どさっとお構いなしにアイザはベッドに腰掛けた。ドキッとする。
お互いに入浴を済ませた身。俺もパジャマだし、アイザも寝間着。組んだ足は素足で、べつに鼠径部が見えそうとかではないのだが……無性にドギマギする。滑らかな太ももを舐めたい衝動に駆られた。
「これをお前にやる」
額に衝突。指で弾くようにして滑ってきたのは一冊の手帳だった。
「これは?」
「見ればわかるだろ。手帳だ」
それはわかるが、なぜこれを俺に渡してきた。
ペラペラと適当に全ページ流し読みしても、綺麗な白紙。新品だ。
「使い道はどうでも良い。メモ帳でも、日記でも、勉強ノートでも」
メモをするほど律儀な性格でもないし、日記はおそらく三日も続かないだろうし、勉強ノートは勉強ノートで他にある。
「だけどまず、一つだけ私の言った質問に対する答えを書け」
引き出しからペンを取り出し、手帳を広げる。
「お前はそもそも何になりたい」
抽象的な質問だった。
「いまお前には最強の師匠がいる。何でもなれるぞ」
その訊き方で行くと、
「何でも。神様にでもなれるの?」
「余裕だな。神なんてイチコロだ」
「すごい不敬」
まあ、俺は無神論なので。
そもそも神様ってなれるものなのか。
「最強にもなれる? アイザを越えるぐらいの」
「はっ。私を越える? 無理無理。百年経ってから言え」
何だかムカつく。
弟子が師匠を越えるってのは王道パターンだろう。
書いてやった。最強になる(アイザをも越えるほどに)と。
「お前は魔術師になりたいのか? 階級で言えばどこだ。系統の希望はあるのか。それとも魔導師か。戦士にはなりたくないのか? お前の父親は剣士だ。憧れとかないのか」
まあ、ないと言ったら嘘になる。剣で戦うのもカッコよさそうだ。
「べつに、魔術師になりたいわけじゃないんだよね」
「そうなのか」
驚いた風に、アイザは目を丸くする。俺は一言も魔術師になりたいとも魔法を使いたいとも言っていない。
まあ、魔術師のアイザを師匠に取ったのだから、その意志表示であると受け取られてもおかしくはないけど。
「剣士になりたくないわけでもないし」
なれるのならなりたい。みんなそういうもんじゃないか?
「父さんが言ってたんだ。強さは手段だ。俺のこの鍛えた身体も、傷つきながら得た経験も、命を預ける剣も、みんな手段でしかない。じゃあ何のための手段なのか。俺は、みんなを守るために戦っている」
「あいつが言いそうなことだ」
みんな。俺やサイラにアイラ、アリスもそうだし、カイさんやクリミアさん、それから村の人も含まれているだろう。
守るための手段が、グリッドにとっては剣だった。
俺にとっての目的とは、自由であること。自由を貫き通すこと。
「剣士にもなりたいし、魔術師にもなりたいって言ったら、変?」
アイザは何ら顔色を変えずに言う。
「変じゃない。とある地域ではそういう奴らを魔法剣士とか言ったり、魔剣士とか言ったりする」
「じゃあ、それで」
『魔剣士』と書いておいた。
階級や称号は要らない。俺が俺を見た時に納得できるようになるためなのだから、他人からの評価は要らない。
人の目を見て過ごすのがどれほど愚かだったかは身を滅ぼすほど知っている。
「どう?」
じゃじゃんと披露する。目標は二つ。アイザを越えることと、魔法でも剣でも成り上がること。
「それは誰にも見せるな。もちろん私にもだ」
「……」
そっと俺は隠した。
「それは大事に持っておけ。無理だと思った時に見返せ。諦めそうになった時に見返せ。挫けそうになって、立ち止まりたくなった時、この日を思い出せ。そこに書いてあるのは、お前の気持ちだ。お前がしがみつけるだけの、踏ん張れるだけの、気持ち。
お前の後ろには、いつだって、アイザ・ハリグエがいる。覚えておけ」
「……うん」
『人に優しくする』
あとで俺はこれも付け足しておいた。
これは、大事だ。こっちが最優先だろう。
人に優しくする。これは弱くても、今からでも、俺でも、やろうと思えばできることだ。
誰かを虐げる人間にはなりたくない。強くなっても、誰かのために、誰かを守るために力を使いたい。
それに、イケメンで愛嬌もあるのに実力も持ち合わせ、しかも内面が素晴らしいと来たら、モテモテだろう。モテモテになる未来しか見えない。
……未来のビジョンが見えた! 俺はおっぱいを両手に持っている!
アイザの言葉を噛み締める。優しい重みがあった。
アイザも最強に至るまでに挫折は経験したのだろう。
俺にもいつかその日は来る。たぶん、来た方が良い。
それらを乗り越えないと見えない景色もあるだろうから。
その時に、思い返して頑張ろうと思えるように。
「……」
俺は、最後にもう一文書き記した。
『諦めるな』
戒めの言葉だ。
俺は弱いから、言い訳をする。自分のことは自分が一番知っている。
今度こそは、諦めたくない。ちゃんとしたい。




