親も子も難しい
目覚めた場所、秘境の内部。そこは、洞窟だった。
ノダリックさんの言う庭とはかけ離れたもので、包む陽光もなければ香る花もなく、ぬるま湯のような風が頬を撫で付けるばかりだった。
硬く、湿った匂いがした。
閉鎖空間というほど狭い空間ではなかった。しかし硬質的で黒に近い青の壁や低い天井、見通しの悪さに、息のしづらさがあった。
俺ですらそうなのだから、ノダリックさんはもっと窮屈だったろう。屈むほどではなかったが、俺を肩車すれば天井に手が届くほどの高さしかない。
「どうぞ」
どこから持って来たのか、荷物袋もないノダリックさんは水筒を差し出してくれた。
「ありがとう、ございます」
断るのもおかしい。ええいままよ、と飲んだ。普通に無味無臭の水だ。
「それで、ノイクと離ればなれになった……っていうのは? これ、秘境ではよくあることなんですか?」
息を整えた俺は、切り込んだ。
「そうですね……どこから、話しますか」
ふぅ、と息を吐く。おもむろに、ノダリックさんは口を開いた。
「よくある、と言えばよくあることではあります。しかし、これが秘境の常かと問われれば、否です。これは秘境における異常事態、その事例のうちのひとつです」
「それがわかっていて、秘境に?」
俺はきっと、語気を荒げていただろう。鋭い目つきだったのは、ノダリックさんが目を丸くしたのでわかる。
ノダリックさんはその後、宥めるように朗らかな笑みをした。
「いいえ。わかりませんでした。もちろん、話さなかったのは悪いこと。私の不義理であります。しかしそれは、無駄にクレイさんを怖がらせたくなかったからなのです」
……たしかに、異常事態なのだとしたら、起きる可能性のほうが低いのだろう。だから異常事態なのだ。
仮に秘境における異常事態という現象を俺が知っていたとして、俺はじゃあやめようか、とはならない。これしか俺には手段がないからだ。
だったら、言う必要はない。無駄に怖がらせる必要もない。その判断は理解できる。
「もしもこの秘境に異常事態が起こっているとわかっていたなら、そもそも私はノイクくんを連れて行きませんよ」
それは、信じる。というより、信じたい。
ノダリックさんがノイクを巻き込んでもいいと考えていたなんて、思いたくない。父親が、息子を利用しただなんて……。
人神と名乗ったヒュウスは、ノダリックさんに対して警鐘を鳴らした。いまの俺は混乱して動揺しているから、ノダリックさんに食って掛かっているけど、あっちを完全に信じ切る理由だって、ないのだ。
ヒュウスが俺を疑心暗鬼にするメリットは? と疑うのと同じくらい、ノダリックさんが俺を連れて来た理由にも皆目見当がつかない。
けっきょくのところ、俺は秘境に入っているのだ。向こうの腹づもりがどうであれ、表面上は協力しなくては生きて帰れない。
「……すみませんでした。やっぱりすこし、混乱しているようです」
「もうすこし休憩しますか。この辺りには幸い、魔物もいないようですし」
「いえ。ノイクのことも心配ですから」
ノダリックさんは静かに頷いた。
「まず、異常事態のことに訊いてもいいですか」
「もちろん。秘境は神の庭、神の創造物……というのはお話ししましたね。神の成せる業ならば、そこにある魔力もまた尋常ではない。というのも、理解できると思います」
自然なロジックだ。
どういう原理の魔法かはわからないが、長期間、冒険者の一般常識として通じるほど現存する秘境なら、数十年、下手をすれば数百年単位で存在しているということになる。
初級のファイヤーボールでさえ、俺はそんなことできないだろう。寝ている間も食事も入浴中も、いつ如何なるときも魔力が消費されるのだ。考えただけで寒気がする。
「ある時、秘境内部の魔力は不安定になることがあるのです。秘境という形を保つ、形成する魔力に乱れが生じるのです。この時というのもまた実にバラバラで不規則で、なにが原因なのかなにが条件なのかもわからないのですが……ともかく、その乱れが生じた際、秘境内外では様々な現象が起こるのです」
「現象?」
話しながら、俺たちは洞窟の全容を把握しようと軽く歩く。ファイヤーボールを明かり代わりに灯すと、ノダリックさんはありがとうございますと小さく礼を言った。
「たとえば、秘境内の魔物、魔獣が外に逃げ出す。たとえば、秘境の強大な神の魔力が近隣の生き物に影響を及ぼす」
「……それってかなり不味くないですか? だって、秘境の魔物や魔獣は平気でSランクの冒険者を殺すって」
「ええ。かなり不味いです」
それは、この異常事態を重く捉えているのか。それともノイクのことを懸念しているのか。ノダリックさんの横顔にはいつものおふざけはなく、深刻そのものだった。
「秘境から逃げ出した魔物魔獣はその辺りの生態系をがらりと変えます。一帯を縄張りとします。人の住む地も無事ではありません。それに、秘境の魔力を受けるのは生き物全て。獣や魔物だけではなく、人間もそう」
ごくりと生唾を飲む。
「人間がその魔力の影響を受けると……どうなるんです」
「神の魔力を受けきれる人間はそうそういません。運が良くて即死。運が悪ければ視界に入る者全てに食らい付く凶暴な化け物に成り下がるでしょう。なまじ耐性があると、足が動かず、手が動かず、目蓋が動かず。やがて喉が動かず窒素死。緩やかに拷問のような苦痛の果てに、死んでいきます」
どう転んでもいい結果にはならないようだ。
即死はたしかに運がいい。誰も傷つけず、苦しまずに死ねるのだから。
「これは秘境外への影響です。秘境内での異常事態は、まだあります」
俺たちがいるのは秘境内。そしていま直面しているのがその異常事態なのだろう。
「たしかに秘境とは、常に景色が一定ではありません。しかしそれは二度と同じ場所には行けないという意味であって、秘境へ共に足を踏み入れたのに、別々の場所から始まる、といったことではないのです。もしもヒーラーがひとりになれば、戦えずじまい。ヒーラーを失ったほかの人も、積もり積もって倒れていく。こんなにも理不尽なことはありません」
ノダリックさんの言った通り、この洞窟には何もいなかった。
これを次と言っていいのかわからないが、どこかへ繋がる道が一本だけあった。一本だけだったことを幸運と思うべきだろう。いきなり選択肢を与えられても困る。
「ですからこれが、秘境内での異常事態。ランダム転送」
俺とノダリックさんは見合う。お互いに頷き、その一本道へと進んだ。
「ほかにはあるんですか?」
「ええ。あります。まずは」
「しっ」
俺はノダリックさんを制した。
洞窟から進んだ一本道はやけに狭かった。
俺でも両手を広げられば道を塞げそうで、力士ほどの巨体はぴったり埋まってしまう道幅。洞窟から打って変わって、床も壁も天井も黄色い砂。まるでピラミッドの内部に侵入している感じだった。
壁に背をつけた俺を真似するように、ノダリックさんも壁を背中につける。明かりをすこし先のほうに伸ばすと、輪郭が見えてきた。
お互いにそれを認識すると、ノダリックさんは囁くように、しかし口早に言う。
「火。遠くへ」
言われたままに、火を奥へ送った。
「そこで」
その先は十字路になっていたようで、危うくかち合いそうになっていたところを、右から出てきたそれは、火を行き止まりとでも思ったのか、避けるようにして離れていった。
ふぅ、と俺たちは汗を拭う。
「あれはサングソウという魔物です」
植物の見た目をしていた。その魔物の名はサングソウ。
足元にはうねうねとした細いツルが数本あり、それで地面を這うように移動していた。細い茎のような胴体があって、その前に袋のようなものを抱えている。胃袋でもあり、口でもあるのか、蓋はパタパタと開閉していた。腕の役割を持つすこし太いツルがあって、顔に相当する部分はない。
「目が、なかったでしょう」
「なかったですね。見えないんですか」
壁に背をつけていたとはいえ、隠れる場所などなかった。俺たちを見つけるのは容易だったはず。
「ええ。サングソウには目という器官がないため、光の概念がないのです。代わりに、熱と音に敏感です。あの無数の足のツルは、床の振動を感知すると言われています。熱には弱いため、敏感なのです」
「じゃあ、倒してもよかったのでは?」
「ほかのサングソウがいないとも限りません。サングソウではないなにかを寄せ付けることにもなる。倒さなくてもいいのなら、倒さないに越したことはありません」
「たしかに、その通りですね」
俺たちは小さく会話しながら、先ほどサングソウが来た道へと曲がる。
「あのサングソウは、ランクでいうとどの辺りが適正になるんですか?」
「そうですね。あの袋の中の液体はあらゆるものを溶かすと言われています。人間も丸呑みにされればひとたまりもない。おまけにしなったツルは肉を抉り取る威力があると。一体なら、B程度でしょうか」
「そんな高ランクが普通に歩いてるんですね」
スライム、ゴブリン感覚でBランク適性の魔物が出歩いている。
俺まだEランクなんですけど。
「ええ。ですがもっとも恐ろしいのは、サングソウは一体ではない、群れを成すということです。彼らが群れを成せば、Aランクの冒険者でも、脅威になります」
新たな明かり代わりに俺は小さなファイヤーボールを手中に生み出した。
「それもっと早く言ってもらって良いですか」
「面目ない」
ファイヤーボールで辺りが照らされた。目の前には、道を埋め尽くすように例のサングソウが立ちはだかっていた。
そこに顔はなく表情もない。感情もないだろう。しかし、袋の蓋の隙間から漏れ出る液は涎のように見えて、やっとご馳走にありつけると歓喜が漂っていた。
「「うわぁあああああ!!!」」
俺とノダリックさんは一斉に背を向けて走り出した。
「どっち、どっちですかノダリックさん!?」
先ほどの十字路に戻ってくる。
左に曲がれば元来た道を戻ることになる。右に曲がれば、最初のサングソウを追いかけることになって挟み撃ちになる。背後から迫る大量のサングソウ軍団!
「まっすぐ!」
残ったのは直進。
「ここでストップ! クレイさん壁! 炎の壁を!」
「そうか!」
機転の利いたノダリックさんの言葉に、俺は反転。道を塞ぐように炎の壁を展開。
壁の向こうでは、熱から逃げるように行き止まりの炎の壁を避けるように、右へ左へとサングソウの群れが別れていく。
やがて、サングソウの雪崩は終わった。
「ふぅ。間一髪でした。さすがですクレイさん。器用な魔力操作、確かな魔法技術」
「いえいえ。ノダリックさんが言ってくれたからですよ」
お互いがお互いを労う。さて進もうかと炎の壁を消したそのとき。
「……ん?」
ガコンと音が鳴った。ドシンと地面が揺れた。
「いま、嫌な音がしませんでした?」
返事がない。ふり返ると、ノダリックさんは苦渋の面だった。
「先に謝っておきます。大変、申し訳ない」
ノダリックさんの足が、埋まっていた。埋まっていたというか、凹んでいた。
床は石造り、大小様々なバランスを取っている。そのうちのひとつが、まるでボタンを押したかのように凹んでいた。
やがて、近づいてくる。音の正体、揺れの正体。
「「いぃぃやぁあああああ!!!」」
ちょうど道幅に合った巨岩だった。
道を隙間なく埋めつつ、逃げ場も潰して転がってくる巨岩。下敷きになれば間違いなくペラペラになる。現実的に言えば、全身の骨という骨、内臓という内臓が砕け散る。
俺たちは走った。四の五の言わず走った。叫びながら走った。
よく、高い建物が倒れてくるようなシーンで、あと数メートル長かったら下敷きになっていた……という演出を見て、なぜ縦に走るのかと疑問を持ったことがある。横幅のほうが短いのだから横に逃げればいいじゃないかと。
その答えがここにあった。気付けば俺たちは十字路をまっすぐ通り越していたのだ。左右に逃げれば避けれていたのに。
「ぁぁあああ!! …………あ! あそこ!」
終わりの見えない一本道。正面が行き止まりという可能性だってあるし、なにかべつの魔物がいる可能性だってある。
ファイヤーボールを先行させていると、ノダリックさんは指をさした。道の脇には、まるでここに避難してくれここでやり過ごしてくれと言わんばかりの人が入れそうな空間がある。
俺とノダリックさんはそこに飛び込んだ。
目の前を巨岩が通り抜けていく。
バタバタとノダリックさんの白い燕尾服、その裾が叩かれるような音を発した。
俺は鼻先を掠めたような気がして血の気が引いていた。もうちょっと奥にスペースくれてもいいじゃないか。
「ふぅ。危なかった。これまたクレイさんのおかげです。いい明かりでした」
「いえいえ。ノダリックさんが見つけてくれたからです」
今度こそ大丈夫だろう。……という期待は、一秒も持たなかった。
再び、ガコンと音がする。嫌な予感がして、俺はノダリックさんは目に向ける。
「ノダリックさん?」
「……ごめんなさい」
「ノダリックさん!!」
ノダリックさんは壁に手をついていた。その手は壁に埋まっていた。埋まっていたというか凹んでいて、つまり要約すると、さっきと同じ。
ふわっと浮遊感。その後に重力というものを感じる。足場が消えた。
「「きゃぁあああああ!!!」」
俺たちは暗闇の中へ、真っ逆さまに落ちていった。
暗闇が晴れていく。見えてきたのはさっきと同じ景色。硬く湿った匂い。硬質的な洞窟だった。
「死ぬぅー! 俺たち死んじゃうぅー!?」
たったの二メートルでも当たり所が悪ければ人は落下死してしまう。俺たちが落下した距離は二メートルを軽く超えているだろう。
どうすればいい、どうすればいい!? あれか、五点着地か。身体の五つに衝撃を分散させるあれをやれというのか!?
「クレイくん!」
硬く黒い地面が見えたかと思うと、視界は塞がれた。俺はノダリックさんに抱きかかえられていたのだ。
直後。
ドボンと音がした。肌を刺すような冷たさに、全身が襲われる。重い。手足が簡単にいつも通りに動かない。
運良く、水の中に落ちたらしい。光はない。深海のような暗さ。上下左右の方向感覚がわからないまま、藻掻く。勘便りに浮上して、
「ぶはぁ!」
息ができた。
俺は水を吸って重くなった服を引きずるようにして陸へ上がる。
一気に体力を持って行かれた。疲労感が凄まじい。頭がくらくらする。
「はぁ、はぁ……」
止まらない息切れ。それでも俺は、他人を気に掛けるだけの余裕は生まれた。
「……ノダリックさん!」
がばっと上体を起こす。
湖ほどの小さな湖面に、丸まった白い背中が浮かんできた。俺は再び飛び込み、ノダリックさんを引き上げる。
目を閉じている。気を失っているようだ。
「ノダリックさん! ……ノダリックさん!」
頬をぺちぺち叩く。
「俺治癒とか使えないですからね!? キスしたくないですよ! 俺のファーストキスはかわいい女の子なんです! だからさっさと目覚めてください!」
必死の呼びかけも虚しく、ノダリックさんは目を覚まさない。ならば仕方ない。嫌だけど。こんなおじさんとキスするのは、それも初めてのキスを捧げることになるなんて嫌だけど、見殺しにはできない。
俺は唇を近づけた。人工呼吸の準備をした。
しかしその瞬間、ノダリックさんの口から、水が大量に噴き出された。飲んだ水を吐き出したのだ。
「ごほっ、ごほっ…………は、はぁ」
咽せたノダリックさんは、全ての水を吐き出してから息を整える。疲れ切った顔をしていた。
「……危ないところでした。下が水で助かりました。……なんと幸運」
どうやら、この洞窟は見た目が同じだけで最初の場所とは違うらしい。
天井は真っ暗。ノダリックさんは落ちてきた穴を見上げようとするが、遙か彼方だ。
「俺はめちゃくちゃ最悪な気分ですけどね」
びしょ濡れになった顔で、ジト目で、ノダリックさんを軽く睨むようにする。
「すみません。まさかこんなトラップになっているとは」
そっちじゃない。いやそっちもだけど!
濡れた服を乾かすため、身体を温めるため、火で温まることにした。
ここらは洞窟で、枯れ木の類いは一切ない。小さな火種をふたつほど生成して、宙に浮かす。
幸いなことに、このエリアにも魔物はいなかった。ここまで幸運が重なるとなると、もしかしたら洞窟エリアには魔物は現れないのかもしれない。
「そろそろ行きましょう」
「まだ、温まっても平気ですよ」
腰を上げかけた俺に、ノダリックさんは言う。毛先は冷たいけど濡れてはいない。服も絞って乾かしてたので重くない。
「クレイさんに頼ってばかりです。無理は禁物ですよ」
たしかに、松明代わりに火を生成していたし焚き火代わりにも火を生成した。
放つだけのファイヤーボールなら俺の手から制御は離れるから、生成時の魔法だけで済む。でもある一定の場所に維持しようとすると、ずっと魔力が吸われているからじわじわと疲れる。
「いえ。ノイクが心配ですし」
とはいえ、ノイクはこれよりもずっと危機的状況にある。
ふたりでいる俺たちより、心細いだろう。あんなスカした態度を取っているけど、子どもだ。
「そうですか。では、参りましょう」
松明代わりに、ひとつだけ火種を先行させる。俺はふと思いついた。
「あ、そうだノダリックさん」
「はい?」
「これ、持っててください」
俺は腰に装備した剣を、鞘ごとノダリックさんに渡した。俺からするとちゃんとした剣だが、大人のノダリックさんが持つと包丁にしか見えない。
「ほう……これは、なかなか」
鞘から抜いた剣をまじまじと眺め、ノダリックさんは唸る。鞘に収めるとかちんといい音がする。
「これは上等な剣ですよ。量産品ではない。いい腕の職人と、いい素材が使われています。おそらく、ふたつとない剣でしょう」
「そうなんですか」
俺に剣を見極める眼はない。
あの……人外のあいつが持っているような、刀身に紋様が走るぐらいしてくれれば業物か、とは思うけど。
それにグリッドはこれを、軽く手渡してきた。誕生日でもなければ記念日でもなく、素材や職人の説明もなかった。その辺で買ってきたのだと思っていた。
「これは誰かから頂いたもので?」
貴重品を俺が軽く手渡すものだから、ノダリックさんもそう思うのも当然だ。
「はい。父からもらったんです」
「ほう。なら、お父上はさぞかしクレイさんを大事にしているのでしょう」
俺が曖昧な顔をして、答えずにいると、ノダリックさんは俺を覗き込むようにした。
「これを頂くのは気が引けます。私が持って良いものではありません」
返される。が。
「じゃあ、返してください。この秘境の間だけ、貸すので」
「ほう……」
「大事なものなので、きちんと、生きてここを出て、返してください」
「わかりました」
ノダリックさんは微笑み、腰に装備する。
「ではいましばらく、お借りしましょう」
ノダリックさんは戦えないと言っていた。戦力外だと。
それでも、護身用の武器はあるに越したことないだろう。いまの俺では、剣と魔法を両立させて戦うことはできず、あの剣は腐らせてしまう。
だったら、すこしでもノダリックさんに自分の身を守ってもらえば、俺の負担も減る。それは回り回って、俺を助けていることになる。ノダリックさんが死ねば俺も死ぬだろうし。
洞窟は最初の場所とはやはり違ったのだろう。広さが段違いだし、あの場に湖なんてなかった。
今度も道は一本だった。道の先は、黄色い砂色。ピラミッドの内部っぽい。
「今回の秘境の全体図が、すこしだけ見えてきましたね」
頷く。
注意して道を歩くと、若干上り坂になっているように感じられた。
あの洞窟が一階層、このトラップピラミッドが二階層、といった感じになっているのだろう。何階層で終わりが来るのか。それはまだまだ未知数だ。
「すこしだけ、訊いてもいいですか」
警戒しつつ、俺は遠慮がちに尋ねた。
「なんでしょう」
「ノイクとノダリックさんって、実際、どんな関係なんですか?」
ノダリックさんは自分を父親だと思っていて、ノイクを息子だと思っている。
しかし反対に、ノイクはノダリックさんが父親であることを恥じている節がある。反抗期ともまた違った、何かだ。
「親子、父と息子です。……と、そういう答えを求めているわけではないのでしょう」
俺は無言で待った。
べつに、隠しごとを暴きたいわけじゃない。
閉ざされている扉をノックして、鍵もないのに蹴破るようなそんなことは俺も、されたくないから。
だから親子ですと答えられていれば、俺はそうですか、と終わらせていただろう。
「私はもう老いぼれですからね。子を持つ年齢ではありません……」
ノダリックさんは悲しげに遠くを見やった。
「べつに、年齢は関係ないと思いますよ」
たしかにノダリックさんは初老と呼べそうな見た目だが、あっちの世界でも70歳で子どもを持った人だっていたはずだ。いろいろ常識が違うこの世界なら、その辺もまた違ってくるだろうし。
「ありがとうございます」
慰めだと思ったのか、ノダリックさんは小さく礼を言う。
「彼に母親はいません。父親も。本当の両親は彼にはいないのです。とある路地裏で見つかり、借金で首が回らなくなった奴隷商人に拾われました。
彼は言語よりも先に詠唱を学びました。彼は遊びよりも先に剣に触れました。彼は、空の青さを知るよりも先に、命の奪い方を知りました」
……安易に考えていたわけじゃない。
子どもが反発するにはそれだけの理由があるものだ。しかし、俺が考え方を変えさせられたのは事実だ。
「そして4歳の頃に、彼は売りに出されたのです」
俺はノダリックさんの顔色をうかがう。観念したように、乾いた笑みで頷いた。
「ええ。買ったのが、私です。パーティのお金で買いました。彼らには、将来、これ以上の稼ぎをしてくれるだろうと説得しましたが、本当は……」
「本当は?」
「……同情、してしまったんですかね。あの、真っ暗な瞳に」
たはは、と弱ったような笑い声。自信なさそうな顔は初めてだった。
そこには素の表情、本音らしさが垣間見える。ノダリックさんに嘘はなさそうだ。
ノイクの重く辛い人生を勝手に知ってしまったことと、ノイクの人生、過去を勝手に重く辛いものだと思ってしまったこと。そこに俺は、罪悪感と羞恥を感じる。
「ですから、彼が私を父親だと思わないのは当然なのです。それでいいのです。大事なのは、私が息子だと思っている。それだけです」
「本当に、……本当に、そうですか?」
いい父親じゃないか。素直にそう思う。
しかし俺の口から出た言葉は、ノダリックさんを試すような、真っ向から反抗するような。
たぶん、俺は彼をいい父親だと本当に思ったからこそ、言ったのだ。きっとノダリックさんからすればいい迷惑でしかないと思う。けど。それでも。
「ノダリックさんは、ノイクのことを助けたってことになるじゃないですか。なのにずっとあんな態度を取られていて、平気なんですか」
おちゃらけていた。わざとらしいほどの明るさやノリの良さは、ノイクのためにやっていたことだ。ノイクを笑わせようとしていたのだ。俺にも身に覚えはある。それを邪険にされたときの、虚しさや自分が消えそうな恐ろしさを、俺は知っている。
「ノイクももっと頑張るべきだと思うんです。笑わせるのと笑われるのは別物。笑われたら虚しくならないですか? 本当の息子じゃないんですよね? なら、嫌気がさすことはないんですか。こっちはこんなに頑張ってるのに、なんでお前は、って」
言っていて頭に熱が昇る。ある場所まで達すると、急激に冷めるような感覚になる。俺はハッとした。
「……すみません。変なこと言いました」
再び熱くなる。今度は頭だけじゃなく、身体全部だ。恥ずかしい。何を言ってるんだ俺は。
「変なことでは、ないと思いますよ」
しかしノダリックさんは変わらない笑みだった。
「嫌気がさすことはない……と言えば、嘘になります。彼は、私に笑顔を見せてくれたことはありません。それはきっと、信用してくれていないからでしょう。しかし、それでいいのです」
「……信用しないのが、いい?」
「ええ。それは逆に、信用してくれているということですから」
俺は眉間に皺を寄せた。
「トンチですか。なぞかけ?」
ははは、と笑ってノダリックさんは手を振る。
「そうではありません。そうですね、クレイさんの言うように……たとえば、彼が頑張ってくれた場合。頑張って、私の調子に合わせて笑ってくれた場合。果たしてそれは、嬉しいのでしょうか」
即座に答えられなかった。
「私はきっと、嬉しくないと思います」
俺は、目を逸らす。
「息子が、父親に気を遣って笑うなんて……それは果たして、健全な、本物の親子なのでしょうか。
彼の無愛想な態度は、ある意味では信頼の証でもあると、私は思っているのです。本当に信頼できない相手には表だけ笑って、心の中で狙いを澄ませるものです。彼は、私ならこうしても大丈夫だろうという信頼、あるいは甘えがあるからこそ、無理して笑うこともしないのでしょう」
「甘え、ですか」
「内緒ですよ? 殺されてしまいますから」
ははは、と笑ってから思ったが、あんまり笑い事ではないかもしれない。
「それに、私は彼を助けたなんて思っていませんし、父親というのは、子どもが何をしていても、案外笑って許せるものなのですよ」
ふふふ、と笑うノダリックさんは、まさにそんな感じだった。
「クレイさんは、どうです? お父上のことを、父親だと、思っていますか?」
いきなりハンドルを切るものだから、俺は反応することができなかった。
ノダリックさんはその態度で充分だと、質問を引っ込める。
「大事なのはどう見えるか、ではありません。どう思うか、です。親子と一言で摘まんでも、その関係性は十人十色。他人にどう言われようと、私たちは私たち。クレイさんもクレイさん。そうでしょう?」
ノダリックさんのような人を、強い人と言うのだろう。腕っ節や頭脳ではない。人間性の問題だ。
他人の目を気にしない、というのは、口にするほど簡単なことではない。
「では、僭越ながらひとつだけ。クレイさんにも一度、お父上とは、笑わずに話すことをオススメしましょう」
「……そんな話でしたか?」
「違いましたか?」
「……そうだった……かも? しれないです」
「それならば、よかったです」
雑談に夢中になっていたが、サングソウも新手の魔物も現れなかった。
俺はすこし、ノダリックさんの言葉を反芻していた。
親子関係。父親と息子。頑張って笑っても嬉しくない。どう見えるかではなく、どう思うか。
俺は俺……か。
グリッドは、どうだったのだろう。グリッドは、俺をどう思っていたのだろう。あのとき、なにが言いたかったのだろう。
「……あ」
小さな声。人の気配。火種を先行させる。
輪郭は子どもサイズで俺とそう変わりない。
戦闘後なのか大剣の包帯は血に染まり、顔もすくなくない返り血で染まったノイクがいた。
「無事だったかノイク!」
「それはこっちの台詞だっ」
これが終わったら、一度、帰ろうか。
それでもダメだったら、家を出る。家を出るぐらい、べつにすぐできることだ。
うん、そうしよう。




