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異世界転生すれば上手くいく  作者: 家佐水井
1章 終わりの始まり
2/6

堂々誕生


 産まれた。


 目が覚めると、知らない天井に知らない顔があった。知らない言葉も話している。


 小刻みに左右へ揺れている。意外と心地良いのでそのまま続けてくれ。


「…………ー?」


 笑ってる。かわいい人だ。


 ……ふむ。

 窓には、かわいい人に抱かれる俺(赤ん坊)が映ってる。

 これはあれだな。異世界転生ってやつだ。やったぜ。




 せっかく異世界転生したってのに、何も一人ではできないこの窮屈さがわかるだろうか。わかってくれる人はいるだろうか。

 

 何をするにも危ないとかわいい若妻が抱きしめてくる。

 赤ん坊からすると大人は巨人だ。中身は立派に男子高校生をやっていた。下の毛もボーボーだった。過保護だ。

 でも好きだから文句はない。

 この若妻に抱かれて揺られるのは気持ちが良い。良いリズム、良い体温、大きなおっぱい。

 抱かれ心地最高。赤ちゃん最高。


「……あっ。グリッド! おかえり」

「おぉ。ただいま」


 グリッド。それが父の名前。

 母であるアリスはグリッドの帰宅を笑顔で迎え入れた。

 俺を抱きながら二人はちゅっとする。

 この男は若妻であるアリスの抱き心地を知っているのだろう。まあ、抱かれ心地を知っているのは俺だけだろうから、そこは譲ってやる。


「グリッドも抱いてみる?」

「……いや、良いよ」

「あらなんで? グリッドったらいつも抱かないじゃない。……クレイもお父さんに抱っこしてもらいたいよねー?」


 今ご紹介があったように、俺の名前はクレイ。名字はストロルというらしい。クレイ・ストロル。

 見た目から日本人ではない夫婦と、日本語とは違う言語。

 まあ、これだけなら異国という可能性も捨てきれなかった。外国人、英語以外の言語と言ってしまえば説明がつくから。

 ただ、ここが異世界だと断言できる明確な理由が、グリッド、つまり父の手にある物を見ればわかる。


「ほら、クレイだってパパーって言ってるわよ?」


 言ってないが。

 むしろ抱かれたくないが。


「そうか? 俺には……嫌そうに見えるが」


 よくわかってるじゃないか。


 グリッドは父らしく息子の意志を汲み、そして手に持った剣を立てかけた。


 この父グリッド・ストロルは、どうやら剣士らしい。剣の腕でこの生活を支え、俺たちを養っているのだ。

 魔法というのも日常会話でよく出てくるので、これはもう異世界と断言して問題ない。


「残念ねぇ。アイラの時は、家に居るときずっと抱っこしてたのに」

「そのせいか、アイラ様は旦那様を避けているようですけど」


 その一言に、グリッドはあからさまにショックを受けていた。

 苦しめる一言を放ったのは、きっちりとした佇まいのメイド服を着るクリミアさん。アリスの母に当たるぐらいの年齢に思える。推定年齢五十代前半。

 アイラ・ストロルというのは俺の姉になる子のこと。今年で三歳になるらしい。俺よりも三つ上。

 俺が産まれる前のことなので知るよしもないが、どうやらアイラがグリッドを避けているというのは本当らしい。


「まあ、しょうがないわよ」

「それはどちらに対してのしょうがないですか? 旦那様が抱っこしてたこと? アイラ様が避けていること?」

「……アイラが避けてること」


 気まずそうな面をしながらアリスが言うと、更にグリッドはぐはぁ! と呻いた。


「だ、だってそうでしょぉ!? グリッドったら、四六時中ずっと抱っこしてたんだから!」

「そ、そんなの言ったら……アリスだってクレイのこと……っ」


 泣きべそかいてる。

 見た目に反して情けない。


「クレイちゃんは嫌だって言ってもないし、そんな顔もしてないもの。……ねー?」


 はいお母様。


「ほらこの笑顔見てみなさいよおー。……もうかわいいんだからっ!」


 お母様の方が何倍も可愛いですよ。

 あ、できればあと、そのちゃん付けやめてくださいね。

 俺は、男ですので。


「……」


 じとっとグリッドに見つめられている。なんだなんだ、やるのか。こっちにはアリスという最強の味方がいるんだぞ。


「……シャワー浴びてくる」


 逃げたな。


「はんっ」


 敗者には盛大に嘲笑を浴びせてやった。それでもかわいいと言ってくれるのだから、赤ちゃん最高。


 アイラがグリッドに抱かれて嫌な顔と嫌だと言いつつ全力で拒否している様が鮮明に描けた。

 何度かグリッドに俺も抱っこされたことはあるから、気持ちがわかる。

 硬いし、汗臭いし、揺れが不格好だし、何よりビビってるのが丸わかりでこっちまで怖くなってくる。


 赤ちゃんってのは抱っこされる分、抱っこする側に命を預けているようなもの。そいつがビビってるとこっちまでビビるのだ。

 そこんところは、わかってほしい。




 たぶん2歳になった。


 たぶんというのは実感がないからだ。

 誕生日パーティーがあって、よくわからんけど手製の王冠を被せられて、ちょっとばかし豪華な食事を用意されたけど、一年二年と時間が過ぎた感覚がない。

 理由としてはそのほとんどを眠って過ごしたから、だろう。

 恐ろしいことにこの身体、何もできないくせに睡眠だけは人一倍要求してくる。


 まあ、することもできることもないから、良いんだけど。


「……大丈夫かしら」

「個人差ですから」


 ただ、暢気な俺と違って、寝てばかりの俺について、アリスは不安があるらしい。


 はぁ、と憂いた様子で溜め息をつき、メイドのクリミアさんと相談しながら俺を見ている。


「クレイちゃん、まだ何もしゃべってないのよねぇ……」


 何かしゃべることがあればしゃべるのだが。特別しゃべることがないのだ。

 ほとんどアリスが抱っこしているので、ご飯やおむつも速攻変えてくれるから泣く必要もない。

 歩けるようになって一人で家の中を徘徊できるようになったが、大抵アイラの遊びに付き合わされるか本を読んでいるだけ。

 アイラは俺がしゃべらなくても満足している。


「アイラと違って、落ち着きだけは良いのよねぇ……」

「ええ。アイラ様の時の歯磨きは……思い出したくありませんね」


 嫌な記憶でも思い返しているのだろうか。二人は青い顔をしている。


「そうよね。クレイちゃんったら、歯磨き全然嫌がらないで…………はぁいクレイちゃん。上のお口開けてね~」


 上のお口?


「俺は男だよ?」

「…………」


 あ、やってしまったか。

 これでは性への理解度が高すぎる。ったく、幼児ってのも難しい職業だ。


「……しゃ、しゃべったわよ!」

「え、ええ。そうですが奥様。今のはさすがに……」

「クレイちゃんがしゃべったわよ! しゃべったの~!」


 嬉しそうだ。

 たかが一言に、そこまで歓喜するのだろうか。

 というか上のお口ということは、下のお口があるということ。

 絶対グリッドの趣味だ。プレイの一環でそういう指示があったんだ。

 下の口は素直だなぁ……げへへ。みたいな。うわぁ気持ち悪い。ねぇ? クリミアさん。




 3歳になった。


 クレイ・ストロルという自分がはっきりしてきた。

 と同時に、他の人のこともはっきりしてきた。


 グリッド、アリス、それからアイラの三人は、金髪に緑の瞳をしている。日本人でいうところの黒髪黒目みたいなものなのだろうか。

 メイドのクリミアさんは白髪があり、執事のカイさんも同様。

 俺はというと、


「……なぜ俺だけ」


 髪が黒い。


 グリッドとアリスのラブラブな関係を見るに、二人の間に入るような不届き者はいないだろう。

 俺も二人の血を引き継いでるためにかっこかわいい顔はしているのだが、なぜ黒髪なのだろう。

 これが転生の名残? 日本人ボーナス? いらんことしてくれたな。神様がいるなら恨んでやる。


 それ以外で大きな変化と言えば、姉が家を出たことだ。


 姉は来年で7歳になる。小学校に通う年齢。こっちでいうと初等部らしい。王都へ慣れるため、寮生活に慣れるため、クリミアさんと一緒に王都へ行った。

 村の他の女の子たちと一緒に通う約束をしたみたいで、グリッドと軽く言い争いみたいなこともしていた。

 俺からすれば子どもの好きにしてやりなさいよ、って感じだったし、実際アイラから相談という名の愚痴に付き合った時はうんうん全部お前が正しいよって肯定してやったが、まあ、親からすれば親なりの心配ってのがあるんだろう。


 俺は気楽に一人でやっている。


 せっかくの異世界なので、魔法というのも試してみようと思っている。


「我が意を聞き届け、赤き炎となりて顕現し、かの者を焼き払わん。……ファイヤーボール」


 広げた本にある詠唱とやらを読んでみる。

 ファイヤーボールなるものは発動しなかった。

 俺の顔がかぁ……っと熱くなっただけ。


 恥ずかしい。いい歳してこんな詠唱を大真面目に言うなんて……恥ずかしいったらありゃしない。

 本には誰でも詠唱すれば魔法を使えるって書いてあるけど……嘘じゃないか。赤っ恥だ。そういう意味のファイヤーボールかっ!?

 

 気怠さ、不快感みたいなものは一瞬体内を巡ったが、それも本当に一瞬のできごと。魔法のまの字もない。


「まあ、まだ3歳ですし」


 ぱたん。

 本を閉じた。

 何事も、諦めは肝心。

 困ったら寝よう。寝て忘れよう。うん、それが良い。




 4歳になった。あ、一年間寝てたわけではないからな?


「……」

「ほらクレイ。あなたの妹よ」

「……ちっちゃいね」

「あなたもそうだったのよ」


 そりゃそうだ。


「ママもこうだったの?」

「ママもこうだったの」

「きっとかわいかっただろうね」

「んふっ。パパもこうだったのよ」

「えぇ。……人間って不思議だね」


 ……グリッドもこうだったとは、信じられん。


「うわ、握った」

「ふふ。安心してるのよ」


 人差し指を、手の指ぜんぶ使って握ってくる。


 俺に妹ができた。


 名はサイラ。サイラ・ストロル。


「クレイはお兄ちゃんだからね。ちゃんと妹を守ってあげるのよ」

「……うん」


 妹なんて初めてだけど、……俺が守ってあげよう。心からそう思えた。


 この一年間で着実に、遅い進歩だったかもしれないけど、俺は魔法の練習をしていた。

 執事のカイさんから古く安物の杖をもらい、それを握って詠唱をすれば、ファイヤーボールは簡単に出現した。

 特に何かを意識することもない。ただ杖を握って詠唱するだけで、炎の玉が浮かぶのだ。


「我が意を聞き届け~赤き炎となりて顕現しぃ、かの者を焼き払わん~。……ファイヤーボールぅ~!」

「おぉ!! さすがですクレイ様。これは将来が楽しみですね!」


 拍手が鳴り止まない。これが初めてのことでもないのに、カイさんは自分のことのように喜んで褒めてくれる。

 こんな風に気怠げな詠唱でも発動できてしまうので、魔法に対する幻想らしきものも崩壊してしまった。

 詠唱が恥ずかしいという感情も消えてしまった。まあ、これは良いことに入るだろう。


「ちょっと~外に出てきますぅ~」

「わかりました、お気を付けて。お夕飯までには帰るのですよ~」


 さっき昼飯を食ったばかり。夕飯まではあと五時間以上あるのだが。


 適当に挨拶を返して、俺は家の庭を出た。


 我がストロル家があるのはノーザン村という場所らしい。グリッドはこの村の警備隊長? 的な位置らしく、同時に村の若者を鍛える師範的なこともしてるらしい。相当な腕前であることがうかがえる。

 近くの魔物や獣の排除が主な仕事のようで、グリッドは家とは違って結構頼りにされているみたいだ。

 ストロル家の建物も、この村では一番と言っても良いほどのサイズである。二階建てで、二階には個人部屋が何個かある。一般家庭とは思えない大きさだし、なぜか食堂がある。この四年間で使ったところは一度も見たことがない。


 ノーザン村はのどかな場所で、のんびりと平和だ。この生活も二重の意味でグリッドのおかげなのだろう。

 グリッドが働かないと俺たちは生きていけないし、グリッドがちゃんと危険と隣り合わせになりつつも魔物や獣の排除をしてくれているから平和が成り立っている。


 カイさんに教えてもらった通りの場所へ向かえば、そこには子どもたちが大勢居た。

 遊具がない公園と言えばわかりやすいだろうか。鬼ごっこ、おままごと、ちゃんばらをしてる俺と近しい年齢の子どもたちがたくさんいる。

 友達作りのため、とこの場所を案内されたが……うぅむ。友達ってどうやって作るのだろう。

 いくら人とそういう場所が用意されても、俺に声を掛けるというスキルが皆無であれば、何にもならない。


 のだが。


「……お。いいじゃないか」


 ふと、目に止まった。一人の男の子。

 木の下でスケッチブックを開いている。

 おそらく彼も友達はいないだろう。同じ匂いがする。

 ただし俺は腐っても十数年の人生を一度は生きている。彼らと比べれば大人。この一桁年齢のガキどもに臆することはない。


「何してるの?」


 爽やかな笑顔。

 ビクッとした男の子。おそらくあまりにも俺がカッコよすぎて緊張しているのだろう。


「あ、え、えっと、絵、絵を……その」

「へぇ。上手だね」


 まあまずは褒める。これが重要。子どもは褒めとけば何とかなるだろうし、普通に上手い。俺に絵の才能はない。


「そ、そうでもない、よ。こんなの誰でも……でき、る」

 

 目線が合わない。

 この子は別に緊張しているわけではないらしい。友達のいない俺だからわかる。緊張している時の態度じゃない。

 これは……怯えてる? 何に? 何を怖がってるんだ?


「おっ。また変なのが変なの描いてんぞぉ~!」


 影が差し込んだと思えば、彼の手からスケッチブックが取り上げられた。


「あ……! 返し、て!」

「へへん! だったら取ってみろってんだよ~!」


 なるほど。

 やれやれまったく、どこの世界にもこういう奴らは存在するのか。

 俺よりも背は高い。おそらく6歳か7歳ぐらいだろう。ザ・悪ガキって感じの風貌。

 必死に取り返そうと男の子は手を伸ばしているが、届かないようだ。悪ガキは仲間内でスケッチブックを投げ回しながら遊んでいる。

 周りの遠巻きに見る目、男の子の態度から、これが一度や二度のできごとでないことがわかる。


「……あぁ?」

「お前何するんだよ!」

「え?」


 取ってみろって言ってたから取っただけなのだが。

 たしかに俺からも男の子からも身長は届かないかもしれないが、悪ガキどもがスケッチブックを投げたタイミングで割り込むように奪えば簡単に取れる。

 

「はい」

「あ、ありが……と」

「いやいや。君が引き付けてくれたからだよ」


 悪ガキに突撃して注意を引き付けてくれたおかげで、俺は気配を殺し投げたタイミングに割り込むことができた。

 ふっ。俺ってば優しい。気遣いもできてしまう。性格もイケメンなのか……。


「ところできみ、お姉ちゃんか妹はいる?」

「……え?」


 助けた相手が女の子だったらなぁ……とか思ったそこのお前は非モテだ。

 きっと今日、彼は家に帰って今日一日あったことを話すのだ。今日友達ができたんだ、とってもかっこよかったんだ。彼氏にするんならああいう子がいいよ! と、勧めてもらうのだ!


「ぼ、僕は一人っ子……だよ」

「……」


 ……いいか。男女問わず優しくできるからこそ、モテるんだ。この颯爽と助けた様を、周りの女の子たちに見せる。これが大切なんだ。

 他人にも優しくできるそんなところに惹かれて……! という女子が、これで数多く生まれたことだろう。ほら、見ろ。みんな見てる。俺の軽やかなステップでの奪取と優しい気遣いの言葉と甘いフェイスに女の子たち、注目してる。

 ふはっ、ふはははっ……!


「テメェ何余計なことしてんだよぉー!」


 とか何とかしていたら、肩を掴まれた。頬に拳が飛んできた。


「……っ」


 痛い。

 めちゃくちゃ痛い。

 よそ見していたのが悪いけど、俺を四歳のガキと侮ってもらっちゃあ困る。


「みんな見てたー!? 先に手を出したの、こちらの方ですよねー!?」

「あ、あぁ!? なんだてめぇ!」

「その考え無しの頭に教えてやる! 世間はこれを正当防衛と呼ぶのだ! ……とうっ!」


 めちゃくちゃに痛かったが、先に一発もらった。先に手を出したのはあっちだと、この場の全員が証明してくれる。

 ここからは俺のターン。

 今からお前らの攻撃は一発も当たらないと思え。


 俺をただの年下だと思ったら痛い目を見るぞ。中身はとっくに大人! なんなら一回死んだから痛覚の基準も低くなってる!




「――うわぁあああん!!」


 しばらくして、そんな泣き声に大人たちが集まってきた。


「ふう」


 やれやれ遅いご登場ですこと。

 

 俺はべつに彼を痛めつけたいわけじゃない。加減を知らない人の痛みがわからない暴力少年じゃない。むしろ、こいつに痛みを教えてやっているのだ。親の教育不足を補っているのだから、感謝されるべきだろう。


 仲裁人の大人たちが血相を変えて駆け寄ってきたので、俺は拳を止めて馬乗りから解放してやった。


「落ち着け!」

「落ち着いてます」

「やめるんだ!」

「やめてます」


 こいつみたいに泣きじゃくっているわけでもなく、冷静に周囲は見えている。だから俺は、皆さんが駆け寄ってきたところで立ち上がったのだ。

 なのになんで俺は羽交い締めされている。抵抗していないのわかるだろ。足が地面につかなくて痛いんだけど。


「……んん!? この子……グリッドさんとこの息子じゃねぇか!?」


 まさかグリッドは実は裏で嫌われているのか……!?

 若造のくせに村の重要ポストを担い、村一番の家を建て、美人の妻とかわいい娘と聡明でイケメンで将来に期待しか持てない息子に囲まれ、つい最近新たな命も誕生したグリッド……。

 こう見ると幸せの真っ只中だ。たしかに、嫉妬の的になるかもしれない……。そうだとまずい。俺は父の代わりにリンチされるかもしれない……!


「弁護士はどこですか!?」

「……とりあえずグリッドさん呼んでこい」

「実は俺の父って弁護士も兼任してるんですか!?」

「なに言ってんだこの息子は」


 


 その汗は鍛錬か授業か、それとも村の外に出ていたのか。あるいは、息子が大変だと言われたからなのか。ともかく、グリッドはすぐに来た。汗だらけで、息を切らしながら、現状に目を通す。

 まず俺。大人に肩を掴まれた俺。

 次にこいつ。対面で涙を拭いしゃくりをあげ、両肩に大人の手を乗せられている。

 そしてあいつ。事の発端であるあいつは、スケッチブックを胸に抱きかかえておろおろしてる。


 こいつにも俺にも顔に傷があるのを確認してから、グリッドは厳しい面持ちをした。


「ふたりが殴り合いをしていたんだ。というか……ほとんど、息子さんが馬乗りになって一方的に」


 頷く。しかしグリッドはそれだけでは断定をしないようで、


「なにがあったんだ。クレイ」


 俺にそう訊いてきた。

 大人は結果しか見ていないし、その結果も一部分。グリッドなら、俺の言い分も訊くだろうと思っていた。もしもこれでいきなり俺をぶん殴ってきたら、今度はグリッドと一戦交える必要がある。


「実は」


 そう口を開きかけたとき、


「いきなりこいつが、……殴ってきたんだ!」


 先手を打って来やがった。

 おそらく、俺に本当のことを言われるとまずいと悟ったのだろう。いまの周りの大人の目が物語っている。

 完全に、俺に疑いがかかっている。


「本当なのか」

「いや、殴ってきたのは向こうが先だよ。俺は正当防衛をしたんだ」

「だがちょっとやり過ぎじゃないか」

「そりゃ、相手ひとりじゃなかったからね。加減なんかしてたら、その隙に囲まれてるよ」


 もしも俺が本気で、全力で、力の差というやつを見せつけに行かなかったら、きっと今頃俺はあの子のスケッチブックになっていただろう。


「じゃあ、他には誰がいたんだ」

「名前はわからないけど……顔を見れば」


 グリッドは周りを見渡す。スケッチブックを持った彼は明らかに違う。

 周囲にこいつの仲間はもういない。俺が馬乗りになった段階で、他の連中はこいつを見捨てて逃げたからな。


「俺はなにもしてないのに゛ぃ……!」


 なにもしてないことないだろう。じゃあなんだ。俺がなにもしてないやつをいきなり殴りかかったとでも言いたいのか。


「相手はこう言ってるぞ」

「……??? ……え、自分の息子より他所の息子を信じるんだ」


 ……ふーん。なるほど。そうかそうか。

 相手はこう言ってるぞ。

 口でなら何とでも言えるだろ。じゃあ俺は違うって言ってるんだけど、うちの息子はこう言ってるってなんで相手に言えない。なんで俺を問い詰める。

 父親ってこういう生き物なのか? 自分の息子より、他所の息子を信じる生き物なのか。そんなに世間体が大事なのか。家では妻の尻に敷かれているグリッドだけど、やるときはやる男だと思っていた。

 父親って、親って、いつ何時も子どもの味方なんじゃないのか。違うんですか。そうですか。

 けっきょく、世界が変わっても親ってのは変わらないじゃないか。


 俺は、グリッドから裏切りを感じた。


「じゃあ、周りに訊けば? 俺がなに言っても否定するんだから」


 グリッドはすこしムッとした。なんでムッとするんだ。お前にそんな権利あるか。


「……きみ。なにがあったか、わかる? どっちが本当のことを言ってる?」


 この場で、俺とこいつの一番近くにいた子どもはあいつだった。

 こいつの仲間は逃げたし、ほかの子どもも帰ったか遠巻きに見守っているだけだったので、あいつに訊くのは道理だ。

 俺の言葉が信じられないのなら、あいつの口から真実を語ってもらえばいい。俺はあいつを助けたのだ。初対面で助けたのだから、どっちにつくかは明白。というかそもそも、俺は悪くない。


「……」


 と、思ったのだが。

 こいつがちら、ちらと俺とあいつを交互に見て、迷った挙げ句に指さしたのは、あいつだった。

 つまりこいつは、あいつ側についたのだ。いじめられていたやつが、いじめていたやつの味方をしたのだ。

 なんて恐ろしい……。


 あ、ちなみにこいつとかあいつとか言っているのは、名前を知らないからだ。


 さらにさらに、俺はその日、晩飯抜きになった。成長期だというのに。食べ盛りだぞ!

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