猫じゃなくて猫又!
サスマン帝国のシィオルツという街に着いた。
道中、ドゥリュウさんは俺を抱えてノンストップだった。一睡もせず、一滴も水を飲まず……その疲れ切った顔から察するにはあまりある。体力もさることながら、その気力、脚力にも脱帽ものだ。もしかしたら馬車よりも速いのかもしれない。あと一週間は掛かるだろう距離を、ドゥリュウさんは三日程度で駆け抜けた。
これが、ソロのAランクということなのか。
太陽が昇って沈んで、また昇り始めても、走っていたのだ。延々と。
俺は命の危機と混乱と、それからアイザのことが心配になって、寝るに寝れなかった。真っ暗な夜中、ほんのりと白んだ朝方、照りつける昼間。ドゥリュウさんの、歯を食いしばる顔だけがあった。
「……ドゥリュウさん!」
シィオルツに一歩踏み込んだところで、ドゥリュウさんは、糸が切れたように倒れた。
ドゥリュウさんにそんな素振りはなかったから、おそらくアイザがやったのだろう。深々とした背中の傷跡は止血は済んでいるものの、無視できるほどの軽傷ではなかった。
無理やりに繋ぎ止めていたものが途切れたドゥリュウさんは、疲労も積み重なっていて血の気が引いていた。
「誰か……」
見知らぬ国。見知らぬ街。見知らぬ人ばかり。
「どうすれば……」
119番……なんて、ここにはない。
医者か。医者ってどこに行けばいい。病院だ。病院はどこだ。
死ぬのか。ドゥリュウさん。アイザも死ぬのか。こんなふうに。……ダメだ。死んじゃダメだ。
俺はドゥリュウさんを肩に担いだ。七歳の誕生日を迎えたばかりのガキには、大男ではないドゥリュウさんの身体でも、重かった。
引きずるようにして運ぶ。
俺も不眠不休だった。荷物を回収する暇なんてなかったから水分補給も食事も取れていない。太陽が熱い。熱いのに、汗は出ない。喉がカラカラだ。足がもつれる。
「うわ。大丈夫そ~? ……じゃ、ないよね~」
にゃはっ。と影が差し込んだ。
スベスベだ。いい匂いがする。気持ちが落ち着く。一生、このままでいたい。……なんだこれ?
「……に゛ゃっ!」
柔らかい棒があった。ふわふわしていた。二本もある。
「エロガキにゃ」
耳元で囁かれる。俺は飛び起きた。
「……」
「にゃはは。目が覚めたかにゃ~?」
俺は、ベッドの上にいた。
となりに、見知らぬ女の人がいた。
服も、違った。
「……俺の純潔が!」
「なにもしてないよ!」
「け、警察……! いやこの場合は自警団……騎士? 衛兵ーー!!」
「ほ、ホントにやめて! ホントに! なにもしてないから!」
「もがもが」
ベッドから逃れようとする俺に乗りかかるようにして、彼女は口を塞いできた。
「あ、ごめん」
手を離してくれる。これで話せる。
「でも服は脱がしたんでしょう?」
「それは仕方ないにゃん。必要経費だにゃん」
「じゃあ見たんだ」
「ふにゃちんにゃん」
「だれかーーっ!! 誹謗中傷でーーす!!」
「めちゃくちゃ立派だった!」
たぶん、命の恩人なのだろう。命の恩人ではあるのだろうけど、危機でもある。貞操の。
俺は彼女からすこし距離を取った。
ここは普通の宿屋っぽい。ギシギシいうベッドに、簡素な机と椅子があるだけ。
俺は椅子をベッドの前に持って来て、彼女と対面する形で座った。
「助けて……くれたんですよね?」
「そういうことになるにゃん。命の恩人にゃん」
ベッドの上であぐらを掻いているのは、かなり際どいお姉さんだった。ダメージジーンズというより、ほとんど千切ったようなショートパンツ。それからビニール袋みたいなシャツ。……猫? 俺がまず受けた印象は、茶トラ猫だった。
とはいえそれは似ているということであって、本物の猫というわけではない。成人済みの人間に、猫耳と尻尾がある。
しかし、俺は彼女のことを獣人だとは思わなかった。ニーナという獣人の前例を知っている俺からすると、なんだか根本的に違う種族な気がした。まあ、ニーナしか知らない俺の感覚が間違っているのだろう。
「命の恩人にゃん」
成人済みに見える女性とはかけ離れた、子どもっぽい笑みで繰り返してくる。
「ああ……はい。あっ、ありがとうございました」
俺は礼を言うのを忘れていた。
「違うにゃん」
「え?」
そうじゃなかったみたいだ。
「命の恩人にゃん」
右手の親指と人差し指で丸を作っている。無邪気に、子どもっぽく、げひひと汚らしい笑みを浮かべる。
「……けっきょく金かよ!」
「払ってくれないと明日の宿費が払えないの!」
俺は縋り付かれた。
「お願いにゃん~。見捨てないでにゃん~。痛む心とかないにゃん?」
……俺は頑張っていろいろ飲み込んだ。
「ドゥリュウさんはどこに?」
「あの一緒にいた男なら……となりの部屋にいるにゃん」
部屋を出る。彼女に指示に従ってとなりの部屋をノック。返事はなく、入りますよ~と断ってから扉を開けた。
「……」
息を飲む。
ベッドの上に、ドゥリュウさんはいた。
うつ伏せで眠っていて、背中に巻かれた包帯はあの切り傷の跡が赤黒く浮かび上がっている。
「応急処置はしてあったみたいだから、見かけほど深くはないよ。医者を呼んで治癒もしてもらった。これでもう身体のほうは大丈夫」
「……身体のほうは?」
「うんー。そこが問題なんだよねー」
にゃはは、と気弱に笑う。
「問題は、あの傷がただの切り傷じゃないってこと。誰にやられたのかは知らないけど、ただの剣じゃないことは明らかだね。魔力が回復してない」
「魔力が回復しない……ってのは、どういうことになるんですか」
「生き物は必ずしも魔力を持ってる。その大小にかかわらず、微弱でも必ず持っている。持っていないと、死んじゃうんだよ」
「死ぬ……」
生きているものなら必ず魔力を有している。命あるところに魔力あり。それは知っている。だが、持っていないと死ぬというのは……知らなかった。当たり前と言えば当たり前のことなのか。
「うーん、あんまりこういうの得意じゃないんだけどな」
そうぼやきながら、彼女は続けた。
「いまも目に見えないだけで、空気と同等に魔力は漂ってる。魔力を使うとそれらを吸収することで、体内魔力を戻していく……んだけど、もしも魔力を持っていない人がいたら、体外の魔力を、自分の身体に適応させずに吸収してしまう。魔力は毒。使いすぎも、使わなすぎも、害がある」
「……でもドゥリュウさんは魔力を持ってますよね?」
「そこが難しいところにゃんだよねー」
腕を組む。彼女は真面目な顔でドゥリュウさんを見つめた。
「たぶん、彼は魔力を全て使い切ってここまで来たんだ。体力も気力も魔力で繋ぎ止めた……文字通り、空っぽになったんだよ。でも、それだけじゃあこうはならない。普通、安静にしてれば魔力は自然に回復する」
厳しい視線は、その切り傷にある。
「きっとこれをやったのは魔剣だね。彼の魔力回復を邪魔してる……いや、吸ってるのかな? 回復と同時に、魔力が消えてる」
「なんか、真っ黒な剣に、刀身には赤い紋様が光ってました」
「ならもう魔剣で確定だね。誰だか知んないけど、厄介なのに絡まれちゃったねー」
かわいそうかわいそう、と他人事のようにうそぶく。
「……このままだとドゥリュウさんはどうなるんですか」
「目は覚めない。肉体がやつれて死ぬか、大気にある魔力を肌が吸って毒で死んでいくか。どっちかだね」
「助ける方法はあるんですか」
「そうだねー。あるっちゃあるよ」
「どうすれば」
「まあ、クレイくんには無理だと思うけど」
「どうして……!」
そう食って掛かろうとする俺なんて、どこ吹く風。彼女は机に置かれた荷物袋を取り出した。
「手持ちないでしょー? 薬草も買えないんじゃない?」
荷物袋から出てきたのは、どれも俺の荷物だった。
アイザから渡された手帳、グリッドから渡された短剣、ニーナからもらったマフラー。それからすこしの小遣いが入った財布。
教科書や着替え、食料に水筒などが入るほどのスペースはない。
「ここの宿賃、それから着替え、食費。……それから謝礼」
「謝礼?」
彼女は自分を指さす。
「すこし待ってもらえません?」
「それは医者と、シェフと、ここの主人に言ってほしいにゃん。謝礼がもらえないと明日も生きていけないにゃん」
にゃんじゃないが。かわいこぶってるんじゃねぇぞ。かわいいけど。
腹が鳴った。
「とりあえず、なんか食べましょう」
ドゥリュウさんの前に俺が死んでしまう。
「ご馳走ににゃる!」
奢るとは言ってないが。
階下に降りる。
どうやらここの宿屋は二階が部屋で、一階で食事が取れるらしい。どれもこれもお手頃な価格だ。懐が痛い俺にとってはありがたい。
宿屋よりも飲食店としての人気が高いのか、明らかに部屋数よりも多い人が一階に入っていた。
適当に注文して、何十時間ぶりの水を飲む。
「ところで、まだお名前を訊いていませんでした。自分はクレイです。クレイ・ストロル」
「ボクはミシュル。好きに呼んで良いにゃん」
「じゃあミシュルさん。あなたって……獣人? なんですか?」
「ボクは猫又にゃん」
猫又……妖怪の? だから尻尾が二本あったのか。
……この世界は妖怪もいるのかあ。いや妖怪という扱いじゃないのかもしれない。そういう種族、人種って可能性もある。
不用意な発言は慎んでおこう。
「ボクからも訊いていいかにゃ?」
「スリーサイズ以外なら」
「なにがあったにゃん?」
ミシュルさんは特にツッコむこともなかった。
俺は、考える。
ただの剣ではなく、魔剣による傷を受けたドゥリュウさん。命辛々と言うのが相応しい体たらくで逃げてきた俺たちを見て、ただ事ではないと思ったのだろう。
「……俺にも、よくわからなくて」
先生だと思っていた人に命を狙われた。
足が竦み自分が塗り潰されて霞んでいきそうなほどの化け物に、二度も命を狙われた。
俺は、あの場でのことを思い出していた。
「アイザ……大丈夫かな」
大丈夫だとは思うけど。思いたいけど。
もしも死んでしまったら……俺を守るためだったのだとしたら……俺は、自分を許せそうにない。
「まあ、きみのお師匠さんなら大丈夫にゃん」
「……知ってるんですか。アイザのこと」
「逆に知らない人のほうが珍しいにゃん」
いったい、アイザはどこまで有名でどこまで凄い人なのだろう。こんな、国外に行ってまで名を轟かせ、信頼されているなんて。
彼女の弟子を名乗るのが恥ずかしい。烏滸がましくなってくる。
料理が届いた。
「まあ、こういうときは他人の心配よりも自分の心配にゃん。お互い、自分にできることをするのが、いい結果に繋がるにゃん」
「……ですね」
てらてらとソースで輝く骨付き肉。
ミシュルさんが差し出してくれたそれに齧り付こうとした瞬間、ミシュルさんは自ら頬張った。
すごく満足げでほっぺが落ちそうって感じだ。なんなんだこの人は。
「けぷっ。もう食べられにゃい~」
俺の知り合う女の人はなんでこうなんだろう。
アイザは乱暴女で、セシリア先生は殺人鬼で、ミシュルさんは椅子に横たわって胃袋を破裂させん勢いで膨らましている。
やっぱり俺にはニーナしかいないな。
「すこしは自重ってものがあると思います」
「もしかしたら、今日が最後の晩餐になる! ……かもしれにゃい」
はあ、と溜め息をつく。
残念なことに、俺は言い返せなかった。何の前触れもなく命を狙われたのだから。
しかし七歳のガキに奢られるのは大人としてどうなのだろう。これは男女の割り勘問題には該当しない。
……いや? もしかしたらミシュルさんもその気なのかもしれない。これはさり気なくOKサインなのかもしれない。ミシュルさんは立派と言ってくれたし。
「じゃ、行ってみよう」
支払いを済ませると、ミシュルさんは出掛ける準備を整えていた。
ここの宿屋は壁が薄いとか、設備が整っていないとかなのだろう。
行き先は、ホテル街なのだろう。
「……マジで?」
「どうしたにゃー?」
マジで行き先がホテル街だった。
いやまあ、あっちみたいに光輝く縦長の建物が乱立しているとかじゃないし、そもそもいまはまだお昼過ぎだし。
でも、雰囲気がそうだ。
行き交う人に家族連れはいない。薄着で谷間ともうパンツ見せに来てるようなドレスを着た女の人、派手なメイクと甘ったるい香りを漂わせた女の人。彼女たちを胸に抱き寄せたいけ好かない男、尻や胸を揉みながら歩く屈強な男。
彼らが入っていく建物がそういうホテルじゃないと、言えなかった。
「いや。……いやいや。そりゃ俺も男だし? ミシュルさんかわいいしおっぱいもあるし太もももあるし笑顔が素敵だし……好きだけど? でもまだ子どもだよ? こういうのって付き合ってからじゃない? まだ定職にもついてない。責任取れないな……」
「なにしてるんだにゃー?」
「一夜だけのお楽しみ……? みんなやってる……? 後腐れなし? ……ならいいのか?」
俺は駆けた。
「いま行きまーす!」
クレイが男になる日が来たのだ……!
「そうそう。だからさ、魔剣の効果を打ち消せる薬とかあったらほしいんだけど」
「まあ、そうだよね」
そもそも俺のエクスカリバーはまだ深い眠りについてるし。精も通じてないし。
ミシュルさんが入っていったのはいかがわしい建物と建物の間。細い路地裏を進んだ先にある、知らないと辿り着けない店だった。
その店のスペースも狭い。カウンターがひとつあって、老婆らしき怪しげなおばさんがひとり座っているだけ。俺とミシュルさんが入るともうほかの客は入れそうにない。椅子もなかった。
怪しげな物を売買していると怪しげな占い師って感じだ。
「あるっちゃあるよ。でも高くつくよ」
「どんぐらい?」
「こんぐらい」
老婆は値段を書いた。そのままミシュルさんは俺に丸投げしてきた。俺は目玉が飛び出た。
「ツケとかできないの?」
「あんた、これと同等のツケがあるだろ」
そんなことをしてるから、ミシュルさんはいつまで経ってもお金がないんじゃなかろうか。
「ほかにも買い手はいるからね。どうする」
「むむむ……」
と、ミシュルさんは唸っている。だが、彼女は悩む必要はない。ミシュルさんが払う必要はないのだから。
「すこしだけ、待ってもらえませんか。予約ってことで」
「早めに来るんだね」
俺たちは路地裏を出て、ホテル街を出て、宿屋に戻る。やっと息ができる感じがした。
「どうするの。なにかアテはあるの」
「ないです」
「にゃんだ~……」
ぼすっとミシュルさんはベッドに倒れた。
「でもなんとかしないと。ドゥリュウさんは俺を庇ってああなったんですから。お金で解決できるなら、安い物でしょう」
「……」
「最悪腎臓とか売れば」
「子どもがそんなこと言うんじゃないよ!」
飛び起きたミシュルさんは、はぁーと言いながら再びベッドにぼすっと落ちた。
「まあ、一攫千金ってのも、にゃいわけじゃにゃいんだけどね~」
「それは?」
「秘境攻略」
「……あぁ」
秘境。秘境ねえ。
「俺に攻略できそうですか?」
「うーん無理」
「そ、即答」
「そもそもギルドから許可下りないにゃん。お師匠さんがいるならまだしも……クレイくんじゃあねえ?」
AランクからSランクになるためには、Aランクの依頼を複数こなすのはほかのランクと変わらないが、最終的には秘境の踏破が条件となってくる。
つまり秘境というのは、Sランク冒険者が挑むものなのだ。そのSランクですら秘境は死ぬことが多い。Aランクで停滞している人の多くは、秘境に尻込みしているからなのだ。
「実はミシュルさんが超有名凄腕パーティの一員だった!」
「ならよかったにゃねー」
そう都合よく行くはずもなく。
「それに、もしもそうだったとして、ギルドからの許可をもらえたとしても、無理にゃん。ふたりだけじゃ……死んじゃうにゃん」
そりゃそうだ。
自信と実績のあるAランク冒険者が、Sランク冒険者が死んでいく秘境に、ミシュルさんは俺というお荷物を抱えていくのだから。
「じゃあ、無理か……やっぱり腎臓を」
「あとは、秘境に行くパーティに参加させてもらう、とかかにゃ?」
「……それこそ無理じゃないですか?」
「もしかしたら物好きのお人好しがいるかもしれにゃい」
なにもない俺が大金を得るためには、無理無理と言う前にやるしかない。
考える前に、まずやる。やってダメだったら、考える。
ウジウジしている間にもドゥリュウさんは死へと向かっているのだ。
「何でもやります。荷物持ちます。腹踊りします。靴舐めます」
「秘境は冒険者にとっての死だ。俺たちに死ねって言ってるのか」
「母が危篤で……どうしてもお金が必要で……どうか一緒に秘境へ……」
「うーん。もうちょっと凝った嘘考えよっか」
「うえぇえええん!! やだやだ! 秘境行く! 絶対行くのー!!」
「……お姉さん? 子どもが泣き喚いてるようだけど……」
究極最終必殺奥義 玩具屋の子どもを発動したのだが……それでも通じなかった。最終的に俺は受付のお姉さんに首根っこを掴まれてギルドを追い出されていた。
冒険者には血も涙もない。意気地なしだ。同情する優しさも、子どもの我が儘ならしょうがないと許す余裕もない。
ああはなりたくないね。ふんっ!
服についた埃と砂をはたき落とす。こうなったらウルトラハイパースペシャルスーパー待ち伏せをするしかない。
秘境の前で待ち伏せして、秘境に入ったパーティがいたら同時に入ってやる。
「……現実的じゃないなあ」
運が良ければ数秒なんだろうけど、運が悪ければ何年と待機することになりそうだ。それはもう手遅れと呼ぶ。
地道に稼いだほうがよかったと思うのだ。
ちなみに、ミシュルさんは秘境へ行かないらしい。子どもひとりだけのほうが成功するにゃん、と言っていたけど、たぶん普通に、秘境へ行きたくないだけだ。
「おやおやおや。晴れない顔をしてどうしましたか?」
そこに現れたのは、真っ白な老人紳士だった。




