約束のマフラー
朝も朝、白い空に冷たい空気。首から耳にかけて冷気が吹き抜ける。
季節はもう冬本番だ。冬は厳しいらしいが、身体が火照っているからか心地よい。
いつも通り日課のランニングをして、家である宿屋に戻ってくると、出入り口に人影があった。
「ニーナ」
声を掛ければ、そわそわとしていたニーナの肩は跳ね、耳がピンと立つ。緊張した面持ちは、ほっと緩んだ。
「よかった。クレイくん。会えたぁ……」
へなりと膝を崩す。弱々しい姿。なぜニーナはこうも男心をくすぐるのだろう。正直、大好物。口許を抑えた。
「どうしたの?」
「あ、うん。えっと……学校、クレイくん来なくなって、会えなくなって……って、そうだ。場所は、お姉さんに聞いた」
正式に学校を辞め、学園に通わなくなり、それでもまだ一週間も経っていない。ニーナと最後に会ったのも辞めた日なので、会っていない日数は一週間にも満たない。それでも随分、会っていない気がした。
「それで? 今日はどうしたの?」
ニーナはアイラに嫌われていると思っている。そんな相手に突撃したのだ。存外、ニーナは行動力があるのかもしれない。
「うん。ちょっと、わたしも、報告」
報告? と首を傾げる。
ニーナはマフラーに鼻から下を埋め、もごもごとする。言い淀みながら、ちらと上がってきた目とぶつかった。
ふへっと笑う。気弱な笑みだ。抱きしめたくなる。
「わたし、グルモシスに帰ることにしたの」
「え。それって……」
「ううん、違う。クレイくんのせいじゃ、ないから」
俺の思考を先回りしたように、ニーナはぶんぶんと首を振った。いつかの仕返しだろうか。
「むしろ、クレイくんのおかげ」
「俺の……?」
「そう。
獣人はね、人間のこと、嫌ってるの。憎んでる。わたしのお母さんも、お父さんも、周りの人みーんな、人間のことを心底……恨んでる。わたしも、そう思う。思ってた。人間がみんながみんなそうじゃないって思いながらも、心の底では怖がってた。
クレイくんのおかげで、わたしは、嫌わないでいられる」
言葉を失うというのはこういうことを指すのか。
ニーナはあまりにも、純粋無垢で汚れを知らない。
あんなことがあったにもかかわらず、まっすぐ信じようとしている。
たぶん、ニーナが人間の国を去り、故郷に戻ることを決意したのには、すくなからず大人の意志が介入しているだろう。俺も、ニーナはここに居るべきじゃないと思う。
この純真さは、汚したくないし汚されてはいけない。
「いまはまだ、わたし、何もできない。同い年の子にも、年上の人にも、蹲ってるだけしかできない。大人の本気の言葉には、抗えない。だから、いまは、我慢する。しょうがない」
きゅっと拳を握る。きっと寒いからだろう。目が潤んでいる。
「わたしも、強くなるよ。せめて、自分のことぐらいは自分で決められるように」
もう充分、ニーナは強い。
ニーナはまだ七歳だ。俺が本当に七歳だった頃は、何をしていた。
何も考えず、頭空っぽで走り回って、いろんな人に迷惑をかけ、それを迷惑だとすら気付かなかったクソガキだったに違いない。
すくなくとも、こんな強い意志を持つほどの経験、気持ちに覚えはない。
「そ、それで、そしたら……」
俺はニーナをぎゅっと抱きしめた。
「こんどは、俺が行くよ。グルモシス。ニーナに会いに」
「……うんっ」
抱擁を交わす。
俺たちを見合って笑い合った。
「鼻、赤いよ」
ランニングしていたとはいえ、これだけじっとしていれば冷える。身体が熱くなるからと薄着だったのも余計だろう。汗で冷えたのもある。
思い出すと手足の指が動かしづらい。
「これ、あげるね」
そう言うと、ニーナは自分の首に巻いていたマフラーを俺の首に巻いてくれた。赤色のマフラーだった。
「次に会ったとき、返すよ」
「うん」
宿屋の扉が開く。他の客が出てくるのだろうと俺は退こうとした。だが、見知った顔がそこにはあった。
「お、ニーナ。挨拶できたか」
「うん、大丈夫です」
慣れ親しんだ口調でニーナに声をかけるのは成人男性であり、獣人であった。犬っぽい見た目で、人懐っこそうだ。
見知った顔は彼の後ろ。アイザがいた。
「ほほう……お前がクレイか」
親指を立てて人差し指を伸ばして、そこに顎を置いた犬の獣人は、探偵よろしく何かを結びつけるような眼差しだ。
「どなたです……?」
まあ、なんとなく察しはつく。ニーナの保護者だろう。獣人の生態に詳しくないから、もしも犬っぽい見た目から猫っぽい見た目のニーナが産まれるんだとしたら、父親という線もある。
「こいつの名前はバーグナーだ。私やグリッド、アリスの元チームメイト」
「おお」
それはつまり、グリッドやアリスと肩を並べるほどの実力者ということ。元Sランクなのか。
「えっ! バーグナーさん、……そうだったんですか?」
「おうよ。そういや言ってなかったな」
意外な共通点だ。俺たちは目を丸くした。
ニーナとバーグナーさんを見送る。寒さに震え、マフラーに口許を埋めた。ふたりの姿が見えなくなってから、俺たちは宿屋に戻る。
「アイザが、ニーナに言ったの」
脈絡なく問う。何を、という問いの返しはない。
「まあ、そうだな」
肩をすくめたアイザは、
「だけど悪く思うなよ? お前がいたから、あの場は助けられた。だがそれは幸運だっただけに過ぎない。お前は学園を離れる。その幸運も遠のく。次は、もっと酷い傷を負うかもしれない。身体的にも、精神的にも。
あいつらの行動心理、その根底はお前と、お前の姉貴に対するやっかみだと思われる。子どものくせに……子どもだからこそ、か。考えたもんだな、お前らには勝てないから、その周りのやつにちょっかいを出す」
そうなると、表面上俺が退学したことで、やっかみ、嫉妬は晴らせたように思える。これで事態は収束したと思って良いだろう。……アイラに対する行動がどうなるかはわからないけど、たぶんアイラは俺よりも上手く立ち回れるはず。
俺は思っていないけど、苦汁を舐めさせた、屈辱を与えられたとあいつらは思っているので、ニーナに対して危害を加えることもなくなる。
「お前がいなくなれば、あの子には何もしないはず」
「手段と目的が入れ替わっちゃうからね」
「そうだ。目的が手段と化してしまう」
俺を苦しめるためにニーナを攻撃したのだ。俺が退学した以上、ニーナを攻撃する意味はない。
「しかし、人間の心理とはそう単純ではない。どんな過程を辿るかなど知らんが、あの子がまた危険な目に遭うかもしれない。あの子は優しいからな。手は出さない。反撃はしない。しかし、優しさは往々にして、食い物にされることのほうが多い」
強い弱いではなく、優しい。
ニーナに対するその評価は、俺も同意する。
やろうと思えば、ニーナはあいつらのことを簡単に倒せる。あのクラスの中で一番強い。獣人の肉体を活かせば、反応できないまま無力化できる。
ただし、ニーナはそれをしない。
「もしもあの子が反撃に出れば、おそらく加減を間違えて殺してしまうだろう」
それは看過できない。
「アイラとは学年が違うし、常に見ていられるわけじゃない。信用できる友人、それも貴族相手に余計な争いをする友人でもいれば話は違うが……」
そんな人は、あのクラスに……。いや、学園にもいないだろう。アイラぐらいか。
「となると、帰るのが一番安全なんだ」
「故郷に戻るよう、説得したんだね」
「したのはあのバーグナーだ。私がしたのは相談を受けて、いまの話を、あいつにもほとんど聞かせてやっただけ。
何事にもタイミングってのがある。……あの子には、まだ早かったんだよ」
大人の本気の言葉。そこにはやっぱり、アイザが深く関わっているらしい。
「ご不満か?」
「いや」
むしろ、ありがたい。
「新しい目標ができたから、ありがとう、だね」
「ほう?」
「グルモシスに、行かなくちゃ」
その後、ほんの数時間後。昼を告げる鐘が鳴り響き、俺はアイラを探しに行った。校門前でひとり佇んでいると、騒ぎになったのは噂にでもなっているのだろう。直近で退学したということから、俺だと特定もされているのだろう。行き交う人々の視線が、俺に刺さりヒソヒソ話を生む。
所詮は小学生どもの視線と噂話だ。中身は成人済みの俺には効かない。……効かない。
「~~だから、あの先生は」
聞き慣れた声は耳によく馴染む。俺は顔を上げた。
校門ど真ん中に立てば、モーセが海を割ったように人の波が自然と俺を避けてくれる。
友達数人としゃべって、何やら講義らしいことをしていたアイラと、目が合う。
「ちょっと、ごめん」
そう抜けだし、たたっと俺のもとまで走ってくる。和やかな弟が手を振ってますよ~と微笑む。妙に生真面目に引き締めた顔つきのアイラは、俺の手を取った。学生寮とは別方向に曲がる。
初等部の制服姿御一行を背中にして、息を整える。
「どうしたの?」
さっきまでのザ・優等生、私勉強できますけど? の誇らしい顔はどこに行ったんだろう。
「大型犬……」
「ん?」
「いやなんでも」
尻尾が見えてきた気がする。
ぶんぶんと振り払って、俺は伝えるべきことを伝えた。
「バイル王都、出ることになったから」
「……は? はぁああ!?」
大声を出したアイラは、なぜか俺の口を塞いだ。まるで俺が大声を出したかのようで、周囲にぺこりと頭を下げる。
うちの弟がすみません。
アイラの台詞を書き出すならそうだろう。濡れ衣だ! と声を大にしたいが、口を封じられているのでどうしようもない。
「どういうことよ」
詰問される。
さっきの優等生とも違い、大型犬とも違い、般若に近しい。
「正確には、バイル王国自体、出ることになる」
「なんでよ!!」
再び大きな声。怒声が街中に響き渡る。アイラは俺の口を塞ぎ、弟の不手際を謝る殊勝な姉のようにぺこりと頭を下げた。
皆さん騙されないで!
手を引かれ、歩きながらの話となる。
「なに、あいつらそんな力があったわけ?」
貴族のことをあいつら呼ばわり。怖いなあ。
あ、自分ッスか? いえそんな。貴族様は尊敬しております。不敬なのは姉のアイラだけですので、自分はどうかご容赦ください。
「そうじゃないよ」
というか貴族にそんな権限あるのか? 貴族の体勢が腐ってるとか、王族王国政治も腐ってそう。
反乱とか起こっても知りませんからね。
「グルモシスに行くって約束をして」
「ふうん。ニーナと?」
「さすが姉さん」
グルモシスは獣神の土地。そこに行く約束となれば、獣人が真っ先に思いつく。
当たり前のことだけど、とにかく褒めておいた。褒めて損はない。しかしアイラの顔色は優れない。
ニーナのことをよく思っていないのか、実は獣人が人間を嫌悪しているように、人間も獣人をよく思っていないのか。
「そんなにあの子がいいの?」
違った。
正解はそのふたつのどれでもない。
第三の選択肢、嫉妬だった。かわいいなあ。抱きしめてハゲるまで頭を撫でてやろうか。
「まあ、そうだね」
「ふうん! あっそう! そうですか!」
ぷんすかしてる。かわいいねえ。
たぶん、アイラと血縁関係がなければ、俺も惚れていただろう。他の学園男子のように、惚れていたはず。
でも、考え物か。この嫉妬は弟だからしてくれてるのだし、こういう素の顔は弟だから立ち会えているわけだし。
「じゃあ、そういうことだから。着いたら手紙」
ぐらいは出すと言いかけて、アイラは立ち止まった。まだ学生寮に戻らないらしい。
軽快にバックステップを踏むと、俺に圧迫面接をしてくる。
「もう出発するの」
「う、うん。戻ってきたら出発って……」
アイザに約束の話をしたら、なら早いほうがいいと言って、出立の準備をした。俺はさすがにアイラに挨拶するぐらいするべきだろうと思って、待ったをかけたのだ。
「じゃあ戻らなければ出発しないってこと……?」
何を閃いたって感じで言ってる。
「そこまでしたら嫌いになるよ、姉さんのこと」
「冗談に決まってるじゃない」
そうだよね、冗談だよね。
姉は弟に嫌われるのが嫌らしい。
俺も妹に嫌われたら辛い。そこは同じだ。
「じゃあ、最後にちょっと、付き合って」
どこにだろう。
俺はまたアイラに手を握られ、連行される。彼女の行きたいところとは、服屋さんだった。
正直言って、落ち着かない。
たぶん、ここは貴族とかある程度のお金持ちが来る場所なのだろう。
学園付近に建てられた建物はどれも一級品。外装からわかる高級感。手軽な酒場なんてない。レストランという雰囲気。宿屋ではなくホテル。
俺は服もバイル王都で調達したけど、そのどれもが城門に近い出店で買っている。
学園に通う学生は貴族か、そうじゃなくても高額な授業料を払えるだけに裕福。彼らは、俺が軽く出店を覗く感覚で、こういう店に来るのだろうか。
アイラは慣れた手つきで自分で服を見繕うと、更衣室に引き籠もった。
店内は静かで、外からもわかるように黒を基調に金が控えめながらもたしかな存在感のもと、ラインを引いている。ショーケースに飾られたマネキンが着ているドレスは女性用も男性用もある。成人済みであろうと、前世があろうと、俺にはこんな経験がなかった。
待ち惚けを食らう俺は、どこを見ていいのかわからない。
更衣室前に置かれたソファーはふかふかで座り心地抜群。パイプ椅子じゃないのだ。きっと店員は、俺のなりを見て嘲笑っているに違いない。お前にうちの商品は似合わない、本当に買えるのか、と。ごめんなさい、全部その通りです。
「どう!」
堂々とした振る舞いで、アイラは試着した姿をお披露目してくれた。
「いいね!」
明るく言ってみる。
姉相手に使う言葉ではないだろうけど、これはデートっぽい。もちろんデートなんてしたことがないので、こういうときに、どんな言葉をかければいいのかわからない。
とりあえず笑って褒めてみたのだが、どうだったのだろう。アイラは特に不満な様子でもなく、
「じゃあ、覚えてて」
よくわからない言葉を残し、再びカーテンを閉める。
さっきよりも短い時間で、カーテンは開いた。
「どう!」
「……いいね!」
「そればっかじゃない」
呆れられてしまった。
さっきはそう言えば納得が得られたのに。何がダメだったんだろう。
もしかしてワンパターン相殺でも実装されてる? 厄介な相手で面倒なシステムだ。
「どういいの? さっきと何が違うの? 簡潔にまとめて」
なるほど、だから覚えとけ、か。
優等生からの指示に従い、俺は記憶を辿る。
一着目はシックな装いだった。
黒系統の服で、大人びている印象を受けた。しかし子ども特有の背伸び感はなく、アイラの優等生、生真面目さが表れていて、よかった。
「さっきの黒いのは、姉さんらしいよ。自分にも他者にも厳しい硬さがあったけど、よく見るとリボンとかもあって、かわいらしい一面もあるんだぞって表現されてる」
二着目、つまりいま目の前にある姿。これは、眩しい。
明るい色が多様されている。水色と白が主となっているけど、決して直視できない、鬱陶しいほどの眩しさというわけではない。引き寄せられる眩しさがある。
「こっちも姉さんらしい。姉さんが家族にだけ見せる本当の姉さんって感じ。飾り気のない、素の明るさが感じられる」
「……ふうん」
それだけ言うと、アイラはカーテンを閉めた。
俺はけっこう、真面目に考えて語彙を絞ったつもりなんだけど。そりゃあ元からないものを絞っても何も出てこないんだけど、『ふうん』だけで済まされるのは何だかなあ……。
要求したのはあっちですよね? ねえ? そう店員に確認を取ると、白い歯が光を反射した。眩い営業スマイル!
学生服に身を包んだアイラは素知らぬふりして、試着した二着の服を、カウンターに持って行く。
「どっちも買うんだ」
じゃあなんで俺の意見聞いたんだろ。
こういうのって、どっちにしようか迷ったときの最後の一押しに、意見聞くもんじゃないの?
「クレイが言ったんでしょ」
「……?」
俺が何を言ったんだろう。
たったの二着、布でしかない服の金額は、俺の目玉が飛び出るほどの金額だった。
出店だったら十着は余裕で買える。ギルドでステーキ十皿買ってもお釣りが来る。
「俺、そんなお金持ってないからね」
こそっと耳打ちする。
「……?」
アイラの返答は疑問符だった。
「弟に払わせるわけないじゃない」
「抱いて……!」
べつに聞こえてなかったわけじゃないらしい。
荷物持ちぐらいはするし、意見も求められれば出すけど、お金は出せない。
アイラは俺のことを、都合のいい奴隷と思っているわけではなかったようで、安心した。
……いや自分の服ぐらい自分で買うのは当たり前か。やっぱり抱かないで。




