死にたくない
退屈で、眠たくなる授業。
特に昼休みが終わって、食欲が満たされたあとの現代文。あの聞き心地の良い声としゃべる速度は絶妙だ。睡魔というのが想像する悪魔なら、この定年が近い教師が召喚しているのだろう。
周りを見れば、ははっ。抗えなくなって机に突っ伏してる。あっちは姿勢がいい。教科書を開いて、読んでいるポーズを取って、いちおう寝てない体裁は取っている。いまは板書の時間なんだけど。
人の振り見て我が振り直せ。俺はシャーペンの芯で手の甲を軽く刺して、もう一踏ん張りすることにした。
「やっべぇー。裕太。あとでノート貸してくんね?」
裕太というのは俺の名前。
両手で拝んで頼み込んでくるのは陸。睡魔にやられて、突っ伏してた奴。
「お前、またかよ……。いい加減、授業中寝るなよな?」
そう叱るのは俺ではなく、太陽。
「ごめんごめん。でもあのじいちゃん先生だとさ、怒られもしないし。起こされもしないし。岸田で寝る訳にもいかないし……」
六時間目の数学。岸田先生。
声も大きく、ガタイもよく、ヤンキー顔。一昔前なら竹刀を持っていたであろう風貌。なぜあれで数学ができるのかは、生徒の間での謎である。岸田先生なら容赦なく叩き起こして、授業を中断しながら怒鳴る時間が続くので、まあ確かに、怒られない授業で寝ようという考えはわからなくもない。
ただ。
「現代文の授業、あれひっそりとメモされてるからな?」
言ってやると、
「「え。マジ?」」
見事にハモった。
黒板に文字を書き、ふり返って教科書を見る際、例のじいちゃん先生はきちんと確認している。チラ見して居眠りしていた生徒を出席簿に書き込んでいる。何人かは気付いているだろう。岸田先生は逆にそこへ書かなかったりする。どっちを取るかは、まあ人それぞれ。
俺が頑張って起きてるのは、ちゃんと評価されてるのを知ってるからだ。
「ん? てかなんで太陽が……」
あ、不味い。という顔をした。
俺は言ってやる。
「太陽も。陸を叱ってるけどその前に、ちゃんと起きような」
「テメェも寝てたんか!?」
「……いや! でもたぶん、バレてないから実質寝てないようなもん!」
どうなのだろう。
姿勢よく教科書を開いて如何にもなカモフラージュをしていたのが太陽。
俺は友人だからこそ気付けたが、果たしてあのお年を召した先生に、見抜けているのか……それは、あの人しか知らないことだ。
「じゃあ、ノートは貸さなくて良いよな?」
「それは話が違うだろう」
「やっぱり寝てたんじゃねぇか!?」
そんな言い合いをしつつ、お互いの眠気を吹っ飛ばして六時間目の授業を終わらせる。
この二人と友人という関係性を構築したのは部活が一緒だったからだ。俺と陸、太陽は三人ともサッカー部。一年生でレギュラーを取るのはよほどずば抜けていないといけない。俺たち三人は一年の中ではそれなりに上手いが、やはり二年三年という先輩と比べるとどうにもならない。
「帰りどうする?」
「腹減った。もう無理だ。マック。マック行こうぜ」
陸がげっそりとした表情で言い、太陽が笑った。
「じゃあ、裕太もそれでいいか?」
確認を取られるが、俺はスマホから顔を上げて、一言。
「ごめん。約束できた」
断る。
わかりやすいほど、二人の態度が急変した。
「けっ。ダメだダメだ。太陽、こいつ俺たちよりも優先する女がいるってよ」
「ったく。これだから彼女持ちは……」
嫉妬、だろう。
彼女欲しいと口を揃える二人に同意を求められた際、彼女いると伝えると、羽交い締めにされて軽く殴られた。
「「……ちっ!」」
今はもうそんな行動には出ないが、やることは一致している。
睨みに舌打ちという送り出しをもらってから、俺は部室棟から校舎に向かった。
暗くなり始めた空。明かりも少なく、見上げた周囲の教室の人も疎ら。生徒玄関で少し待っていると、彼女がやってきた。
「お待たせ!」
「待ってないよ」
前髪を気にしている様子の愛花は、
「うんっ」
そう可愛らしい返事をしてくる。
俺たちは校門を出て、それから、手を繋いで、帰った。
愛花の部活はダンス部。中学の頃からの付き合い。受験合格を機に告白して今の関係に至る。
この日々は充実している。
いい友達に、いい家族に、かわいい彼女。
お互いに今日あったことを話しながら、家に近づくにつれて俺は足の速度を緩めた。それでも、終わりは来る。名残惜しい。特に、この手を離す瞬間、温もりが消える瞬間は。
愛花の家はここを右に曲がった少しの場所にある。
俺の家はまっすぐ進んで十分ぐらい。
俺が名残惜しいのと同様に、愛花も名残惜しかったのかも知れない。そうであってくれたら嬉しい。じゃあ、と別れの言葉はどちらからも切り出せず、雑談を続けてしまった。
会話が途切れ、車が横切る音が通り、気まずくなる。
「あのさ……!」
ふいに、愛花が俯きながら切り出した。
「今度の試合……裕太くん、出るんでしょう?」
「う、うん……たぶん」
新人戦に向けた練習試合のようなもので、一年生はほとんどが出られる。
そこでいい結果を出せれば、もしかしたら本番でも使ってもらえるかも知れない。
「私……観に行ってもいい?」
「え」
唐突な申し出だった。
全く予想もしていなかった。
「ダメ……かな?」
「いやいや! ダメってことはないけど……」
頬を掻く。少し恥ずかしい。まだ先のことなのに、緊張してくる。
「けど……?」
「けど……ほら。愛花も部活とか! あるだろ?」
「オフの日なの」
なるほど。そういうことか。
「ダメならいいの。全然っ。無理して……とかじゃないから。迷惑、掛けたくないし……」
俺はすぐにその手を取った。
「いや。観に来て欲しい。それで……」
「……それで?」
「いい結果、出す。頑張るから」
「……うん。期待してる」
約束を取り付けて、俺たちは別れた。
住宅街に消えていく愛花が見えなくなるまで、俺はその背中を見ていた。
家に帰って、早速。パンッ! と破裂音が玄関で響く。俺のただいまは、その破裂音に掻き消されていた。撃たれたのかと一瞬過ぎるほど。クラッカーの音だと気付いたのは、遅かった。
「誕生日おめでとう~」
父と母とそれから妹。ワンッと吠えるペットのタロウも、おめでとうと言ってくれてるのだろう。俺の家族総出だ。いつも俺よりも遅い父が、先に帰っているなんて……というか。
「ど、どういうこと……?」
困惑するしかなかった。
「どういうこととはどういうことだ」
お父さんが意地悪く返してくる。
「だって、誕生日は平日だったから、日曜にしようって……」
そういう話だったのだ。
家族の誕生日が平日だった場合は仕事に部活に家事に各々家族は忙しくなるため、その週の土日に改めてお祝いをする。それがウチでの習慣だった。
「でもせっかくだからって。お父さんが」
「早く上がれたからな。ケーキとプレゼントぐらいなら、今日でもできるだろ」
らしい。
サプライズという意味なら、確かに大成功だ。
「いいから早くご飯食べよう~。お腹空いちゃったー」
妹は俺の誕生日を喜ぶよりも、豪華な食事、ケーキを喜んでいるようだ。
「美味しい!」
そう言いながらチョコケーキを頬張っているのがいい証拠だ。
「兄が産まれたことに感謝だな」
「この日に産んでくれて、ありがとう。お母さん」
「おい」
「だってお兄ちゃん特に頑張ってないでしょ~」
それはそうかもしれないけど……
「お兄ちゃんもお母さんに感謝した方がいいんじゃない?」
「…………」
無言の圧を感じた。
「産んでくれて、ありがとうございます」
「はいはい」
普通、誕生日の主役は産まれた俺のはずなのだが。
一番得をしているのが妹に思えてならない。
こいつの誕生日も俺が精一杯楽しんでやるとしよう。
食事も終え、ケーキも食べ終え(ほとんど妹が食べた)、俺は父に呼び出される。腕を組み、胡座を掻いて、しかめっ面。だけど、怖くはない。
いちおう俺は正座してみたけど、ここがお父さんの部屋とかいうわけでもない。テレビの音は流れているし、妹はソファーに寝そべっている。
「お前に渡す物がある」
「なんかお父さんシャンクスみたいー」
「……これをお前に預けよう」
乗ってくれた父に、妹はキャッキャと大分ご満悦の様子。背中から出されたのは一つの箱だった。サッカー経験者なら親しみもあるであろう、長方形の箱。いや、サッカー経験者じゃなくても、誰でも親しみはある。皆、靴は履いているし買うのだから。
「……いつか返さないといけないの?」
「いや。プレゼントだからな」
お父さんが苦笑いする。あいつがシャンクスみたい、とか適当なことを言うからだ。
「開けて良い?」
頷く。
俺は箱を開けた。
開ける前からわかっていたが、やはり目の前にすると違う。
俺が欲しいと言っていたスパイクが、そこにはあった。
「サイズは前見てたのにした。色も、あってるよな?」
「うん」
「じゃあ、いちおう履いてみろ」
家の中でスパイクを履く。素足なのもあって違和感はあるが、それでも……
「うん、いいよ。……ありがとう、お父さん!」
「おう」
これで、いよいよ次の試合では活躍しなくてはならなくなった。
新しいスパイクを二人に自慢して、足に慣らして、それから試合。学校の校庭にあるグラウンドだったため目が慣れていた。愛花がどこで見ているのかもすぐにわかった。
俺はその日の試合で、ゴールを奪うことに成功した。
入ったのは俺の一点だけ。その試合の中でゴールネットが揺れたのは一回だけ。つまり、勝った。
部活が終わって、俺は急いで着替えて愛花の元に向かった。俺も興奮していたが、愛花もまだ興奮しているようだった。
「凄いじゃん!」
褒めてくれた。
頑張って良かった。
「何かご褒美がないとだね」
どうしようか。
色々、愛花としたいことはある。
けど、何だかこれにかこつけて関係を進めるのは、不純に見えないだろうか。
身体目当てだと思われるのも嫌だ。だから、俺は、
「新人戦。そこで、また同じことしたら、……キ、キスさせてほしい!」
先にご褒美を申請しておく。
その上で、約束をした。
キスだけなら、まだ……平気なはず。
「……ふふっ、変なの。今でもいいのに」
「いや、それじゃあ……なんだか、そういう目でしか見てない感じになっちゃうだろ……?」
「じゃあ、今回はこれで」
そう言うと、愛花は踵を浮かせて背伸びし、俺の頬に唇を軽く触れさせた。
「次は唇ね」
「……うん」
頑張ろう。
俺は今回の結果に慢心しないようにするため、自分を戒めるつもりで夜、ランニングのために外に出た。
軽く身体を解してから、ジョギング。徐々に足を速め、ランニング。
信号待ちで足を止めた。タオルで首筋、額を擦り、ふぅ、と息を吐く。すると、靴紐が解けていた。俺は屈んで、結び直す。
その時だった。
強烈な光が、俺を包んだ。
世界が白一色になったと思う程に、強烈な光だった。
轟音。世界が反転し、誰かしらの悲鳴が聞こえる。
トラック。
トラックに、突っ込まれた。
痛い。
身体の全部が痛くて、痛すぎて、どこが痛いのかわからない。
血。
これ、俺から流れた血なのか…………。
一瞬のことだった。
痛覚も、理解も、現実は遅れてやってくるものだった。
あ、死ぬな……。
ぐちゃぐちゃになった俺の身体。無感動に思う。意識を保てるだけ奇跡だったのかも知れない。でも、要らない。痛い思いをするためだけの意識だったなら、要らなかった。
意識が薄れ行く。
瞬きをしてから、それから、目蓋を上げる力がない。
目蓋の裏に、色々な人の顔や思い出が映る。
「じにだく……な゛い、…………」
そこに誰かがいれば、きっと、何を言ったのかも理解できなかっただろう。
目から違う熱さが流れ、意識が途絶える。
目覚めれば青空。俺は、知らない世界にいた。
俺はその日、訳のわからない世界へ、転生していた。




