天国の電話番号 ~死んだ父さんと話したこと~
人生、一度くらいは不思議な体験をするものだ。
ぼくの場合、それは小学校二年生のときに起こった。
当時、ぼくの家は貧しかった。父はぼくが生まれた翌年に交通事故で亡くなっていた。頼る親戚もなく、学もなかった母は、派遣の事務職を転々としながらぼくを養っていた。母はたいした人物だった。どれだけ苦しくとも、ぼくの前で弱音を吐くことは一度もなかった。毎朝6時に起きて、朝食を用意し、ぼくに身支度させ、学校へと送り出したら、すぐに職場へと向かう。コンビニの菓子パンで昼食を済ませ、6時に仕事をあがったら、9時までスーパーのレジ打ちのバイト。それが終わると六畳一間のアパートへ取って返し、小腹を空かせて待っているぼくに夕食を食べさせて、一時間ほど親子の会話。ぼくが十時ごろに布団に入り、寝付くのを確認すると、そこから家事と翌日の仕事の準備、封筒糊付けの内職。眠るのは深夜二時ごろだったのではないだろうか。
母ほどの強さはぼくにはなかった。
ぼくは情けない子供だった。いつも友達がうらやましかった。
どの友達の家も、最低三部屋はあったし、少しお金を持っている家の子だと一軒屋に住んでいた。最新のゲーム機やケータイを持っているのは当たり前で、月に五千円もの小遣いをもらっている連中もいた。ぼくには小遣いなどなかった。どうしても欲しいものがあるときだけ、母に相談し、少しでも安いものを足を棒にして探し回ってから購入してもらうのだ。だから、友達同士で遊びにいって買い食いするときなど、たいそう惨めな思いをした。たった十円、二十円の駄菓子ですら、ぼくは買うことができないのだ。友達は気軽にぼくにおごってくれたが、彼らの目には同情心が浮かんでいた。仲間内で、誰かの家に遊びに行こうという話が出ても、ぼくの家が候補にあがることはまずなかった。みな、ぼくの家が貧乏であることを知っていたのだ。
物品的なものは、まだ我慢できた。
苦しくなるほどうらやましいのは、彼らに父親がいるということだった。
頼れる大人の男、強く、たくましく、家族を守り、大金を稼いでくる一家の大黒柱。クラスの中で父親がいない子供はぼくだけだった。もちろん、ろくでもない父を持った子もいたが、たとえ詐欺師だろうが、泥棒だろうが、父親は父親だ。父と子の何気ない会話、コミュニケーション、そういったものにぼくは何よりもつよく憧れを抱いた。ぼくは、父と話してみたかったのだ。
母にはそういった気持ちを持っているということは、一言も話さなかった。
母はいつもぼくに父親の不在をわびていた。決して彼女のせいでないことはぼくにも分かっていた。無邪気に「父さんと話がしたいんだ」などというような真似は決してしなかった。その程度の気は使える子供だったのだ。
都内の小学生の間に七不思議がはやりだしたのは、そんなころだった。
インターネットが発達し、子供の大半がケータイを持つような時代になっても、怪談話は常に子供の心を捉えてはなさない。メジャーなトイレの花子さんや人面犬はもちろん、夜中に鳴り出すピアノなんかもあったと思う。マイナーなものとしては、猫の集会場にあわられる女性の幽霊、外堀に沈んでいるUFO、深夜三時に走る黒色の山手線、そして、天国に繋がる電話番号だ。
天国に繋がる電話番号!ぼくはこの話に夢中になった。
夕方六時六分ちょうどに、目をつむって電話をダイヤルすると死んだ人と話をすることができるというのだ。七不思議なんてものがでたらめであるくらい、心の半分は分かっていた。外堀にUFOが沈んでいるなんてバカな話があるはずがない。だが、もう半分は「父さんと会話できるかもしれない」という希望に燃えていた。火のないところに煙はたたぬというではないか。たしかに、天国につながる電話番号も、大半は勘違いか錯覚だろう。だが、うわさのもとになった初めの一回くらいは実在したのではないだろうか。だったら、諦めずにがんばり続ければ、天国に繋がる可能性は高い。
子供心とは恐ろしいものだ。天国に繋がる電話番号の話を耳にした翌日から、ぼくは十円玉集めにせいを出した。自販機のつり銭を探り、道路に常に目を凝らし、側溝のなかを覗き込んだ。放課後、街中を一時間も探せば、三枚くらいは見つかった。午後六時すぎ、手にした十円玉を握り締めて、近所のコンビニ前に設置された自販機に向かう。コンビニ店内の壁掛け時計が六時六分を指したのを確認して、受話器を持ち上げ、十円玉を投入する。ちなみに、この七不思議にはれっきとしたルールがあって、投入するお金は十円、それも一枚だけでなくてはならなかった。仮につながっても二枚目を投入してはいけないのだ。二枚目を入れたら、電話線を通じてかけている現世の人間が天国へと連れて行かれてしまうのだ。
ぼくは目を閉じて、でたらめに番号を押す。
期待の瞬間だ。
「もしもし」
誰かが電話に出る。男性だ。女性じゃない。可能性は高いぞ。
ぼくは胸を高鳴らせていう。
「あの、ユウトだけど、お父さん?」
「父さんって、間違い電話じゃないですか?」
残念、ぼくは丁寧に侘びて電話を切る。
当たり前だが、一週間たっても天国の父さんに繋がることはなかった。
電話先の相手に怒鳴られたり、乱暴に電話を切られるなんてこともしょっちゅうで。一ヶ月もするころには、さすがのぼくも心が折れそうになっていた。十円玉の備蓄もほとんどなかった。徒歩でいける範囲に落ちていた硬貨は回収しつくしてしまったのだ。
もうじき、冬がはじまろうかというころだった。
コンビニ前の路肩では、街路樹の葉が散り始めていた。寒さで手がかじんでいた。手の中には二枚の十円玉。この二枚を集めるのに、三時間以上かかっていた。一枚は、公衆トイレの隅、もうひとつは駅前の歩道の縁石のスキマにあったものだ。
ぼくは窓ガラスごしにコンビニのなかをのぞいた。六時三分、あと少しだ。レジに詰めているバイトの女子大生がぼくに向かって手を振る。ぼくも手を振り返す。彼女はぼくがなにをしているのか知っている。公衆電話に向かうようになって二日としないうちに、ぼくに声をかけてきたのだ。ぼくは天国へつながる番号の話を聞かせて、「とってもたいせつなことなんだから邪魔しないでくださいね」と小学二年生にしては丁寧に意志を伝えた。それ以降、彼女はぼくに愛想がよかった。
六時五分、ぼくは受話器を持ち上げた。
しばらく待ってから、貴重な十円玉を投入する。
十円は、公衆電話の内部にかたかた音を立ててもぐりこみ、電話の回線を待機状態にする。ぼくは、諦観と僅かな希望に身を浸しながら目を閉じた。首筋を風が通り抜けた。寒い。早く家に帰ってコタツに入って母さんが帰ってくるのを待ったほうがいい。
指が動く。銀色の数字ボタンがへこみ、また元に戻るのが伝わってくる。
一呼吸置いて、呼び出し音。
コールが長い、五秒、十秒、二十秒。
もう受話器を置こうかと考えはじめたとき、ようやく誰かが電話に出た。
「もしもし?」
相手は名前を名乗らなかった。
ほとんどの相手はこの段階でぼくと違う苗字を名乗ってそこで終わってしまうのだ。
ぼくはいった。
「あの、ユウトだけど、父さん?」
相手は黙り込んだ。
受話器からは何の物音も聞こえない。だが、相手が向こう側にいることだけは分かる。
コンビニの店内では、女子大生の店員さんがレジのお金を数え合わせている。
相手はまだ何も言わない。電話線が緊張感に包まれている。同時に、ぼくの中の期待が高まる。耐え切れず、ぼくは繰り返した。
「あの、父さん?父さんなの?」
相手がゆっくり、そしてはっきりいった。
「ああ、そうだよユウト」
ぼくの電話は天国へつながったのだ。
「元気にやってるのか?」父さんがいった。
「うん、うん、元気だよ」
ぼくは感極まって泣き出していた。
ついに、ついに父さんと話しているのだ。
父さんの声は思っていたより若かった。友達の父親たちよりずっとメリハリがある。
「父さんは元気なの?」
「いや、まあ、元気は元気だよ。死んでるけどな」
「そうか、そうだよね」
「ユウト、お前のほうこそ元気なのか?」
「ぼくはまあまあだよ。でも、母さんはけっこうたいへんなんだ。いつも仕事とぼくの世話で疲れきってるし」
「そうか、ほんとうにお前たちには苦労をかけるな。スマンと母さんにも伝えておいてくれないか」
「うん、うん」ぼくは受話器を痛くなるほど耳に押し付けて頷いた。
「なあ、ユウト、お前の人生はまだ当分、つらい時期が続くかもしれん。でもな、ずっとは続かない。お前がいいこにして、勉強して、頑張るんだ。頑張っていればいつかなんとかなるもんだ」
「うん」
「それと、誰か、ほかの人が苦しんでいるときは、必ず助けてやるんだ。いいな、人にやさしくしてやるんだ。そのことの大切さが、いつかお前にも分かるときがくる。いいな、人にやさしくだ」
「うん」
ぼくが覚えている内容はこんなものだ。
電話はすぐに切れてしまった。十円しか投入できないのだから仕方がない。その後、さらに一ヶ月ほどぼくの電話チャレンジは続いたが、二度と父さんに繋がることはなかった。
母さんに、父さんとの会話を話したところ、母さんは笑いながらぼくの頭をなでた。少しだけ目じりに涙がたまっていたのをぼくは見逃さなかった。
ぼくは父さんの教えに従って、頑張ることにした。
とりあえずは、がむしゃらに勉強した。
通っていたのはふつうの公立の小学校だったが、学力模試で都内の百番以内にランクインするようになった。ほかの子供たちのほとんどが遊んでいるときに、一人勉強しているのだから当然のことだ。中学校にあがってからは、勉強に加えスポーツにも力を入れた。おかげで推薦にて近隣の私立高校に学費免除の形でもぐりこんだ。
高校でも十二分な成績を残したぼくは、やはり学費免除で都内の一流国立大学へと進学し、四年後、日本でも五本の指に入る大手メーカーに就職した。卒業式のたびに泣いていた母さんだが、大学を卒業後、初任給で高級レストランに連れて行ったときほど泣いたことはなかった。
さらに四年が過ぎて、ぼくは二十六歳になった。
社会人生活も四年目、かなりの給料を稼ぎ、十分な額を家に入れているのだが、母さんは相変わらず働きに出ている。何かしていないと落ち着かないそうだ。
先週の火曜日のことだ。
ぼくは付き合っている彼女と食事するために、早めに職場を出て、早足で地下鉄へ向かっていた。ビル街に夕日が長い影を落とし、紅葉をより朱に染めている。風が吹きはじめ、ぼくはマフラーを強く巻きつけた。吐く息も白い。
コートのポケットのなかで携帯電話が震えた。
取り出してみると、見知らぬ番号だった。
ぼくはいぶかしみながらも電話を受けた。
「はい、もしもし?」
電話の向こう側の人間はしばらく躊躇してからいった。
「あの、お父さんなの?サユミだけど」
ぼくは黙り込んだ。
息を吐いて、吸い込む。冷えた空気が肺を満たす。
目を閉じて、電話をぎゅっと耳に当てた。
十円玉が切れるまで、残り一分。ぼろを出さずにやらなくてはならない。
ぼくが小学生のとき、あの誰かがやってくれたように。
ぼくはもう一度深呼吸をしてからいった。
「ああ、サユミ、父さんだよ」
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