クラリッサ日記②《5月》
「クラリッサっっ!!」
洗濯物を持って小道を歩いていると、悲痛さを感じる声で呼び掛けられた。振り返ると、この世の終わりのような顔をしたレナートが駆けよってきた。
「クラリーよ。いい加減、慣れなさい」
「クラリー!!」
レナートの目には涙が浮かんでいる。
「ヴァレリアナが!!」
「姉さんがどうしたの?」
レナートは、うぅっと呻いてから小さな声で
「……深夜、あいつに横抱きされてたって。それで自室に送られたらしい」
と言った。
「まあ。それ、五日も前の話よ。耳が遅いわね」
「五日!?」
途端に叫ぶレナート。
そうか。彼の耳に入るとこんな風にうるさいから、みんな黙っていたのだろう。今日はどこかのうっかり者が口を滑らせたに違いない。
「いいいい、一体何があったんだ!」
レナートの心の中は涙が滂沱と流れているのだろう。
「お酒」
「酒?」
「そう。騎士のボニファツィオからヴァレリアナがもらったのですって。でも人前では飲めないから、アルトゥーロにあげたそうなの。で、アルトゥーロはボニファツィオの手前、一口飲んでおいたほうがいいって彼女に勧めた。そうしたらとても美味しかったらしくて、飲み過ぎてしまったそうよ」
「……それで?」
「あの人の部屋で寝落ち。それで運んでくれたのですって。意外にいいところがあるのね」
レナートはいまいち信用していないような顔をしている。
「ヴァレリアナの同室のマウロがよく知っているはずよ。聞いてみたら?」
「……だけどアルトゥーロには下心があったかも。そうだ、きっと可愛らしいヴァレリアナを見て、鼻の下を伸ばしたかったに違いない!」
「そんなことがあるはずないでしょう。ヴァレリアナの酒癖なんて私たち以外、誰も知らないもの」
全く。レナートの姉好きにも呆れてしまう。
「でもヴァレリアナはだいぶ醜態を晒してしまったようよ。禁酒令を出されたそうだから」
「うわぁぁぁ!!あんな奴の前で!!」
頭を抱えるレナート。
「何を言っているの。彼で良かったのよ。あまりの醜態に、お酒を禁じてくれたの。おかげでヴァレリアナは堂々と騎士や従卒仲間のお酒を断れる。結果的には大助かり」
「だけど!ああ、もうっ!あんな可愛いヴァレリアナを見たら、冷血だって絆されるに違いない!なんてことだ!しかも抱き上げ!俺だってしたことがないのに!」
「……結局、そこなのね」
呆れてため息をつく。
「せっかく兄貴がいないのに!いいところを全部あいつに持っていかれる!」
「私、仕事があるからもう行くわ」
レナートには付き合いきれない。
「クラリッサ、愚痴ぐらいきいてくれ!」
「カルミネに叱られるわよ。あ、ほら、噂をすれば」
建物の影から、カルミネと何人かの騎士がやって来た。
「まずい、俺、昼食中ってことになっている」
レナートは心持ち首を竦めると、また後でと小声で言って、走り去った。
なんて騒がしいのかしら。
フィーアにいたときは、もう少し大人しくしていたのに。
といっても、ヴァレリアナがダニエレを好きだったから、兄を真似して大人びた素振りをしていただけだ。
今のレナートのほうが、彼らしい。
「ま、がんばって」
遠ざかる背中にエールを送り、踵を返した。