クラリッサ日記①《4月》
裏庭の片隅でヴァレリアナと並んでパンをかじる。天気の良い日はこうしてランチを取る。洗濯メイドの先輩たちも、姉の従卒仲間たちも、黙って見逃してくれている。お互いにかつて王女だったことを忘れそうな格好と食事だけど、ふたりで生きていられるだけありがたい。
それに短い間だったけど、鬱々とした結婚生活より百倍マシだ。
私の白く美しかった手は荒れてひび割れが酷い。それでも今のほうが自由でストレスもないから、手荒れも重労働も耐えられる。
どちらかと言えば、従卒をやらされているヴァレリアナのほうが心配だ。彼女は変わり者で幼馴染と共に騎士の素養を学び育った。強情で負けず嫌い、高いプライド。軍団長に、何故男に生まれなかったと言わしめたぐらい、騎士に適したひとだ。
その彼女が、敵である騎士の従卒にさせられてしまった。
私は洗濯メイドだからコルネリオ王や騎士たちと顔を合わせることはなく、だから敵の本拠地にいてもそれなりに穏やかに過ごせている。
だけどヴァレリアナは。精神が参ってしまうのではないかと、心配だ。
彼女が従卒になって一ヶ月。今のところ普通にしているけれど、私の前で無理をしているのではないかと、疑っている。
「ねえ、ヴァレリアナ。本当に大丈夫なの?」
「なにが?」姉は不思議そうな顔をした。
「従卒。辛くない?」
「全然」
「敵だし」
「まあ、ね」
「あの『冷血アルトゥーロ』だし」
「普段はそんなことはない、って話したよね」
「そうは見えないもの」
「あの仏頂面は通常だってマウロが。あれで結構配慮が細かいし、従卒の主としてはいい人間だと思う」
ヴァレリアナの言葉に嘘はなさそうに見えるけれど、信用できない。確かにクレトもそう話しているけれど、フンフの城に攻め込んで来たとき、容赦なく騎士たちを殺して進む場面を見てしまったのだ。あれは本当に恐ろしかった。
「昨日、街に出たの」
「ええ。リーノから聞いたわ。とても案じていた」
本当、過保護ねと姉は笑う。
「それでひとりでアルトゥーロ様を待つ間、何かあったら自分の名前を出していいと言うのよ。心配してくれるというか……。少なくとも従卒を替えのきく下男としては見ていないの。悪い人じゃない」
「そうかしら。ヴァレリアナが美しいから、いい顔をしているのかもよ。変なことをされていない?大丈夫?」
「大丈夫よ」姉は笑った。「凄くモテるみたい。何人にも声を掛けられていたもの。女性は間に合っているでしょう」
「まあ、顔立ちは悪くないものね」
目を見張るほどではないけれど、美男の部類には入るだろう。
「それにコルネリオ王の片腕、つまりエリート」
「そうか。ダニエレのポジションということね」
頷く姉。
「だから何の心配もいらないわ」
ヴァレリアナはにこりとした。
「……私たちはどうなるのかしら」
「分からないけれど。今できることを、きちんとすることが大切だと思う」
「そうね」
「そうよ。さあ、午後の仕事もがんばりましょう」
「え?もう食べ終わったの?」
見れば姉のパンは跡形もない。
「早いわ!本物の従卒みたい」
「私、本物よ」
ヴァレリアナの口調は僅かに不満そうだった。
「そうね、ごめんなさい」
彼女はもしかしたらこの調子で、本物の騎士にまでなってしまうのかもしれない。
そんな気がした。