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7 ファルリン・アルハマーズ

 ○


「先生、七福さんに届ける物ってなにかありますか?」

「え、なに長谷川君珍しい」

「アパート同じなだけですから、ついでなだけですから」

「あーでもちょうど良かったー。今日帰り遅くなりそうだからどうしようかと思ってたのー」

 これだけは早く渡してあげたくてー、と渡されたのは、今日配布された学園祭のパンフレットだった。

 担任の藤村女史は登校拒否に陥った七福あんこをまめに訪問している。その際、たまったプリント類や課題も届けている。それを知っていた創汰は、もちろん若い女教師に取り入りるために届け物を引き受けたわけではなかった。

 届け物をバッグにしまい、創汰は帰宅路を少々迂回する。

 敵情視察をしておこう、と思ったからだ。


「そんなに危機感漂ってないけどなぁ……」


 学校近くの『とんこつらーめん四迷』を眺めて創汰は呟く。

『とんこつらーめん四迷』は、ラーメンに特化した清掃部フーズのフランチャイズ店だ。

 買収間近とあれば、よほどひっ迫した空気が漂っているかと思えば、そうでもない。

 むしろ美味しそうな空気が漂っている。

 見ると、道に面して設置された換気扇が、厨房の空気を休みなく排出していた。


(つくりがあざとい)


 豚骨の香りが鼻を絶え間なく刺激する。

 匂いで客を釣るつもりなのだ。

 なるほど晴人と同じ血が流れる父親が考えそうなあざとさだった。

『とろとろの激厚チャーシューがいまなら二枚で一〇〇円!』

 店の入口にあったメニューの文字が創汰の目に飛び込む。

 瞬間、創汰の背に強い風が吹いた。

「うおお……」

 風は店に向かって吹きつける。すごい風だ。風に逆らう創汰の前に、さらに『学生さんは一〇〇円引き(学生証の提示をお願いします)』の援軍が現れる。

(そんなことしたらチャーシューが実質タダじゃないか……)

 創汰の進退は窮まった。

 ――今月はゲームを買ったから財布が厳しいのに。

 店が放つ引力に抵抗する創汰は、体を四十五度に傾け、足に体重を乗せ、一歩一歩店から離れようと試みる。その姿は北風に逆らって突き進む旅人をどこか思わせる。吹きすさぶ冷たい風。突き刺さる冷たい視線。


 ――視線?


「……なにの恥ずかしい運動をしていますか?」

 創汰の内なる闘いを冷静な目で貫いていたのは、クラスメイトにして同僚のイラン人留学生ファルリン・アルハマーズだった。

「いや、その……」

 興が乗じてしまっただけなのだ。

 そんな蔑む目で見ないでほしい。

「えーと。あ、そう、ラーメンを食べようかなと思ったんだ。あ、ファルリンこそこんなとこでどうしたの?」

「あー……」と、一転ファルリンが気まずそうにする。頬を染めてもじもじさえする。


 ――ははあ……。


 創汰はひらめくしかなかった。

「あ、おまえなにをする!」

 驚くファルリンをよそに、創汰はぐいぐいファルリンの背を押す。

 自動ドアがういーんと開いて、「らっしゃいませえ!」と歓迎される。

 釣られて「「「らっしゃいませえええ!!」」」と店中の店員が声をあげる。

 カウンター脇の二人席に案内され、水とメニューがやってくる。


 ――ファルリンはラーメンを食べたかったに違いない。


 創汰は考えた。

 だがイラン人とはいえ女子高生がひとりでラーメン屋に入るのは抵抗があったのだろう。

 だからファルリンも店の前で内なる風と戦っていたのだ。


 もしくはラーメンブームのせいなのかもしれない。

 いま海外でジャパニーズラーメンブームが起きているらしいことは創汰も知っている。

 アメリカ人やフランス人が、日本発のラーメン屋に行列を作るテレビ番組を見た。

 もしかしたらイランでもそうで、ファルリンも本場の味を確かめたかったのだけれど、店のシステムがわからず困惑していた、と言ったところなのだろう。


「この店では、博多とんこつチャーシュートッピングに、食べ放題の梅干しを二つのせるのが通なんだ。三つ以上のせるのは紳士じゃない」

 創汰はしたり顔で、開いたメニューを指さす。

 ファルリンは、けれどメニューを遠ざける。

「ワタシは食べません」

「え? おごるよ?」

創汰とて日本男児だ。日本自慢の味を外国人にご馳走するのはやぶさかでない。

 たとえ懐が寂しくてもおごるくらいの気概はあるつもりだった。

「イスラム教徒ムスリムは豚を食べません。とんこつなんてコンゴ横断」

「? ……言語道断?」

「それな」

 ファルリンはむっむっと水を飲んで、続ける。

「コーランには、豚は汚れているから食べてはいけないと書いてあります。『食べていけないものは死獣の肉、血、豚肉、アッラーならぬ邪神に捧げられたもの、絞め殺された動物、打ち殺された動物、角で突き殺された動物、また他の猛獣が食べたもの』。なのにソータはイスラム教徒にとんこつ勧める。なに考えてますか」

「ごめんなさい……」

 公衆の面前で異国の女子にガチ切れされ、創汰はほんのり死にたくなる。

 良かれと思ってしたことなのに。

「まったくニホンジンはイスラムのことをホントに知らない。イランのことも知らない。男はターバン巻いて、女は真っ黒なブルカ着てると思ってる。サウジアラビアじゃあるまいし!」

 ファルリンの激昂は続く。


 ――正直、イランとサウジの違いがわからない。


 同じアラブ人じゃないのか、と創汰は思うけれど、怒られそうなので口には出さない。

 西洋の映画監督が描く日本に、チャイナドレスや金の昇り龍の置物がでてきて、ついにはドラがじゃーんと鳴ったりするようなことなのだろう。それ日本違う。

 ひとしきり怒り終えたところで、ファルリンは一気に水を傾けた。

 心をえぐられ尽くした創汰はしゅんとするしかなかった。

 すると、店員の一人がカウンター越しにこちらを気にする。

 バンダナの色が他の店員と違い、店長やチーフといったポジションを思わせる。

「おや、こないだのイラクのお嬢さん。また来てくれてありがとう! 今日もとんこつにするかい?」

 ファルリンが水を吹いた。


 ――どういうことだ。


 要釈明。ファルリンを見据える創汰は、一〇年に一度クラスの真顔だった。

 ファルリンは目を伏せて、

「ワタシは騙されたのです……」

 ふるふると顔を振る。

「ニホンに来たばかりで、ハシもチャワンもわからないワタシは、何も知らないままとんこつを食べさせられました。ワタシはミルクのスープだと思ったのです……」

 死にたい。とファルリンは両手で顔を覆う。

 死ぬのはよくない。と創汰は諭す。

「はい。自殺は大罪。だから死にません。ワタシは汚れた豚女としてずっと生きていくことに。もう天国にもお嫁にもいけない。まじつらたん」

 ファルリンは体をぷるぷる震わせる。

 大袈裟なような気もするけれど、真剣に嘆いているらしいファルリンに創汰は何も言えない。

 むくり、とファルリンが顔をあげた。

「それにおやじ」と店長を向く。

「あいよ」

「ワタシイラク人違う、イラン人。アラブ人違う、ペルシャ人。アラビアンとペルシアン一緒じゃない。そこんとこよろしく」

「あ、ああ。ごめんよ……」

「どんまい」


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