6 清掃部晴人の策略(?)
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川沿いに三分歩くと学校が見える。
九月の校庭には、作りかけの構造物がむしろ廃墟のように並んでいて、一週間後に迫った学園祭の空気を漂わせていた。校庭にはそれぞれのクラスが学園祭の出しもののテーマに沿ったオブジェを作ることになっている。創汰の一年一組はイランの世界遺産『ペルセポリス』を模したレリーフを作成していた。
――なぜイランなのか。
それも清掃部晴人のあざとい人気獲得策略の一環に過ぎなかった。
まだ骨組みの段階のペルセポリスを横目に校舎に入り、教室の扉を開けた創汰が、爽やかであるべき朝の八時二〇分にもかかわらず憤慨したのは、創汰の席でまたしても清掃部晴人&一団ズのトークショーが繰り広げられていたからだった。
――ん?
だが漂う雰囲気がどことなく暗い。深刻ささえある。深刻さの中心にいるのは清掃部晴人だ。
晴人にとって暗いニュースは、創汰にとっては明るいニュースの予感しかしない。
創汰は離れた場所から、チートの聴力で輪の中の会話を探った。
「なんで倒産なんて……いつもお客さんいっぱい入ってるじゃん!」
女子の声が感情的になっている。
「倒産じゃなくて、買収されそうなんだ。買収しようとしてるのが、なんか謎のヤバイ集団らしくて……」
創汰がピンとくるにはそれで十分だった。
晴人の父親が経営する『清掃部フーズ』は、名前のインパクトも手伝って県内では知らない者がいないほどの大企業だ。ファミレス、居酒屋、ラーメン店、県内にびっしりと飲食店チェーンの網を張り、県民の胃をわしづかみにする系列店は、主にコストパフォーマンスの面で県民の支持を取りつけ、いまや二、三店舗が遠慮がちに県からはみ出るまでになっていた。
――なるほど。
清掃部フーズのとんこつラーメンが食べられなくなるかもだから、みんな深刻なのか。
「でも晴人くんが学校辞めるなんて、みんな嫌だよ!」
――おや?
「俺だってヤだよ。でもその買収集団ってのがマジ酷いらしくて、買収された後にはぺんぺん草も生えないだろうって。現経営陣は間違いなく追放だって」
「そんなの酷い……」
「晴人がいなかったらこのクラスどうなるんだよ!」
「何も変わんねえよ。俺がいなくても一年一組の友情は不滅だ!」
――ピラミッドの頂点が失われようとしている。
創汰は、自分が一年一組カーストピラミッドのどの層に所属し、どの層に踏みにじられているのかはわからない。むしろどこにも所属してない気さえする。だから頂点が無くなってもあまり影響はなさそうだし、何となく事態が好転しそうな気しかしない。
ともあれ急転直下の展開に、創汰は晴人に同情すべきだと思った。
晴人は倒すべき悪だったけれど、そんな事情で去りゆく相手に、背後から石を投げつける気にはなれなかった。
チャイムが鳴り、暗い雰囲気を引きずったまま場が解散する。
やっと席に座れたけれど、椅子に晴人のぬくもりがあって不快だ。
――と、創汰は目を見張った。二度見したほどだった。
晴人がスズメの前に残っていて、なにやら「二人だけ」の雰囲気を作っていた。
けして邪魔をしてはいけないような、邪魔をすれば空気読めとか言われてしまいそうな、そんな障壁ができている。事実、取り巻きたちも不自然なほど二人から離れていく。
――なにやら秘密を共有しようとしている。
創汰はそこはかとない危機を覚えた。
その閉ざされた世界からスズメを救えるのは、いま隣にいる自分しかいないような気がした。
創汰はその閉鎖空間に果敢に割り入るべく、まず様子を探ることにする。聞き耳を立てたのだ。
「――力になれることがあれば言ってね」
優しいスズメが気遣っている。
「あのさ……」と晴人が言いづらそうにする。
「うん」
「もし学校辞めることになってもさ」
「うん」
「俺、スズメと会いたいんだ」
創汰は卒倒しかけた。
精神的にという意味ならば、すでに卒倒していたと言ってもよかった。
――同情をして損をした。
その言葉を使うのが、人生で今一番適している瞬間な気がした。今その言葉を使わなければ、今後一切使う機会がないような気さえした。
晴人は、ただでは転ばない気をしていた。
災い転じて福となす気をしていた。
晴人は親の不幸を逆手に取り、スズメの同情を手に入れる気なのだ。
実際そんな状況で言われたら、そりゃスズメだって伏し目がちに「……うん」と答えるしかないだろう。
――汚いぞ……。
あまりの汚さに、創汰は涙ぐんだほどだった。
なるほど悪のなせる手口だった。
――思いどおりに辞めさせてたまるものか。
拳を握った創汰の握力は瞬間一〇〇キロを超える。
――とはいえ、いったいどうしたらいい。