5 光城陽奈
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――清掃部晴人をいかに倒すか。
日課となった早朝ごみ拾いを終えた創汰は、身支度を整えつつ考える。
ここ数日、創汰の思考は打倒清掃部晴人の一点に費やされていた。
創汰にとって、晴人のような存在は爆発して然るべきでしかなかった。
――でもどうやって爆発(精神的敗北という意味で)させる?
チートの能力を見せつけるにしても、この力は使い勝手が悪すぎる。
下手に使えば、長谷川創汰が何やらおかしいぞと、また思われてしまう。
「長谷川ってチートじゃね?」の恐怖は忘れていない。
何か良い方法がないかと、創汰は例のQ&Aに頼る。
Q.能力を使用すると、一般人にばれてしまいそうで不安です。何か良い方法はないでしょうか。
A.会員様限定の『正義ノ味方オンラインショップ』では、姿を覆えるコスチュームを販売しております。初回購入のお客様は五〇%割引となりますので、是非ご検討ください。
はたして答えは見つかった。
――そうだそうだ、正義の味方はコスチュームを纏うものだった。
アプリからアクセスしたオンラインショップには、様々なコスチュームが並んでいた。
どこかで見たことがあるものもある。動物や虫(バッタと蜘蛛!)をモチーフにしたもの。どこぞの聞いたことのない有名デザイナーが手がけたというもの。なんとか賞で金賞を受賞したというもの。ボタンを押すだけでなんらかの現象がはたらいて、着脱できる着替え要らずタイプが人気らしかった。
選び放題だった。
選び放題だったのだけど、それは総じて全身タイツだった。
創汰はショップの画面をそっと閉じる。
思春期の高校生に全身タイツはハードルが高い。
よくよく考えれば、長谷川創汰が、天乃雀の目の前で、能力を見せつけることにより、清掃部晴人をねじ伏せなければ意味がないのだ。
コスチュームを着た不審者がねじ伏せても意味がないのだった。
創汰は制服に着替え、髪を無造作なりに整えて食堂に向かう。
コーポレイト川沿の寮生は、大家たる川沿明日子が作ってくれる食事を、朝と夜にトレイで受け取ることになっていた。今どき珍しい下宿スタイルで、食事が必要ないときは事前に明日子に伝えておかないと、謝るまであからさまに盛りが減らされるシステムだった。
バターロールが二つと牛乳、ウインナーというよりフランクフルトにみえる巨大なタンパク源と、トマトとレタスのサラダが乗ったトレイをキッチンで受け取る。
「ちゃんと成長してきなさいよ!」
そう明日子に背を叩かれて、台所を送り出されるのが寮生の朝のしきたりだ。
大抵管理人室にいる明日子は、見た目二〇代後半くらいの歳なのにこのアパートを所有していて、美人にもかかわらず男の気配を感じさせず、部屋には家族が住んでいないどころか、カピバラが住んでいること以外は普通の女性だった。つまりあんまり普通ではなかった。
キッチンで煙草をふかす明日子はやさぐれ女将然としている。そんな明日子のプライバシーを探ろうとする不心得者がこの寮にいないのは、その昔「いくつなんですか?」「彼氏いないんですか?」と明日子にしつこくまとわりついた女子が、ついにおかずを二品減らされたという口伝が寮に残っていたからだった。
食堂には、いかにも食堂的な長テーブルが八つ繋がっていて、部屋番号順に座る場所が指定されている。一二脚ある椅子は、この寮で一二人が生活していることを意味する。明日子を含めれば一三人だ。
「創汰、おはよう!」
「あ、おはよー」
食堂には先客がいる。
入寮以来、朝食は大抵一番乗りだった創汰だが、いつからか先陣を争う女子が現れた。
「最近、朝どこ行ってるの?」
その問いに「え」と、創汰は息をのむ。
「見てたの?」
「あ、いや、だって、朝早くドアの音がするから」
一号室たる創汰の左隣の席には、二号室の光城陽奈がいた。
「ジョギングでもしてるのかな、と思ったの」
ごみ拾いしてるんだ――と答えれば、話が面倒な事態に発展することくらいはわかる。創汰はジョギングをしていたことにした。
「隠れてトレーニングしているわけですな」
トレーニングではあるのかもしれない。
正義ノ味方としての。
「わたしも走ろうかなー。最近太り気味だし」
陽奈は脇腹あたりの肉を指でつつく。
「全然太ってないよ。大丈夫、問題ない」
早朝ごみ拾いとバッティングしたら困る――からそう言っただけでもなかった。
陽奈は十分スレンダーな部類に見える。
「そうかな……」と陽奈はうつむいて、お腹の肉を嬉しそうに摘んでいる。柄にもなく照れているのかもしれなかった。
クラスメイトであり、隣室の住人でもある光城陽奈は、創汰が気楽に話せる稀有な女子だった。
いつからか朝イチの食堂でよく顔を合わせるようになり、二人きりの食堂、隣同士で無言でいるのも気まずかったのか、陽奈の方から話かけてくるようになった。それは創汰が、たとえ無言で気まずくても、自ら女子に話しかけたりはしない鋼のハートを持っていたからでもあった。
『ねーねー、長谷川君って部活やってないの?』
『ねーねー、長谷川君ってゲームとかしないの?』
陽奈は創汰をやけに知りたがった。あまり人から興味を持たれることのない創汰は悪い気がしない。話してみると、創汰と陽奈は食堂のラッシュ時の賑わいにいまいち馴染めないという点で、意見が一致した。
「このアパートって女子ばっかりでしょ? なんかノリ合わなくて」
「光城さんだって女子じゃない……」
「うちは男家族だからさ」
アパートの住人は、創汰以外全員女子だった。
けれど「女子ばっかでラッキー」と単純に浮かれるほど、思春期の男子高校生は簡単じゃない。
女子はゲームの話をしないし、漫画やアニメの話はするけれど、彼女らの話題にのぼるのは創汰にとって唾棄すべき種のもの(なんらかの問題を抱えた女子がイケメンと恋さえすればよかった)だったし、ドラマの話になれば「誰々がいかにカッコよかったか」という議論に終始する集団の中に、創汰が口を差し入れる余地はなかった。
――かしましい女子の中に溶け込めず、一人だけ浮いているこの感じ。
水槽に落ちた油なのかもしれなかった。
だが油も一滴ではないらしかった。
「だから、女ばっかりの環境って落ち着かないんだよね」
確かに、陽奈はボーイッシュなところがあった。
「兄弟がみんな男だから、女おんなしてると負けちゃうんだよ」
けれど、陽奈はボーイッシュが過ぎるところがあった。
ぱっと見は十分女子らしいし、顔立ちはむしろ整っている部類だ。筆先のようにちょこんとまとまった黒髪のポニーテールも愛らしい。それなのになぜ、創汰が陽奈に異性としての魅力を感じないのかという疑問は、不良をどつき回す女子はちょっと、という一点で説明ができた。創汰には女子が不良をどつき回すという世界観がなかった。
――三年生の先輩をシメたらしい。
――他校の不良と喧嘩したらしい。
陽奈には少なからず武闘派なところがあるらしく、入学からわずか五か月現在でそんな噂がつきまとっていた。あくまで噂の域を出ない話だったのだが、つい最近、夕日が照る河川敷で、創汰の目の前で、それは噂の域を突き抜けたところだった。
けれど朝の食堂の陽奈からは、その暴力性を欠片も感じない。
いったい何が陽奈を暴力に駆り立たせるのだろうか。
脇腹をひととおり摘み終えた陽奈は、心おきなくウインナーにかぶりついて、
「そうそう、この前創汰が貸してくれたゲーム、すごく面白い」
咀嚼しながらもひゃもひゃと言った。
「でしょ? ハムスターをバーストメタモルさせて『終末の火鼠』にするといいよ」
「え? ハムってただの雑魚じゃないの?」
「育てれば最強。『アルパカン・パンデモニウム』のイベもハムで単騎無双可能」
「うそぉ!?」
陽奈はけらけらと笑う。
「よかったら俺のデータ使ってみる?」
「うーん。いや、大丈夫。やっぱりこういうのは自分で強くしなきゃね」
――陽奈だと気軽に話せるんだけどな。
創汰はついスズメの空席を見る。スズメの一二号室の席は、創汰の席から対角線上の一番遠い場所にあった。創汰の席の右側には窓があって朝日が差し込んでいる。対面は七号室の七福あんこの席になっていた。
――七福さん、ずいぶん姿見てないな。
クラスメイトの七福あんこは、入学して一か月ほどで登校拒否に陥って以来、アパートでも姿を見かけなくなった。明日子が部屋に食事を運んでいるようだし、担任も定期的に訪問しているらしいので、まだ寮にいることはわかっている。彼女が何を不満として登校拒否に至ったのかは、生徒たちに知らされることはなかったし、推し量ることもできない。少なくともいじめのようなことはなかったはずだった。
「七福さんって元気なのかな」
思わず、口をついて出た。
「あんこちゃん? 元気そうだったよ」
「え、知ってるの?」
「うん。前、先生に頼まれて届け物した。あんこちゃんの部屋にはパソコンがいっぱいあるんだ。あと株とかの本もいっぱい。凄い詳しくてさ、株とかガイタメとかっての? 色んなこと教えてくれたけど全然意味わかんなかった」
陽奈は笑う。
「別にどこかを病んでるとかって感じには見えなかったな。あ、いや、でもあれは病んでるのかな……」
最後をなにやら口ごもり、「先にいくね」と、陽奈はごまかすように席を立った