11 全長谷川創汰進審会議
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「昨日は結局、なにもわからなかったなぁ……」
昨日創汰がわかったことと言えば、ファルリンが着々と誤った日本語を習得しているということくらいで、特にあんこの部屋で得た情報は一切忘れていい気がした。
あんこは熱っぽく語っていたけれど、なんの説明もなく飛び出す専門用語に、腐女子特有の早口が相まって、創汰が理解するのは困難だった。
――あんこは説明が下手なんだろうか。
違う。あんこにはそもそも理解してもらおうという気がない。あれはもう説明ではないのだ。ただ自分が話したいことを一方的に話しているだけなのだ。
せめて参考になる本を貸してもらえばよかったな、と創汰は後悔もする。
チートの能力ならどんな難解な本でも、一夜で理解することが可能だ。
けれど創汰に、あの魔窟を再び訪問するという選択肢はなかった。
昨日は部屋から逃げ出すだけで精一杯だった。
登校の道を歩きながら、創汰は『全長谷川創汰進審会議(通称/創汰会議)』の招集を決定した。
これは創汰が苦境に陥った際、頭の中の八百万の小創汰たちが意見を交わす会議だ。
けれど、創汰は購入するTシャツの色を青にするか、黒にするかといったことでもたやすく苦境に陥るので、頻繁に招集される議長役の創汰Aはややうんざりしているのだった。
「図書館にいけば良い本があるかも」
「まず謎の買収集団とやらを調べて、そっちを攻めるべきでは?」
創汰K、創汰Lといった辺りから、建設的な意見が出されはしたものの、開始二分の段階で「もうあきらめる」がすでに五二パーセントを占めている辺りが、実に創汰会議らしかった。
だが、議決するには出席者の三分の二以上の同意を得る必要がある。
創汰の面々はまだ頭を捻らなければならない。
創汰Wが発言の手を挙げる。
創汰Wはなんでもまず疑ってかかることで有名な懐疑派だった。
「そもそも清掃部晴人を悪とするのなら、その清掃部一族を滅ぼそうとしている買収集団は正しい集団なのだからほっといていいのでは?」
冷静に意見を吐いた創汰Wは、直後七九九万九九九九の創汰たちの罵声を全身に浴びることになった。発言台からすごすごと下がる創汰W目がけてペットボトルが舞った。飛び交う蓋のない空のペットボトルは「身も蓋もないことを言うな」ということを暗示していたのかもしれなかった。
頭の中の議場が騒然としたまま、創汰は教室に入る。
創汰の席は案の定、清掃部晴人を囲む会会場と化していた。
――今日もスズメと「おはよう」のやりとりが交わせない。
それどころか、言葉自体ずいぶん交わしていない気がする。もう二日になるか。
――全て晴人がいるせいだ。
と考えれば、創汰会議でも怒号が飛び交う。
どの創汰が言ったのか「あんな奴いっそ殴ってしまえ」なる過激な発言が飛び出すと、その炎は議場にたちまち広がった。殴れ! 殴れ! まるで開戦前夜の光景に、無力に首を振るのは穏健派で知られる創汰Pだった。
――常に平和の道を模索してきた俺の努力は無駄だったのか。
暴力はいけない。
例え相手が悪であったとしても、非難されるべきは先に暴力を持ち出した方だ。
――とりあえず何か新しい情報を得よう。
創汰はチートの聴力を研ぎ澄ます。伝わってきたのは意外に和やかな雰囲気だった。
「なんだよ晴人、心配させんなよー」
「ナニソレ? 晴人新手のドッキリ?」
「こんなタチの悪いドッキリしねーよ。ドッキリ仕掛けられたのは逆に俺の方だってー」
「でも、ホントにホントにもう学校辞める心配はないの?」
――は?
「謎の買収集団が昨日になって急に手を引いたとかって、俺もマジびっくりだよ。親父もすげえご機嫌で高級ワイン買ってきちゃってさ。だからもう大丈夫だと思う。心配させてかなり本気でごめん」
ぺこりと頭を下げた晴人に、創汰が「うおおい!」と心の中で突っ込んだと同時に、八百万の創汰会議の面々が吉本新喜劇ばりの総コケ崩れを見せた。創汰Cはコケる際に椅子を倒して大げさな音を立て、創汰Zは自分がこけながらも、大御所である創汰Bが倒れる場所に抜け目なく座布団を差し入れた。もうどうでもよくなった創汰Jはおもむろに弁当を広げていた。
だが創汰には創汰Jの気持ちもわかる。
――これは駄目だろ。
人騒がせにもほどがある。馬鹿にされた気さえする。
これにはクラスのみんなも呆れただろう、と思いきや、場に漂うのはむしろ安堵の空気。
そして「ねえみんな、ドッキリでもなんでも嘘なら良かったよね!」と晴人をフォローさえするのはスズメなのだった。
――いくらなんでも人が良すぎる。
創汰は純真すぎるスズメが少し心配になる。
スズメは「息子さんが事故を起こしたから一〇〇万円振り込んで」なんて言われて、振り込んだあとに騙されたと気づいても「息子が事故に遭ってなくて良かった」とか言いだしそうな気がする。
「もう晴人くんと一緒に学祭できないのかと思ってたからさー」
――スズメに対するこの苛立ちは何なのか。
苛立つべき相手は晴人のはずだ。
ただ優しすぎるだけのスズメを怒りの対象してはいけないはずだ。
可愛さ余って憎さ百倍?
なんだこの感情は。
よくわからないよくわからない。