序~1 セイギノミカタ
河川敷の橋脚の陰、人目を忍んで不良をどつき回す少女のこぶしは、九月の夕日に輝いていた。
――せっかくのチャンスだったのに。
土手から遠巻きに眺めていた長谷川創汰は唇を噛んだ。
創汰はこの場所が不良たちのかつあげスポットだと知って以来、多少遠回りになっても、学校帰りに注視するようにしていた。雨の日も見た。風の日も見た。雪はまだ降っていないけれど、桜吹雪の土手は美しかった。そしてやっとターゲットに遭遇した今日、そこにはすでに先客がいた。
その女子高生は改造制服の男子五人を相手に大立ち回りを演じている。脱兎のごとく遠くに駆けてゆく男子中学生が不良たちの獲物だったのだろう。不良たちが纏う制服は、名前が書ければ入学できるとまことしやかに囁かれる高校のものだった。
一方、こぶしを振り回す女子の制服にも覚えがある。あるもなにも同じ高校だ。
いや、覚えがあるのは制服だけじゃない。
黒髪のポニーテールを振り乱し、ミニスカートをひるがえし、不良たちに迫真の一撃を決めてゆく女子は、同じアパートに住む光城陽奈に違いなかった。
――なんで陽奈なんだ。
陽奈じゃなければ、顔見知りじゃなければポイントを稼げたのに。
創汰は加勢できずに立ち尽くした。
○
三か月前は六月十六日。
創汰が十六歳を迎えた日の深夜一時だった。
「こんばんはー」
部屋のクローゼットが内側から開いて、女が現れた。
「あなたは今回『升』の能力者として、正義ノ味方管理協会に登録されました」
創汰はむくりとベッドから起き上がる。
震える手でスマホを掴むと、通話画面で一一〇をタッチした。
おまわりさんここです、と思ったからだ。
「警察はやめてください」
女は拳銃でも抜くかのように懐からモバイルPCを取り出すと、早撃ちのごとくキーを叩いた。するとなぜか創汰のスマホの電源が落ちる。こんな事態は慣れていると言わんばかりの手早さが女にはあった。
「でも不法侵入はいけないと思うんです」
創汰ははばかりながらも、犯罪者を諭す努力をする。
「だからメールを送ったでしょう。アドレスをクリックしてくれれば、わたくしとてこうして出向かなくても済んだのに」
女が言うメールには、創汰も心当たりがある。
一時間前、午前〇時のことだ。
件名は『※重要連絡 至急お読みください』。
発信先のアドレス欄には、無規則なアルファベットが並んでいた。
『おめでとうございます! あなたは今回、五該七七〇〇景七〇〇〇兆生物の中から『正義ノ味方』に選ばれました!! 五分以内に以下のアドレスをクリックして――』
なので創汰は五秒でメールを削除して、布団をかぶることにしたのだ。
女が再度キーを叩くと、なぜか部屋の電気が灯る。
モバイル片手の女は眼鏡を掛けていて、くたびれた白衣を着ていて、どことなく理系プログラマーの趣があった。
女は座布団に勝手に腰かける。創汰にも座るようにうながした。
創汰は素直に従うしかない。
下手に逆らって刃物を出されたら事だからだ。
「わたくしこういう者です」
女がちゃぶ台に置いたカードは運転免許証に似ていた。
「わたくしは全宇宙正義ノ味方管理協会の方から来ました、正義ノ味方契約主任者の※※と申します」
名前の部分が聞き取れない。発音が日本語っぽくなかった。というより、あんな発音の言語があるんだろうか。見ればカードにある文字も子どものいたずら書きにしか見えなかった。
創汰は困惑する。
これは警察じゃなくて病院の方だぞ――。
「突然の事で驚いたかと思いますが、最初はどなたもそうですので気にすることはありません」
色々突っ込みたいけれど、創汰は黙って頷いた。
刃物を出されたら事だからだ。
「まず今回お伺いした目的を説明いたします。我々『正管協』は『正義ノ味方』を任命、管理して全宇宙を暗躍する団体であります。この世の全ての生物は、生まれつきは善でありながら、成長するにつれ悪を獲得してゆく悲しい傾向があります。放っておけば世の中の悪が過剰になってしまう。そのバランスを取るために、我々は悪の取締り者たる『正義ノ味方』を任命、管理しているのです」
創汰の肩から力が抜ける。
――なんだ宗教の勧誘か。
女が話す設定では、その『正義ノ味方』とやらに、今回長谷川創汰が選ばれたということらしかった。
「正義ノ味方には、悪と戦うための特殊な能力が与えられます。わたくしは『升』能力の任命主任者として一〇次元宇宙中を駆け回っております」
「『ます』?」
「『升』とはいわば、不赦の能力。許されざる力。定められている能力値を改ざんすることによって、非常識な力を得ることができます。それをあなたの星、というか国では『升』と言うのでは?」
「? ……ああ、チート?」
『チート』の三文字を横に繋げて『升』。
ネットスラングだ。
「チートと読むのですか。訓読みが『ます』で、音読みは『チート』。この国の言葉は、読み方がたくさんあって非常に不便だ。何考えてるんです」
間違いを真剣に正す気にもなれなくて、創汰は適当に頷いた。
女は無抵抗の創汰に乗じて、設定を滔々と話し続ける。
選ばれた人間。
特殊な能力。
善と悪の闘争。
この人はアニメや漫画が好き過ぎてこんな風になってしまったのかもしれない、と創汰は思う。
可哀想に。
「それで――どこのモンスターを倒せばいいんでしょうか?」
話に乗ってあげようと思っただけだった。
「そんなモノいるわけないでしょう!」
だけだったのに怒られて、創汰は変質者の理不尽を知る。
やはり適当に合わせた方が良いのかもしれない。
「そもそも、何を悪とするかにつきましては、正義ノ味方諸君の判断に任せております。これが悪だ、とこちらで指定するのは難しいからです。例えば……どこだったけかな、とある星では、野生動物がヒト型生物を一人噛み殺せば射殺しろと大騒ぎになるのに、年間一〇〇万人以上の命を奪い、かつ大気さえも汚染する車輪付き移動マシンは廃止しろという話にならない。その移動マシンが野生生物をひき殺しても罪に問われない。これはよくわからない倫理観です。そんな凶悪なマシン、我々から見れば是正が必要な悪でしかないのに」
女は首を振る。
「ですから、その辺の現地の倫理観を知らない我々が、勝手に悪の定義を決めてしまっては問題がありますでしょう? なので何を悪として倒すかについてはご自分でお考えください。現地の諸君が悪だと判断して倒したモノを、こちらは尊重してポイントを与えます。でもこれを悪というのはさすがにちょっとなーとシステムが判断すれば、低いポイントしか与えられないのであしからず」
「ポイントってなに……」
「ああ、説明すべき事項が前後してしまいました。あなたが変な事を言うから」
「すみません……」
「まあいいです。正義ノ味方として最低限覚えていただきたいことが四つあります」
女はモバイルの画面をタッチして、創汰に向ける。
そこには『重要事項説明書(銀河圏太陽系惑星地球内日本国用)』と題された箇条書きがあった。
一. 正義ノ味方は悪に敗れてはならない。
(違反罰則/敗れた状況に応じて)
二. 正義ノ味方はその能力を悪用してはならない。
(違反罰則/能力剥奪、記憶剥奪)
三. 正義ノ味方は自らが正義ノ味方であることを、一般人に知られてはならない。
また、全宇宙正義ノ味方管理協会の一切を、一般人に漏らしてはならない。
(違反罰則/能力剥奪、記憶剥奪、畜生界への追放)
四. 正義ノ味方は半期(期間を六か月とし、九月三〇日および三月三一日を末日とする)
につき、善行点を一〇〇ポイント以上獲得するよう努めなければならず、達成できな
かった者は、二か月間の低成績者合宿に参加しなければならない。
創汰は真顔と困惑とおうち帰りたい表情(ここが創汰の住む寮の一室でもあるにもかかわらずだ)でそれを見つめていた。
「……あ、説明要ります?」
「おおむね」
「一と二は……大丈夫でしょう。正義ノ味方として当然の義務です」
「正義の味方も大変ですね」
「特に気をつけていただきたいのが三です。守秘義務違反は最も重い処分である『畜生界への追放』が下されます」
「くわしく」
「要は、一般人に協会のことを話したり、自分が正義の味方であることがばれしたりしたら、罰として獣の姿に変えてしまいますよ、ということですね」
「ずいぶん厳しいですね……」
「我々は善と悪のバランス――全宇宙の理を秘密裏に調整する組織ですから、秘密の漏洩は絶対に許されないのです」
「そんな漫画を読んだことがあります」
「またそうやってふざける! これは現実なんですよ!」
「すみません……」
「まったく。そもそも漫画の方が我々をモチーフにしているだけだというのに。ちなみにバレてはいけない対象はあくまで一般人なので、協会の同志や、『大宇宙悪役管理連合』の連中にバレるのは問題ありません」
「悪役管理連合」
「彼らは我々と思想を対にする団体で、この世の全ての生物は、生まれつきは悪でありながら、成長するにつれ善を獲得していくと主張しています。放っておけば世の中の善が過剰になるから、バランスを取るために悪役を設定しなければならない、と。まったくとんでもない理論です。彼らと戦う際に能力が使えなくては本末転倒ですので、彼らには能力がバレても大丈夫なように、正義ノ味方管理システムは構築されています。悪役連合を倒すと高ポイントが期待できますよ!」
高ポイント。
「へー。そいつらはどこにいるんです?」
「わかりません」
「えー……」
「あら、もうこんな時間だ」と女は腕時計を気にした。「今日中にあと二十三人認定して回らないと。次なんてあのMBXの二三八番地星ですよ」
女がくくくと笑い、創汰はへへへと笑い返す。
笑いどころはもちろんわからない。
それが早くお帰りいただくための近道だと思っただけだった。
「それじゃ、何かご不明な点があれば、スマホにアプリを入れておきましたので、そちらからサポートセンターに問い合わせてください。会員ページから規定も確認できるようになってます。八日以内であればクーリングオフもできますから」
「わかりました」
「では、失礼します」
女はクローゼットに入り、がちゃりと扉を閉めた。