第三十五話・魔物狩り
順調だった。
インカム越しに、部外者の声が聞こえてくるまでは。
エッタは、それがロシア語だと直ぐに判別していただろう。しかし、エッタはその男と出会ったことがないために、何者なのかまで判別できなかった。
最も、エレベータからサーバールームへ到達する道中どうして男と渚が鉢合わせしなかったのか、に思考を取られてしまっていた。
ルーデに至っては、脳味噌に散らかった記憶の破片をかき集めるのに精一杯だった。
『ルーデさん、エッタさん、ハプニングです……。離脱します』
渚が報告した直ぐ、男の日本語音声が入り込んでくる。
『そうか。君も迷子か。俺も迷ってしまったんだが……。せっかくなのでネズミ駆除をして行こう』
言語の翻訳を必要としなくなったことにより、ルーデとエッタの思考パズルは完成を早めた。
『○■×※』
続くロシア語のセリフによって、まずルーデが男の正体を思い出す。
「ロシア語? その声は……!?」
そう、『魔物狩り』がレガート=グヴォズダリョフ。
「ナギサ、逃げろ!」
ルーデが叫んだ頃には、たぶん渚は走り始めていただろう。
レガート相手に、戦うこと自体が愚かだからである。渚が、それに気づかないわけがない。
『警備が薄すぎると思ったら……ド畜生でございます!』
レガートの存在に気づいたエッタもまた、作戦を中断して撤退に移行する。
ルーデは直ぐ様、ツインタワーの屋上から飛び降りて渚の救援に向かった。
この時、ルーデに無意識な変化が起きていた。頭部には猫の耳、アラミド繊維製のウェットスーツ下では獣毛が。
まだ昼前だと言うのに、ライカンスロープのルーデが半分獣化したのだ。
絶対にありえない、という現象ではない。しかし、相当希少な状況なのは確かである。
続く銃声に、ルーデが吠えた。
「ナギサァッ!」
過去最大の敗北。渚の危機。
それらが、獣の本性を蘇らせた。
ほぼ垂直降下を続けていた金髪が、急遽方向を変える。壁を蹴って、落下速度を落とした。
着地から車庫へ飛び込むまで、ほぼノークッション。
『今、誰か飛び降りたぞ!?』
『えッ、下には誰もいないわよ?』
『本当に見たんだよ……信じてくれ』
『あなたは疲れているのよ」
窓の外を見ていた一般社員の声さえ聞こえた。一部で幽霊説が囁かれたのはここだけの話。
並ぶ車をひとっ飛びにして、エレベータの扉をこじ開けに行く。
ギギギッと重厚な鉄板が二つに割れて、数十メートルの奈落の吐く息が白い肌を撫でた。
「ガァァァァァァァ――ッ!」
声を張り上げて己を奮い立たせた。
徐々に冷静さを取り戻すも、まだ怒りは収まらない。
飛び込んで十秒もしない内にカゴを天井から踏み潰して、衝撃で空いた天板へと体を滑り込ませた。
また扉を無理やり開いた後、壁を蹴ってジグザグの通路を駆け抜けていく。鉄の扉に蹴りの痕跡が残るほどの速度だったと、現場を確認した政府社員が証言する。
風を切り、銃声から二十秒ほどで到着した。
その間、渚が殺されていなかったという保証もない。
しかしルーデには、なんとなくその確信があったような気さえした。
「……あぁ、お前には見覚えがある。ゲルトルーデと言ったか、赤獣の女?」
ルーデの吠え声や、ここまで降りて来る音が、レガートの凶行を押し留めたのだろう。
「魔物狩りぃッ! どうして、てめぇがここに居やがるッ?」
質問に質問で返すのはいささか失礼だが、長々と話しをするつもりもなかった。
渚とヒースを回収しつつも、レガートから視線を逸らさない。
レガートは短髪を掻き、少し困った様子で答える。
「どうして、と言われてもな。ロボットに、格闘術を学ばせていたんだが」
「イーアルクンフーってか……。さっさと北へ帰ってくれ」
渚を担ぎ上げ、立ち去ろうとする。舌でも出してグッバイと行きたいところだが。
「逃げられるのは困る。偶然とは言え、本業なのでな」
そうは問屋が卸さない。
ショットガンの銃口はルーデ達を捉えた。
「しっかり掴まってろ、ナギサ!」
「ッ!」
渚が首をギュッと抱き締めた瞬間、ルーデは小さな身体を抱えて走った。
ベアリングが壁で弾ける。集弾性を高めたソードオフ・ショットガンが仇となったのだ。
「……」
次に装弾が完了する時、ルーデ達はそれなりの距離を稼いでいた。
なおも、レガートは追跡を諦めない。ゆっくりとした歩みに見えて、大柄な胴を支える脚は一歩が大きい。
直ぐに追い付いてくることだろう。
ルーデに至っては、エレベータまで戻ってきたところで既に獣化は解けてしまっている。
「ルーデさん、ここからは一人でも大丈夫です……」
渚は直ぐに、自分を抱えては登れないことに気付く。
「平気、平気ッ。しっかり掴まっててくれよ!」
それでもルーデは諦めない。
強がって、意地を張って、渚を抱えたままピットへと出ます。
「よッ」
天井から壁、そして太いワイヤーへと移っていく。
右腕で渚を支えているため、当然ながら両足と左腕だけで登っていかねばならない。
よって、それほどせずにレガートは追い付いてくる。
「あまり速く走らないでくれ。二十年前とは違って、こちらも年なんだ」
「チッ……もう追い付いて来やがったか。お爺ちゃんはエレベータを待ってろてぇの」
軽口を返して見るも、追い詰められているのは確かだった。
どうしたものか、とルーデは思案する。
(ああして、こうして……)
しかし、渚に負担の少ない方法など簡単には出てきやしない。
「ルーデさん」
大丈夫だ、と渚は目で訴えた。
覚悟を決めて、ルーデは渚の腕を掴んだ。振り回し、二~三メートルは先にある金属扉へと投げ出した。
凄い力が腕にかかったことだろう。下手をすれば脱臼ぐらいしたかもしれない。
開かれた扉の向こうに消えた後、直ぐゴツッと鈍い音が響き渚が。
「痛ッ」
と言う。
ルーデはまだ謝罪の言葉を口にできない。
なぜなら、渚を振り回して投げた勢いで、自身も対角線上に吹き飛ばされてしまったからだ。
「こな、くそッ!」
両手足で壁に背面四点接地を決め、再び宙へと跳んだ。
天井へ顔を出したレガートがショットガンを向けて引き金を絞るも、ルーデの体は辛うじてそれらを回避した。
「ナギサ、大丈夫か……? ごめんよッ」
「だ、大丈夫ですよ。ちょっと、頭をぶつけただけです」
怪我などの確認をしたかったものの、レガートは直ぐに追い付いてくるだろう。早急に距離を稼がなければならない。
どういう幸運か、車庫に対して警備などは集まってきていない。
罠か、それとも好機か、ルーデは悩まなかった。悩むだけの頭も無ければ意味も無く、最後に信じるのは外で待機しているだろうエッタとエリック。
「ナギサ、もう少しの辛抱だ!」
「はい!」
ルーデが走った。
ナギサは精一杯の力で首にしがみついてくる。
薄闇を抜け、陽光の差し込んでいた扉を潜った。
「退けぇぇぇぇぇぇぇぇぇ――ッ!」
会社の敷地を出るために通らなければならない正門へと猛進した。
警備員達がわけもわからず、ただただルーデ達を止めるため五メートルほどの鉄格子を閉じようと奮戦する。
退けと言われてその通りにする警備員なんていない。
「止まれ! 止まらないと!」
木製の警棒を手にして、健気にもルーデ達の前に立ちはだかる始末だ。
「止まらないとどうだってぇんだぁ!」
ルーデならば、多少打ち据えられたくらいなんともない。しかし、渚に対してその理屈は通らない。
一発でも当ててみろ、と牙を向いて威嚇する。
『……ッ』
警備員達が道を開けた。
滑り込み。
セーフ。
待ち構えていたのは、軽自動車を用意しているエリックだった。
「乗れ」
「当たり前だ。エッタは?」
「あの、流石に軽自動車でカーチェイスとかやめてくださいね!」
国民的軽ワゴンは、後部座席にルーデと渚が飛び乗っても広々空間だ。その分、車体の装甲は紙である。
二人が乗ったのを確認して、エリックはルーデの問いに指で頭上を示す。
副王エレクトロニカル社の建物正面にある、小振りのビルの屋上にいるらしい。
「奴さえ追いかけてこなけりゃ、他の追手はなんとか振り切れるさ。卵ロボットよりも質悪ぃぜ、まったく……」
ルーデが悪態を吐く。
車庫から体を出そうとしたレガートは、銃弾の雨で後退を余儀なくされる。
エッタが、ステアーAUGのフルオートで対応してくれている。
正しくは、フルオートでなければ足止めできないような相手だということだ。レガートという男は。
余裕ができて、渚は聞いてきた。
「あの人は、何者なんですか……? 魔物? それとも人間? まさか、未来から私を抹殺しにやってきた殺人機械じゃありませんよね?」
「最後のはさすがに映画の見過ぎだけどな。人間だよ」
ルーデは答える。
「ただし、魔物が『化物』って呼ぶ唯一の人間かな。魔物狩りレガート=グヴォズダリョフ。ロシア政府に飼われてる猟犬さね」
そして、百パーセントのルーデが敗北した最初で最後の相手。
因縁などという言葉もおこがましいほど完敗した。
「魔物狩り、レガート……。すみません、半分くらいしか情報が盗めなくて」
自分の任務を邪魔した相手の名を、渚が忌々しく呟く。
ルーデは、渚の頭に手を置いて宥めた。
「アレに出会って、それだけの成果を持ち帰れたら上々さ。命があるだけでもめっけもの」
「そ、そうです! スライム君がぁッ!」
無事だどうのと言う話で思い出したのか、スライム君の死を訴えてくる渚。
確かに、スライム君無しで渚の無事は語れない。
功労者として奉りたいところだが。
「スライム君、いつまで死んだフリしてるの……」
「へッ?」
残念ながら、死んでない。
もう少し渚の泣きべそを見ていたかったが、変なショックを受けてもいけないので暴露する。
(渚の素っ頓狂な顔も良いね)
などと性格の悪いことを考えてしまう。
「手乗りスライム君……?」
チョコッとワイシャツの隙間から顔を出した半透明の物体に、渚は間抜けな顔で安堵したようだ。
しかし、普段の体積に比べればそれの十分の一である。
「これ、治るんですか?」
「治る、直る。ナマモノの方が効率良いんだけどねぇ」
渚が生きたままの動物を餌にするとは思えない。虫をトン単位か捕りたての魚介類くらいが関の山だ。
もしくは、スライム君に弄ばれることを覚悟しなければいけないだろう。
さて「どっちを選ぶ?」と訪うはルーデとスライム君。
「わ、わかりました……。命の分、この体で、し……支払わせていただきます」
どちらが現実的かを思案したくらいで、渚が答えを出した。
渚の答えを聞いて、ルーデは訝しげに唸った。
「最近、渚ってスライム君のことを嫌がらなくなったよな……」
「そ、そそそ、そんなこと無いでキャッ!?」
ルーデも少しびっくりしたが、渚を支える程度の余裕はあった。
ただエリックが車の操作を誤って横に揺れただけだ。それだけだ。




