その2 ビデオの向こうで 中編
五月蠅さに苛立ちを隠せなくなったスガオが声を荒げる。
ドアノブに手を掛けて少し捻った瞬間、僅かに開いた隙間から腕が入り込んでくる。それは、見る人が見れば、直ぐに普通ではないことが分かるものだった。
皮膚は赤黒く変色して肉が壊死し始めていた。良く見れば、ボロ服の下で僅かに蛆虫が湧いて、指の一本は骨も覗いている。
『ヒィッ!?』
そんな正常とは思えない腕が扉を押し開けようとするもので、当然ながらスガオが悲鳴を漏らす。
『退いてくださいませ!』
硬直したスガオを吹き飛ばすように、黒い人型が扉に体当たりをかます。扉が腕を千切り飛ばす。それが部屋の中に落ちて、しばらく芋虫のように動いてから止まった。
「早くカメラの視点を上げてください……」
飛び出して行った黒い影の正体は、ソファーに寝ていた少女だろう。そして、直ぐ側にいたノリタも押し退けられたため、転んだ際にカメラが下を向いたのだ。
けれど、彼らにそんなことを気にする余裕などなく、まず何が起こったのかを理解しようと務める。
『キャァァァァァァァ――ッ!』
『な、何だよ、今の!? ま、ママ~ッ!』
『おい、腕が千切れてんぞッ! 大丈夫かよ、さっきの奴ッ?』
『だ、大丈夫だよ、シズネちゃん! とりあえず、普通じゃないのは確かだよッ!』
誰も彼もが口々に、具にもつかないことを言い合う。冷静に対処しろ、という方が酷かもしれないが。
『怪我はございませんか?』
稟とした声で、スガオに問う少女。
少女の割に高過ぎもせず、かと言って低音とも違う透通った声だ。スガオはそんな天使の如き声音に聞き惚れてしまったようで、しばらく呆けてしまっていた。
『えッ……あ、う、うん、大丈夫……』
そう言って、怖気を払うように腕をさする。
『扉や窓に、ソファーなどでバリケードを作ってください! さぁ、急いで!』
『えっと……その……』
いきなり少女に命令されたのでは、さすがのノリタでも戸惑いってしまうだろう。
ノリタがカメラを拾い上げて、皆の様子を伺おうとした。そうしたところで、前に進み出たのはタケルだった。
『何、大人に向かって命令してんだよ! ガキだからって容赦はしねぇぞ!』
少女の襟を掴み上げて持ち上げてしまう。隆々としたタケルの腕力があれば、少女の細い首など容易く捻れてしまうだろう。
『……ふぅ』
少女の口から洩れたのは、怯える声でもなければ謝罪の言葉でもない。その、小さな溜息一つだけだ。
そして、次の瞬間には形勢が逆転していた。
少女がタケルの腹部を蹴り、その反動を利用して背中側へと回り込む、という常人離れした動きにケイも目をみはった。
さらに、タケルの腕をねじり上げながら関節技を仕掛け、背中で馬乗りになってマウントを取って見せたのには誰もが驚きを隠せない。
『……』
ケイさえも、タケルと少女を除く三人と一緒に、口を噤んでしまうほどに。
けれど、顔面を床に打ちつけたタケルの顔は、鼻血を含めて滑稽極まりなかった。
『死にたければこの場で直ぐ殺して差し上げましょう。もし生きて帰りたければ、大人しく従いなさい』
怒っているのか驚いているのか分からないタケルに、少女が冷や水を浴びせかける。
ノリタが茫然としていなければ表情を見られたのだろうが、顔が映っていなくとも少女の言に冗談らしさは感じ取れない。
『わ、わひゃった……ッ! おれぎゃわるはった……』
タケルが、自分より十歳近く若い少女に対して無様に謝罪する。普段からタケルにこき使われているノリタやスガオにとっては、少なからず胸のすく光景だったろう。
『貴女は武器になりそうな長い棒か何かを持って来てください。さぁ、急ぎなさい! もし他に使えそうなものがあればそれもでございますよッ!』
タケルを解放して、少女が再度指示を出す。
皆、大慌てでソファーを窓に立て掛けたり玄関扉を施錠して、準備していく。何の準備かと聞かれれば、生き残るためのだ。
放置されたカメラが、窓から差し込む人影を捉える。
影だけ見れば普通の人型ではあるが、窓に張り付き押し開けようとする挙動は不自然過ぎた。
「ホラー物でしたか……。嫌いではありませんけど、さすがにこれは詐欺じゃありませんか?」
オカルトサイトだからと言って、ホラー物のビデオ映画を握らせてお金を取るなどというのは、卑怯極まりないではないか。
今更言っても、個人的な取引にはクーリングオフ期間もなければ消費生活センターも役に立たない。
「……まぁ、せめて楽しみましょう。もし及第点以下なら、その時はフフッ……」
ケイは諦めてテレビに戻る。もし余程どつまらない内容だったなら、『ナースが良かったさん』を見つけ出して報復してやろうと決める。
テレビの中では、何とか化け物を出迎える準備が整っていた。
『……』
少女を除けば誰もが固唾を飲み込み、シズネが集めてきた掃除用具の棒を携えている。少女は刃渡り20センチほどのナイフを所持しているようだが。
化けもの相手に、棒が一本だけでは心もとないことだろう。
『基本はバリケードを使って侵入を防ぎながら、棒で突き倒して行くだけでございます』
対ゾンビを凌ぎ切るための戦術指南を始める少女。
『あ、あの……そのナイフで倒していけないんですか……?』
恐る恐るといった様子でスガオが質問する。
少女は僅かの間をおいて、それに答えた。
『……相手は痛みなど感じません。棒よりはダメージが出せるかもしれませんが、リーチの問題があります。必要なのは戦うことではなく、身を守ることでございます』
『な、なるほど……』
『じゃあ、救援が来るまで籠城するつもりなのかい?』
少女の口調に、酷い侮蔑が含まれていることにスガオもタジタジである。代わりにノリタが言葉を継ぐ。
『いえ、持久戦しかございませんよ。棒で突くだけでも、何度かやれば倒せる程度の雑魚でございますよ』
『HPみたいなのがあるんですか?』
『ヒット、ポイント、とやらが何なのかは存じませんが、字面から読み取るにそういうものだと思ってくださいませ』
これぐらいの時代、女の子でゲーム用語を知らない可能性は稀にある。喋り方の時点で異質ではあったが。
ちなみに、丁寧な口調で話してはいても、少女に大学生四名への敬意など微塵もありはしない。慇懃無礼というレベルですらない。
『しかし、上手い具合に発電機用のガソリンと空きビンが手に入ったのは良かったですね。火炎瓶をいくつか作れるでしょう』
『子供会で流し素麺を作るつもりだったみたいだね。竹もたくさんあってくれてよかったよね』
集めた道具を前に、少女とノリタが冷静に分析している。
当然、それに疑問を呈する人物はいた。
『あの……その、私には何がなんだかさっぱりわからないのだけれど……。いったい、何が起こっているのでしょう?』
シズネだ。少女に急かされるまま道具やらを集めにかけずり回っていたため、漸くここで質問ができたようだ。
『そうか、シズネちゃんはこういう映画とかもあまり見ないよね。たぶん、ゾンビとかそういうのだと思うんだけど』
『えぇ、あれは生ける屍ですね。生ける屍とゾンビは正確に言うと別モノなのですけど、今はそんなことを講釈している暇はございません』
『怪物に襲われている、というのは分かります。いえ、そもそもどうしてそんな怪物がいて、私達が襲われているのかを聞きたいのですが……』
シズネの疑問はもっともだ。
しかも、その原因が、仮に、少女にあるのだとすればなおさら解決せねばならない。
『そうだ! 確かに、お前を助けたことが原因だとすれば看過できない問題だぜ……』
先ほどの意趣返しか、タケルが便乗してくる。だが、タケルとシズネへと返されたのは、侮蔑を含んだ呆れ声であった。
『えぇ、貴方様達が考えている通り、奴らがここへ来ているのは私に要因がございます』
『ま、待ってよ、二人とも――』
少女とタケル達の間に、ノリタが割って入るも事は動きだしてしまっていた。
『なら、こいつを放り出せば俺達は無事に帰れるってわけじゃんかよッ』
『た、タケルさん、それはどうかと思うわ……。普通の子ではないとは思うけれど、こんな小さな子を化け物の中へ抛り出すなんて……』
『――そうだよ、タケル君。君も、端的な言い方はどうかと思うよ……』
シズネが難色を示し、ノリタが間を取り持とうとする。
『……そうですね、ちょっと端折りすぎましたね。時間もありませんので簡単になりますが、説明させていただきましょう』
この場で争うのは得策ではないと少女も思ったのか、気を取り直して説明を加える。
『この死霊どもの親玉が私を欲していたのですが、酷くフッたら怒ってしまわれました。けしかけてきた生ける屍の群れを、手持ちの武器で排除したのまでは良かったのですけどね。手榴弾で危うく自身も吹き飛ばすところでした』
『そこを僕らが拾ったんだね……って、手榴弾ッ?』
『えぇ。少なからずその点には感謝しているので、こうして生きて逃れられるよう協力して差し上げているのです』
少女の物言いは――物騒な武器の名前も含めて――いかがかと思うが、大学生四人に彼女の手助けが必要なのは確かだろう。
とはいえ、シンプルなホラー物かと思えば細かい設定もあるらしい。もしかしたら、過去編につながる伏線を撒いているのだろうか。
『さて、いかがなさいます? ここで私を追いだそうとして逆に殺されるか、それとも私とともに生き残るか』
『……』
さすがのタケルも、そう問われては黙らざるを得ない。もはやただの脅しのようにも思うが。
『よろしい。それでは、もう周囲を囲まれてしまっているので、どんどん突き倒して行ってください。私は別の武器を作っておきます』
『えッ? 手伝ってくれないんですか?』
少女の案に食ってかかるのはスガオだ。
完全に謙ってしまっているスガオの態度に少女は不快感を覚えているのか、そちらを見ることもなくつけんどんな言葉を返すだけだ。
『窓は四点ですから、私が遊撃に回ったところで問題はないでしょう。疲れた時は交代しますので、それまでは頑張ってくださいませ』
『は、はい……』
『さぁ、早く作業に入ってくださいませ!』
『は、はいぃぃッ!』
少女に急かされるまま走って行くスガオ。哀れである。
『うぅ……。気持ち悪いよ~、ママァ~ンッ!』
ママっこの叫びがさらに哀愁と笑いを誘うではないか。カメラがスガオの顔を撮影していなかったのが悔やまれる。
『ウグッ……』
別の窓ではシズネが死体との戦いに疲弊している。これが噂に聞くゲロインという奴なのだろうか。
『シズネちゃん、大丈夫……?』
医者であるためかグロテスクな見た目に弱ることなく、男性の中で一番神経の細そうなノリタがシズネの傍に寄って行く。
『ダメ、ノリタさん……ッ。そちらの方が怪物の数は多いわ』
『でも……』
『雪崩込まれたら抑え切れませんよ! 目を逸らさないでくださいませ!』
少女からの叱咤が飛ぶ。
少しぐらい交代してやれば、とケイも少しばかり少女に対して怒りを覚えてきた。しかし、厳しいぐらいでなければこの状況から生きて帰れないのは明白だ。
ノリタも渋々と言った様子で持ち場へと戻って行く。
『敵はそれほど残っておりません。落ち着いて処理していけば問題はあり得ないでしょう』
『そんなこと言ってもよ、どんどん増えてきてねぇか……? あそこにいるのって、旅館の婆さんだよな……?』
『ッ!? まさか、近くに街か村があるのですかッ?』
少女が、しまったと言わんばかりに正面窓へと駆け寄って行く。
『う、うん……。ここからちょっと里山を下った所に住人が二百人くらいの村が……』
『拙いですね。奴ら生ける屍どもの中には、殺した相手を同じ死者として蘇らせる奴もいます。どんどん増えてきますよ……』
『や、やっぱり感染させたりするのがいるんだね……』
映画やゲームではお馴染みの展開だ。やはり、このままあっさり生き残れるというわけにはいかない様子だ。
もちろん、ケイとしてはそう言った急展開がなければ面白くも何ともない。
自主製作にしてはメイクなどもリアルであり、たまに見える素人っぽさを除けば及第点かもしれなかった。
「せめて最後まで楽しませてくださいね」
少し前よりもちょっとだけ期待しながら、佇まいを直して視聴に挑む。気付けば、結構なオヤツや飲み物がなくなってきていた。
『毒性があったりするので、傷を受けないように気をつけてください。私は火炎瓶と弓矢を使って遠くの敵をい攻撃します』
そう言って少女は竹で作った弓と矢を背負い、火炎瓶をタコ糸につないで肩に担いで準備を終えた。
先ほどから建物内の中央低い目を定点で捉えているて、上手い具合に少女の顔だけが映らないカメラを、漸くノリタが動かす。少女の雄姿を納めようとしているのだろう。
だが、それは叶わない。少女が少し下がったかと思った瞬間に、画面から外れてしまったのは驚きだ。
頑張ってその姿を追うが、ケイはその光景に唖然とするしかなかった。
『……ッ!?』
大学生四人の驚きも無理はない。
助走をつけて壁を蹴ったかと思えば天井へと向かって飛び上がり、身体を捻りつつナイフを天井に突き立てる。
遠心力で持ちあがった足で天窓を蹴破ると、その勢いのまま屋根の上へと消えた。
とんでもない神業だと、誰もが息を飲んだ。
『何をボサッとなさっているのですか。屋内に入られたら全滅ですよ』
『は、はいッ!』
カメラがバリケード化している机の上に置かれ、外の様子を映し出してくれた。
その様子は、まさにホラー映画に見る有象無象の死人達が跋扈する地獄だった。群れの少し外側、大学生達から遠い所に見えるまだ新しい死体どもが村人達なのだろう。




