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第二十六話・凍え始めた心

 壁越しにも伝わってくる程度に、陽動が開始された。

 吹雪にかき消されまいとする銃声が何発も聞こえてくるが、渚とエリックはそちらに気を揉むことなく動き始める。それだけ、ルーデやエッタのことを信じているからに他ならない。

 案の定、中庭にも、洋館の窓にも敵の姿は見当たらなかった。

 それでもエリックが無言でハンドサインのみの合図を送るものだから、渚も倣って無言で中庭を突っ切る。


 白装束達が隠れてこちらを待ち伏せしている可能性も完全に否定され、客室側の入口へとたどり着く。

「鍵がかかってますね」

 ドアノブを回してみるものの、扉は前にも後ろにも動かせない。無論、左右上下のいずれにも動かせなかったので施錠されていることは明白である。まさか、裏を掻いて扉自体がフェイクなどということはないだろう。

 扉が開かないことに痺れを切らせたエリックが、渚から奪い取るようにしてドアノブに手を添える。


 次の瞬間、エリックの腕が肥大化した。

 渚よりも少し太いかどうかだった腕は、ダウンジャケットを引きちぎらんばかりに盛り上がる。筋肉を隆起させることで服を弾けさせるシーンなど、昔の娯楽作品ではたまに見る演出であったが、まさか目の前でそれが行われそうになっていることに驚く渚。

 渚が唖然としている間に、バキッと轟音を立てて扉が金具ごと外れる。蝶番もデッドボルトもストライクも、玩具のように床を転がって行った。


「うわぁ……。こんなの漫画とかでしか見たことないですよ? 残念なのは、服が弾けるところまでいかなかったことですね」

「そんなことを気にしてる場合かよ。そりゃ、やろうと思えばそれぐらいできるけどよ。やらなくても開くんならやらない方が体力の温存になるからな」

 それぐらいのことは渚だって分かっている。

 ただ、エリック――オーガの特性を間近で見るのはこれが初めてなのだ。魔物の肉体的変化などはいつ見ても不思議で仕方ないが、それでもここまで顕著な変化はそうそうお目に書かれない。


「どういう理屈なんでしょうね? 質量保存の法則を完全に無視してますよ、こんなの」

「わかるかッ! そんなことをいちいち考えて生き物は行動しねぇだろうがッ」

 疑問を投げかけても、エリックは大概最初はこういう反応をする。

 確かに、鳥はいつもいつも「どうして空を飛べるのか?」なんて考えて飛んだりはしない。魔物も、どうして「その特性が使えるのか?」を考えて使ってはいない。


「わからないことを分からないままにするのは良くないことだと思いませんか?」

「時と場合によるだろ……」

「あぁ、戻しちゃうんですね……ッ」

 カガミと話しをして以降、どうも魔物への興味が留まってくれない。

 そう、今は筋肉のことを考えている場合ではなく、カガミを救出しなければならないのだ。

 エリックなど既に溜息をつきながらも洋館の中へ入って行ってしまった。渚も慌ててその後ろを追いかける。直ぐ傍に体を置いて、守るように、守られるように、廊下を進んだら階段を上る。


「渚」

「何でしょう?」

 不意に立ち止まったエリックの短い呼びかけに、渚も反応する。

「お前は人間だろ」

 何事かと思えば、純然たる事実を突きつけてくるだけだ。

 いや、だからこそ意味があったのだろう。

 何かに興味を持って、それを知ろうとすることは好奇心だけではなく、その何かに近づこうとしているからだ。渚も、旅の途中でそう言った。

 けれど、それは渚が最初に覚悟して、最後まで目指すべき地点のはずだ。なのに、エリックとルーデはそれを良しとしてくれない。エッタやヒースはどちらに転んでも良いとさえ思っているのだろうし、スライム君とは共生関係である。マダリンにおいては何を考えているのかさえわからない。


 エリックの忠告に、渚は小さく頷き返す。

「……」

「良いな。行くぞ」

 再び歩き出すエリックの傍について渚は思った。

(ズルいなぁ……)

 と。

 エリックにしても、ルーデにしても、渚の気持ちを理解しているフリをして押しとどめようとしているのだから。

「あんまりボーっとするなよ」

 二階に上がりきったところで、エリックがまた声をかけてくる。わかっている、大丈夫だ、と目でエリックに答えた。

 もうホンの僅か進めば、前時がいるであろう石造りの部屋だ。

 もしかしたらこちらの話し声は筒抜けになっており、また待ち伏せを仕掛けてくるかもしれない。同じ手に何度も引っ掛かるほど渚だって馬鹿ではない。


「気をつけてください。さっきも話した通り、おかしな魔法を使います」

「眠らせる奴って話だったな。精神系の魔法は厄介だからな……」

 魔法に系統があるのは薄々わかっていたが、睡眠や催眠などは精神系に分類されるらしい。他に渚が見たことがあるのは、二種類の攻撃系の魔法、それからルーデの腹の傷を直すのに使った治癒系だ。

 良く名前が出てくる人払いの結界なんかは、実は精神系である。

 閑話休題。


 そうしているうちに、渚は石造りの部屋の前にいた。そこからの作戦は至ってシンプルだ。

『……』

 二人で見つめ合って、息を合わせて突入する。ちょっとだけ、渚が顔を逸らしてしまったのは秘密である。

 渚が扉を開いた瞬間に、エリックが転がるようにして中へと滑りこむ。渚が洋館脱出時にやったのと似たような方法だ。これで、前時が武器を持っていたとしても少しは距離を開けられる上、大抵の攻撃から回避行動に移りやすくなる。しかし、渚は一つだけ考え違いをしていた。

 前時とて、こちらの陽動も予想せずに戦力をロビーに集中させたわけではなく、全てを見越した上で準備していたのだ。最初から僅か数分を稼げるだけで良かったのだろう。

 儀式を、完成させるには。


「来たれ、大罪の悪魔が下僕。来たれ、氷柱に閉ざされし者。来たれ、魂を凍えさせる雹。その名は、フルーレティ」

 前時の声が、詠唱ともとれる言葉の羅列(られつ)が室内に響き渡る。

 灯されたロウソクが部屋の中央よりやや奥、魔導書があった台座の裏に並べられていて不気味だった。魔法陣が赤い塗料で描かれているのに、一瞬ドキッと胸が跳ねる。その要所ごとにもロウソク――だけに留まらず、角を持つ動物の頭骨やら臓器の入った瓶がある所為で、酷く(おぞ)ましく感じる。


「チッ! 間に合わなかったか……!」

 詠唱と部屋の様相を一目みただけで、エリックがそう判断した。そして飛び退くように渚を抱きかかえ、部屋の外へと体を投げ出す。

「え、エリックさ……ッ!?」

 渚は驚いた。

 急に抱きかかえられただけでも十分にビックリすることだったが、それに続いて室内に吹雪が吹き荒れたのだ。


 目の前が白く染まって行くのは雪だけの所為ではなく、空間から生まれ出た『ソレ』が白く不定形の『何か』だったからである。

「ワレを……ワレを呼び出したのはお前か、人の子よッ?」

 そう声を発する物体は、辛うじて人の形にも見える白い霧状の生物だった。いや、生物とさえ呼べるのかさえ不明な存在。喉の壊れた女性か老婆のようにも聞こえる声が、酷く不愉快だった。

「おぉ、フルーレティ様。ようこそ、おいでくださいましたです……」

 吹雪の中で、前時の恍惚としたセリフが聞こえてくる。

 フルーレティの召喚が上手く行ってしまったというのは渚でも察しが付く。ならば、カガミはどうしたのだ。無事なのか、それともフルーレティ召喚の贄にされてしまったのか。


「え、エリックさん、放して……」

「すまん、今ので背中が氷に覆われちまった……。身動き一つ、出来やしねぇ……」

 いつになっても離れてくれないのは、どうやら行動不能に陥っていたかららしい。

 辛うじて動くのは手首から先で、背中まで回った腕は完全に渚を捉えて固まってしまっている。渚を助けるためとはいえ、これでは本末転倒と言わざるを得ない。

 その間にも、前時はフルーレティとの交渉らしきものを進めて行っていた。


「急なお招きで申し訳ございませんです。こちらにある贄はお好きにお召し上がりくださいです。もしお気に召してくださったのでしたら、お話はその時にでもです」

「大義であるぞ。では、まずそこな男の方からいただこうかの」

 前時が、勝手に渚達を生贄としてフルーレティへ捧げた。

 そこでカガミが選択に上がらなかったことで、全て手遅れだったことを悟る。

「……」

 渚の胸を襲う絶望感と空虚な喪失感。悔しいのか、悲しいのか、何もかもが()い交ぜになった意味不明な雑音が、グシャグシャと心をかき乱す。


「その娘、手を離さぬか」

 いつの間にかエリックのダウンジャケットを強く握りしめていて、フルーレティが彼を持ち上げようとしてもなかなか持ち上がらない。エリックを縛る氷こそ残っているものの、床から体を離せるぐらいに束縛が取り除かれている。

 不定形の体の所為で、筋力は対して高くないようだ。多分、物理的な能力は人間にも劣っている。だが、触れれば凍りつくぐらい冷たい霧状のガスか何かは、生物が戦えるものではないことを教えていた。加えて、氷を自由自在に操れる特性も持ち合わせているらしい。


 けれど、渚の口から言葉が漏れる。

「……ッ」

「何ぞ言うたか?」

 フルーレティにハッキリ聞こえなかったようなので、渚はもう一度それを言い放った。

「……さいッ」

「うさい? なんじゃ、娘。さっさと放せ。ワレは空腹なのじゃ」

「うるさいッ! って言ったのッ!」

「ほう……。このワレに意見しようという人間がいるとは思わなんだ」

 悪魔に対してこんな口をきくことがどれほど間抜けなことかは渚だって分かっていた。


「やめろ……。刺激するんじゃねぇ……」

 エリックも止めに入りながら、これ以上喋らせまいと強く抱きしめてくる。

「申し訳ございませんです。今すぐ、黙らせますです」

 今度は慌てた様子で渚を止めにかかってくる前時。こんなところでも、悪魔を接待せねばならないとは難儀な人間である。

 渚は、エリックの抱擁から逃れようとしながら口を開くのを止めない。


「誰が、黙って食べられてやるもんですか……ッ。もう、許さない! 何が何でも、殺してやる!」

 ただの虚勢だった。そうとしか見えない。

 しかし、殺してやりたいぐらい感情が爆発していることは確かなのだろう。前時の手が頭に伸び、真語を唱えるのが聞こえてきても眠りに落ちるまで怒鳴り散らしそうとするぐらいに。


「【ベオーク・ニイド・イス(母なる守りの前に捕われよ)】」

「食べられるものなら食べてみなさい! お腹壊しても知らないんだからッ!

「【ベオーク・ニイド・イス】」

「あんたも、覚悟しておいてよ! 化けて枕もとに出てやる! 絶対ッ、絶対にだー!」

「【ベオーク・ニイド・イス】!」

「畜生ッ!」

 この雪山へ来てからというもの、渚の心は酷く落ち着かなかった。こんな悪態が突いて出るほどに、激しい波が襲いかかってくる。


 眠りにつければ、この気持ちもどこかへやってしまえるのだろうか。

 そう思いながら、悔しさを抱きかかえて眠りに落ち――。

「……あれ?」

 ――なかった。

「何……!?」

 前時も驚いた様子だ。余程この魔法に自信があったのだろう。

 けれど渚はケロリとしており、つい数時間前に受けた時のように睡魔が襲ってこない。


「真語が失敗しおったかの? まぁ、良いのじゃ。先に娘から食ってやろう。壊せるものなら、壊してみるがよいのじゃ!」

 フルーレティの白い霧めいた触手が渚を襲う。

 これで、本当に終わりだ。意外と短い人生だったと、渚は目を閉じた暗闇の中で考える。

 こうなることぐらいは覚悟していたが、それでも無念というのはある。このまま死ねば、強い想いによって死霊として蘇ることもできるのだろうか。死の恐怖というのはあまり感じず、どちらかと言えば母である小波への申し訳なさだとか、『アドリアーナ・ルクヴルール』の皆と過ごしてきた時間のことが、脳裏に思い浮かんでしまう。


「……?」

 いつまで経っても触手が触れてこないため、不思議に思って目を開く。

 そこにあった光景は、酷く滑稽で、もしくは奇怪であり、はたまた不可解と言えた。

 まず、あれほどまでに粋がっていたフルーレティが驚きと焦燥に満ちた表情をしており、同時に怒りを浮かべているように見えたからだ。次に、闇がフルーレティを包みこんで行きながら完全に身動きを止めている。最後に、その闇の正体が誰であるか分かっているからこそ、渚は状況を整理し直さねばならなかった。


「ググ……。まさか、まさか、お主がなぜここにおるのじゃッ!?」

 フルーレティが暗黒に向かって問いかけている。

「マダリン、さん……?」

 今度は渚が、確認のため蠢く暗闇に尋ねる。

「なぜって、アナタ達の主人を追ってきたのですよ。20年ぶりかしら、漸く辿り着いたところにアナタが呼び出されただけですの」

 闇の中からズズズッと姿を現す、銀髪のロングヘアーを携えた美女。彼女こそが、吸血鬼の真祖にして『アドリアーナ・ルクヴルール』の社長ないしは首魁を務める魔物である。

 そのマダリンが、ここにいる理由をフルーレティに説明しているだけだ。

 しかし、それが傍目から見てとても恐ろしく、頼もしく、そして信じ難かった。

「渚さん、貴女の啖呵も素晴らしかったのですよ」


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