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第二十四話・理屈じゃない

 凍え、閉ざされた意識が解放され、目を覚ました竜等 薫は真っ先にその状況を考察する。

 まず、現在地は薄暗い洞穴の中だろう。吹雪から避難するために雪を掘って作ったらしい。

 次に、薫を包んでいるものは毛布だ。薄く開いた視界に、不機嫌そうな表情のカガミが映っていることから、彼が救助に来てくれたのだということはわかった。


 ならば、薫が身を寄せている柔らかい感触は、何だろうか。

 いや、薫とて酒池肉林の接待を受けたことぐらいはあった。故に、女体の感触ぐらい知っていて当然である。では、いったい誰の体だというのか。

 意識を失う以前の状況、肌に当たる髪質、傍に置かれた衣装や眼鏡、推定される身長、カガミの表情など、総合的に考えればその答えは明白だった。


(渚……だよな?)

 それでもなお、確信に至れないのは動機が明確ではないからである。

 雪山などで遭難した男女が身を寄せ合って体を温める、という話自体は聞き及ぶ範囲だ。しかし、人命救助にしては大胆過ぎる。互いに想い合う二人であったなら不思議でもないのだが、やはり薫に対して渚がそうする理由が思い当たらなかった。

 その反面で、渚ならば、という可能性も捨てきれずにいた。

 要するに、物証と心証が相反しているのである。


 とりあえずは、自分に抱きついている女性が渚であるという仮定のもとで薫は思考する。どうするべきか、だ。

 次の三択の内、ひとつを選びなさい。

(その一、ハンサムの薫は突如打開のアイデアがひらめく。その二、カガミが助けてくれる。その三、現実は非情である)

 自問してみるも、出てくる答えは一つだけだった。

 単純に、寝ているフリをしてやり過ごすのだ。


「竜等、さん……?」

「スー……スー……」

 渚の問いかけに、薫は寝息で返した。

 ここで目を覚ましても、きっと渚に恥をかかせるだけだろう。大人の余裕を見せて、飄々としたトークで場を和ませるという手もある。しかし、それでは流石に渚に対して不義理というものだ。


 これまで、幾度も取引先の重役達が、薫を抱きこもうとあの手この手で接待をしてきた。酒池肉林の如き接待も、その内の一つである。

 渚に対して失礼ではあるが、彼女と比べるべくもない美女に囲まれたことすらある。しかし、薫はそれを辞退して帰ってしまった。

 別に硬派を気取るつもりはないが、どうも相手の下心が見えてしまうと萎える性格のようだ。例え相手がクレオパトラだの、楊貴妃だの、ヘレネだの、玉藻の前だのの再来と呼ばれようと、相手に姦計があるとわかれば絆されない自信はある。多分。


 加えて、女性から惚れられたという経験は生まれてから数えて少なくない、と言いきれる。小学生に一回、中学生で二回、高校生でも二回だ。大学生では一回、それと告白なしを含めれば五人くらいに好意を抱かれたことはあった。だが、(ことごと)くが薫の家庭の事情――裏社会に関わっていること――を知った途端に離れていってしまった。

 爆発しろ、と罵られるような謂われはないので安心して欲しい。


 さておき、何が言いたいかといえば、竜等 薫が自ら女性に対して好意を持ったことは一度もないわけである。そもそも、そうでもなければ三十後半に差し掛かっている今なお、独身で組織の幹部をやっているなんてことはあり得ない。

 裏に手を染めている女は萎えさせてくる、気質(かたぎ)の女は薫を怖がる、もはや諦めるしかなかったわけだ。

 それが今、15以上も離れている、薫にしてみれば少女と呼んでも差し支えない女性に絆されかけている。この状況がつり橋効果と呼ばれるものであっても、それを責める者がどこにいるというのだろう。


「……もう大丈夫そう」

 薫の体温が戻ってきたことを察した渚が、ゆっくりと毛布から出て行く。気の所為だとは思うが、どこか名残惜しそうに。

 流石に起きていることには気付かれていないようなので、とりあえずはしばらく狸寝入りを決めておく。いつ起きれば良いかと悩んでいたが、それほどせずにその機会は訪れる。

 薫に射抜かんばかりの視線を向けていたカガミが、吹雪が弱まっていることに気づいて口を開いたからだ。


「この様子なら、急げば旅館までたどり着けるかもしれない」

 隙を突いて薫は、今目が覚めましたよ、と言わんばかりに喉で声を出す。

「ぅん……」

「竜等さん……ッ?」

 直ぐに渚の反応がある。

「お、俺は……? あぁ、なんとか、無事だったのか……。それで、ここは……?」

 我ながら名演技だと自画自賛する薫。


「カガミが助けに来てくれたので、穴を掘ってビバークしました。竜等さんが、無事でよかったです……」

 おいおい、と薫は渚から視線を逸らせる。

 さっきのこともあるが、今にも泣きそうな顔をして心配されたのでは、なんだか申し訳がないと思ったからだ。純粋に、ただ薫のことを心配してくれた渚に、男として感情を抱いてしまったという一種の罪悪感だ。

 そして、それを恥じて命を救ってもらったことに礼の一つも言えない自身が小さく思えたからだ。


「こほん……。とりあえず、奴らが来る前にここを離れよう」

 渚の慈愛を一身に受けている薫へ、カガミの強烈な視線が突き刺さる。

「あ、あぁ……。カガミも、ありがとうな……」

 一応、カガミに礼を述べて動き出す準備にかかる。薫が毛布をスッポリと被ったり、渚は古びた本を防水シートに包んだりする。準備は万端だ。


 ただ、吹雪が弱まったとは言え、視界は未だに数メートル先も明瞭になっていない。いつまで弱い状態が続くかも予想がつかないのだ。

 白ずくめ達も、いつこちらを嗅ぎつけてくるかもわからない。とか言っていたら――。

「残念でやしたね、竜さん」

 ――このざまである。


 カマクラを出て少し進んだところで、推定『氷境荘』の方角から前時が現れたわけだ。樹林の方からも続々と仲間どもが集まってくる。

「さっきぶりだな、後藤翁の小倅。悪いが、今は急ぎなんで挨拶はあとで良いか?」

 軽口を叩いてみせるも、薫達に余裕があるわけではない。

 なんとか渚も一般人くらいは相手にできるだろう。薫とて、喧嘩ぐらいは自信がある。カガミがどれぐらい殴りあえるかはわからないものの、渚と一緒にすれば何とかなると判断する。しかし、どう計算しても多勢に無勢だ。


 こちらは三人に対して、相手は10人以上である。横流しの一件を鑑みるに、銃器を隠し持っている可能性だってある。前時だって、あの白装束の中に拳銃を隠しているのはほぼ確実だった。

『……』

 薫達三人と白ずくめが、吹雪の中で睨み合う。

 時代劇のような短い牽制が終わり、前時の部下が動いた。

 薫は濡れた毛布を手に、振り抜かれる腕を巻きつけて白ずくめの一人を雪に引き倒す。流れるように首を絞め上げ、一人目を無力化した。


 その間に殴りかかってくる二人を、渚とカガミが各自で対応してくれる。

「喧嘩のやり方ぐらい覚えてから掛かってきな!」

「スライム君!」

「暴力はあんまり好きじゃないんだけど……!」

 薫の発した啖呵に男達も僅かなたじろぎを見せ、渚の拳と同時に伸びた透明の物体がノックアウトしてみせる。カガミも負けじと、プラスチックのスコップで横なぎに張り倒した。


 荒事に慣れた組織の人間ばかりが集まっているわけではないようだ。

 逆にいえば、裏稼業の流儀を見せてやれば素人の動きは抑制できるということだ。それなら、無勢でも付け入る隙はあった。

「渚、カガミ、ちっと荒っぽくいくから我慢してくれよッ」

「エェッ? わ、わかりました……」

「ひ、人殺しとか勘弁してくださいよ?」

 この凍える状態でどこまでやれるかは不明だったが、一人でも半殺しにできれば十分だった。要するところ、再起不能にしなければならないのだ。


 しかし、薫と違って渚やカガミは、意図して相手をそこまで痛めつけたことはない。それを考慮しなかったのが、薫達の敗因だった。

「うらぁッ!」

 白装束の一部が赤く染まるぐらいまで、薫のヒザ蹴りが顔面に繰り出される。これで大半の敵が怖気づいたのだが、薫は少しだけ前に出過ぎていた。

「は、離せ……!?」

 カガミが、完全にフリーになってしまっていたのだ。


 さっきまでカガミと渚に叩きのめされていた一人が思ったよりも早く意識を取り戻して、カガミを人質に取ってしまったのである。

「カガミッ。その手を、離せ!」

 渚が威嚇するも、白装束はいやらしい笑みを浮かべるだけだ。

「良くやったでやんすね。竜さん含めて、降伏を進めたいところでげすが、残念ながらその時間はなさそうなので退散するでやんす」


 そう前時が言って、白装束達を引き揚げさせていく。

 もちろん、人質に取ったカガミもそのまま連れて行かれてしまう。

引き上げる理由はなんとなくわかる。前時は何とか旅館に戻ったという体で薫達の行方を探していたのだろう。ならば、そろそろ光輝達がこっちへやってくるということだ。

「カガミを、置いてけ!」

「渚、逃げて……!」

 渚が追いすがろうとするものの、カガミの制止によって足を止めてしまう。


 そう、敵の逃げる場所は決まっているのだ。カガミは悪魔召喚に必要な生贄である以上、簡単に殺されることはないと思う。あわよくば渚も手に入れたいはずであるため、ここは無理にでも誘ってくるだろう。

「ッ……」

 悔しいが、渚がここで立ち止まるのが最善だろう。

 薫も、渚がそれ以上前へ進まないように腕を掴んでやっていた。


 そうしているうちに、白装束は吹雪の中へと消えていく。

 項垂れる渚。顔には悔しさを滲ませて、全身も小さく仔刻みに震えている。怒りとも悲しみともつかない、下唇を()む姿も珍しい。

 いや、薫が渚の全てを知らなかっただけなのだろう。

「……」

 だから、渚に対して何も掛けてやれる言葉がなかった。


 沈黙を保ちつつ、助けを呼びに旅館の方へと歩くべきだと考えた。そんな折、それはやってきた。

「ナーギーサーッ――!」

 吹雪を切り裂くかのような咆哮だった。

 渚を呼ぶ声と同時に、視界が雪煙で埋まった。気付けば、渚に抱きついて雪へ埋まっている金髪が一匹。そして、薫の少し離れた横に立ち、呆れた顔を浮かべている黒髪の少女だ。


「る、ルーデさん……!?」

「そうだ、ルーデさんだぞ、ナギサ! 外に出て行方不明だって聞いて、すっごく心配したぞッ?」

 金髪の女、ゲルトルーデがファーのコートよりも気持ちよさそうに渚に頬をこすりつけている。コートの下がなぜか丈短の白Tシャツと七分丈のスパッツである。

「渚様、遅れて申し訳ございません。早速ですが、説明をしていただいて構いませんでしょうか?」

 恭しく一礼して、渚に説明を求める黒髪の少女アントニエッタ。


「はい。手短になりますが……」

「その必要はねぇッ! さっきの奴らをぶっ飛ばしてくれば良いんだろ!」

「ルーデ様は敵の声や状況の一端を聞きとれていらしたでしょうが、私やエリック様は、渚様が襲われていたということしか知り及んでおりません」

「結構な距離、ありましたよね……? この吹雪の中で、半獣にもなってない状態で良く聞き取れましたね……」

「ナギサのためなら土の中雲の中あの子のスカートの中だぜ!」

 「キャ~ッ」とでも合いの手を入れればいいのだろうか。


 とりあえず、ルーデは渚のこととなると無意識に規格外の性能を出すということはわかった。エッタは話が遅れることに辟易している様子だが、今はこの二人とエリックが来てくれたことに安堵する。

 エリックは、二人から遅れてやってくるのが常になっているようだが。

「とりあえず、てっとり早く済ませてくれや……。こっちはまだ寒くて死にそうなんでな」

「あ、武器屋の旦那も生きてたんだ? なぁ、渚に何か変なことしてねぇよな?」

 さっきから薫に声の一つも掛けてこないと思っていたが、どうやら無視していたのではなく本気で眼中になかったという様子だ。しかも、藪を突っついて蛇を出す羽目になりそうだ。


 だが、オスカー賞物の演技力を持った薫はそうそう簡単にボロを出さない。

「はぁッ? 変なことってなんだよ? って、ゲルトルーデさん……?」

 言い終える頃には、なぜかルーデが目の前から消えて薫の背後に回り込んでいる。

 少年漫画でも今時見なくなった演出だ。

「この汗の臭いは! 嘘をついてる臭いだぜ」

 本当に汗の臭いから嗅ぎ取ったのか、それとも女の勘という奴なのかはわからないが、この鋭さは侮れないと思う。


「ルーデ様、追及は後になさってくださいませ。エリック様も到着しましたので、話を進めましょう」

 今にもルーデにくびり殺されそうなところを、エッタがため息をつきつつ止めてくれた。エッタのことだ、渚の僅かな挙動から何かがあったことを察しているだろう。

 エリックも雪をかき分けながらやってきて、渚の無事を確認したからか大きく息を吐き出す。エリックとルーデのやりとりを聞く限り、渚が無事じゃなかったら彼の身が危なかったということらしい。


 渚の話を聞くのはほぼエッタの役目だった。

「なるほど。フルーレティをですか」

「知っているんですか、エッタさん……?」

「えぇ、名前ぐらいは聞き及んでおります。大罪の悪魔が一柱“暴食(ベルゼブブ)”に仕える(ひょう)の悪魔でございますね」

「えッ……」

 渚の素っ頓狂な反応はいつ見ても面白いと思う。説明するエッタの表情は、いつになく真面目な様子である。


 吹雪が、エッタのケープコートを激しくはためかせるのが、まるで何か大きなものの到来を伝えているようにも感じた。

「大罪って七つの大罪とか言われる聖書の奴でございますよね? サタンとかと同格の悪魔でしたかな、ベルゼブブって?」

 目を白黒させる渚の代わりに、薫がエッタに尋ねる。


「武器屋の旦那はお呼びじゃないよ。いや、そもそも旦那がナギサを誘ったんじゃねぇの? エリックがちゃんと見とけば、この話に関わらせることもなかったのにさ!」

「悪かったって……。責任は取るって言ってるだろうが」

「かなり理不尽な責任要求だが……。まぁ、一端がないとは言い切れんし、無事に帰れたら何か詫びますわ……」

 ひっそりと話しを聞いておけばよかったのに、どうやらルーデの琴線に触れてしまったようだ。男二人が揃いも揃ってルーデに攻め立てられる。


 しかし、ここで追及を逃れるのは薫としてはできないことだった。

「責任の追及は後になさってくださいまし。七つの大罪は元々聖書に語られるものではなく――と、そのような説明は省かせていただきましょう。キリスト教における枢要罪(すうようざい)のことでございますね。元々は八つでございましたが、現在は七つに改定されています。それは人間の勝手な考えなのでこちらのおいておきましょう。

 我々、魔物の間では大罪の悪魔と言うと暴食、色欲、強欲、憂鬱、憤怒、怠惰、虚飾、傲慢、嫉妬の九柱を差します。人間が罪の重さで順序付けたものは特に関わりなく、魔界の序列では4位タイだった、と言ったところでございましょうか。その暴食の金魚のフンであるフルーレティは200位ぐらいかと」


「4位タイ、だった……? もしかして、マダリンさんを怒らせたっていうのは……」

「えぇ、大罪の九柱のことでございます。もちろん、今回の一件も過去の禍根を残さず根絶やしにしたいというマダリン様の望みゆえ」

 渚が食い付く場所については、薫では詳しくわからないところなので流しておく。なにやら壮大な話になってきたため、もう薫が口を挟めることがない。

(前時を連れて来て貰いたいところだが……無理な話だよな)

 もはや前時の命はないと確信した。


「そういうわけだから、旦那はナギサを連れて旅館に戻っといてくれ」

「あぁ、わか……はぁぁ」

 ルーデに応えかけて、薫は溜息を着いた。

 渚の今の表情を見れば、それをルーデや薫の意見だけでどうこうできないのはわかることだった。

「ルーデさん、私も行きます」

「ナギサ? あー、これは……」

 ルーデもそれに気づき、あちゃー、と雪空を仰いでいる。


 自分の不甲斐無さ、責任の有無、色々と渚も考えることがあるのだろう。しかし、今の渚にそれはどうでも良いことなのだ。

 ただただ、カガミを助けに行きたい、という理屈じゃない思いの塊になっている。

 こうなった誰かを、誰かが言葉で説得できないのは、人生経験の長い奴ほどよく分かるというものだ。


「エリック、こうなった責任取って今度こそちゃんと渚を守ってやれよ。約束だからな」

「……あぁ、わかってるよ」

 どうやら、ルーデ達の間でも連れて行くことが決まったようだ。

 薫は、渚を含む四人を見送らねばならない立場で悔しかったが、今は光輝達への説明を任されることになった。

 こうして、狂信者達の終焉へ時間が少しずつ進み始める。


よし、薫は爆発しろ。

汚い花火を見ながら、ご意見、ご感想、アドバイス等お待ちしております。

皆さんもご覧になりながら、ブックマーク、お気に入り、評価などいかがでしょうか。

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