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第二十一話・潜入しても一人

 薫の背中を追っていた渚は、途中でその姿を見失う。単純に、歩幅や体力の問題だ。

 それでも、二人分の足跡が渚を案内してくれている。いや、どちらかと言えば誘い込もうとしているのだろうか。

 どうして渚は、薫の行先を探ろうと思ったのだろう。単なる好奇心だ。

 いつか、本当に(ことわざ)通りに好奇心で死ぬかもしれない。クラスメイトの斎京(さいきょう) (けい)と良い勝負だと思う。どちらが先に好奇心を満たそうとして首を突っ込み、死ぬのが早いかを競うチキンレースでもしているのかもしれない。

「ふぅ。バカバカしい……。私は危ないと思ったらちゃんと逃げるよ」

 誰に言うでもなく、渚は高を括る。


 鼠色に染まった空から雪が降り始め、数秒ほど戻るか否かを考えた。が、渚は進むことにする。

 雪が降ってきたなら、木々の隙間から見え始めた洋館に避難させてもらえるだろうと踏んだからだ。足跡の行く先がその洋館だったことが幸いしたわけだが。

「でも、こんなところに何の用なんだろうね。秘密の取引とかだったら、怒られちゃうかなぁ」

 少しばかり不安になった渚が、スライム君を話し相手に求めようとする。だが、寝てしまっているのか、ただ無視されているだけなのか、反応を起こさない。自分一人だけが喋っているという状況に、森の静寂が異様に圧し掛かり始めていた。

 薄暗い、無音の世界に一人で踏み込んでしまった渚は、エリックと逸れた時よりも強い心許無(こころろもとな)さを感じる。針葉樹は疎らで外までの見通しは、コボルド達と対峙した森よりも利いているはずだ。『氷境荘』までだって、十分も歩いたかどうかという距離だというのに、だ。


 その姿が見えてからさらに数分くらい歩き、漸く洋館の前へとたどり着く。

「ハァ……ハァ……。誰かの、別荘みたいだね。やっぱり、秘密の取引だったのかな」

 軽く息を整えながら、洋館の外観から用途などを推測する。

 そして、チラついていた程度の雪も少し強くなっている。風も僅かに出てきただろうか。山の天気は変わりやすいとは言うが、麓でもあまり変わらないようだ。

 少しぐらい軒を借りたところで、薫ならば文句は言うまいと渚は意を決す。


 雪に隠れかけていたエントランスへと体を滑り込ませ、扉へと近づいたところで違和感に気づく。

 ここで秘密の取引が行われているとして、なぜ入口の雪を退かしていないのか。屋根の雪を下ろすぐらいの手間は掛けながらも、取引相手をもてなそうという様相が見られない。加えて、薫は一体どこから入ったかという問題だ。エントランスに積もった雪は確実に二人以上の人間が入りこんで行ったことを示している上、薫のものと思しき足跡は玄関以外には向かっていなかった。

 仮に単なる探検でやってきたのだとしても、薫が不法侵入などという愚を犯さないことくらいは容易に想像がつく。それなのに薫の姿はこのエントランスで消えてしまっている。

 薫の行動と想定、それに洋館周辺の状態がチグハグだ。


「どう考えても、一本に繋がらないよね……。う、うーん」

 呟きを絞り出して、渚は思案する。直ぐにでもエリックを呼んできた方が良いのか。それとも単独で様子を見てくるべきなのか。

 至った答えは。

(行こう……。何か、こう、胸のところがチクチクする……)

 虫の知らせというものがあるとすれば、そんな感じなのだろうか、と渚は思った。


 渚と薫の関係を簡単にいえば、取引相手と客だ。簡易な基準に直せば友達程度だろうか。付き合いの期間も、『アドリアーナ・ルクヴルール』の仲間達に比べればまだまだ少ない。

 だとしても、渚は自身の直感に対して嘘がつけなかった。

 何かあれば少しでも助けになれば良いし、何もなければ謝って雪が止むまで居させてもらえば良い。エリックを呼びに行ったところで手を貸してくれるという保証もない。無論、渚が危機に陥ったからと言って助けに来てくれるという確証もないのだが。

 全く、自分はいつからこんな馬鹿をやるようになったのだろう、と自嘲の笑みを浮かべていた。先刻(さっき)は、ちゃんと危機管理ができるなどと高を括った渚は、一転して危険へと足を踏み入れようとしているのだ。


「……」

 ロウソクの明かりだけが薄らと闇を照らすだけの、不気味な洋館へと体を滑り込ませる。固唾を呑み込む音が異様に大きく感じられた。

 鼠色の絨毯に残った僅かな湿気が、つい少し前まで薫がそこに佇んでいたことを教えてくれる。それでも姿がないのならば、正面の階段を上ったかもしくは左右に見えるどちらかの扉を潜ったか、だ。薫の性格から行動パターンを読み取るような真似はできないし、仮にできたとしても脅されて連れて行かれた人物に当てはめることなど不可能に決まっている。勘で動くなんてことは、もはや失笑ものである。


 こんな時は、最もシンプルで手早い手段を講じる。

(ど・ち・ら・に・し・よ・う・か・な――)

 頭の中で気まぐれの魔法を唱えながら、右の扉か階段か、それとも左の扉か、を指し示していく。そして、出た答えは真ん中の階段。

「うーん、ド本命……」

 とは言え、仕方ないので渚は階段の上へと向かう。

 一歩、一歩、足元や周囲の気配を探るようにして、極力周囲のものにも触らないように気を使う。ゲーム的のように変な罠や仕掛け(トラップ)があるかもしれない、というのもあるのだが、単純に気遅れして恐怖に打ち勝つか圧し負けるかの瀬戸際で踏ん張っているに過ぎない。


 要するに、渚はビビっているのだ。

「こんなの、小学校のキャンプで肝試しした時以来だもんね……。あの時は、皆にほっていかれてホント怖かったなぁ……」

 十年近く前のことを思い出しながら、渚は己の無力さに苛まれ始める。どちらかと言えば虚無感に近いのかもしれない。

 小学校の教員通用口から真っ直ぐに二百メートルかそこらにある、広場とでも言う程度の公園へ各グループが順番に向かい、到着したことを示す目印のピンポン玉を取ってくるという単純なものだった。少し雑木林に入ったところにそれはあり、渚は友人だと思っていた少女達に言われるがまま近づいて行った。


 その時は確か、自殺者の幽霊が出るとかなんとか子供だましの作り話を聞かされた後だったため、酷く緩慢な歩みをしていた。今ぐらいの渚なら、少し調べれば簡単に嘘だとわかる内容だが、子供心に恐怖を植え付けるのは十分だ。いつの間にか少女達はどこかへ隠れてしまっていて、取り残された渚はピンポン玉も取らずに慌てて学校へ戻ったのである。たった一本の懐中電灯を頼りに、僅かな光をガムシャラに左右へと振り乱して。

 ただ、ひとつ言えることは――。


「……ッ」

 いつの間にか、強く握りしめた拳の中で爪が手のひらに食い込んでいた。怪我をしていないのを確かめてから、渚は登りきった階段の手すりに背中を預ける。

 小さな溜息をついた後、左右に見えるテラスへの扉を確認する。

 人の気配はなく、どちらも建物としての作りは同じと見てよさそうだ。と思ったのもつかの間、両方の扉を開けて先へ進んでみると、実はどちらも同じ間取りになっているわけではないとわかってしまう。


 階段正面のバルコニーに向かって左側のテラスを抜けると、扉が右手側にあるだけで行き止まりになっている。右側のテラスの先には、廊下が続いていて先が曲がり角になっているのだ。

「ここは……まず行き止まりの方からかな」

 右側のテラスを通って行き止まりまで進み、簡素な扉の前に立つ。


 聞き耳を立ててみるが、人がいそうな気配はなかった。ゆっくりと扉を開けてみれば、覗きこむ限りは書架がいくつか見当たる執務室か書斎といった様相である。誰もいないようなので、渚は素早く入って扉を閉じる。

 流石に本棚の本を一つずつ調べて行く時間はないため、ザッと背表紙だけを確認しておくことにした。

 まずは辞書が幾つか。百科事典に始まり漢字辞典、和英、英和、他にも様々な言語のものが見られる。次に、雑誌やら小説やらが並んでいる段。コンビニでも買えるような週刊誌からファッション、旅行、と特定のジャンルなどないに等しいものだ。新旧すら統一されていない。


 別の本棚へ目を移せば、また節操のない多種多様な言語のハードカバーが並んでいた。分かる範囲で読み解く限り、表紙の絵面も参考にすると法律やビジネス、啓蒙(けいもう)書、などの小難しいものだと推測できた。

「……なるほど、わからない」

 この状況では、一冊すら開いてみようとは思えず次の段へ目を動かす。今度は聖書を含む北欧神話、ギリシャ神話、と言った文字が躍っている。その国の言語で書かれているらしいものもあれば、子供向けの図解付きのペーパーバックまで。そんな中、ひとつだけ雰囲気の違う一冊を見つけた。


「これって……卒業アルバム?」

 『H09年度卒業』とあるため、それなりに古びている。その上で表紙や背表紙に何度も手を触れたらしく、擦り切れたり手垢で汚れていて学校名まではわからなかった。高校生の頃の物だということは何とか読み取れる。

 手に取って広げてみるも、それなりの重量があるため執務机に乗せて写真を眺める。良く広げられているのは、三年二組の集合写真が掲載されたページだ。その理由も、写真を見ればおおよそ検討が付く。

 二人の女学生の顔に黒のマーカーで円が打たれている辺り、その女性に何らかの想いがあるのだろう。一人であれば想い人か、とも思えたが、二人ともなると別の理由である気がしてくる。


 それに、その両者の女学生を探して他の写真を探してみれば、どこか誰かの面影を感じずにはいられなかった。

「誰だろ……。どこかで会ったことがある……?」

 どちらの女性も印象は違う。一方はやや派手好きな流行に乗っている快活そうに見える。もう一方は、落ち付いた雰囲気を醸し出す目立たない優等生とでも言うような人物だ。どちらの女性も、絶世とは言わないまでも美人に分類されるだろうか。


 誰だったろうか、と頭を悩ませても記憶をひねり出せないため、渚はついに諦めてアルバムを閉じた。少し勢いが付いたため、柔らかく風が机の上を撫でる。そして、置かれていた書類の一枚が捲れ上がったところで、渚は一方の女性について何者であるのかを悟った。

「……ウソ。そんな……まさかッ」

 書類に描かれていたのは人物像のプリント写真で、それがカガミであることが分かるまで数秒もかからなかった。そして、カガミと優等生っぽい女性の面影が似ていることを察する。


 アルバムをもう一度めくり直し、プリント写真と集合写真を何度も見比べる。間違いなく、アルバムの優等生はカガミの血縁だ。ほぼ確定で、母親の泉 境花その人物だと言える。

 どういう事なのかさっぱり分からず、書類の方にも目を通した。

「えっと……やっぱり、カガミのことについて調べてる。でも、単に身元を調べるだけじゃなくて、旅館での細かいスケジュールまで。どういうことだろ?」

 一人、言葉を口に出しながら思案する。


 まず思いつくのは、泉 境花の両親などが彼女を探すためにこの北陸の地へ赴いたものの、既に彼女は亡くなっていた。仕方なく、息子に当たるカガミを遠くから見守るつもりで洋館を立てて足しげく通っている。という心温まるエピソードだ。

 しかし、渚はすぐに(かぶり)を振ってそれを否定する。

 何せ、書類にはカガミが雪男である光輝の血を継いでいることまでちゃんと書かれているのだ。この書類を書いた人物が、魔物に精通していることを示している。


 理由をこれ以上考えても埒が明かないと、渚はアルバムや書類を元の場所に戻して部屋を出た。

 廊下に人の気配がないかしっかり聞き耳を立てて確認し、ゆっくりだが素早くテラスへと移動する。ガラス戸の向こうにも人影は見えず、さっさと階段のところまで戻ってしまおうとした。

 その時だ。

「おい、そこにいるのは誰だッ?」

 廊下側からではなく、テラスを遠巻きに見られる外からだった。


 渚は誰何(すいか)する声に視線だけを向けて、雪景色の中で僅かに揺れる白いマントとフードの装束を着た人影を捉える。影は二つ。

「ウチらのサークルの服を着てねぇ。他所もんが迷い込んだんだな!」

「とりあえずとっ捕まえろ!」

「ありゃ、竜の奴さんの知り合いっていうねーちゃんじゃねぇか。こいつは良いや」

「奴さんを黙らせるには、良い材料になるもんな!」

 駆け足に向かってくる二人の男が、口々にそんなことを吐きだして向かってくる。


 謝って許してもらえるという雰囲気ではないことを悟った渚は、慌てて階段の方へと扉を潜った。バルコニーから飛び出しても、男達の足から逃れられる自身などない。どこかに隠れてやり過ごすにしても、間取りを把握していない渚に正確な隠れ場所を探すことはできないだろう。

(戦う……? なんとか、なる、かな?)

 不意を突けば一人ぐらいはスライム君パンチでノックアウトすることは可能だろう。二人目は、流石に攻撃の間合を読んでくるに違いない。それは、以前に起こした充子(みちこ)との一件で証明済みだった。


 気がつけば、玄関扉の開閉される音が聞こえてくる。

 もう階段を上がってくるまでに時間はないと悟った渚は、賭けの一手に出ることにした。


§


 階段を駆け上がってくる音が僅かに響くのがわかる。

 渚はその時のために、じっくりと息を潜めて待った。

 バルコニーへ出る扉が開いているのに気づき、男が外を確認するも渚の姿など既に無い。パウダースノーは既に何度か踏みしめられていて、多少続けて荒らしたところで誰が通ったかなど分からないだろう。直に、この吹雪始めた雪が全てを覆いかくすから。


「もう外へ逃げちまったか……?」

「でも、まだ遠くには行ってないはずだ」

 扉から吹き込んだ風がロウソクの明かりを消してくれたお陰で、渚も動きやすくなった。タイミングを見計らう。

 その時だった。

 執務室とは反対側のテラスから、白い装束を被った人物が現れたのは。


「おっと、良いところに。そっちへ、女が一人いかなかったか? いや、行ってたら捕まえてるはずか」

「あぁ、来なかったよ。でも、もしかしたらそっちへ隠れてるかも?」

 男の言葉に、三人目の装束姿が答える。まだカガミぐらいの年の声だ。風邪気味らしい鼻声で喋る所為で、正確なところは測れない。

「あっちから来たんだぞぅ? 行き止まりってことぐらい分かってるだろぉ」

「そういう油断が侵入者を許すんだよ。ちゃんと確認しないと」

「そ、そうか……。分かったぜ」

 三人目の的確なセリフに、男達も渋々と執務室側を調べに向かう。


「こっちはこっちで、皆にも知らせておくよ。まぁ、逃げてる可能性の方が大きいけどね」

 そう言うと、三人目と男達は別々の方向へ分かれて、自分を探そうと動き出す。

 男達の下種な(わら)い声が聞こえてくる。

 過去の嫌な思いでが蘇り、渚の背中に悪寒が走る。

「捕まえたら、ちょいと遊んでやろうぜ! クヒヒッ」

「悪いガキにはお仕置きしてやらねぇとなぁッ。ヒャッヒャッヒャッ」

 ――人は、こんなにも残酷に嗤えるのだ。


 男達の姿が見えなくなったところで、廊下が続く側のテラスを抜けた先に向かった三人目の白ずくめがゆっくりと歩いて行き、角を曲がる。

 賭けに、勝った。

「ふぅ……。人間、誰しもその気になったらやれるものだね。バレてたら、お酌して上げるだけで済みそうになかっただろうけど……」

 純白の衣装から渚の声が漏れる。今更ながら、ビビっていたのがぶり返して身を震えさせる。


 白いローブが半透明に変わり、元のダウンジャケットが僅かに姿を表した。種を明かしてしまえば簡単なことで、スライム君を白い衣装に変色擬態させたて鼻声を出していただけだ。

 男達の迂闊な言葉がなければ、思いつかなかった賭けだっただろう。こんな三流の演技に騙される男達は、きっと三流以下の劇団員に違いない。いや、もはや劇団員ですらないことぐらい明白ではないか。


 賭けが功を奏し、一難を逃れた渚は男達が戻ってくる前に廊下の先へ進んだ。『コ』の字を描くような洋館を進む傍ら、窓から中庭や一階の様子を探っていく。

 一階にも白装束の人間達が三人ばかり確認できる。中庭へ出られる扉は一階の裏手にしかなさそうだ。中庭に障害物となりそうな立木は見当たらず、あっても四方に設置された彫像ぐらいのもので、最悪飛び降りても雪がクッションになる。

 一階の奥側はいくつかの客室が並んでいるらしく、白い影の往来を少し数えてみたが十人近くはいると思われた。ロビーから右手に扉が見えた上、二階からそちらを覗く限り、どうやら談話スペースが設けられているようだ。それに対して二階は扉も少なく、手前側の執務室と奥側の一室を除けばテラスへの出入り扉ぐらいだった。


 ならば、本命は渚が到着した二階奥の扉だろう。

 何の本命か、と聞かれれば何か大事なものの、か。この洋館が、エリックの言っていた悪魔崇拝カルトの隠れ家だとするなら、それに関する情報が何か得られるかもしれないと渚は考えているようだった。

K(クー).K(クラックス).K(クラン)みたいで分かりやすくて助かったよね。でも、それって……」

 某国西部で名の知られる北方人種主義者の集まりを思い浮かべる。あれも、単なる人権主張の集まりであればよかったのだろう。人間というのは、群れると自分が強くなったように勘違いして、やりすぎてしまうものだ。たぶん、ここに集まっている白装束達も、自身の力を過信して何かをしているのだろう。


 確証を得るまでは推定止まりではあるが、少なくとも法律に従っていない悪事をしているということはわかる。竜等(りゅうとう) (かおる)が追っていた下請け会社の怪しい動きにつながっていることは、先ほどの男達が匂わせてくれていた。

 そうなれば、ここへ入って姿を消した薫は当然無事ではない。

「急がないとッ」

 そこまでは推測できたのか、渚が跳ねるように動きを再開する。扉の向こうに人の気配がなかったため、執務室の時と同様に中を覗き込んで隙間に体をねじ込む。鍵がかかっていなかった辺り、単に侵入者など予想していなかったのか、それとも不用心なだけなのか。


 部屋の中は明かりがなく、仕方なく手探りで歩みを進めて行く渚。

 壁の引っかかりと艶が同時に伝わる感触や、ブーツが床を叩く堅い短音から推測すると、この部屋は石造りになっているらしい。一周してみるも、特に何かとぶつかるようなこともなく扉までたどり着く。ならば、と闇に慣れてきた目を駆使して部屋の中央にある机か何かへと近づいて行った。

 それは机ではなく石の台座で、上に厚い紙媒体が置かれているのがわかる。厚いと言っても、ハードカバーであるためそう感じるが、全体量としては文庫本(A6)サイズなのは間違いない。


「何だろ、これ……?」

 そう一人、首をかしげながらも渚には一つの答えが出ていたのではないだろうか。

 石造りの台座にポツンと置かれた、古びた香りのする本。

 廊下へ出て、ロウソクの光にかざしてその正体を知る。

 虫食いがあったり煤けていたりと状態は良くないが、表紙に描かれた逆五方星や背表紙の『DEVIL』と言った文字を見れば、粗方の予想はできる。

 そう、『魔導書』である。

 悪魔に関する何かを記述した類のものだろう。


「スライム君、この本を、ちゃんと保護しておいて……」

 白い衣装を脱ぎ捨てて、スライム君に『魔導書』のブックカバーになってもらう。そして『魔導書』をインナーの中に放りこむ。

この場で中身を確かめたい衝動を抑え、渚は早足に階段の位置まで戻った。未だにロウソクの火が消えたまま、薄暗い階段を慎重に降りて行きながら、ここから如何に行動するかを思案している様子だ。


 『魔導書』をエリックに届けて事情を説明すれば、この洋館に襲撃をかけるだけの口実は作れるだろう。それでも、渚は玄関へは向かわずに階段を背にして右側の扉へと向かった。

 談話室のある左側や客室に薫を捕まえておいたり、死体を隠しておくのは考えづらかったのだろう。ならば、残るはもう一方の扉しかない。

 ただし、ここで脱出せずに薫を救出しに行くという愚行を、誰もが叱りつけたかったはずだ。


 そうしなければ最後の一歩で油断して、壁の影に隠れていた小太りの男――後藤 前時に気づかず扉を開き、背後から頭部にアイアンクローを食らうこともなかったはずだ。

「ッ!?」

「【ベオーク・ニイド・イス】」

 渚は前時に後頭部を掴まれながら、その呟きを聞く。

 それが久しく聞く真語だと分かるまでに、十秒ほどを要してしまった。まず急襲を受けたことへ意識を向けなければならず、そこからどう反応するかを考える。一旦は逃れようとするも、髪の毛を掴まれるというのは戦いの中でかなり不利な状況である。


「【ベオーク・ニイド・イス(母なる守りの前に捕われよ)】」

「離してッ! イヤッ!」

 短い節を三度ほど繰り返すまで、渚は前時から逃れようと必死にもがく。しかし、スライム君をブックカバーにしてしまっていたのが最大の過ちだった。

 なまじその真語の意味を理解できるまで勉強してしまったのも、渚を焦らせる要因の一つだった。どんな魔法が発動するのかまではわからずとも、意味から解釈する限り拘束を行うタイプのものだろう。

 遠くから対象を捕まえずに、直接手に触れなければならないもの。そうなると、三度の短い文節でも容易く抗える代物ではないはずだ。


「【ベオーク・ニイド・イス】」

「やめ……」

 もはや言葉を紡ぐことさできず、渚の体は鈍く音を立てて床に落ちる。


クトゥルフ神話TRPGのリプレイってこんな感じでしょうかね。

ダイスは振ってませんが。

魔導書を読んでしまった方は1/1d6のSANチェックです。

発狂した読者様はご意見、ご感想、アドバイス等をどうぞ。

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