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十九話・思惑はすれ違い動き出す
の続きとなっております。
渚が目を覚ました時には、既に朝日が板の間側の窓から差し込み始めていた。
布団の上に寝かされて――というよりかは無様に転がされて、天井を見上げながら思う。見知らぬ天井、ではない。旅館の古めかしくも温か味のある天井だ。
(こんな嫌な目覚め方をしたのって、いつぶりかな……)
そのようなことに思い当たる節はない。どんなに疲れていても、どんなに痛い目を見ても、仲間達との日々が始まればここ最近は気持ちが凄く楽だった。
布団は掛けられていても、隠された体は浜辺で砂を被せられた時と同じように動かせない。辛うじて指や頭を動かすぐらいはできるものの、それでスライム君の拘束を解くことは不可能だ。
「スライム君、もう大丈夫だから……。暴れないから、お願い」
暴れないことを約束すると、布団を持ち上げて顔を出したスライム君が軟化して解放してくれる。
自由の身になった身体を起こし、思った以上に気だるさが襲ってくるのに気づく。特に下腹部から足にかけての違和感が大きい辺り、意識を失っている間に何をされたのか察しがついた。
スライム君は素知らぬ顔――などないが――で渚の肌へと吸着して行った。
もしかしたら、ちゃんと顔にあたる部分があるのかも、とは思うこともあるが。
「スライム君……はぁ……。まぁ、いつものことだし、私が悪かったんだから許してあげる」
昨晩のことを思い出し、自身の取り乱しようが恥ずかしくなってくる。溜息を一つ吐いて、気持ちを落ち着かせるようにする。
悪魔種とて魔物なのだから、光輝達が召喚しようとしたところで何を慌てる必要があるのか。確かにエッタの言では、悪魔種は物理的よりも精神的な残忍さを持っている種族だ。扱い方を間違えれば身を滅ぼすことになりかねないが、魔物である光輝や境花がそうそう過ちを犯すとは考えられない。
昨夜にエリックの誘いを蹴ったのも、もしかしたら悪魔種を呼び出して身を守る算段だったかもしれないのだ。
エリックは確執があると言っていたが、何も光輝達から命綱を奪うような真似はしないはずである。単に場所を貸しているだけで、直接の関わりがあるとも限らない。光輝達が敵に回るなどと早とちりしたことが恥ずかしい。
「エリックさん、ごめんなさい」
なぜか離れたところで布団に潜り込んでいるエリックに、渚は謝罪の言葉を伝える。
しかし飲酒の影響か、狸寝入りではなく熟睡してしまっている様子だった。起きてくるまで待つというのは、流石に時間を持て余してしまう。
「……よし、温泉に行こうッ」
思案した結果、渚は昨日入りそびれた旅館の温泉をいただくことにした。スライム君の所為で、色々と気持ち的にサッパリしたいのである。
『うーん……。渚、お風呂に行くのかい? 今日は凄く寒いから、上着を持って行った方が良いよ』
いつの間にかエリックの枕もとに置かれていた渚のリュックサックの中から、ヒースの忠告が聞こえてくる。
「そうですか? ありがとうございます」
ヒースに礼を述べてから、渚はダウンジャケットと着替えを取り出して部屋を出ようとする。
「ヒースさん、もしエリックさんが起きてくるようなら伝えておいてくれます? 昨日のことを謝りたいって」
『うん、良いよ。でも、エリックはもう怒ってないはずだから気にしなくても? そもそも、怒ってもいないはずだけどね』
「こういうのは、ケジメって言うんでしょうか? エリックさんだって、私の気持ちを確かめたいはずだから」
『ふーん。何と言うか、面倒くさいね、人間って。まぁ、わかったよ』
言伝を頼んで、渚は部屋を出た。
幽霊みたいなものであるヒースにも心の機微ぐらいはわかるようだが、やはり考え方の点では人間と異なるようだ。ルーデや光輝達のような考え方をする魔物の方が珍しいのは当然だろう。ルーデはルーデで、ズボラなために機微を考えないところはある。
少しでも気分を変えて謝罪に挑むため、渚は早足に階段を下りて風呂場へと向かう。
時刻は、旅館唯一の近代文明である壁掛けできる電池式の振り子時計が七時を指していたぐらいだった。時計もフロントにあるそれだけで、見た目も古風なものを選んでいる辺り、本当に拘りが伺えしれた。
それはさておき、こんな時間から空いているのかと不安になり始める。
「失礼、しまーす……」
小豆色に『女』という文字と、湯気立つ温泉の意匠が描かれた暖簾を潜ると、湯の沸く香りが鼻孔をくすぐってくる。
ちょうどそこで、曇ガラスが開いて境花が姿を表した。僅かに警戒してしまったものの、気づかれないうちに取り繕ってみせる。
「す、すみません、準備中でしたか?」
「丁度終わったところでございます。自慢の露天風呂もありますから、どうぞごゆっくりなさってください」
「ありがとうございます。それでは堪能させていただきますね」
早朝からお疲れ様です、と心の中で労うことで冷静さを保ち、入れ違いに温泉へ入る準備を始める。そうしながらも、渚は考える。
お湯の管理などしていて、雪女は大丈夫なのだろうか、と。お湯で溶けてしまって氷柱だけが残されるなんてことが起こりえるのではないか。無論、あれはただの雪女伝承の一説に過ぎない。
そもそも、お湯で溶けてしまう程度では、日本の夏を乗り越えるのは難しいだろう。
また性懲りもなく、雪女の伝承について発端を考え始めてしまうのだ。
そんな折、境花が出て行く途中で何かを思い出したように、渚の背中に声をかけてくる。
「漣様は確か、二階の四の間にご宿泊でございますよね……?」
「え? あぁ、はい、そうですが?」
既に壁の死角に入った境花の声に、振りむかずに返事をする。それがどうしたのだろうか、と思いつつも渚はシャツとインナーを脱ぎ終える。脱いだ服はカゴのバスタオルと入れ替えて、着替えを隣に詰め込んでいく。
その間にも、境花が言葉を続けて行く。
「一度、言ってみたかったのですよ」
「何をですか?」
「昨晩は、お楽しみでしたね」
古き懐かしのネタに、渚はショーツに手をかけたまま固まる。
「違う! あれは違うんですよ! スライム君がですねぇッ! 仕方なく!」
必死の弁明。
「わかってますよ」
「わかってたんですか!?」
「えぇ、昨晩のうちにエリック様が伝えてくださいました」
「だぁッ! 完全に読まれてるしぃッ! それなら、もっと気を遣うところがあるでしょうがぁ!」
この場にはいないエリックへ、見当違いのフォローについて攻め立てる。
「あれぐらいだと部屋の近くまで行かないと聞こえませんけどね。渚様って、もしかして結構遊んでます?」
「それって、聞きに来てたってことじゃないですか! だから、仕方なくですって!」
本当に、魔界ではメジャーな手段のようである。
最もそれは、不定形種という知能のあまり高くない、もしくはほぼない生物を使い魔として使役する上での餌みたいなものと推測されるが。スライム君ほど言語を理解して意思疎通が図れるのは珍しい、というのがエッタの言であった。
いったい、スライム君とは何者なのか。まず、そこから推察していくべきなのではないか、と渚は真っ赤にゆで上がった頭で考えてしまう。
「エリック様なら良かったですか? それとも……」
「それ以上は、お湯を掛けて氷柱にしますよ」
伝承通りになるのかはわからないが、もはや渚の人格が変わってしまいそうだった。境花が何を続けようとしたのかは気になるが、それは聞かぬが花という奴だろう。
境花は「キャッ、怖い」などとわざとらしく振舞って立ち去ってしまう。言ってみたかったセリフが言えて、ご機嫌の様子。
見た目以上に、境花はお茶目な人物だった。
一気に疲れが溜まった渚は、ショーツも脱ぎ放って湯気の中で生まれたままの姿へ変身し、おぼつかない足取りで温泉へと入っていく。それでも、しばらく湯に身を浸していれば、自然と体も心も休まるものである。
とりあえずは室内の大浴場を堪能した後、少し露天風呂の方を様子見しに行く。
そこで、渚は気になる人を発見した。
薫が、浴衣姿で針葉樹林の方へと歩いていくのだ。急くようでありながら、慎重さを欠いていない足取りなのも分かる。
「うん? あれは……散歩、って感じじゃないですよね……」
佇んでいると、凍え死にそうになるほどの寒さの中、多少厚めとは言え冬用の浴衣一枚で出掛けて行くとは余程の緊急事態なのだろう。
渚は、露店風呂に入るのを一旦止めて、大雑把に体を拭き終えると服を着替えて外へ飛び出していく。フロントの誰かに一言、言い残しておきたかったものの、誰もいなかったので諦める。
少しずつ、この事件に関わる者達の考えがズレ込みながら、物事が進んでいく。
カガミも、光輝も、ダブル境花も、立ち絵が描きたいところですが時間ががが・・・。
集合写真みたいな一枚絵も良いですが、技量ががが・・・。
脱衣所でのワンシーンとか(略
ちなみに、作者は五番と六番が好きです。魔物が仲間にできるというのが最大の点ですね。
もう一つの国民的RPGの方は、兄弟がやっているのを眺めているぐらいでした。
というわけで、ご意見、ご感想、アドバイス等お待ちしております。
たぶん、矛盾点とかはないようにしていますけど、ここおかしくね? と言うのがございましたらお尋ねください。
ブックマーク、評価、お気に入りもフリーハグでございます。