第十五話・旅をしている
ファンタジーに旅はつきものですよね。
旅立ちと道中の雑談の回です。
モンスターについて、古典解釈と現代解釈をどう融合させるかというお話です。
薫と偶然に出会ったその日から、時間は大きく飛んで二月の中旬ごろ。
この間のことを謝罪しておきたかったものの、連絡先の交換を忘れていたことがその時点になって思い出された。普段は同僚である女性――ゲルトルーデに連絡を頼んでいるため、一報を送ってもらうようにお願いしておいた。
たぶん、送っていないと思う。
そんなことを思い出しつつ、渚は少し憂鬱な気分で佇む。どこにでもあるような鉄骨とコンクリートで作られた駅のホームで電車を待っていた。
いつもより体が丸くなったように感じるのは、平地であるこの街では不釣り合いな防寒着を着こんでいるからだ。上から薄桃色のニット帽。件の同僚であるルーデが選んでくれた一品で、可愛げがありながらも頭部はとても温かい。普段使い用でも問題なさそうだが、渚は少しばかり子供っぽくさえ思ってしまう。
自分の着る普段着はスウェットなのに、こういうセンスが意外に良いのは驚きだ。
続けて紺色のネックウォーマーに、ニット帽に合わせたダウンジャケット。中身は長袖の肌着にセーターを重ね、もちろん手にはスキーグローブをはめている。アンダータイツとトレッキングパンツ、それに連なるスノーシューズという出で立ちだ。
スキーグローブはやや地味と思えるライトグリーンである。ニット帽やダウンジャケットに合わせる案が出たが、さすがにもう直ぐ二十歳の格好には思えなかったため諦めてもらった。
「暑くないのか、それ?」
そして、一緒に傍らで電車を待っているのは、ルーデと同じく同僚のエリックという男性だった。
渚のような厚着ではなく、アメリカントラッドのシングルスーツにロングトレンチコートを被せた至極普通の見た目である。普段は着崩しているエリックだが、こうしてみると敏腕営業マンといった感じに見える。オールバックの黒髪なので、サングラスでもかければその道の人にも見えることだろう。
「ハハ……。ルーデさんが心配するので、とりあえずは着てくることにしました。電車の中では脱ぎますから」
エリックの問いに乾いた笑いを返す。
渚とエリックの装備にギャップがあるのは、ひと月ほど前の仕事以来、ルーデが異常に過保護になってしまったからである。怪我をして家に帰った渚は何とか母親の小波を誤魔化したが、母の勘で仕事での怪我だと悟っているのだろう。ルーデの過保護も、小波に対する負い目から渚を心配しているのはわかるが、とばっちりは勘弁して欲しかった。
「風邪をひかせるなだとか、ちゃんと守れとか。自分で手抜きした癖しやがって……どうして俺がガキのお守なんざ」
というのも、普段から渚には表立って良い態度を取らないエリックが、今回は様々な都合から同行することになったからである。
「詳しくは聞いてませんけど、一悶着あってルーデさんは開いた傷の療養で遅れちゃうみたいですし。エッタさんは、緊急時以外にマダリンさんの側を離れたくないと。その……精一杯頑張りますので、どうぞよろしくお願いします」
「ふんッ」
つれない、鼻息での返事である。
一週間ほど前に、ルーデが持ち込んだという騒動の内容は知らない。ルーデが黙秘を続けるため、詰問せずにおいたのは渚の優しさだった。
渚達、『アドリアーナ・ルクヴルール』の総括であるマダリンの創作物――自動人形のアントニエッタことエッタは、創造主の護衛でこちらの連絡待ちだ。
そうしたことが重なり、渚をサポートとして連れて行くことになってしまったエリックはここしばらく表面上は不機嫌であった。
後の同行者は、渚の体表に擬態した不定形種スライムのまんま名前がスライム君、彼女の携帯電話に取り憑いた死霊種ポルターガイストのヒースコートの二匹。こうして二人と二匹、計四人の先行任務が始まった。
「あのビッ――」
『電車が参ります。白線の内側に立ってお待ちください』
エリックがルーデへの酷い雑言を吐きかけたところで、ホームへと入ってくる電車についてアナウンスが流れた。
「……さぁ、行きましょうッ」
どうやらルーデのやらかした騒動というのは、情事が絡むことのようなので渚は慌てて出発を促す。
足元に置いてあった登山用リュックを担ぎ上げ、扉の開いた電車へと乗り込んでいく。エリックも毒を吐くのをもはや諦めて、同じく登山リュックを片手で持ち上げて渚に続いてくる。
時刻は午前10時に10分ぐらい前で、乗降車する人の姿はとても疎らだった。改札を抜けていった数人の通りすがりは、この平日を仕事に費やすのか、それともサボタージュや偶然の休日を満喫するのか。そう考える渚も、今日に限っては期末試験の成績が奮ったことで慰安旅行のために、一日早い連休を小波からお目こぼししてもらえたのである。
試験の点数を競い合ったケイには感謝しなければなるまい。
こうして都市部へと向かう電車に乗り込んだ渚は、体長の三分の一ぐらいはある登山用リュックは足の前に置いてエリックと横並びに座る。
「さて、今から目的地までかなりの時間がありますけど、どうしましょう?」
「どうするもこうするも、別に観光へ行くわけじゃないんだから、体力を温存しておけば良いだろうが」
相変わらず取りつく島もない返事に、渚も困惑してしまう。
何せ、都市部のターミナル駅までこの私鉄の急行列車に乗って――途中で乗り換えがあるにせよ――約2時間、私鉄から国鉄に移動して特急列車で3時間かけ北陸越後の国へ向かうのだ。そこでまた私鉄に乗って三十分ほど移動するため、乗り換えの待ち時間や移動時間を含めても裕に6時間はかかる。
「あの、一時間くらいならまだしも、長時間黙っているのは辛いです……」
渚が抗議の声を上げる。
真の目的地が雪山を登った先にあるということで、渚も装備を必要最低限にしてきている。時間を潰すための書籍などを持ってくる余裕などなかった。携帯電話だって乾電池で充電できるタップを使っても無駄遣いができないらしいので、実質は思考の中に沈むか旅の景色に惚けるかして時間をつぶさねばならなくなる。
「まったく。話しと言っても、俺とお前じゃ合う話題がないだろ。何かあるのか?」
「うッ……」
エリックに反論されて言葉に詰まる。
ルーデのように人間社会の娯楽などを嗜まないエリックは、年代といったことを抜きにしても渚と共通の話題がないと思われる。食事は普通に市販のものを食べているようだが、それでも食べられれば良いぐらいのものである。どこの店が良いとか、こんなものを見つけた、というソーシャルネットワーキングサービスに良くある話題など出てくるはずもない。
電車が駅を発してから数分、渚は何か話題を探して頭を抱える。
「じゃあ、魔物について色々と」
「却下だ。こんな公衆の面前でそんな話ができるか」
「ゲームか何かの話だと思ってくれますよ……」
「日本政府の奴らに限らず、魔物(俺達)の敵は決して少なくないんだ。一般人に見えて、どこに潜んでいるかわからねぇんだよ」
提案するも、軽く一蹴される。
大半の人間は渚達の会話を気にも留めないだろうが、それでも不自然な会話にならざるを得ないのは確かである。
渚が初めてエリックと出会った時も、問答無用で攻撃を仕掛けられたことを思い出す。ルーデは流石に警戒心がなさすぎるが、エリックは逆に神経質過ぎる。
「えーと、それなら……エリックさんについて教えてください。仕事場の同僚として、後輩として、先輩のことを知るのは自然なことのはずですッ。そこから話を膨らませて行くのがコミュニケーションという奴ですよ」
几帳面で神経質なのは元からの性格だからなのか。エリックの仕事場以外での生活、もしかしたら渚の知らない趣味だってあるかもしれないと考えた。
「はぁ? そんなもん、自己紹介した時の分で十分だ。お前が期待するようなことなんざないぞ」
「でも、何かありませんかッ? どうして、私に対してそんなに冷たいのか、とか!」
拒否されても食い下がる渚。
思わず、声を荒げてしまう。ただ感情的になって、厭味を言ってしまう。
「あッ……」
何人かの乗客から視線を集めてしまったことに気づく。口を塞ぎ、人々の注意から逃れるように顔を俯かせる。
エリックは怒っているだろうか、と彼の顔だけを見られるよう頭と目線を動かす。
しかし、エリックの顔には予想外の表情が張り付いていた。
驚き、驚愕、吃驚。
渚の声にではない。
目を見開いて、間抜けなくらい口を「O」の字にした、初めて見るエリックの表情だ。自身の推論とは全く別の結果を研究の先に見た学者、などという全然伝わらない例えさえ思い浮かんでしまう。
「いや、会社の同僚で後輩……それ以上には見てなかった……。住む世界が違うから、諦めていて……」
ブツブツと独り言まで言い始める。
相当、ショックだったらしい。
「あ、あの、すみませんッ……。エリックさんが本当は優しいことぐらい分かってます。ただ、やっぱり、何も知らないまま見ているだけの方が、不安に押しつぶされそうになるんです」
渚すらも戸惑うぐらいで、急ぎ訂正する。
なんだかんだでエリックは渚に気を使ってくれているし、突き離すような態度を取るのも彼女が人間側に戻れる道を残そうとしているからだろう。今日、いつもに増して不機嫌なのは、本来ならエリックとルーデが先に赴いて仕事を片づけるつもりだったのが叶わなくなったからだ。
今回の慰安旅行の目的である、雪山に籠る二種類の魔物達との交渉以外に、何か別の目的があって先行したかったのだろうと愚考する。
去年の末に『アドリアーナ・ルクヴルール』が手に入れた情報で、北陸越後の国に住まう雪男と雪女とその他に関するものもあった。今日までに交渉を進めてきて、直接赴き最後の詰めを行う算段なのはルーデ達から聞いている。前回のように、交渉が拗れて渚に累が及ぶという可能性を恐れたにしては、先行交渉という手段は逆に悪手である。
何か真の理由を隠している。それに気付かないほど、渚だって馬鹿ではない。
「……すまん。俺も、少し気が立っていたみたいだ。ルーデがお前を心配するのと同じぐらい、お前だってルーデ達のことを心配してるのに。向こうに着いたら、本当の目的を話す」
エリックも、渚が勘づいているのを察してか、そう約束してくれる。
「はい……」
やってしまった、と渚は気落ちしながら答えた。
このまま知らなかったフリをして、事が終わるのを慰安旅行に現をぬかしながら待つつもりだったのに、だ。
どうしてこんなに感情的になって、こんなに不安になって、胸が締め付けられるのだろう。独り、物思いに耽るぐらいのことこれまでであれば何の苦でもなかった。それが、今では言葉を交わさぬ時間が歯痒く、煩わしい。
(あぁ、そうか……)
それだけ、自分が孤独ではなくなったということだ。
「どうした? 俺の顔に何かついてるか? それとも、暑くておかしくなったか?」
気分直しのつもりなのだろうか、エリックが皮肉を言ってくる。
自分の顔がどうなっているのか触ってみる。一体、どんな表情をしていたのだろう。
「そう言えば、着っぱなしでしたね。フゥ……。それでも、暑いですね」
暖房の熱よりも熱いものがこみ上げて来て、渚は気持ちを静めるように上着のファスナーを開ける。
「俺のことは、あまり多く話すことはない。ある程度はわかっているだろうが、この姿のことなんて聞いても気分が悪くなるだけだ」
目を逸らしてはいるが、そうやってエリックは渚を気遣おうとする。
エリックは鬼人種オーガの魔物である。いわゆる人食い鬼に分類され、今の姿形はどこからの誰かを食らったことで得たものということだ。食らった人間に化けることができる特性から、筋肉や骨格をある程度まで自由自在に操り強靭な肉体を構築することも可能らしい。
「そうですね。ご飯が不味くなるのは嫌なので、別のことを聞かせてください。そう、鬼とは一体なんなのか、とかどうです?」
気分の悪い話は避けつつ、渚は別の議題を上げる。
エリックはこれに、不可解そうな顔をする。
「なんだ、そりゃ? 鬼は鬼。強暴で恐ろしい怪物じゃ駄目なのか?」
エリックにしてみれば『エリックとはなんぞや』と講釈するのと同じようなものなのかもしれない。
「鬼を単なる個体として捉えた場合はそれでも構わないんですが、もはや複数の種別を持つ一種族としての存在である以上、曖昧にはしておけない部分なのではないかと思いまして……」
頬を掻き、短絡的に終結させようとするエリックに呆れてしまう。
一言に鬼と言っても、歴史が物語るようにその種別は多岐に渡っている。邪精種コボルドとも出会ったこともあり、コボルドとコボルドマジシャンのように別種が居たように鬼にも多様性がある。
「魔物の学者にでもなるつもりなのか?」
「魔物の学者なんて、成れるはずも成る意味もないのを分かっていて言っていますよね? 今ある種すら大別であって、そうするのも単に同族になれば庇護が受けられる等の合理性を取った結果なのでしょう? 気がつけば、オーガが獣人種を名乗っていても文句が出てこないことさえある、とエッタさんから教えていただきました」
エリックの問いに、渚はエッタから学んだ受け売りで返す。魔物のことを学びたいと希望した時、最初に教えて貰った前置きがそれだったのだ。
全くもって――一部を除いて――魔物とは合理的な生き物だと思う。呆れるほどに。
「そこまで知ってるってことは、後はほとんど知的好奇心か。けどよ、それなら余計に鬼を突き詰める意味なんてないだろ? 鬼が隠から鈍った通りに霊的存在であろうと、神だとか物の怪だろうと、それら全て鬼が進化や変化していったのを人間が観測したものだ」
魔物側が勝手に名乗っただけのものもあるけど、と話を締め括ろうとする。
「身も蓋もありませんね……。古典までちゃんと調べているのでしたら、どうして鬼ほど長く日本に限らず世界中で語り継がれてきたのか、と言った疑問は浮かばないんですか?」
人間が過去の文献から歴史を紐解いていくのと同様に、魔物は自身達の歴史というものに興味が湧かないものなかと疑問に思う。
だから、渚はそう訊いた。
童話や童謡に語られる単純な怪物としての鬼や、外人説に謳われる未知なるものへの恐怖。神格にまで祀り上げられ、東北の一地方に伝わる年末の伝統行事を始めとし各地で善性を信仰されてもいる。
これほどまでに、古くから人類と密接に関わってくる魔物は妖精か鬼ぐらいのものではないだろうか。現に、人間社会に多く隠れ潜んでいるのは鬼だ。
「さぁな。人間だって、自分のご先祖様に興味が湧く奴が居たりいなかったりするだろ。それと同じだ」
「興味が湧かないわけではありませんけど……単に、辿る手段がないというだけです」
正論とは時に人の心を抉る。まるで自分のことを言われているように感じてしまい、言い訳がましく反論した。
「あッ、すまん。今のは忘れてくれ……」
「? あの……」
互いに不意に口を突いて出た言葉でしかなかったはずだ。
小波は渚が物心つく前に離婚したらしく、父親の面影など覚えていなかった。それが原因なのか、小波の父母または渚の祖父母との関係も絶っているために家系図など見られないのである。
しかし、なぜかルーデやエリック、エッタはその話題に触れようとしない節がある。渚の家が母子家庭であることを言った覚えはないはずだが。
「ともかくだ。昔に人間と関わりを持った鬼達が何をしようとしていたのかなんて言うのは、今の鬼達にはほとんど関係がないってことだ。ただ、どうして多くの人間に観測されているのかって疑問に答えるとすれば、関係性の環境の変化だろうな」
「なるほど。こう言ってはなんですが、昔みたいに食糧ないしは隣人として人間を見なくなり、敵として接触を避けるようになっている、と。また、人間を襲うための場がなくなってきているわけですね」
人間と魔物の密かな戦争が両者の関係を変えたというのはわかる。移り行く車窓の景色を眺めても自然こそ残っているものの、人が踏み入らぬ土地など昔ほど多くなく、容易く人を襲えない現代では鬼を見聞きしなくなった。どこかでは、犯罪などに関わっているとしても姿は確認されていないはずだ。
「食いものだって、わざわざ人じゃなくても金で買うか、どこからでも奪えるようになっちまってるからな。あぁ、もちろん、俺達はむやみやたらに盗みを働いたりしないぞ」
先刻通り過ぎた駅にも売店があり、街にはコンビニエンスストアもスーパーマーケットも溢れ返っている。形振り構わなければ残飯だって漁れる。昔に比べて栄養価だって高くなっている。
「なんだか、そう考えると少し寂しいですね……」
「……さぁ、もう良いか。そろそろ乗り換えだぞ」
しんみりとした雰囲気の中、電車が一度目の乗り換え地点へと到着する。
渚達はホームに降りて、先ほどまで乗っていた電車が折り返していくのを見送る。既に別の車線で待っていた電車に乗って出発を待つ。
「では、最後に一つ。現代における魔法を使ったりする鬼についてはどうお考えでしょうか?」
渚に問われたエリックの表情が、まだ続くのか、と言わんばかりにしかめられる。
「まぁ、確かにオーガにだって魔法を得意とするものもいる。だが、それはオーガとして別に特別なことじゃねぇ。アスラやヤシャとは違って獲物を捕るために肉体以外の手段を持っていても然るべきだろ」
それでも、エリックは律儀に答えてくれる。
「既成の作品に登場するハイオーガとかそういうのも、決して居ないとは言い切れないってところだな。名乗りこそしていなくとも、通常のオーガよりも強力な個体が魔界なりにいるかもしれない」
それがエリックの見解だった。
有名な酒呑童子は一説によると盗賊ないしは山賊の頭であったとされるが、もし本当に鬼であったのならハイオーガのような上位個体であった可能性がある。
などなどと妄想を広げる。
そうやって、目的地へ到着するまでの間、エリックと様々な作品の鬼について語り合うのであった。
「というか、意外とエリックさんってそう言うところまでご存じなんですね? 合う話題がないというのは、嘘でしたか」
思った以上に解釈部分が長引いたために二章の終わりが一話分ほど伸びる。
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