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第十三話・銀幕のエピローグ

第一部の最後となります。

 エッタからの連絡を受けた直ぐのことである。

 どうやらコボルド達は渚を追いかけるだけの余裕がなかったのか、ハイエースまでたどり着いた彼女へ銃弾が飛んでくることはなかった。代わりに、息を切らせたルーデが戻ってくるのを確認する。

「ルーデさんッ。良かった、無事だった――ルーデさん!?」

 呼びかけながら浮かべた笑顔が青白く歪んでいく。


「だいじょ……」

 大丈夫なわけがない。

 ウェットスーツの腹部に空いた穴から、赤々とした液体が流れ出て黒をどす黒く染めているのだから。そして、血を失うのに合わせて顔の血色が白んでいくのだ。

 渚の無事を確認して心の糸が切れたのか、渚が身じろぎするよりも早く地面に倒れる。


「ヤダッ! ルーデさん、起きてください!」

 慌ててルーデに駆け寄り、揺すってみるも反応はない。これ以上、下手に体を動かすのは危険だと思ったが、せめて何かしなければと焦る頭で考えた。

 思いついたのは、学校の救命講習で受けた応急処置の方法である。ほとんどうろ覚えの止血方法を試し、回復体位の形で寝かせておく。せっかく新しく買ってもらった上着を敷物代わりにして、腹部をルーデが着てきたスウェットで捩りを加えながら縛る。傷口が上になるよう転がしてから片足を膝から曲げ、下側になる腕を伸ばさせて首が軽く地面に垂れるぐらいの高さを保つ。

 せめて車の中へ運び込めたら良かったが、渚の力では力の抜けた成人女性を持ち上げるには難しかった。スライム君の伸縮を利用してみようかと考えて、それを投げ捨てる。多少なりとも意識があるならまだしも、投石機めいた手段では逆に負担を与えかねないからだ。


「エッタさん……ごめんなさい」

 これではエッタの指示通りにできないと、渚は聞こえるはずのない謝罪を述べて森の中へと戻っていく。

 言いつけを守らなかったのはこれで二度目になる。きっと、無事に戻れたらこっぴどく叱られるのだろうとため息を漏らす。けれど、仲間の誰かを失うぐらいなら叱られた方がマシだろう。

 考えているうちに、エッタ達とは違う男性らしき声が微かに耳朶へと飛び込んでくる。

渚自身は、破魔の札で人払いの結界から影響を受けないため忘れていた。確かに、近くでは地下空間の陥没により人が集まっていていたのだから、騒ぎを聞きつけて来てもおかしくはなかったのだ。


 そして直ぐに銃声が響いたため、まだ戦闘が終わっていないと思い踏みとどまる。

「【ケン・アンスール・ソン・ウル・オセル・ギューフ】!」

 間髪入れずに聞こえてくるのは聞きなれない言葉。声音からコボルドマジシャンのものだとはわかった。これが真語という奴なのだろう。

「眩しッ!」

 空間に生まれ出た輝きに目を眩ませて、魔法が完成したのだということを察する。一つ思考する間に、矢継ぎ早に発生する現象へ頭の回転が追い付かない。


 ただただ、もはやどうすることもできないのだと悟った。

 明かりで目が開けられないものの、不意にスライム君が動くのが体に伝わる。

 そしてその声はすぐ傍から聞こえてきた。

「【ソーン・イス・ラド・マン・フォエ・エアロー】!」


 それがヒースの声であることを理解するよりも早く、なぜヒースの声が傍から聞こえてくるのか考える間もなく、氷が走った。

 氷の塊に足が生えて駆け出したわけではなくて、だ。地面を這うように氷の衝撃が流れていくとでも言うのだろうか。うねるような氷撃が空中の光球に向かって行き、煌きを包みこんでしまう。

 高温と氷がぶつかり合って、当然のことながら純白の水蒸気が発生する。

一度ではなく、何度も何度も結晶が覆っては溶かされ砕けながらも蒸発していく様は、氷の波頭とでも言うべきだろうか。

 それが、灼熱が消えるまで繰り返し襲い行くものだから、水が状態変化した銀幕が森へと広がっていく。渚さえもスクリーンの世界に閉じ込めてしまうほどで、思わず白の森を搔き分けながら前へと進み出る。


「ゴホッ! ヒースさん、何、これ!?」

 すぐ近くにいるのであろうヒースを問いただそうとする。

「魔法で相殺しただけだよ。スライム君が携帯電話を持って来てくれたおかげで、いざというときの保険が役に立ったわけ」

「あッ……なるほど」

 ヒースの言葉に、フと車の中ででんぐり返りしているノートパソコンのことを思い出す。どうして車を飛び出したときにそれが落ちたのか、理由に思い当って膝を打つ気持ちだった。確かに、ヒースを移した携帯電話はUSBケーブルでノートパソコンと繋がっていて、携帯電話が引っ張られれば自然と落ちるのは道理である。

 誰が引っ張ったかと言えば簡単。スライム君だ。

 今の今まで、スライム君が携帯電話を保持しており、ヒースが密かに真語を綴っていたというわけである。声が聞こえていなかったのは、携帯電話――強いては電子端末の中というバックグラウンドでの処理が可能な状態だったから故。


「さぁ、呆けてる暇はないよ。クライマックスを見逃さないようにね」

「どういう……?」

 問いかけて、目の前で何が起こっているのかを理解しハッと息を飲む。

 白に覆われていながらも栄える小さな黒が動き、銀幕のスターが最後の一撃を見舞う。

「ランペルスティルスキンよ、さようなら」

「ギャァァァァァァァ――ッ!」

 エッタの響く声に重なり、コボルドマジシャンの断末魔の声が観客達の身を震えさせる。銃声がしなかったのは、武器をナイフか何かに持ち替えていたからだろう。


 最後にエッタが呟いた名前は、コボルドマジシャンのものではなく童話で登場するコボルドのものだった。

 コボルドマジシャンがどうなったのかは、なんとなく想像が出来てしまい渚はこみ上げる吐き気をこらえようとする。

「うッ……」

「渚、大丈夫? 長居は無用みたいだから、早く車に戻って」

「面倒なのがやってこないうちに、早くなさってください。逃げろと申し上げたのにこんなところまで来てしまったことはよろしくありませんが……一応、助かりましたので感謝を申し上げておきます」

 せっかくギリギリのところで耐えているのに、返り血の獣臭さを纏ったエッタが合流してきたのでは全く意味がない。


 それでも千鳥足になりながら何とかハイエースの元へとたどりつく。それでも、この状態では車の運転などできるはずもない。それに加えて、今更になってコボルド達の亡骸が転がる死屍累々の光景が脳内にフラッシュバックしてくるのだ。

「だ、め……ッ」

 渚は呻いた。

 食道の(せき)が決壊仕掛けた瞬間に、嘔吐感さえも吹き飛ばしてしまうほどの痛みが頭部を襲う。その原因が何なのかはわかっていたものの、既に襲来してしまった頭痛を押しとどめることなどできなかった。


 コボルド達の死体に重なり、何か、もっと見てはならない物体が転がっている。

 死体。人の死体。

 男性のようだ。

 その直ぐ傍らに見えるのは、太い足だ。筋骨隆々の、男の胴回りより少し細い程度の。

 男が誰なのかは、仰向けになりながら血だまりへ顔を(うず)めている所為でわからない。記憶の中の渚は、そのほぼ死亡が確定している男を凝視していたため、どこか屋外の道路の上だということは読み取れた。

 たぶん、男を殺したであろう人外に呼びかけられたようで、漸く身じろぎして視点を上へと緩慢に向けようとする。


「……様! ……ぎさ様!」

 誰かに呼びかけられて、不意に意識が戻ってくる。

「渚様ッ! しっかりしてください!」

 エッタの声だ。

「渚? やっぱり、駄目そうかな?」

 ヒースもいた。

「ごめんなさい……。これから、もっとあんな光景を見ることに、なるんでしょうけど……まだ、慣れないみたいで」

 この言い様では、記憶が戻りかけたことまでは伝わらない。しかしあえて、渚は修正することなく記憶返りのことを話さずにおいた。

「操作は僕がやるから。じゃあ、エッタはルーデをお願い」

 渚のことを気遣い、ヒースが運転をしてくれるらしい。騒霊の動かすものに乗るというのはいささか不安ではあったが、今までもそうしてきたのだから大丈夫だろうと覚悟を決める。

 ヒースが携帯電話の画面から消えて、渚達も車に乗り込んだ。渚は運転席に座るだけで、エッタはルーデが転がらないように後部座席と助手席の間にすっぽりとはまりこむ。

 少ししたら車のエンジンがかかり、ギアがニュートラルに入る。


「エッタさん、ルーデさんの様子は……?」

 車の運転に気を配らなくて良い分、後部座席を振り向いて様子を伺うことができる。

 素人の渚ではルーデの容体などわからず、先ほどより少しばかり顔色も悪くなっているように見えるだけだ。

「大丈夫でございます。ルーデ様はマナ容量が多いので、この程度であればまだ持ち堪えるでしょう。マダリン様に傷を癒していただけたなら、自然と回復なさいます」

「……?」

 死にはしないのだろうということはわかったものの、要領を得ない説明に首を傾げる。


 マダリンに治癒の魔法か何かを使ってもらえば傷口はふさがる。そうすればタフなルーデは自力で体力を取り戻せる、という感じなのだろうか。

 エッタが渚の不可解な様子に気づき、不足している説明に付け加えてくれる。

「マナは単純に魔法の源というわけではありません。生物はほぼ全てにおいて生命とマナ、二つの活動エネルギーを持ち合わせております。生命とは生物が活動する上でのエネルギーの核であり、マナはその核(生命)を保護する殻の役割があります。

 言い換えるのでしたら、マナは生命の代替物ということになります。生物が個々で内包する生命の大きさ――生命力の高さに応じて、多少の個体差はあれども多くのマナを作り出せるます」


 言われてみれば、確かに大きな球体(生命)を粘土(マナ)で同じ厚さに包みこもうとすれば、小さい球体と同じ量の粘土では足りなくなる。

「じゃあ、今、ルーデさんが命をつなごうとしているのはマナを削って生命を維持している状態ということですか……」

肯定(ポジティブ)。渚様達が言う気力とでも言う部分でございましょうか。マナの存在を知らない者から見れば非論理的な事象やもしれませんが。今のルーデ様は、渚様という細い糸に縋ることで命を落とさずに済んでいます。もしその糸が切れたり、手放してしまえば、ルーデ様の生命は簡単に消滅してしまうことでしょう」

 少しずつ、頭の中でイメージが出来上がっていく。

 様々な形での肉体へのダメージでマナという粘土が削られると、生命という塊を守ろうと均される。しかし、心が弱ったりすると粘土が途端に軟らかくなったり、減った部分を補修しないようになる。そうなれば小さなダメージでも簡単に生命へと届いてしまうというわけだ。最悪、粘土で塞がりきらなかった場所から生命が流れ出てしまうこともある。


 なぜキースが、平凡なマナしか持たない渚に魔法の使い方を教えてくれなかったのかが良く分かってくる。

 魔法を使うにはマナを消費しなければならない。もしロクに使えない真語を唱え過ぎれば、生命すらも危うくなるような量のマナを消費してしまうことさえあるからだ。

「私には待っていることしかできません……。ルーデさん……どうか、戻ってきてください」

 背もたれの隙間に向けて伸びていたルーデの手を強く握りしめる。

「もう少しマナや魔法についての講釈をお話したいところですが、詰め込み過ぎても身に付きません。今日はこれぐらいにして、勉強はまた後日といたしましょう」

「はい、大丈夫です。もう二、三日で冬休みに入りますから、しばし時間はできるかと思います」

 ルーデと一緒に、冬休みを過ごせるだろうか。胸中を絞め上げられるような苦しさが襲う。

 ルーデだけではなく皆と、冬休みだけではなくこれからも。


 きっとルーデが快気祝いと称して騒ぐだろうから、それまでは節酒させなければならない。エリックとはもう少し仲良くなれれば良いと思う。マダリンやエッタには色々と教えてもらえるのではないだろうか。ヒースと一緒に事務用のパソコンを組み立てることもしてみよう。スライム君の使い方に慣れておく必要もある。

「たった数日で、渚様の慣れたご様子ですね」

 エッタが言うように、ほんとにここ数日で様々なことが起こりすぎた。それでもなぜか、いるべき場所に戻ってきたような気がしてしまう。『アドリアーナ・ルクヴルール』で活動していくこと自体が、少しばかり遅れてやってきた予定調和であるかのようだった。


「もしかしたら、私は元々、魔物だったのかもしれません。なんて、流石にそれはないですよね……」

 そんな馬鹿なことを考えてしまうぐらいに、自分の変化が恐ろしくもあり誇らしかった。

「さて、どうでしょう。人に化けた魔物を見分けるのは、見た目だけでは至極困難でございますからね。魔物だと自覚できていないという事例もゼロではございませんし、よっぽど幼体のころから人間社会に溶け込んでいれば、違和感を回りに悟らせずに生活することも可能です」

 平然と言ってのけるエッタを含む、こんな最強な魔物達と共にいられることが。


「見分け方も、要は慣れでございます。と、慣れで思い出したのですが……そろそろ我慢が切れるころではありませんか?」

「え? あッ……」

 エッタが訪ねてくると同時に、ソレが動き出した。

 肌の上を這い回り、シーツを被りながら(むず)かり駄々を捏ねる子供みたいな動きをする生物。そう、スライム君が何かを要求してくるのだ。

「ヒウッ! 馬鹿! 何で、こんな時に……ヒャフンッ!」

 柔らかい感触が、大事なところの入口を優しくも執拗に撫で回す。中まで侵入してこないだけ良識的だろうか。


「言い忘れておりましたが、スライム君はマナを好物としています。大抵、マナを得るには生物を食すか、数時間の休息を行った場合に生成されます。ただ、特定の魔物は他者の精と共にマナを吸収することが可能でございます」

 エッタの畏まった説明を聞いて、なぜスライム君が毎度のように渚を辱めるのか合点がいった。これまでも、スライム君が活動したり、渚が何らかの形で活用した後だったことから見ても明白であろう。

「なる、ほどヒャンッ! 淫魔とか、ハァ……ハァ…そういうの、ですねンッ」

「魔物側の勝手な大別で申し上げるところの吸魔種、サキュバスないしはインキュバスは人間にも知られておりますね。大変に不服でございますが、御方マダリン様を含むヴァンパイアもそれに属します。ただ、スライム君の場合は少々特殊な例でございますが」

「精ってことはラメェッ! だから、ここ最近ハァンッ。妙に、眠くなること……が、続いたンンッ! ですね……」

 話を聞いていく中で、自身のマナが相当に奪い取られていたことを知り、スライム君を恨めしげに睨む。そういう行為が大量に体力を消耗するというのは聞いたことがあるが、それに加えて他のエネルギーまで盗られていれば当然の疲労と言えるわけだ。


 どことなくスライム君が不服を訴えるように身動きしたのは、自分も淫魔などという低俗な存在と一緒にされたくはないと、申告していたからだろうか。

 辛うじて月極めの駐車場へとたどり着き、小波に帰宅が遅くなる旨をメールしたところで、渚は微睡みの中に意識を手放した。


§


「――とまぁ、そういうことがありました」

 年始の三箇日(さんがにち)が終わり、住宅街が少し落ち着きを取り戻したある冬休みの一幕に、渚はこれまであったことを語り終えたのだった。

 両手で頬杖を突いて、肘を大腿部に載せたやや前屈みの状態でハイエースの後部座席に腰かける。スライドドアから前半身を乗り出すような形で、対面に止められた黒塗りのセダンにもたれ掛かる男性と向かい合う。


「そいつは、またとんでもない大冒険だったな」

 男性――竜等 薫が苦笑とも驚嘆ともつかない笑みを浮かべて、最後の相槌を打つ。

 ルーデが壊したインカムの発注やちょっとした武器の購入に、以前と同じ立体駐車場の一角で薫との取引をしにきたわけだ。顔を合わせたのは昼ぐらいだったにも関わらず、話し終えたころには夕方近くになっていた。


「なんとなく、これがまだ序の口な気がしてならないんですよね」

「ま、そりゃこんだけの取引をするってことは、何か仕事の予定が詰まってるんだろうよ」

 消耗した銃弾やナイフに限らず、いささか取扱いに注意せねばならない爆弾めいたものまで発注した辺り、二人の意見は合致して然るべきである。


「それよりも竜等さん。時間があるからって、こんなところで駄弁っていて大丈夫ですか? 私もすっかり話に夢中でしたけど、見つかったら拙いんじゃ?」

 立体駐車場での井戸端会議など不自然極まりない状態だ。渚とてハッチング帽と度入りのサングラスで変装こそしているものの、車両の組み合わせも不可解と言える。車の出入り自体は少ない駐車場のようだが、それでもいつ人に見咎められるか分かったものではなかった。


 武器なども、『地球温暖化ガス削減大筋合意決定』や『地下鉄サリン事件、慟哭の法廷』、『怪奇! 学校に潜むスクールカルト!?』、『97年度映画興行収入1位』と言った見出し、『妖獣姫が名作に』、『世界独立の日、ジュラシックランドを押しのけ!』などの小見出しの踊る新聞紙に包んですらいる。それでも、オフィスを大掃除した名残(なごり)だけでは隠し切るのにいささかの不安が残る。

「いやぁ、他の奴らだと軽くあしらわれて近況なんて聞けないからな。迷惑だったか?」

「あ、いえ、私は構いませんよ。こんなことを話せる人なんて、竜等さんくらいしかいませんし……これでお礼になるというならこちらの方が感謝したいぐらいです」

 そんなつもりで言ったわけではなかったが、薫に気を使わせてしまったようで慌てて弁明する。


 一部の事実――特にスライム君との絡みについて――は隠匿したものの、やはりどこかで吐きださねば気持ちが落ち着かないのだ。要するに、学校や仕事の愚痴と同じである。お酒が飲めるのなら、暇な時にでも居酒屋で管を巻きたい気分だ。

 とはいえ、そんな愚痴めいた近況報告を手間の謝礼に要求してきたのは薫の方だったのだが。これもまた、薫にとっての勉強ということのようだ。

 流石に時間が経ち過ぎた所為か、渚の携帯電話に着信が入る。

『渚、電話だよ! 渚、電話だよ!』

 あの日以来、渚の携帯電話に入り浸りになったヒースの声がそれを告げてくれる。


 渚の目配せに薫が首肯したので、電話口に出ると案の定、その人が不機嫌そうな声で話し始める。

「はい、渚で」

『ナギサァ! 遅いぞッ?』

「いきなり、どうしたんですか……? 竜等さんとの取引に出かけることは、エッタさんから聞いてると思うんですが」

『だって、出掛けてからもう二時間くらいだぞ!? 何かあったんじゃないかって心配したんだぞ!』

「大丈夫ですよ。竜等さんと少し世間話をしていただけです」

『何ぃッ……? まぁ、良いよ。とりあえず、無事なら……』

 サボりと言われればそうかもしれないが、決まった業務など無い仕事である。

 どうも、あの日から電話の主――ルーデが過保護になっているような気がしなくもない。やや不機嫌なのも、単に節酒の所為というわけでもなさそうだ。一体、何が気に入らないのだろう。

「わかりました。直ぐに帰りますから」

『おう! あぁ、それと帰ってきてから詳細は話すけど、来月の予定についてだな』

「やっぱりですか。今度はもうちょっと安全なのでお願いしますよ? お母さんにはあまり嘘を吐きたくないので」

 どこかでまた傷を増やすことにならなければ良いけど、と予想通りだったことに呆れつつ、渚は通話を終わらせて運転席へ戻る。


 薫も既にセダンへ乗り込んでおり、特に挨拶を交わすこともなく軽く手を振って別れる。スモークガラス同士でそれが伝わったかどうかなど気にしないのは、こんな映画みたいな世界に取り残された人間同士だからだろうか。

 けれど、気まぐれにつけたカーラジオから流れる宣伝が、現実味のない世界が現実だということを教えてくれる。

『7月25日、新アトラクション解禁! さぁ、みんなも夢の国へ行こう!』

 首都――正しくはもっと南にある地のテーマパークで新しいアトラクションをやるようだ。

 奇しくも、渚の誕生日である。

『北方領土問題の解決に誠心誠意取り組んでいく次第でございます!』

 今この世界中で起こっている表向きの出来事など、実は本当の姿から見れば瑣末なことなのかもしれない。東南アジアでのテロリストと軍隊の戦いだとか、日本の直ぐ北でも睨み合いの戦争は起っているのだから。

『……で起こった旧トンネル崩落事故の真相は未だ分かっておらず』

 チャンネルを変えれば、歪に回る理が聞こえてくる。誰もそれを澱みだとは知らない。

渚がまだ、人と魔の(みぎわ)に立っただけだと気づいていないのと同様に。

次回から第二部開始。

脇役やらが増えてくるので、一回キャラクターについてまとめたほうがいいかもしれませんね。

それでは、ご意見、ご感想、アドバイス等お待ちしております。

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