第十二話・自我を持つが故に
「ギャウッ!」
「ガハッ!」
「グゥ……」
「……」
銃声と同時に、周囲から四つ悲鳴が上がるのをルーデは聞いたに違いない。そして、茫然とした表情を浮かべて2、3秒にも満たない間に起こったことを理解しようとしている。
何せ、自分を穿つかと思っていた弾丸は放たれることなく、代わりにコボルド達が頭部を撃ち抜かれて絶命しているのだから。
何とも間抜けな表情で周囲を見渡し、次第に頭上へと意識を向けて行くのを眺める。コボルドマジシャンの動きもまるで同じだ。
「ご機嫌麗しゅう、ルーデ様」
丈長のケープコートの裾を軽く摘み上げ、樹上よりカーテシーで優雅な挨拶を返して見せる。
そんな所作に見合わないであろう白煙を立てたオーストリア製アサルトライフル――ステアーAUGを、ベージュの人工革のベルトで袈裟掛けにしている姿さえ、ルーデの目には救世主の到来に映ったのではないだろうか。
などとエッタは思考し、憮然とした表情になったルーデを見下ろすのであった。
「そんなことしてると、落ちるぞ?」
礼を述べるより先に、具にもつかない挨拶が返ってくる。
「お加減が優れないようですので、場を取りなしてみたのですが余計なお世話でしたでしょうか?」
「あーッ。はいはい、助かりましたッ。ありがとうございます!」
エッタの意図を察したルーデから、吐き捨てるように謝礼の言葉が送られる。
心は籠っていないものの、今はそれで十分だとエッタは納得して首肯する。
「アントニエッタ……。真祖の、創作物……」
二人のやりとりを眺めるだけになっていたコボルドマジシャンが、ここで漸く苦々しく口を開いた。
「お初お目もじ。我が御身たるマダリン様に創作されし自動人形にございます。コボルドの長たる貴君に我が御名を留めていただいており恐悦至極」
エッタが唇を悪戯っぽく吊り上げる。
それが微笑みではないことを察したコボルド達が、咄嗟に姿を消して攻勢に転じようとした。そうしただけで、次の瞬間には二匹のコボルドが不可視化を解いて地面に転がった。
「エッタ、お前……」
「見えなくなる前に、攻撃すべきだったかと思われます。いえ、それも無意味でございましたね」
呆れるルーデを無視して、エッタは距離を取ったであろうコボルド達に忠告する。
姿が見えなくなっただけでは、すでにどこにいたかなど頭の中に入っているからだ。とは言え、攻撃を仕掛けられても回避中に銃弾を叩きこむぐらいは容易い。
ちなみに、二匹だけを殺すに留めたのは、大切な銃弾で一発必中を狙えると確信した数がそれだからだった。造物主であるマダリンに買っていただいたモノは、弾薬の一発だろうと無駄にするつもりはなかった。
それが、アントニエッタである。
「20分はかかるんじゃなかったのか? まだ10分かそこらしか経ってない気がするんだが、私の生体時計が狂ってるのかね?」
「否定。10分と12秒ほどのところでこちらに到着いたしました。語弊があり失礼しましたが、あれはエリック様と伴走した場合の時間でございました」
「エッタ……いや、うん、そうだよなぁ」
問いに対してあっけらかんと返されたルーデが、握り拳を振り上げながら納得してくれる。
考えてみればすぐに分かったことだろう。
これこそが、エッタである。
「とりあえず、ここは任せた。私はナギサを追う!」
「了解」
ルーデが走り去ったのを見送った後、コボルド達に向き直っているだろう。戦争を再開するために。
エッタの周辺にいるコボルドの数は、推定で四匹程度だと思われる。姿が見えないため、エッタが現在に目視している位置にコボルドがいるのかどうかわからない。姿を見せていたのが七匹で、初撃で四匹。撃てなかった三匹のうち二匹は先ほど片付けたので、残り一匹とコボルドマジシャン。それから、それを守るために一匹以上が盾として張り付いているはずだ。
ルーデの立ち位置が悪かった所為で、コボルドマジシャンを仕留められなかったのは痛いところである。あれは能力こそ高くないものの、悪知恵としつこさだけは邪精種の中でも上位だ。
たぶん、今も虎視眈々と反撃の機会を窺っているに違いない。
そして未だに反撃してこないのは、攻撃した側から銃弾を避けられて、その軌道から居場所が探り当てられるのを理解しているからだろう。
ある意味、この慎重さがエッタ到着までの10分を作り出してしまったのだ。20分もあると思わせれば、10分ぐらいは慎重に使っても問題ないと判断してしまう。ルーデや渚なら、10分は何とか確実に持ち堪えてくれると信じていた。
そして、心中で謝罪する。今は自転車を置き引きしているであろうエリックに思いをはせながら。
単純明快に、本気ではないルーデに比べればアントニエッタの方が圧倒的な走力があった。それをルーデが失念して、20分という時間を真に受けてくれたことが最大の岐路であっただろう。そうでなければ5分程度で諦めてしまっていたはずだ。
(敵を騙すにはまず味方から、というわけでございます)
そう考えて、木の枝から飛び下りる。
その隙を狙って、サブマシンガンの連射がエッタを追撃してくる。作られた隙にまんまと嵌った一匹を、ステアーAUGの一発で沈める。
「が……ガフッ……」
着地の隙を狙われないように三点接地から即座にカエル飛びで後ろに退くが、どうやら二の舞にはなるまいと攻撃を諦めている様子だ。
「さて、後何匹残っていらっしゃるのでしょう? そんなにかくれんぼが好きならば、二度と私達の前に姿を現さず尻尾を巻いて逃げてくださればいいのですが」
無論、そう言いながら逃がすつもりなど毛頭ない。
ルーデとの徒手空拳で分かっていたが、もはやこれは『アドリアーナ・ルクヴルール』とコボルド達の戦争だ。賭けるものは、互いの誇りという不毛な景品だったが。
エッタが単純な自動人形であったなら、この身を顧みずに敵を暴き出して我武者羅に銃弾をばら撒くだけだったろう。しかし、マダリンに至高の形で創造されたエッタには、我が身を傷つけながら資材を浪費しつつ戦うなど到底許せぬ行為だ。
己を傷つける物はマダリンを害する者。我が手に掛けられる敵はマダリンに討たれる愚者。
「あぁ、貴君はご理解されているのですね。彼の御方が貴方達を許しても、私がそれを許さないということを。だから、逃げない」
自我を持つが故の忠義。反逆することさえ許された意思ある人形こそがアントニエッタなのであった。
『マダリン様。なぜ故に、私に自我を与えてくださったのでございましょう?』
『そうですわね。強いて言うのならば、私が“コッペリア”よりも“サンドマン”の方が好きだからかしらね』
そんな問答をしたことを思い出す。
『コッペリア』はバレエの演目の一つで、書籍『サンドマン』――邦題『砂男』を元とした噺であるはずだ。
軽くはぐらかされた様子ではあったが、マダリンには崇高な考えがあってのことだろうとそれ以上答えを請うことを諦めた。創作物たる己には到底、及びもつかぬことなのであろうと。
なれば、その結果が訪れるまで忠義に従い己の任を全うするのみだと決意する。
さて、閑話休題。
本題の、コボルド達の掃討を開始する。
なぜなら、エッタから数十メートルは離れているであろう森の先から、『真語』の呟きが漏れ始めていたからだ。
「なるほど。もはや存在の隠匿を憚るつもりもないということでございますか」
「【ケン・アンスール・ソン・ウル・オセル・ギューフ】!」
「悠長にはしていられなさそうですね」
今からコボルドマジシャンがやろうとしていることを理解して、エッタの地を蹴る足に力が入る。合わせて、電源を落としていたインカムのスイッチをオンにして渚へ連絡を入れる。
「渚様、聞こえますか? 緊急事態でございます」
『は、はい! こちら渚。お、オーバー?』
「コボルドマジシャンが『真語』を唱え始めましたので、ルーデ様と合流後、ただちにこの場を離脱なさってください。この内容だと、ここら一帯は焦土になるかと思われますので可能な限り遠くへ」
『へ? “真語”って何です? そんなに凄いことが起こるんですか? エッタさんはどうするんですッ?』
「そこから説明させていただかなければなりませんか……。まず、『真語』とは魔法を使う上での真名の羅列でございますね。力の流れを制御し、魔法の顕現を行うための道作りのことです。
まったく、そんなものまで隠していらっしゃいましたかッ!』
急な話に戸惑う渚へ、律儀に説明を始めてしまうエッタ。
途中、エッタの足元に複数の何かが投げ込まれ、それが何なのか気づいた途端に会話を途切れさせる。聞いている渚を憚ることさえしない悪態だ。
(1ッ!)
まさか破片手榴弾まで所持していたのは予想外だった。しかも、Mk.Ⅱ(通称:パイナップル)やM26A1(同:レモン)、M61(同:アップル)と節操がなく。果物の詰め合わせも良いところであった。
(2ッ!)
一足早い寒中見舞いに辟易しつつ高速でその場を飛び退き、耳を抑えながら樹木を盾に来る破壊と破片に身構える。耳を抑えたのは、自身の聴覚を守るためと渚への影響を考えてのことだ。
(3ッ!)
風圧がエッタの全身を舐めまわしていく。弾け飛んだ無数の金属片が木々にめり込み、遅れて爆風で巻き上げられた腐葉土も含んだ土砂が霧雨の如く降る。
マダリンから賜ったケープコートが破れたりしなかったものの、舞い上がった土埃で酷く汚れてしまった。この借りは数百倍にして返さねば気が済まないし、マダリンへ申開きができない。
しかし、およそスリーカウントで爆発した辺り、コボルド達の手にまんまと乗せられてしまったようである。
爆発するタイミングとしてはおかしくなく、エッタを仕留めることよりも回避させることを念頭に置いている。要するに、当たれば僥倖といった程度でエッタの足止めをすることが狙いなのだろう。木の幹に身を寄せた所為でエッタも完全にコボルド達の位置を見失ってしまっている。
『な、何ですか!? 今のは魔法なんですか!?』
「否定。これは手榴弾です。まだ、魔法の方は『真語』を紡いでいる途中なので、いくらか猶予がございます。六節ほどの『真語』を既に三度繰り返していますので、発現すればこの程度では済みません」
耳元で大声を出す渚に、続けて説明する。
「人払いの結界や魅了程度の魔法であれば二節ほどの『真語』で十分なのですが、攻撃における場合はおよそ四節以上。繰り返し紡ぐことにより、マナを収束させ破壊力を増幅させることができます。
仮に阻止が失敗した場合でも、マダリン様より賜った我がマナ内蔵量であれば肉体が完全に崩壊するまでには至らぬと推定できます。後に、回収をよろしくお願いいたしますね」
『エッタさッ――!?』
渚が言い終わるよりも早くインカムの電源を落とし、木陰を飛び出す。
投げつけられる一個の手榴弾を、走りながら銃弾で撃ち返す。弾殻へとぶつかって射線を変えた一撃がコボルドの一匹に突き刺さり、その一匹を壁にして僅かに生じた死角を駆け抜ける。
後方に控えていた二匹目はエッタの動きを追って動いたため、跳ね上げられて頭上から落ちてくる手榴弾に気づかなかった。地面がクッションとなり一度しかバウンドしなかった楕円が無雑作に転がり、二匹のコボルドの間に留まった。それに気づいた頃には既に撃鉄と信管が喧嘩していて、ヒューズが火を噴き雷管を燃やして行き、高性能火薬へ着火と同時に破片を噴き上げる。
伏せる間もなく頭部を柘榴のように引き裂かれた二匹が転がった。
「さて、これでもう残りは僅かではございませんか? 戦場で魔法を顕現させられるだけの猶予を、前衛なしでどれだけ確保できましょうか」
コボルドマジシャンの姿を視認して、徒歩で悠然と近づいてゆく。
銃口を向けられても顔色一つ変えないコボルドマジシャンを見る限り、他に策でもあるのかと疑ってしまう。仮に部下を盾にしていたとしても、この距離であれば銃弾を貫通させて致命傷を与えることができるはずだ。
『真語』は綿密に紡がれる必要があり、大きな呼吸の乱れは許されないし、綴り間違えればその時点でマナを消失する。だから、基本的に攻撃も回避もしたりせずに一か所に留まって行うのが必然となってくる。
全ての兵を失った現在、コボルドマジシャンは既に王手をかけられている。
しかし、そこでエッタの動きが止まった。
何せ、複数の足音がこちらに近づいてくるからだ。
ルーデほどに五感が優れていないエッタでは、注意していなければ数十メートルの距離からの音を聞き取るのは不可能。
コボルド達の増援であったなら、コボルドマジシャンを倒してから統率が乱れたところを一掃すれば良いだけなのだが。足音がするという時点で彼らがコボルドではないことを示していた。しかも、数人一組が二組分、警戒と進行と援護を交互に繰り返して接近してくるではないか。
「おい、誰だッ? そこで何をしているッ?」
誰何してくるのは人の声。
そこで漸く、エッタは人払いの結界が幾分か前から解かれていることに気づく。
派手に手榴弾を使用した理由を飲み込めた。
「こっちに来てはなりません!」
近づいてくる者達に、エッタは叫ぶ。
赤の他人、況してや人間なんぞを助けてやる義理などなかった。しかし、一度の制止で退くならばそれに越したことはなく、黙秘して巻き込むだけの理由もない。
「何ッ? いったい何者だ、君達はッ?」
足取りは留まることを知らず、警戒しながらも歩みに迷いはない。ある程度の隊列を組めるだけの経験があるところを鑑みるに、一般人ではなく相応に訓練を積んだ者達だ。
軍人であることがわかり、エッタはここで結論を下す。
「クソッたれッ、やってくれやがりましたね!」
と今までに一度も発したことのない雑言を吐き捨てる。
罠の可能性など最早捨て去り、引き金に掛かった指に力を込めた。一発、多少の盾など確実に貫通する距離からコボルドマジシャンの胴体を狙って放つ。
予想通り、銃弾が姿なき存在を通りぬけてコボルドマジシャンに食らい付いた。
「【ケン・アンスール・ソン・ウル・オセル・ギューフ】!」
「なッ!?」
それでも尚『真語』を唱え続けるコボルドマジシャンを見て、エッタは表情を驚嘆に染め上げた。
そして、それが最後の綴りとなった。
エッタの4メートルほど後方、樹木にコボルドマジシャンの視界が遮られるであろうギリギリの地点5メートル上空に、煌々と光の玉が生まれ出る。森の薄闇を完全に消しさるほどの絶対的な輝きが、僅かに電気を迸らせて鳴っている。マナを熱量として顕現させて、2号ソフトボールほどに凝縮しているために発したプラズマ現象だろう。
もしこれが内側への力を失ってエネルギーが解放されたのなら、半径20メートルは容易く溶け消える。そこから炎が風圧に乗って数十メートルを包みこむ。
仮にエッタの体が熱線に堪え切れたとしても、全て焼失するまでに救助がくる可能性はゼロに等しくなる。
要するに、一撃で仕留め切れずに魔法を完成させられてしまった。コボルドマジシャンの力量と覚悟を見誤ったエッタの負けと言えた。
「……ィ」
マナを搾り尽して片膝を着いたコボルドマジシャンが笑った。勝利こそなくとも、敗北しなかったことを確信した顔。
そして世界が、タイヤから激しく空気の抜けるような音を響かせて、白に塗りつぶされていく。
ホント、エッタ一人で良いんじゃないかな……。
敢えて真語や魔物語の訳は第一章の時点で書かないスタイルです。
あ、遅くなって申し訳ございません。本当に申し訳ございません。
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