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第九話・これが日常となって

すみません、完全にこの話が抜けていることに気づきませんでした……。

 暗闇に差し込む明かりの眩さに、視覚情報が刺激され目が覚める。

 寝過ぎたようだ。少しばかり気だるさと記憶に不明瞭さが残る。

 寝ている間にずれてしまった眼鏡を直し、ぼやけた視界に映る状況を見て大抵のことは把握できた。余談だが、渚は本を読み続けたことによる近距離のピントが合わせられない異常――近視だ。


「あぁ……昨日、チューハイを勧められて、酔っぱらって寝ちゃったんだ……」

 未成年でありながら、押しつけられた酒を飲んでしまったことを恥じる。

 手を口と鼻を塞ぐように当てがい、呼気を確かめる。衣服の臭いも。酒気が臭いとして(アセトアルデヒト臭が)残っていないのは幸いだ。


「ふぅ……たぶん大丈夫」

 漸く自身の思考に整理をつけたところで、体にかけられたコートと、足元を覆うスーツの上着に目が向かう。そして、薄らと体表に感じる温もりに笑みがこぼれた。

 渚が完全に目を覚まして体内機能をフル稼働し始めたことを察したスライム君が、また皮膚へと吸着して一体化してしまった。

 もはや恒例となった体を滑っていくスライム君の感触に、渚は悶える。


「それは……なしにできません、でしょうかぁ……ゥンッ」

 何度目かになり、急でなければ声を我慢できるようにはなってきたものの、未だに慣れない。

 数分して快感の余韻から逃げだせ、再度オフィス全体を見渡す。

 ルーデはテーブル端でだらしなくイビキを掻いている。エリックは自分の椅子を傍まで寄せてきていて、その上で疲労困憊のサラリーマンみたいに体を反らせて静かに寝ていた。

 最たる疑問は、木箱に礼儀正しく座っている少女だろう。


「きれい……」

 周囲に置かれた工具類と、美貌の少女の組み合わせがもはや異様だ。が、そうは思わせないほど情景にはまり込んでいる。

 まるでここが、人形制作の工房か何かのようだ。

 居場所と、昨日のルーデの言葉などをパズルのように組み合わせていく。精巧な人形とも見間違えそうな白と黒のオブジェがアントニエッタなる人物(魔物)だと行きつく。


「彼女が、かな?」

 もう日が高く上っているというのに、寒気の余韻を残したオフィス内をコートを羽織って移動し始める。

 どうやら、このオフィスには冷暖房の器具がないようである。

 魔物というのは、暑さや寒さに強いのかもしれない。


「っと、ありがとうございました」

 スーツの上着はエリックの体にかけ直して、小さく囁くようにお礼を言っておく。

 次に、アントニエッタの元へと歩を進めた。

 やはり間近で見ると、引き込まれるような感覚を覚えるほどに美しかった。


「よし……」

 意を決して、渚は目の前にある人形の手先を突っついてみる。


「や、柔らかい……。ほんとに、人形なの……?」

 艶やかな肌は陶器のように思えても、タンパク質と水分の塊と同じ弾力があった。温か味こそ抜け落ちているが、室温と同化した冷感さえもが人を虜にしてしまう。


「……おはようございます。渚様」

「ヒィッ!?」

 完全に油断した猫が大きな音に飛び跳ねるような形で、渚はエッタの側から退いた。

 いつからなのかは知らないが、目を開けて渚を見つめていたのである。目が合ったタイミングで挨拶などされた所為で、渚の心臓は当社比2倍ぐらいの勢いで跳ねているのがわかった。


「お、おはようございます……。すみません、勝手に触ったりして……」

 怒っている様子は見られない。とりあえずは挨拶と謝罪を述べておく。

 しかして、数歩の距離を置いた状態で一切の身動きができないのは、一種の警戒心からであった。

 深いブルーサファイアの瞳に嘱目(しょくもく)される。

 両膝に両手を置いた状態から仕掛けられる行動など多くはないというのに、渚は僅かな隙も見せられないと思ってしまう。

 蛇に睨まれた蛙、という例えが正しいほどその眼力が強固に縛り付けてきている。


「なるほど」

 何に納得したのかはわからないが、エッタはそう囁きを漏らす。

 一度目を閉じて開き視線を渚から外した。


「遅ればせながら、お初お目もじ。先の電話で御紹介させていただきました、私がアントニエッタにございます」

 最小限の動作で立ち上ったエッタが、軽くお辞儀をしながら自己紹介してくる。

 慇懃でありながらも、それはエッタが渚を上目(うわめ)と認めているわけではなく、彼女自身の性格から来るものだと良く分かる。その証拠に、渚を呪縛から解放しながらも全くの油断を見せていないからだ。


「漣 渚です。ご挨拶が遅れましたが、よろしくお願いしますね。アントニエッタさん」

「えぇ、よろしくお願いします。とは言え、ただ(・・)の人間にできることなど高が知れてはいると思いますが」

「雑用でも何でも、自分のできることを精一杯務めさせていただきます。私とて、もはや不退転の決意でこちら(・・・)側に来ているのですから、ね」

「そうですね。無事に仕事を続けられることを心より祈っております」



 負けじと、言葉で数合の打ち合い。

 渚がスライム君をどれだけ使いこなせるかも、仲間同士の戦いで力を発揮できるかもわからない。しかし、エッタが牽制するのは、武器がない状態ではスライム君と互角に渡り合うのが精いっぱいだからだろう。

 もちろん、互いに喧嘩などする気はなく、単なる意地の張り合いでしかない。


『……』

 しばし黙りこくって見つめ合った後、先に口を開いたのはエッタの方だった。


馬鹿馬鹿しい(ナンセンス)。ですが、渚様は私達を歩む気なのですね」

 肯定と否定、両者が混じり合った言葉。

 その時は、まだ真にその言葉の意味を理解することなどできなかった。渚を呼ぶ方法が変わっていることすらも。


「ルーデさんに会う前の私だったら、考えられないことでした。けれど、出会ってしまったのなら歩き続けるしかないんだと思います」

 まだ認められるまでには遠いかもしれないが、渚の決意は変わらなかった。


「……クー」

 そんな様子に気づいて、目を覚ましたのであろうエリックが狸寝入りを決め込んでいる。


「さて、もはや問答しても仕方ないことでございましょう。特別、指示はございませんので休日を堪能してください」

 踵を返し、一昨日に渚が買い付けてきた弾薬やナイフの確認をし始めるエッタ。口元に浮かんだ微笑みを隠すように渚へ背を向けて。

 渚も振り返り、どうしたものかと思案する。そして直ぐに、何をすべきか思い当った。

 すでに時間は8時を過ぎていながらも、焦ることなく行動しているのは今日が土曜日だからだ。


「えーと……」

「ゴミ袋と掃除用具なら裏口に出る階段横に」

 オフィスを見回して必要なものを探し始めた渚に、気を配っていたエッタが助言してくれる。


「はい、わかりました。ありがとうございます」

 礼を述べ、渚は鉄扉を潜って階段を駆け下りていく。

 目下の仕事は、昨晩の歓迎会で散らかったオフィスを掃除することである。


「まずは大きなゴミを都市政令のゴミ袋に詰め込んで行きます。可燃ゴミと不燃ゴミ、プラスチックゴミなどの分別がわからない時はインターネットで調べましょう。

 続きまして、長押(ながおし)などに溜まった埃をはたき落したり、机や棚の上からも埃を床に落として行きます。埃を被らせたくないものがある場合は、ホームセンターに良くある水色のシートやゴミ袋を被せておくと良いでしょう。

 さて、次に箒とチリトリで大まかな埃や小さなゴミ屑を掃き取って行きます。食べ滓などの残留物は虫を寄せるので、夏などは小まめに掃き掃除はすることをお勧めします。

 上から下へ、が基本です。大雑把にやり終えたところで細かな部分を掃除機で吸い取ります。この音で起きないルーデさんは流石だと思いますよ」


 順調に掃除を進めていく。

 ルーデの領域から1メートルぐらいを除いては、ほとんど手を出すところがなかったあたり、どうやら掃除嫌いは彼女一人だけだったようである。

 その掃除嫌いは、掃除機の轟音に囲まれながらも平然と熟睡している。今は人間の耳で音を聞き取っているようだが、動物みたいに音を遮断することでもできるのだろうか。

 最後に雑巾で一通りの水拭きと空拭きを終わらせ、空気の入れ替えに窓を少しだけ空けておく。こうして、掃除が終わったのは正午に差し掛かるかどうかというころだ。


「ぅん?」

 ルーデの携帯電話が以前と同じ軽快なバック(B)グラウンド(G)ミュージック(M)を歌いだす。


「ふぁあ? あー……メールか」

 ルーデが目を覚まして、テーブルに置かれた携帯電話を見やった。なぜこの着信音だと起きるのだろうか。

 届いた電子メールを寝惚けた眼付きで眺めている。スクロールする様子がないことから、文書はさほど長くはないだろう。

 それでも、視線を二度、三度最初に戻し、また左右へ振っていく。


「ルーデさん、どうかしましたか?」

 渚が問いかけると、ルーデはいつもの余裕を浮かべて「いんや」と何事もなかったかのように振舞う。

 起き上がり、ヒースのパソコンへと近づいてキーボードをタイプする。

 僅かの間だけヒースと何らかのやりとりをした後、渚に向き直って尋ねてきた。


「ナギサ、今から少し空いてるか? これから出て、昼過ぎってところかな」

「えぇ、仕事だと連絡しておけば特に問題ないと思います。母は仕事に関して快諾……多少なりとも不安そうでしたけど、反対はされませんでした。もっと、説得しないといけないかと思っていたんですけどね」

 小波とルーデの間で密談が行われていたことなど露知らず、渚は了承する。


「じゃあ、出掛ける準備をするからそれ取って」

 するとルーデは、ヒースの机の引出しから一本のUSBケーブルを取り出し、彼女自身のノートパソコンとウェットスーツみたいな衣装を催促する。渚は、ルーデの持つケーブルと妙なジェスチャーからそれを察して両方を手渡しに行く。

 USBケーブルで繋いで数分、データの移動を終えたため行動を開始する。


「よし。それじゃ、行こうか。エッタとエリックは留守番頼む」

了解(ラジャー)

「新人に無茶させんなよ」

 ルーデの言葉に返答する二人。冗談めかしているように見えて、緊張感が彼らを包みこむのがわかった。

 ルーデは腕を上げ手を振り返しながら出て行く。渚も追従する。

 自分でも、これから一仕事あることを察して、足取りが重くなっているのがわかってしまう。


「ナギサは車を回してきて。説明は道すがらするけど、多分……うん、単なる頼まれごとを片づけるだけだから、運転手だけしてくれてれば大丈夫」

 渚の緊張を察してか、ルーデが声をかけてくれる。


「わかりました。そう何度も、ロボットとパーティーをするようなことにはならないでしょうからね」

 大丈夫です、と言葉に載せた。

 自身を鼓舞するように。

 車のキーを受け取った渚は、以前と同じ月極めの駐車場へと走り、ハイエースをオフィスがあるビルの前につける。

 直ぐにルーデがノートパソコンを小脇に抱えて出てきた。

 ルーデは助手席に乗り込むと、徐に服を脱ぎ始める。


「あ、あのッ……流石に、こんなところで着替えるのは……!」

 いくら女しかいないとは言え、大胆過ぎる。それに、この時間でも車外には疎らな目がある中で裸体を晒しているのだ。

 当然、渚はルーデに物申す。単純に運転している渚自身が恥ずかしいのと、しなやかな肢体は思わず視線を引き寄せられてしまうのだ。


「前見て、前。事故とか洒落にならないから」

 ルーデはからかうような笑みを浮かべて、渚の物議を受け流す。

 渚も慌てて視線を前に戻し、中央車線に寄り掛かった軌道を修正する。ホッと息を吐き、不服の声を漏らした。


「もう……」

 以前からなんとなく察していたことではあるが、ルーデは同姓に対してのコミュニケーションが過剰なところがある。エリックのような喧嘩友達めいた関係とも違う、女性へのオープンとでも言うような言動。


(やっぱりルーデさんって――)

「仕方ないだろぉ。私らライカンスロープは人間界(こっち)じゃ普通に衣服を着て生活してるけど、普通獣人の姿で生活してるんだぜ。人様からみれば体毛が濃いだけで、常に裸を晒してるようなもんさ」

 思考の途中で結論を遮られる。


「まぁ……言わんとすることはわかりますけど。こっちの身にもなってください、ってことですッ……」

 文化や生活様式に差異があり、感覚のズレが生じるということは仕方ないとする。しかし、少なからず最低限の配慮はして欲しいのである。

 例え他者よりも羞恥心が薄かろうと、車中だとしても、天下の往来で換装するのは非常識極まりない。

 断じて、渚はノーマルだ。


「へぃへぃ。渚も、数日でエリックみたいになっちゃったよ」

 ぼやくルーデを見ていると、エリックも相当苦労していた様子だ。ある意味、渚がやってきて肩の荷が下りたのではないだろうか。


「それより、どうすれば良いんです? 何も聞かずに走りだしちゃいましたけど」

「あぁ、そうだったな。ナビゲーションは私の携帯電話に従って。到着したら、車で待っててくれて大丈夫だから」

 話を切り替えて、渚は今回の仕事について尋ねる。

 ルーデが行先の案内を始めた携帯電話をメーターパネルの前に置く。表示されたナビゲーションアプリが示すは、森の中。

 渚が住む町よりも南西へと進んだ先。古道の峠入口から少し南下して、史跡すら近くにある。

 周囲の地名から、渚も知っているホラースポットの名称に至った。


「ここって、結構なガチのホラースポットですよ……。もしかして、取引相手って幽霊……?」

「あー、そうなんだ。あいつら、幽霊扱いされてるのか。そりゃ、人にしてみりゃ邪精種は幽霊も同じだわな」

「魔物との取引なんでしょうけど、邪精種というのは妖精か何かの類なんですか?」

「そうだね。邪精種は寓話なんかで言われてる悪戯や悪事を好むタイプの妖精だとか、精霊とかがそう呼ばれてる。たぶん、こっちの世界で話に上がってる幽霊の話は、大概が死霊種か邪精種のことだよ」

「へー。幽霊の正体見たり枯れ尾花、って感じですね。魔物が原因だと思うと、途端に怖くなくなりました」


 インターネットの中に広まっている怪奇的な存在が身近なものだとわかって、渚の不安はどこかへ飛んで行ってしまう。

 他人にしてみれば魔物でも幽霊でも、恐怖の対象には違いないのだろう。しかし、渚にとっては理解し難い存在ではないだけで気安い。

 今度、他の恐怖体験についてもどんな魔物が関わっているのか、聞いてみたいとさえ思ってしまう。少し事情があって、怪談が苦手なのは違いないが。


「今回の取引相手は、邪精種のコボルドって奴らだ。大した力はないんだけど、自分達と手に持っているぐらいの物体なら、見えなくしちまう。てめぇの発生させる音だとか臭いも感じ取れなくしちまう所為で、一般人なら数匹で囲まれると痛い目に合う」

 ルーデが説明を続ける。


「コボルドって、ファンタジーゲームに出てくる二足歩行の犬ですよね? 可愛いんですか?」

「いや……多少なりとも犬面だけど、大抵の美的感覚でいうとそうは言えないかなぁ。流石に、ナギサのセンスでも可愛いとは言わないかな」

「アッ、何か私のこと馬鹿にしてません!?」

 相変わらずルーデがからかい、渚が怒り、そしてカラカラと笑いが起きる。


「冗談はこれぐらいにしておいて。この間、軍事基地から盗ってきたデータの解析をヒースがそろそろ終わらせてくれるから、私は少し時間稼ぎをするよ。本当なら今夜でよかったはずなのに、急に時間をずらしてきやがった」

「コボルドさん達にデータを渡すのに、何でわざわざ中身を確認しようとしてたんです? 渡したら不都合なデータだから、とか?」


 考えてみれば、データを盗った直ぐに手渡してしまえば取引は完了するはずだ。なのに、ルーデ達はそうせずに数日の時間を引き延ばしている。

 渚の問いに、ルーデは難しい顔をしながら答える。


「目的のデータがどのフォルダに入ってるのかは聞いたんだけどな。フォルダごと盗ってくるように依頼されたから、その中身の詳細が分かってないんだよ。確かに私らのことで不都合なデータがないとも限らないけど、それより重要なのは仕事と依頼料が見合うかって話だね。

 現金な話、コボルドって手先が器用だから、あいつらの作る工芸手芸品って高く売れるんだよ! 来月のお給料を弾んでもらうためにも、重要性を知ってボッてやろうって腹なわけ!」

「あ……」


 色々と本音のところがわかって、渚は呆れた顔になる。

 ルーデの名誉のために黙っていたことだが、渚の新しいコートや携帯電話、歓迎会の代金は全てエリックのポケットマネーから出たものだった。

 ルーデが貧窮していることは察していたため、あえて弁償してもらえたから良い、の精神で黙っていた。


「今度、溜まりに溜まった漫画を売ってきましょうね……。お酒も減らします!」

「後生やでぇ、ナギサァッ!」

「あぁッ! 事故を起こすからひっつかないでください!」

 無駄遣いが多いのを節制させようと決めた渚に、ルーデが泣きついてくる。

 そんなこんなで、この光景が渚にとっての日常へとなりだしたのだった。もちろん、魔物についての勉強、『アドリアーナ・ルクヴルール』の皆とのコミュニケーションなども、忘れることなく。

 そしてその日、渚が置かれることになる状況もまた。


2017/10/12に割り込み投稿。

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