第七話・いつものことと変化
基本的に、友達とかいたら秘密を隠すのが難しくなるよねってお話。
少し長い目となりますが、今後の展開として重要な部分なのでお付き合いください。
果たして、漣 渚がこのような立ち位置を甘んじなければならなくなったのはいつのころか。
思い返せば、始まりは小学校4年生ぐらいだった。至極、小さな人生のヒビが生じ始めた。
最初の頃は友達の口調が少しきつくなったぐらいで、渚はさほど気にせず生活を続けていた。次第に友人達の言動が素気なくなり、大きく態度にも出始める。
『ヒソヒソ』
『ケラケラ』
それから一年も経つ頃には、渚の孤立は始まっていた。小学校を卒業するまでには、もはや取り返しがつかないほどに渚の世界は砕かれた。
常に一人で寂しく過ごすことが当然。教室に居場所はなく、給食を食べ終えたら図書室で本を読んで、時間が過ぎるのを待つ。
『……』
中学校に上がって、少しは修復できるのではと思ったのもつかの間、他の小学校から集まってきた生徒達にさえ渚の立場は伝わってしまっていた。結果は変わらず図書室で一人、本を捲る毎日。
母、小波も渚の状況を感じ取っていたのかもしれない。けれど、渚が小波を心配させまいと気丈に振舞うため、状況は改善することはなかった。
なぜそうなってしまったのか、原因を思い出そうとしても、思い出せないほどに昔で、探り当てれぬほど小さなことだった。人によっては気にも留めない些細な言動か何かだろう。
『いじめられるのには、いじめられる側にも原因がある』
それは間違いではないが、それが気づけるほどの出来事だったかと言われれば、誰しもがそうであるわけではない。そして、最も大きな原因となるのは『何もしなかった』ことだ。
最初のころに気にしなかった、友達との関係を修復しなかった、小波に相談しなかった。
(その点、お弁当は楽だな)
高校生になるころ、渚は一人で昼食を食べることも日課になっていた。
義務教育の間は、特別なイベントでもなければ教室で給食を食べ終えるか、特定の時間が経過するまでは外へ出ることは許されない。しかし、高校生になればそんな縛りはほぼなくなる。
だから渚は一人、せめて他者の視線を感じることなくお弁当に向える場所を求めて廊下を早足で歩いていた。
たどり着いたのは、ここ1年か2年で新しく建て直された新校舎の女子トイレ。個室の便座は蓋を下せば椅子になり、貯水タンクが背もたれと机の代わりをしてくれる。
所謂、便所飯。
(なんだかんだ、高校生になっても学生が校舎を掃除するから、清潔感ってそこそこ保たれてるんだよね)
もはや自分の立場を嘆くことより、自分の居場所について思案する方が先立つようになった。昼休みに急いでこれば、さらに人気がなく、お弁当のオカズの匂いに気づかれることもないベストポジション。
しかし、どうやら、今日に限っては別のオカズが待ち受けてしまっていた。
「ハー……フゥ……。気持ちよかったよ、充子……」
「ハァ……。もう、こんなに出して。フフゥ」
「これ、お代ね。また、今度もお願いするよ」
先客がいないことを確認するために、女子トイレの扉をゆっくりと開いた瞬間、個室の一つから男と女の声が聞こえてくる。
会話の内容と、状況を整理すれば、そこで何が行われていたのかは明白。流石に学校の一角で、昼間から情事が行われているなどと想像できていなかった渚は、嘘を突かれてトイレの入口で固まってしまう。
そのうちに事後処理を終わらせた男女が顔を覗かせて、渚と目が合う。
「お、お取り込みのところ、失礼しました……」
気まずいため、すぐさま渚は踵を返して場所を移動しようとした。
「ま、待ちなさい……ッ!」
頭と体が状況についていけなかったが為に、緩慢になってしまった動きはすぐさま腕を掴まれて制止させられる。公序良俗に反する場面を見られた女子学生は、怒気を孕んだ低い目のアルト音を発する。
「飯田さん……」
記憶の限りを尽くして情報を捻り出す。渚の腕を掴んだ、人工的なブロンドに髪の毛を染めた女子学生は、同じ学科クラスの飯田 充子という人物だ。
一緒に出てきた体育会系と思しき長身の男子生徒は、専攻する学科こそ違うが、同学年で間違いないはずだ。名前までは覚えていない。
「確か、さざなみ……」
「えぇ……」
充子に関しては、優等生とは言い難いまでもこのようなことをするほど素行が悪い人物でもなかった気がする。
クラスの中心的人物の一人であることは確かで、渚に対してはどちらかと言えば腫れ物には触らないというスタンスだった。
「一体、何ですか……?」
「こんなところ見られて、黙って行かせると思う……?」
普段は友達との会話の中で屈託なく笑うであろう切れ長の目を怒りで染めて、渚に睨みを利かせてくる。激しい運動の後の汗で濡れそぼった肌に、金髪のロングヘアーが張り付いているため、化粧が崩れているのも合わせていささか迫力がある。
しかし、戸惑いこそあっても渚は充子の態度に恐怖は覚えなかった。
「別に、教授達に言ったりしませんから離してもらえませんか? 貴女が何をしていたのか、チクったりしても私には何のメリットもないですし、それを証明する手段も私にはないんですよ?」
今見たことを学校側に報告したところで渚が金一封を貰えたりするわけでもなく、ただ充子に恨まれるだけなら、そうする意味がない。
そんな我関せずと言った態度がさらに充子の癇に障ったのだろうか、腕を強く引っ張って、渚を先ほどまで使用していた個室へと引っ張り込む。お弁当の入った巾着袋が、タイル張りの床に落ちた。
「ッ……。何を、するつもりですか……?」
便座の上で引き倒されるように座らされたため、陶器の給水タンクに背をぶつけ僅かに苦悶を浮かべる。
「貴女、何様のつもりよ? ボッチの漣さん、だっけ? ムカつくんだけど。まぁ、そんなことよりどう黙らせるかよね」
怒りから嗜虐的な笑みへと変わる。
まさか神聖な学び舎でエンコーなるものが行われているなどとは、教員の教授方も灯台下暗しであったと言わざるを得ないだろう。
さて、目下の問題は、充子が渚をどう扱うのかということだ。
「だから、誰にも言いませんから……。お昼ごはんだってまだなのに」
聞き入れてもらえないだろうが、もう一度抗議の声を上げる。
「どこからポロッと洩れるか分かったもんじゃないでしょ? なら、口封じと一緒に利用した方が良いじゃない」
分かりやすい理由で拒否された。
「私が外を見張っておくから、貴方、やっちゃっても良いわよ。並以下だけど、タダでできるならお得でしょ? 終わったら、写真に撮って私の手伝いをさせてあげるわ」
他人の意思を無視して、お金稼ぎと口止めを同時に行うつもりのようだ。
「次は有料だけど、ボッチちゃんなら安くできるわよ。生でも良いしね」
それだけ言うと、充子は個室を閉じてトイレの入口を陣取る。
流石に渚も、昨日の段階で恥辱を味あわされたとは言え顔しか知らない程度の男の性欲処理に使われるなどというのは遠慮願いたい。訂正、恋愛対象でもない男の、だ。恋愛対象であっても、意思を無視した行為は如何なものかと思うが。
なんだかんだ乙女らしいことを考えている間に、男子学生の手が渚に伸びる。
「止めグッ……!」
どういう神経をしているのか、男子学生は犯罪を犯罪とも思わぬ手つきで渚のハイネックセーターに手をかけて、もう一方の手で口を塞いでくる。僅かに男の精であろう臭いがする。女性の物も混ざっている。
セーターが大きく捲り上げられたところで、渚も無抵抗であることを止めた。
(こんのぉ!)
恐怖や嫌悪、羞恥といった感情などどこかに吹き飛ばし、握りしめた拳を男の顔に叩き込む。一昔前の渚なら、考えられもしない行動だっただろう。
男の下種さと卑猥に歪んだ笑みは、渚の細腕による一撃では揺るがぬことを確信したものだった。これぐらい抵抗してくれなければ、面白くない、と言わんばかりの。
しかし渚の腕力だけの一撃は、その自信を軽く打ち砕いてしまった。
「ぐ、ハッ!」
鼻柱を捉えた拳が、予想以上の質量と硬質を持って、男の体躯を軽々と吹き飛ばす。個室の扉が枠から外れ、床を滑っていく。
それで意識を手放した男は、後にも先にも何が起こったのかを理解できなかっただろう。
反面、渚は自分の借り受けた力の大きさを知る。
「な、何よッ……!? ちょっと、何が起こったのよ!?」
充子の狼狽する声が響く。
「何、が? ちょっと、天罰が落ちただけですよ?」
ゆっくりとした歩みで個室を出て、渚は肌蹴た服を整える。
何が起こったのかを簡単に説明するなら、渚に纏わりついたままだったスライム君が、男に体当たりしただけだ。
パンチのヘッドスピードだけでは足りない威力を、スライム君が伸縮性と硬質化により増幅させて男をノックアウトした。それを理解した渚は、次に充子へと近づいて拳を振りかぶる。
「流石の私でも、怒る時は怒りますからね!」
身に降りかかる火の粉を払いのけるため、渚も心を鬼にする。
これから先も、『アドリアーナ・ルクヴルール』の皆と一緒に仕事をする上で、覚悟せねばならないことだからだ。誰かを傷つけ、自分を守るっていくことは。
「ヒッ……! いやッ」
充子は、困惑しながらも分が悪いことを察していたのだろう。
だから渚の拳――スライム君の体当たり――が届くよりも早く、扉を開けて小さな隙間から転げるようにして逃げ出す。
攻撃目標を失ったスライム君は、トイレの扉まで壊さないように急制動をかけて軟化する。渚は遠心力に振りまわされて、床に尻餅を着いた。
「……スライム君、ありがとう。助かったよ」
昨日の夕方から存在さえ忘れていた恩人――恩魔物にお礼を言う。ペット程度かと思っていたが、ここで渚の中でスライム君は大切な仲間にランクアップした。
昨日は恥ずかしい目に合わされたものの、結果として助けられたのだから許すことにする。
「さて、早くお昼を食べちゃわないと。あ、スライム君も食べる?」
昼休みが終わる前に、渚はトイレを出て別のトイレで昼食を食べた。
気絶した男子学生はあえてあの場に残してきた。誰かが来る前に意識を取り戻せたのなら別に構わないが、その時はその時で恥をかいてもらおう。充子に関しては、わざわざどうこうする必要はないと保留にしておく。
こうして危なげないひと時は終わり、渚とスライム君は少し仲良くなったのだった。
もうエッタ一人で良いんじゃないかな、ってツッコミはなしの方向で・・・。
まだまだ皆について書きたい設定はございますが、そういうのも追々なんとか。