第六話・観察対象:渚2
見つめあう二人。ロマンスの始まりとしてはいささか陳腐な、不幸な偶然の重なりによる出会い。
そうであればよかったと、ルーデは困惑する頭の中で考えた。
見知らぬ他人であったなら、撒いてどこかへ逃げ去れば良いだけなのだが。それでも、零した水はお盆には返らない。
「え、えーと……。ナギサのお母さんですか? やぁ、これは偶然! まさか、趣味のランニングをしていたらナギサのお母さんにお会いするなんて!」
足りない頭で考えた返答がそれだった。
『……はぁ』
インカムの向こうで、エッタとエリックの溜息が洩れるのが聞こえる。
(下手で悪ぅございましたね……)
内心で悪態を返しながら、目の前の女性がどう反応するのかを伺う。
「へぇ……。渚にこんな美人のお友達がねぇ。それに、学生じゃないお友達みたいですねぇ」
訝しむでもなければ、ルーデの言葉を疑っているわけでもない。どちらかと言えば感心と関心。
監視していた男達を追い払ったところは見られていないらしく、このまま上手く取り繕えば退散できると踏んだ。
「いやいや、美人だなんて。その、まぁ、友達兼同僚ってところでしょうか?」
「同僚?」
不用意だった。
「あッ……。えっと、そう、今日、ナギサが内の会社でアルバイトをしたいとやってきましてね……! 採用面接は合格なので、お母様のご許可さえいただければ良いのですが?」
「あの子が、アルバイト? そんなこと、昨日まで一言も……。いえ、昨日、様子がおかしかったのはその所為……?」
「え、えぇ、昨日、ナギサと会ってアルバイトの枠が余ってることを伝えたんですよ! もっとお母様と相談してからでよかったんですが、思い立ったら行動しちゃっていたみたいで」
そこまで話して、また女性は思案顔になる。
さて、仕事の内容まで突っ込まれたらどう返答しようか。ルーデもシンキングタイムに入る。このまま、予定のない用事を盾に逃げ去るのが最善のように思える。
「それでしたら、一度、家にお寄りください。ナギサも交えて、話をしたいのですが?」
考えている間に、観察対象との接触と仕事内容の説明という最悪のパターンを提示されてしまった。
しかし、ここで断れば渚が追及されることになり、誤魔化し切れずに全てを暴露してしまう可能性さえある。渚の母が、魔物の諜報会社などというものを信じるかどうかは置いといても、そんな怪しい会社でのアルバイトなど認めるはずがない。
冷や汗が頬を一滴、伝う。
「わ、わかりました……。一社員という身ですが、少しばかり説明させていただきます……」
こんな時、諜報員ならばもっと冷静に対処すべきなのだろう。
けれど、渚の母親に見据えられると、こちらの嘘など全て看破されてしまうのではないかと錯覚してしまう。
渚への信頼だとか、娘への愛情、別の複雑な心境といったものが綯い交ぜになった母親の想いが、ルーデの下手くそな偽りを許そうとしない。
仕方なく、ルーデは渚母に連れられてアパートの一室へと向かう。
コンクリートの階段に、コンクリートの壁、コンクリートの床。どこもかもが寒々しさを覚える。安アパートらしい見た目で、堅い床をコツコツと踏み鳴らして歩く二人の背中に沈黙が圧し掛かる。
二階部分の中央、安っぽい鉄扉を解錠して、部屋に入りながら重苦しい沈黙を破るようにして女性は名乗りを上げた。
「あ、そうだ。自己紹介がまだでしたね。私は漣 小波と申します」
「え、えっと、ゲルトルーデです……あ」
不意だったために慌てて答えてみてから、ひとつの不備に気づく。
今まで、一般人に対して名乗ることなどほとんどなかったが為に、姓名を考えていなかったのだ。相手にフルネームで名乗られた場合、こちらもフルネームを名乗らないのは怪しく思われる。
「ゲルトルーデ=レッドキャットです!」
思い立った姓名などそれぐらいのもので、二筋目の冷や汗が不快だった。
「へぇ。その髪はやっぱり地毛だったんですね。顔立ちも日本人っぽくないとは思ってましたけど。美人で外国人の、学生じゃないお友達なんてあの子もやるわね」
小波が、素直な感心を口にする。
その時の、小波の感心がどういう意味を持っていたのかルーデにはよくわからなかった。が、それは後々に思い知ることとなる。
「ナギサは良い子ですよ。小波さんが思っている以上に聡いですし、優しくて落ち着いているところとか、やっぱりお母さん譲りなんでしょうかねぇ」
とりあえず、褒め殺して心証を良くする作戦に出た。
「やだぁ、止めてください。あの子はマイペースなのと、単にボーッとしてるだけですよ。私がもっとちゃんと育てて上げれていればよかったんですけど……」
(あぁ……さっきの良くわからなかったのは、罪悪感か……)
小波の顔に浮かぶ表情を読み取り、彼女が渚に対して何か一物を抱えていることを察する。
そして、屋内に目をやれば、大体その理由がわかってくる。
入ってすぐに台所があり、鍋とフライパンが2個か3個、水きり用のスチールカゴには女性物と思しき食器が2組あるだけだ。
「あ、遠慮なく上がってください。大したおもてなしはできませんが。お茶とコーヒー、どちらがよろしかったですか?」
「あ、お構いなく。コーヒーで」
あまりジロジロと見まわすのも失礼かと思い、小波の言葉に答えながら靴を脱いで上がらせてもらう。
古びたフローリングの香りに混じるのは、小波と渚の体臭。だからこそ、足りないものが直ぐにわかってしまう。
「そちらにおかけになってください。直ぐに渚を呼んできますから」
考えるうちに小波の誘導に乗っかってしまい、年期の入った椅子に腰かける。軋みを上げる程度に古いものなのだろうが、それでもルーデの臀部を安定して支えてくれた。
小波はケルトを火に掛けて、玄関を除けば二つしかない扉の一方へ向かう。向かって右側の部屋が、渚の自室らしい。
「渚ぁ? ……あら?」
そう呼びかけるも、渚の返事はない。
「開けるわよ?」
小波が仕方なさそうに扉を開いた。
それを見ていたルーデ。そして中の様子を確認した小波。
二人から小さな溜息が洩れる。どちらもその意味は違ったのだろうが、当の渚には関係のないことだった。
「スー、スー……」
小さな寝息を立てて、少女は二人の気も知らずにベッドの上に倒れていた。
二人の口に小さな笑みが浮かぶ。
「ごめんなさい、寝ちゃってたみたいね」
「いえ、そのままで結構です。今日は、凄く緊張もしてましたし、いろいろとありましたから」
渚にバレなかったことに安堵し、ルーデは小波に向かい合うことを決める。
小波は、渚の顔から眼鏡をはずして枕もとに置いた。「上着がシワになっちゃうわ」などとぼやいていたが、起こさずに部屋の扉を閉める。
そうしている間に、ルーデはテーブルの上に置かれていた一冊の本を見つけた。ルーデでさえ、名前と簡単な内容ぐらいはわかる有名な推理小説だ。
書籍の値段を示すバーコード以外に別のバーコードが見られる辺り、渚が学校の図書室なりで貸りてきたものだろう。
そして、ルーデはこの難所を打開する案を閃いた。
「それで、アルバイトというのは、どういう仕事内容なのでしょう?」
テーブルに戻ってきた小波が尋ねてくる。
軽くもったいぶるようにルーデは答える。
「えー、詳細については守秘内容が多くて話せないんですけどね。人様のことを嗅ぎまわったり、調べて情報を集める仕事なので」
「あぁ、もしかして探偵さんですか? 興信所とか。危ないことをする場合もあるんじゃありません?」
上手く掛かってくれた。
事実こそ言っていないまでも、嘘は吐いていない。すべては小波の思い込みだ。
「たまには諍いなどもありますけど、可能な限りナギサにはそういうことはさせないつもりです。最悪、私達がお守りしますので」
「あの子、そういうの結構、好きだったから……。飛び付くのもなんとなくわかるわね。雑務ぐらいならあの子でもできると思いますけど、ホント、怪我をしないか心配ですね……」
「そこは、私達を信用していただけませんか? それと、ナギサもきっと仕事内容を尋ねられるのは困ると思いますから、あまり触れずにいただけると助かるのですが……」
「……わかりました。あの子が、本気でやりたいというのなら、私が止めるわけにはいきませんから。今まで、私にさえ黙って何かをやろうとしたことなんて、なかったんです……」
不安そうながら、自制して決意を固めようとしているであろう小波。そんな様子を見て、「そりゃそうだろう」とルーデは思う。
渚と小波は、どういう経緯があったか尋ねるのも憚れるほどの典型的な母子家庭だ。
渚は母に似て優しく、小波は娘を大事に思っている。だからこそ、渚は母に心配を掛けるようなことをしてこなかった。
そしてまた、渚の抑圧された想いに小波も気付いているが故に困惑しているのだろう。
漣家の現状を見て、ルーデは渚を仲間に引き入れたことを後悔し始めていた。
(なんて嘘っぱちだ……)
先ほどは渚に危険なことはさせないと言ってみたものの、確証など無いのだ。
渚もまた、自分の決意した道を目標に向かって突き進む覚悟をしている――させてしまった。だからこそ、今更その想いを無碍にできない。
胸にもたげた悔恨をかき消すように、ルーデは頭を振って小波を見据えた。
「理解していただき、ありがとうございます」
「えぇ、どうか、渚のことをよろしくお願いします」
小波も娘のことを託してくれた。
これで用件は済んだと、ルーデは立ち上がって玄関へと向かう。
丁度、火にかけられたケルトの水が沸騰し始めてる。
「あ。せっかく来ていただいたのに、何もお出しできなくて申し訳ありません」
うっかり忘れていたが、さてどうしたものかと思案する。
「頂かないのも失礼ですし、何か持ち帰れるようにしていただけますかね? お手数ですが、これからもう一仕事ありますので」
自分の目的も思い出し、これから夜を徹しての観察を行わねばならないため、せっかくなので眠気覚ましのコーヒーを貰うことにした。
「では、ポットがあるので用意しますね」
テキパキとコーヒーをポットに汲み、手渡してくれる。
「どうも。それでは、もし機会があれば、今度はナギサから紹介して貰えるよう頼んでおきます」
受け取ったコーヒー入りの円筒を持って、漣家を後にする。
それからは、親子仲睦まじく夕食を食べる風景や、渚の寝顔を観察しながら夜を明かした。
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