第五話・観察対象:渚
二話ほど掛けて、ルーデの掘り下げや渚について書き綴っていきます。
もっともっと掘り下げたいですが、長くなってしまうので別の機会にしましょう。
『アドリアーナ・ルクヴルール』のオフィスに渚が帰ってきたのは、17時をだいぶ過ぎてからのことだった。
弾薬ケースなどを駐車場からどうやって見つからずに運んでくるか、という悩みに答えて台車と段ボール箱を持ち出し、品物をオフィスに運び入れたころには窓の外は薄闇に包まれていた。
「御苦労さま。今日は、これで帰っても良いよ。時間がなくて申し訳ないけど、携帯電話とコートはまた明日にでも買いに行こうぜ」
さすがに女の子を一人で、夜道を歩かせるのは忍びないと思いつつも、ルーデは渚の帰宅を促す。
「はい、今日はありがとうございました。それでは、また明日。お疲れ様でした」
お辞儀をして、渚はオフィスを出て行こうとする。
明日と言いつつも、決して決まった仕事時間やシフトがあるわけではないのだが。会社などと銘打っても所詮は社会的に認められてもいないし、労働基準法などに縛られてもいない。
それでもなお、渚は学校が終わった後や、休日にはこのオフィスに入り浸ってしまうような気がした。仕事内容だって、他の魔物達から依頼が入るまではろくに活動しない。
「そうだ、ナギサ。武器屋の旦那から電話があってさ。人間同士、やっぱり警戒しないで済む分、旦那も取引に赴くのはナギサが良いってことなんだけど」
仕事で思い出したが、先ほど武器屋の旦那――竜等 薫から掛かってきた電話の内容を簡単に伝える。
「御指名で、ナギサの専門の仕事。どうよ?」
「え? 私なんかで良いんですか?」
意外な御指名に、渚も驚いている様子だ。
「大丈夫、大丈夫。別に、ナギサが嫌なら無理にとは言わないし、旦那の我がままなんて聞いてやる義理もないわけだからね」
「いえ、大丈夫です! やらせてください!」
頻度こそ多くはないだろうが、渚もどうやらやる気らしい。
どういったファーストコンタクトをしてきたのかは知らないが、旦那とは上手くやっていけるようだ。渚であれば大きな問題は起こさないと思うものの、不意に嫌な予感が過ったのはルーデだけの秘密だった。
「そう。なら、これからお願いするよ。遅くならないうちに、気をつけて帰りなよ」
家まで同行してやれれば良かったのだが、渚がいない間にある作戦が『アドリアーナ・ルクヴルール』内で持ち上ったためにそれは叶わなかった。
エリックは憮然とした表情で閉まりゆく鉄扉を眺め、外の渚に声が聞こえなくなったであろうぐらいまで不動を貫く。
ヒースに関しては、未だにレトロゲームをクリアするのに注力しており、こちらの作戦には加われそうにない。
そして、当の作戦を提案したのは、マダリンの執務室から姿を表した一人の少女だった。渚がいなくなるのを見計らっていたようだ。
絢爛とは言い難いまでも作りの良い濡羽色のケープコートを揺らしながら、悠然と歩み出す。
切り揃えられた黒曜石を思わせる艶やかな髪は立ち止まると同時に揺らめかなくなり、深い輝きを秘めたサファイアブルーの双眸がルーデに向けられる。作りものを思わせる一切の歪みを持たない顔立ちを前にすると、ルーデでさえ気圧されるように目を逸らしてしまう。
「四半時前にお話した通り、先日の逃走の失敗はルーデ様の隠密性の低さにあるものと推測します」
「それに関しては面目次第もない……。それで、罰ゲームもとい隠密活動の練習として、ナギサを追跡してみよう、という話になったわけだよな……」
「肯定」
首肯を返す十五歳にもなるかどうかという少女――アントニエッタことエッタの言葉に、ルーデは渚に対して罪悪感を覚えた。いくら罰ゲームだからと言っても、渚についての情報を収集するついでとは言え、プライベートを覗き見るような真似をするのはほんのちょっぴり心が痛んだ。
「ほんとに、やらなきゃダメ?」
ルーデとしてはやぶさかではないものの、後で渚に恨まれるのが怖いので、上目づかいに僅かばかりの抵抗を試みる。
「当然です。我々は、漣 渚なる人物について今日一日の付き合いで知り得た情報以外、何も判断材料を得ていないのです。我々と共に活動を続けられるのか、裏切ったりしないかどうか、はたまた基本情報さえ不足しています」
却下された。
頭の固いエッタは、勘だとか感情論で容易く他者を信用したりはしない。特に人間である渚が仲間に入ることを、マダリンが認めたならば拒否こそしないものの、エッタ自身は絶対に気を許したりすることはない。
マダリンの創作物である自動人形は、自律して思考、感情に従って自己判断することが可能になっていた。マダリンへの忠誠心に関しても、エッタが自らの意思で従っているからに過ぎない。
「分かった、やれば良いんだろ……。ただし、逐次、報告は入れても映像を撮ったりするのはなし。それと、調査内容について連絡する事項は私の判断で取捨選択させてもらう」
拾った責任はあると、渋々ながら了承する。
「訂正。我々に仇となる内容の秘匿をしないことを条件として、ルーデ様の妥協案を受諾いたします」
「オッケー、それだけ飲んでくれれば十分だ。それじゃ、ナギサの家の近くまで向かっておくかな」
心の中で渚に謝罪を入れながら、衣装をスウェットから昨晩と同様のボディースーツに着替えた。下着の類は邪魔になるため身につけない。
着替えるのはオフィスのど真ん中であるため、エリックから消しゴムを投げつけられた後の喧嘩については割愛しておこう。
エリックとの喧嘩で準備運動は十分だったが、屈伸や伸脚、全身くまなく捻って筋肉や腱を解しておく。もう直やってくる夜はルーデの身体能力を引き出してくれるから、生半可だと次の日にはしばし筋肉痛に悩まされることになる。
耳朶装着式のインターコミュニケーション――インカムの調子を確認したら、窓を開けて表通りを見下ろす。誰も通行人がいないこと、隣接するビルの窓からこちらを見ている目がないのも確認して、窓枠に足を掛けた。
次の瞬間には、風を巻き起こしながら正面のビル屋上へと向かって飛び出している。
『行ってこい、馬鹿スケ!』
「チッ! エリック、後で覚えてやがれ!」
『機器に異常なし。通信良好です』
二人の悪態を吐く声が、インカムを通してエッタの耳にも届いたようだ。ルーデの声が僅かながら、夜の街へと溶け込んでいく。
ルーデが飛び出すのと同時に、仕返しとばかりにエリックが彼女の足裏に向けて拳の一撃を見舞ったのだ。直接的に当てられるような距離ではなかったものの、暴力的な拳圧がルーデを吹き飛ばしたのである。
想定以上に体が浮き上がり、ルーデは勢いあまって正面のビルを飛び越しかける。咄嗟に屋上の手すりに捉る形でなんとか落下せずに済んだ。
二人のそんなやりとりは日常茶飯事であるため、エッタが無用な突っ込みを入れることはない。逆に、久しく見るエリックのオーガとしての特性に感心していた。
『筋肉の膂力調整ですね。オーガは、他の人間に化けるため、筋肉や骨格と言ったものをある程度まで自由に変形させることができる。その特性を利用して、筋力だけは序列上位にも通用するほど引き上げることが可能』
『解析どうも』
インカム越しに二人の会話を聞きながら、ルーデは屋上からさらに大通りを飛び越えた先にあるビルへとジャンプする。それを続けながら、ルーデは街並みを自由自在に移動して渚が住む町へと向かう。
きっとエリックとエッタは、内心では「電車の方がよかったのでは?」などと思っているに違いない。
見つかる可能性も少なく、速度こそ鈍行列車に勝るものの十分も変わらないのだから。
しかし、電車を使わなかった理由は簡単だ。
お酒や漫画に消えて、電車賃がなかったからである。
「よッ。ほッ!」
忍者の如くビルとビルを飛び移り、途中からは民家の屋根を静かに渡り、最後は人気のない道を疾風のように駆け抜けて、昨晩に初めて渚と出会った農業用道路へとたどり着く。いつの間にか道路工事が始まっており、銃弾が抉ったアスファルトを密かに修繕し始めているようだ。
「ありゃ? 相変わらず、また内緒にしちゃうんだなぁ」
『仕方のない話です。我々からしても、争いの痕跡は残らない方が都合が良いでしょう』
インカムを入れっぱなしだったため、何気ない独り言にエッタが返事をする。
日本政府がこうして、徹底的に自分たちとの関係を隠蔽してくれるが為に、『アドリアーナ・ルクヴルール』という諜報主体の活動家達は助かっている。
『それとも、ルーデ様は表舞台に出て行きたいとお考えなのですか?』
エッタの思わぬ問いに、ルーデは逡巡する。
「さて、どうなんだろうな……。私は姐さんに呼び出されて、姉さんの意思に手を貸してはいる。それを嫌とは思わないし、逆らおうって気もしない」
魔物は人間と同じく、自分勝手で自己満足主義な生き物だ。
だから、主従の契約があっても実力さえあれば反故にすることもできる。さすがに、マダリンほどになるとそうする意味はない。決して今の暮らしが嫌いだというわけでもない。
エリックやエッタのように、人類に対して大なり小なりの嫌悪を抱いているわけでもなく、どちらかと言えば好いている方だった。
(『魔界』の生活には戻れないよねぇ)
食べ物は美味しいし、お酒だって好きだし、漫画などのサブカルチャーだって好んでいる。魔界では味わうことのできなかった楽しみを与えてくれたことに、感謝しているぐらいだ。
魔物の中には人類と言葉でコミュニケーションを取れる者達が多く存在するため、様々な点で理解し合える部分が多い。それなのに、どうして争い合わなければならないのか。
「人類と魔物、手を取り合って生きていくことができないことが、不思議に思えるのかな? それができれば、ナギサだって悩まずに済んだのにさ」
『否定。現状、既に我々と人類は融和の道を歩むことはできなくなっています。魔界は現在において300種50億に及ぶ数が、人間界の領土の半分にも満たない魔界で生活しています。そのため、すでに魔界は飽和状態を迎えていると言っても過言ではありません。
ゆえに新たな縄張り、領土を求め、人間界へ侵食せねばならなくなっています。そしてその逆、人類も新たな土地や資源を求め魔界への侵入方法を模索しています。積極的に魔物を狩る動きも、魔界への侵入方法を確立する手立てを序列上位に期待するが為でしょう』
エッタの分析、それが全ての答えだった。
互いが同じ理由で争い合っている以上、どちらかが満足ゆく結果を得られるまで奪い合う必要があった。そして、それが満たされた時には、互いに融和を結べぬほどの禍根が残ることもわかっていた。
「そりゃ、姉さんぐらいになれば魔界との道を開くことはできるだろうけど、それって逆に自分たちの首を絞めることになるよな……。レガード=グヴォなんとかみたいな化け物を数人集めないと、まず序列上位の皆様方に滅ぼされるのがオチなのにさ。おぉ、こわッ」
自分で、魔物たちの大敵である男の名を口にして、怖気に震える。
流石に、日本から遥か北の地にいる怪物級の人間と二度、三度と相見えることにはならないだろうとは思う。しかし、植え付けられたトラウマが簡単に消えることはなかった。
『……肯定。御身たるマダリン様であれば、昼間の野外という十全に戦えない環境下でもなければ、まず人類の何者にも敗北することはござません。何せ、我々の10倍以上の戦闘能力、実力を誇るのですから』
そう言うエッタの言葉も、彼の化け物の名前が出てくると鈍くなる。直接戦ったことはないはずだが、それでも噂ぐらいは耳にしているのだろう。
『それはそうと、監視対象の住所も調べずに出て行きましたが、見つかったのでしょうか?』
エッタが、話をすり替えようと話題を振ってくる。
無論、駄弁っている間もルーデは歩みを進めていたし、渚が駅に着くより早く到着していた。
「大丈夫。駅からナギサを尾行すれば、後は身を潜めてさえいりゃ簡単には見つからないさ。私だって、やるときゃやるんだから安心しな」
『否定。ルーデ様はいつもそうやって油断して索敵に引っかかるのです。そして、お忘れのようなので忠告しますと、監視対象はスライム君を連れたまま帰宅しました』
エッタの手厳しい指摘に言葉もないが、それよりも気にすべきセリフがあった。
「エッタ、お前、そういうことはもっと早く言うべきじゃないか?」
『申し訳ありません。監視対象に手の内を知られぬよう遭遇を避けていたため、引き離すことができませんでした。また、ルーデ様やエリック様が、それをお忘れだとは思っていなかったので』
暗に、悪いのはルーデやエリックだと言いたいわけである。
スライム君はそれなりの序列にはいるものの、ルーデのような五感と本能に従った索敵はできない。それでも、自由度の高い特性は追手を撒いたり、姿を隠すのに適していると言えた。
故に、ルーデとエリックはぼやく以外になかった。
「マジか……」
『厄介な忘れ物をしてくれたな、おい』
そして現に、幸か不幸か。ルーデがその人物と顔見知りになったのも、そんな事情に起因する。
最寄りの駅に到着した電車から、渚が下りてきて姿を現した。そして、渚の住んでいるアパートまで尾行できたところまでは予定通りだった。
渚もスライム君のことを忘れていたようである。さらに、ほぼ休眠状態に入っているが故に渚がその存在を思い出さなかったことにより、懸念したように見た目をカモフラージュ出来ていないことは幸いだった。
「抜き足差し足忍び足。ぁ?」
距離を取りながら、物陰に隠れつつゆっくりと渚の背中を追いかけてるという原始的なやり方。
そして、渚を尾行していたルーデは、その優れた五感で住居を囲む不躾な集団の存在を捉えるに至っていた。
「こちらルーデ。どうやら、もう日本政府の奴らが渚のことを嗅ぎつけたみたいだ……。放っておけないし、追い払ってから任務を続行する」
『了解。いくつか不自然な点はありますが、それは片付いてからお話しましょう』
訝しむエッタの疑念は一旦保留にして、ルーデは邪魔者を追い払うべく闇に紛れて行動を開始した。
まさかの渚母と接触。
次回、渚の秘密が明らかに!?
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